第8話
「うう……。向こう何年か分は吐いたかもしんねえ……」
「お疲れさまです」
公安局本部の0課ラウンジに通された、移動中の1時間に5回吐いたアイーダは、作戦会議用の円形ソファーに引っくり返り、グロッキー状態でナビに小一時間ほど膝枕されていた。
ゴミの悪臭が染みついてしまった服は洗浄中で、カガミのワイシャツとその同僚のスラックスを借りて着ている。
「アイーダさん。ちょっといい、か?」
「ええー、アイーダさんはお疲れなのですが?」
「おう。いいぞ」
事情の報告をするために別行動のカガミから、アイーダの個人チャンネルへ電脳通信が来て、当然の様に介入してくるナビを無視してアイーダは快諾する。
ムクリと起き上がろうとはしたアイーダだが、ナビから段ボールに捨てられた子猫みたいな顔で無言の圧力を受けたため、結局そのままの体勢でカガミの話を聞く。
「ホシミヤ氏に打ち込まれたものだが、大元はノース・ベルト・マフィアがばら撒いているものだった」
「あー。なるほど、そりゃお前が見た事あるわけだ」
「ああ。そしてその犯人だが、アイーダさんの見立て通り、〝超事実〟の記者に雇われたその筋の人間だった。ついでに、警察も売り上げの一部をせしめるつもりだったらしい」
マフィアが関係しているとなれば公安案件のため、カガミの同僚が犯人の殺し屋を捕らえ、司法取引を出したらあっさりと証言に応じ、以上の事が判明していた。
「やっぱシケた仕事を受けるぐらいだから、足抜けしたかったか」
「その通り。言えるのはこのくらいまでだ。あとは諸々《もろもろ》解決するまでゆっくりしていて欲しい」
「おう。サンキュー」
今回の件で仕事がいろいろと発生したカガミは、アイーダとの会話を名残惜しそうに切り上げ通信を切断した。
「アイーダさん。どうやらお客さんのようです」
「おん?」
「あ、なんで分かったか訊きます? ナビちゃんの秘密機能の内、音声分析で足音が扉の前で止まるのを確認――」
「お取り込み中だったかな」
ナビが全部話し終える前に引き戸が開いて0課長が入ってきて、目を少し見開き、その腕からゴリラみたいなたくましい手を後頭部にやって軽い調子でそう言う。
「あーもう、なんで今日はこう話の腰がベキボキなんですかね!」
「いや。暇してたところでね。どういうご用件なんで?」
今度はそのままという訳にもいかないので、半身を起こした事にムスッとした顔をするナビを放置して用向きを訊ねる。
「ちょっとした世間話だ」
「わ、見た感じが本当にゴリラですね」
「なこと言わんでいい失礼だろが。すんません」
「ははは……。まあゴリラっぽいのは自覚があるがね」
指さしてドストレートに言ったナビの手を抑え、迅速に頭を掴んで下げさせたアイーダへ、やや哀しげな苦笑いを浮かべて課長はナビの暴言を流した。
「直接は初めましてだね? 公安局特殊部隊長官のヤタ・マサミだ。娘がいつもお世話になっている」
「ご丁寧にどーも。探偵の今はサカイダ・メイを名乗っている者だ。アイーダでも探偵さんでもなんでも好きに呼んでくれ」
アイーダの正面までやって来た課長は、物理の名刺を渡して丁寧に頭を下げ、それに応じるアイーダは、いつも通り軽い調子で受け取り、挨拶を返して自分のデジタル名刺を送った。
「本当に大した話ではなくて済まないが、娘を復讐から解き放っていただき感謝する」
背筋を伸ばした課長は、少し堅苦しい調子で長々と頭を下げ、
「まあ、マジで大した事はしてねえよ。課長直々に探って得るものが無えぐらい何もな」
「……娘の言う通り、あなたは相当の切れ者らしい。お見それした」
自身が探りを入れる心づもりであったことを見抜かれ、少し緩んだ表情でもう一度先程よりも少し深く礼をした。
「なこたねえよ。アタシ単体じゃ単なるしょっぱい探偵さァ……」
「そんな事はありませんからね! アイーダさんの自己評価から5倍ぐらいにしたのがアイーダさんがされるべき評価ですからね! その辺勘違いしないでくださいね! 額面通りに受け取っているなら私がこってり説明しますんで!」
何も入っていないパイプを持った手を、紫煙を吐き出すような位置にやって謙遜の苦笑いするアイーダに、ナビはすっくと立ち上がって課長へ飛びかかる様な勢いで力説する。
「しなくていいから黙って座ってろ。――いや、本当にすんません」
「気にしないでくれ。いやまあ、謙遜は美徳だが、過ぎるのは確かにあまりよろしくないな」
睨みを利かせて腕を引っ張ってナビを座らせてから、またナビの頭を掴んで一緒に下げるアイーダへ、左右に払うように手を振って、課長はナビの主張に一部賛同する。
「ですよね! そう思いますよね! 実際アイーダさんちょっと舐められたりしてる事があるんで、我慢ならん、ってなるときがたまにあるんですよ! よっ大将! 分かっていらっしゃる!」
「お前はどこの寄席の客だよ」
「あっ、もっと強く叩いても良いんですよ?」
「やだよ。アタシの手が痛いだけだろうが」
口の端に手をやってガヤの客の様に喋るナビの頭を、アイーダが呆れ顔で軽くはたくと、彼女は物足りなさそうに頭を差し出してくるが応じずに腕組みした。
「そんな事は無いですよ! ナビちゃん程の性能となれば、このボディのセンサーからでも正確に痛気持ちいいを検知することが可能なのです!」
「性能の無駄遣いだなあ」
「汎用性の証明と言って下さいよー」
「――人工知能というから、もう少し温かみがないものかと思っていたが、人間と区別がつかないものなんだな」
途中からほっぽり出されて漫才を見せられていた課長だが、ナビの言動を興味深く眺めていて、会話が終わったタイミングでかぶりを振りつつ驚嘆して言う。
「まーそりゃあ、アイーダさんが私を人間と同じ様に扱いますからね。それを学習するのでナビちゃんもアイーダさんの温もりを出力するってもんですよ!」
「アタシはこんなにうざくはないと思うがな」
「なるほど、カガミが明るくなったのは、あなたのそういう面あって、か。勝手なお願いではあるが、これからもカガミを支えてやってほしい。どうしても私の方が――」
「――そんなに心配するこたねえ。カガミはもう、手を引かなきゃ迷っちまう様なガキじゃねえよ」
保護者の引き継ぎを頼もうとする課長の言葉を遮って、フッと笑みを浮かべたアイーダはそう言い、友達としてならいくらでも付き合うが、と続けた。
「……なにか余計な事を吹き込んだ、か?」
その直後、戸が開いてジト目のカガミがやって来て、疑り深そうに覗き込む動きをして養父をジロジロ見つめる。
「……単なるご挨拶だ」
「本当か? アイーダさん」
「おう、マジだよ」
「あなたがそう言うなら信じよう。課長、報告書だ」
「う、うむ。ご苦労」
「仮にも身内の方で信じてやれよ。そこは」
ゆっくりと頷いたカガミは疑いの眼差しをやめて、子としての関係から部下としてのそれにスイッチして、マル秘と書かれた封筒に入ったアナログ文書を手渡した。
「では業務に戻ってくれ」
「了解」
中身を一目確認した課長は、そう言って頷くとせかせかと会議室を出て行った。
「ああ、追加情報だが、――ホシミヤさんはマフィアによるテロ被害者の1人として扱われるそうだ」
「お、そうか」
廊下まで出て扉近くに人がいないのを確認したカガミは、1回戻ってきてニナの処遇についてアイーダに耳打ちし、それだけ聞きゃ安心だ、というアイーダの返事を聞いた後、課長と同じ様に早足で出ていった。
それから数週間後。
薬物に対する治療を依存が再発する事なく終えたニナは、
「いやあ。事故に遭ったって言っても、また待たせちゃってごめんねみんなー!」
パルススター誕生の地である、ネオイーストシティ西部のライブハウス・〝クラブF2〟で、延期になってしまっていた活動再開ワンマンツアーラストの舞台に立っていた。
すし詰めのフロアからの割れんばかりの大声援が返ってきて、それをニナは目を閉じて天を仰ぎ見る格好で浴びる。
「よーっし! いきなり新曲行くぞ! いけるかF2ゥゥゥゥー!」
アドリブで左右に立つギタリストとベーシストが軽く鳴らすと、それに促される様に頷いたニナが目をカッと見開いて叫び、いっそう目を輝かせた観客が楽器の爆音に負けない大声援を上げる。
「聴いてくれ。――〝グレート・ディテクティブ〟」
少し間を空けて落ち着いた声で曲名を短く言うと、中央後ろのドラムスがスティックを鳴らしてリズムを取り、出来たばかりでメンバー以外はまだ誰も知らない、シンセサイザーを駆使したそれのイントロが始まった。
そして、自身を絶望から救ったとある探偵をテーマにしたそれは、後にパルススター最大のヒット曲となる――。




