第6話
会場となっているところは、閉店して放置されている食料品店の入り口前で、スラム住民の広場として使われている駐車場に、子どもから大人まで30人程が集まっていた。
「これ、あいつの曲だっけ?」
「いいえー。〝パルススター〟は〝ネオン・ポップ〟じゃなくて、ミクスチャー音楽専門ですので」
2人と1体は、少し離れた場所の元自転車置き場でそれを聴いていて、2、3目を瞬かせたアイーダはニナを目線で指しつつ、電脳通信でナビへ訊くとジャンルの違いまで含めて説明された。
「こりゃ、どっちが元だか分かんねえな」
アコギター1本の素朴な演奏に、ニナの少しハスキーでマイク無しでも声が通る、パワフルな低音ボイスが合わさり、アイーダには流行りの音楽の方がカバーアレンジかの様に思わせるほどだった。
「こんな才能あっても、クスリに溺れちまうってんだから怖ろしいもんだな」
「ですねえ」
アイーダとナビは同時に腕組みをして、完全に同じタイミングでニ度三度と頷いて言った。
「……」
電脳内でカメラの稼働状況についての報告書を作成していたカガミは、視界の端に映ったそのシンクロ具合を見て、なんとも言えない苦い顔で口をへの字に曲げた。
「んんー? なんですかぁ?」
「いや、別に……」
羨ましそうに見ているのを見逃さず、ナビはここぞとばかりに得意げなニヤケ顔を見せ、下から覗き込む動きをしてカガミを煽った。
「――ガチのマジでやるのか? いくら売り上げのためったって……」
「――おい、口に出すなバカ。大事なネタなんだぞ」
ナビが微妙にカクカクと動いて更に煽っている最中、アイーダの耳に少し離れた露天でラーメンを食べる、四角い片掛けバッグを脇に並べる男2人の会話が聞こえてきた。
迂闊な丸っこい青年と、それに忠告を入れる細長い中年は、双方がその言葉に、かなり陰湿そうな色を含んでいた。
「ナビ、あそこの闘雷屋って屋台にいる、おおかたクソ三流週刊誌記者連中の事記録しとけ。あいつら仕込みカメラで隠し撮りしてやがるぞ」
「はいはーい。お任せなのです」
アイーダは横目で僅かに見やっただけで、彼らがバッグに仕込んだカメラを使った悪質な取材行為をはたらいていることを見抜き、電脳通信でナビへ指示を出した。
実際、ナビが電脳に忍び込んで所属を確認すると、案の定、大事故の遺族に即日深夜に突撃取材を敢行するなど、その筋では悪質さといい加減さで有名な週刊誌・〝超事実〟の記者だった。
「違法薬物の取引現場を撮りたかったのだろうか……」
「まあそんなこったろうな。残念ながら目論見通りにゃ行かなかったみてえだが」
共有されている通信で聴いたカガミもちらっと見て、眉に嫌悪感を滲ませつつ通信でつぶやくカガミに、ざまあみやがれ、とアイーダは鼻を鳴らした。
「いろいろ確認とれたんで、依頼人さんにご報告ですね」
「おう」
最初の曲が終わり、人数が増えている集まってきた人々から、ニナは拍手喝采を送られていた。
「あ、チップは要らないから、それで何か食べちゃって」
目を閉じて腕組みし、曲をじっくりと聴いていた大人が、電子マネーカードや硬貨で支払おうとしたところ、ネックを持っていた右手を広げて制止し、ニナは屋台の方を見やって目に笑みを浮かべる。
払おうとしたのは新規の客で、常連といった様子でビールケースをイスにして左前にいる老婆は、いつもタダで聴かせてもらっていることに、深々と頭を下げて礼を言う。
「いやいや、顔上げておばあちゃん。こっちが勝手にやってる事だからそんなの要らないって」
ギターを担いだまま、わざわざ彼女の前にしゃがみ込んで、こっちこそ聴いてくれてありがとう、と目線を合わせて言ってから、
「じゃあ次の曲、分かるのだけだけどリクエスト受け付けるよ。はいっ手挙げて!」
大人より熱心に聴き入っていた子ども達へ、そう言ってリクエストをとった。
「あれね。昨日丁度覚えたばっかりで自信ないけどやってみるね!」
口ではそう言っているものの、ニナはギターの表面をノックし、リズムを取って演奏を開始すると、歌も演奏も完璧なだけでなくアレンジもしっかり加えていた。
「へー、一昨日リリースされたやつじゃないですか」
「たった2日であそこまで仕上げてんのか。マジで大天才だな」
「そうらしい、な」
ついでに聴くか、ぐらいの感じで来たアイーダ達だったが、すでに夢中になって聴いていた。
手元が暗くなるまでぶっ通しで演奏し、散会になったのは5時より前となっていた。
「あっという間、という感じだ、な」
「ちょっと有意義な休日になって良かったですねえ」
「おうよ」
惜しまれながら帰っていくニナを追いかけつつ、2人と1体も満足げに帰路につく。
そして、何事も無くスラム街を抜けて、身投げ筋へと入ったところで、
「! アイーダさんっ」
「のわっ」
カガミが後ろからアイーダめがけて走ってくる様に見えた人間を察知し、抱きしめるようにしてナビのいる壁側に退避させた。
「どうもアイーダさん狙いではなかったみたいですね」
だが、その人物はアイーダには目もくれず、真っ直ぐ走り去って行こうとしていた。
「急いでただけかよ。紛らわしいことしやがってクソが」
カガミに放して貰ったアイーダは、その後ろ姿を見送りながら悪態を吐いた。
「あれ? 今なんか無針注射器を前の人に刺していきましたが……」
「おいおいおい、なんかヤバそうだぞっ」
その人物は、ニナが街頭の光の下から離れたタイミングで、手に隠し持っていたシリンジ型のものを使って彼女に何かを打ち込んた。
「――ッ」
「まてカガミ。アイツを追っかけるよりホシミヤさんの保護優先だ」
「何者かとかは、後でなんとでもなりますからね」
仕事柄すぐに犯人を追いかけようとしたが、アイーダが横に手を出して制止し、カガミはそれに従って、倒れ込んで震えるニナの元へ駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
ニナを助け起こして訊くが、言葉にならない声しか出てこなかった。
「薬物打たれてますねこれ。しかも麻薬の類いです」
しれっとニナの電脳をハックして、彼女の現在の状態を確認してナビがそう言い、
「成分表を見せてもらってもいいだろうか」
「ナビ。見せてやれ」
「はいどーぞ」
「ん? これ、どこかで……」
検出された成分表を、これでもかと渋い顔の彼女から見せてもらったカガミは、顎に手を当てて数秒間思考を巡らせて記憶を探っていく。
「匿名の通報だったが、信じていいのか?」
「賄賂付きでイタズラってことはないだろ」
すると、あまりにもおあつらえ向きのタイミングで、後方からやや真面目に出動して歩いてくる警官2人が遠目に見えた。
「カガミっ、とりあえずコイツとナビ抱えて逃げろ。なんか嫌な予感がする」
「――アイーダさん、自分が囮になるから、とか考えないでくださいね」
「――あーいや……」
第六感でそれに意図的な物を感じ取ったアイーダが、カガミに指示を出したが、即座にナビがジト目で見上げて釘を刺した。
「とりあえずこれにッ」
アイーダが言いよどんでいる内に辺りを見回すカガミが、ホームレスの物らしき、古びたアルミ製のリアカーを壁側の路肩に発見し、それを引っ張ってきた。
「ちゃんと捕まってて貰いたいッ」
その上にアイーダ達をやや力任せに押し込んで、ハンドル部分に跳んで収まったカガミは、それを8割ぐらいの力で引いて走り出した。
「うおああああーッ」
「ひええええーッ」
だが、人が引くよりも遥かに速く、バイクに連結して引っ張っているぐらいの速度は出ていた。
「まさか今時戦車に乗ってる気分を味わうとはなあ……」
前方の左右の縁に手でしがみつき、口から唾液を垂らしてけいれんするニナを腋の下に通した脚で、アイーダは彼女を保持していた。
角を曲がって左右に振られる度、アイーダは全力で歯を食いしばって耐える。
「なんかゴミにだされてるみたいで嫌なんですがっ」
「我慢しろ。アタシも状況は一緒だ」
ナビはというと、アイーダとリアカーの前部の間で横になっていて、転げ落ちないように両手足で突っ張っていた。
パワーアシストスーツを着用している警官が、急いで追いかけるもカガミの全身義肢の出力には及ばず、街灯がたまにしか稼働していないせいで簡単に見失った。




