十二話 ルイーズ死す
結界の外にいた者たちすべての動きが、音楽に絡め取られたように止まり、虚ろな瞳で上空を見上げる。
セレスタンの結界の内側だけが無事だった。
「一体何が起こった!?」
状況の異変に気づいたロランが声を上げる。
マティアスが設置した結界装置によって守られていた生徒たちも同様に、上空を見上げたまま呆然としている。
ただ一つ、セレスタンの結界の中にいた者だけが、この異常な陽気の支配を受けていなかった。ドナシアン、レオポルド、ロラン、セレスタン、ヴィヴィアン、エルヴィラの彼ら六人と、No.4を含む敵の一味のみが意識を保っていた。
「恐らく、精神系の攻撃ですね」
ヴィヴィアンが静かに告げる。
彼の能力【コントロール】。自我のある存在であれば、人間に限らず、機械や獣ですらその精神を支配することができる。だからこそ、すぐに正体が分かったのだ。
「戦えるのは私たちだけか。やるしかない!!」
ロランが前に出ようとする。
「やめたほうがいいです。セレスタンの結界を出れば、私たちも精神を侵されるでしょう」
ヴィヴィアンが制止する。直後、戦場に響き渡るような叫び声が放たれた。
「「あああああああああぁぁぁぁ!!!!!!」」
腹の底から絞り出すような声。発信源は、ルイーズと少し離れた位置にいるミアだった。
本来、声を発することすらできなかったルイーズが、仲間たちの危機に対する怒りと執念で精神系の束縛を打ち破った。
精神系攻撃の弱点。それは、高位能力者と、強靭な意志を持つ者。
「わたくしはあああああ、この世界をおおおお、平和にすると決めたでしょうがああああああ!」
ルイーズは両手を震わせながら強く握りしめ、吠えるように叫んだ。
「私はあああ、約束を守るんだあああああ!」
ミアもまた遠くから怒声を上げる。
その瞬間、まるで目に見えない鎖が断ち切れたように、精神を縛っていた重圧がスッと消え去り、霧が晴れるように意識がクリアになった。
ミアは即座に空中を蹴り、ルイーズの元へと向かう。
「ルイーズ!珍獣は任せた!」
「ええ!」
意図を理解したルイーズが頷くと、両手を掲げる。
空中に水の刃が次々と生成され、超高速で回転する。
ルイーズが手を下ろすと、刃が一斉に射出され、珍獣たちの身体を正確に貫通。
抵抗する間もなく、全ての個体が即座に沈黙した。
その間に、ミアは一直線に飛翔し、ある一点を目指していた。
No.4の一体へと照準を絞って突き進んでいく。
まるで最初から本体を見抜いていたかのように、迷いのない直進だった。
「チッ、化け物め……!」
No.4は舌打ちし、分身たちを呼び寄せる。
一瞬で本体の周囲を囲むように集結するが、ミアの突進は止まらない。
地面に着地した瞬間、間髪入れず全ての分身を殴り飛ばした。
「あんたがここまでやるとは思わなかったよ」
ミアの目は冷ややかだった。
「お前、自分の立場分かっているのか!」
怒声を上げたNo.4に対し、ミアの表情がわずかに動く。
彼らの間に緊迫した空気が走る。何か、因縁のようなものが感じ取れるが、ルイーズたちには、会話の内容までは聞こえない。
だが、ミアがNo.4へと手を伸ばしかけた、その時だった。
黒閃が走った。
「……っ!」
鵺とNo.1が、突然ミアとNo.4の間に割り込んできたのだ。
次の瞬間、ミアの身体が宙を舞う。
あまりにも速すぎて、何が起きたのか、ロランたちは目で追うことすらできなかった。
視界に映ったのは、ただミアが後方へと弾き飛ばされていく姿だけ。
その一撃を視認できたのは、ミアとルイーズだけだった。
No.1の突き。鋭く、鋼のように重く、まるで一瞬で時空を断ち切ったかのような動きだった。
「あんな動き、人間じゃないわ……」
辛うじて視認できたルイーズがそう呟いた。
動きの一連に一切の無駄がなく、速さも威力も、完全にミアを上回っていた。
その時ようやく、ルイーズにも理解できた。
ミアがNo.1を恐れていた本当の理由を。
だが、怯えている暇などない。
この場を切り抜けなければ、自分たちに未来はないのだから。
ルイーズは迷わず、吹き飛ばされたミアの元へと駆け出した。
「大丈夫? ミア」
ルイーズは駆け寄り、ミアの身体を優しく抱き起こす。
「げほっ……ああ、大丈夫だ。それに、一瞬触れた」
ミアは咳き込みながらもルイーズの手を借りて起き上がり、口元に薄い笑みを浮かべた。
その刹那、
「うっぐ……ああああああっ!!」
No.4が突如として叫び声を上げ、両手で頭を抱え悶え始めた。地面に膝をつき、歯を食いしばりながらのたうち回る。
鵺とNo.1が割って入る直前、ほんの一瞬、ミアの指先が確かにNo.4に触れていた。しかしその一瞬でミアの能力は発動していたのだ。
No.4の記憶が混濁し、脳内に深い霧がかかったように思考が絡みつく。
過去と現在の区別が曖昧になり、現実感が薄れていく。やがて、No.4は理性の糸を手放し正気を失った。
その影響は、即座に現れた。
上空に浮かんでいた巨大なミラーボールが消え失せ、空間に流れていた異様な音楽も途絶える。色彩が剥がれ落ちるように、戦場から陽気な幻想が失われ静寂が戻ってきた。
「やはり、お前は危険すぎる」
風が吹く。
黒のロングコートを靡かせながら、No.1が無表情のままミアとルイーズのもとへと歩を進めてくる。
ただ歩いているだけだというのに、その存在は空気そのものを重くする。まるで巨大な獣の咆哮を、至近距離で浴びているような圧迫感。
ミアはまだ、戦える状態ではなかった。
一方、ルイーズは静かに立ち上がる。港町という地の利を活かし、すぐ傍にある海に手を伸ばすように意識を向けた。
「海哭ノ巫」
ルイーズが静かに詠唱すると、海が呼応するようにうねり、空中へと大量の海水が巻き上がった。次の瞬間、上空に“涙を流す巫女”の巨大な幻影が現れる。
その巫女の涙が、静かに落ち始めた。
雨のように降り注ぐのは、鋭く研ぎ澄まされた水の槍。そのすべてが敵を狙い、標的に向かって正確に撃ち込まれる。しかもこの雨はただの攻撃ではない。味方に触れれば“清め”として作用し、回復と精神抵抗力を高める加護へと転じる。
「No.6、No.4を守れ」
No.1の短い命令に、鵺が応じた。巨体を躍動させると、その分厚い皮膚がさらに硬化し、No.4を覆うように立ちはだかる。
水の槍は容赦なく鵺の背に降り注ぐが、その硬質な肉体はびくともしない。
さらに不可解だったのは、No.1の周囲に降る水の槍が、まるで“見えない壁”に阻まれたように直前で弾かれて消えていくことだった。
「退け、ルイーズ・カプレ。お前に用はない」
低く、鋭い声。その瞳は、氷のように冷たい。
「貴方に用がなくても、わたくしにはありますの。……ミアに手を出してもらっては困りますわ」
ルイーズの声に、迷いはなかった。
だが、対峙しているだけで背筋に汗が滲む。この圧力──ただ者ではない。
これほどまでの緊張を感じたのは、過去にただ一度。記憶を失ったジェルヴェールに初めて会いに行ったあの時、陰影の能力による威圧に呑まれかけた時だ。
けれど目の前の男は違う。能力ではない。素のままで、この威圧感を放っている。
「お前は、今は重要度最下位だが、まだ能力が覚醒する可能性がある。できれば、殺したくはないのだがな」
No.1の言葉は静かだった。
だからこそ、その冷酷さが骨の髄まで染み渡る。
「でしたら、引いてくれると助かるんですけれどっ!」
ルイーズが鋭く叫ぶと同時に、足元の水が激しく渦巻き始めた。
うねりから姿を現したのは巨大な水竜。艶やかな水面が鱗のように煌めき、蒼く蠢くその身は咆哮のような音を上げて海へ向かって駆け出す。
ルイーズが手を振りかざすと、水竜は咆哮とともに口を開けそのままNo.1を丸呑みにした。
目的は撃破ではない。ミアと他の仲間たちを守るため、No.1を戦場から引き離すこと。
水竜はそのまま勢いよく海上へと進み、No.1の身体を押し出していく。
が、No.1は抵抗ひとつせず、ただ静かに飲まれた。恐ろしいほどに無抵抗のまま──。
その沈黙が、不気味だった。
そして、海上に至った瞬間、水竜が霧のように四散する。
「……っ!」
ルイーズが目を見張る。その中心に立っていたのは、濡れることもなく沈むこともないまま、海の上に佇むNo.1の姿。
まるで水面そのものに重力を感じさせていないかのように、不自然に、だが確実に立っている。
──浮いている?違う。あれは……
だがその“何か”に気づくには、まだ情報が足りなかった。
ルイーズはすぐさま自らも海面へと飛び移る。水を足場に変える術は、水を知る者にとって常道だ。だが、ルイーズは知っていた。この男と対峙する以上、術だけでは勝てないと。
だからこそ水を蹴り、間合いを詰める。
構える拳。無防備に見えるNo.1の懐へ、迷いなく飛び込んだ。
最初の一撃は正拳突き。だがそれは、あっさりと片手で受け止められる。
反撃は無い。
No.1はただ、ルイーズの動きを見ていた。
その無反応が、逆に恐ろしい。
しかし、ルイーズは怯まない。
「黙って立っているだけなら、何度でも叩き込んで差し上げますわっ!」
続けざまに蹴り上げ、返す拳、回し蹴り。流れるような連撃がNo.1を襲うが、いずれも掠るか、受け止められるだけ。
だがルイーズの真の狙いは別にある。水の導線を、No.1の動きに合わせて仕込んでいた。
「背中ががら空きですわよ!」
次の瞬間、ルイーズの足元から一条の水柱が突き上がり、No.1の背後から水槍が炸裂する。
だが、水槍はNo.1の背に届く前に霧散した。
「っ……!?」
水の手応えが、ない。
──なに?まるで分解されたみたいに……
ほんの一瞬、ルイーズの背筋が冷えた。
海上で戦える術は、彼女の優位のはずだった。それなのにこの男は、まるで“水の存在を無効化する何か”を持っているかのように水のすべてを、否定している。
「そろそろ、いいか?」
耳元で低く囁かれたその一言は、まるでこれまでの戦いがただの余興であったかのような、冷酷な終わりの合図だった。
その声を聞いた瞬間、ルイーズの背筋が凍る。すぐに後退しようと反射的に海を蹴るが──
「っ……!」
No.1の右腕が、軽く振るわれた。
その動きは驚くほど緩慢だったのに、衝撃は瞬時に届いた。
防御のために顔の横に立てた右腕が音を立てて折れる。
続く衝撃は骨を伝い頭部にまで達し、ルイーズの身体は軽々と数メートルも吹き飛ばされた。
海面を跳ね、血を撒き散らしながら転がるルイーズ。
それでも、彼女はまだ意識を手放さない。
「……まだ、よ」
立ち上がろうとする。だが、脚が震えていた。右腕は折れたままだ。
それでもNo.1がミアの方へ向かおうとしたその瞬間。
「まだ終わってませんのよぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
海が、爆ぜた。
ルイーズの背後から巨大な水柱が天に届き、渦を巻きながら一点に収束する。凍てつくような青の光が水の刃となり、雷鳴のような轟音と共にNo.1へと放たれる。
それは、今まで見せたことのない命を削って撃つ、ルイーズの切り札だった。
空を裂き、海を割るその一撃は、No.1の周囲に到達した刹那、衝撃と水圧が一帯を呑み込んだ。
一瞬、視界が真白に染まる。だが。
「……少し、危なかったな」
声と共に、霧の中からNo.1が現れる。ロングコートが裂け、肩から血が滴っていた。
「こんな攻撃もできるようになったか。成長したな、ルイーズ・カプレ」
それは賞賛のようで、しかし同時に死刑宣告だった。
「じゃあ、もういいな」
次の瞬間、No.1は一瞬でルイーズの目前に現れた。顔面に拳が叩き込まれる。宙に浮いた身体を、容赦のない膝蹴りが追撃する。
「がはっ……!」
そのまま海へ叩き落とされるかと思いきや、No.1は首を掴んで引き戻し、さらに殴る。殴る。殴る。
海上が赤く染まる。ルイーズの身体がぐにゃりと曲がり、意識が飛びかけたその時、巨体が割って入った。
「やめろ、No.1」
それは、No.4を背中に乗せて現れた鵺だった。
巨体を盾のように広げ、破壊されかけたルイーズを覆うように立ちはだかる。
「……彼女はもう限界です。それに、No.4の治療を急がなければ手遅れになる。任務は中止すべきです」
ルイーズの身体を蛇の尾で支えたまま、鵺は静かに言い放った。
その目がギラリと光りを宿す。
「これ以上やるなら、オレが止めます」
その宣言に、周囲の空気が一変した。
No.1は目を細める。だが、そこに怒りはなかった。ただ、虚無的な失望が滲んでいる。
「……鵺。貴様、No.5の報告を受けた時からもしやと思ったが……」
黒コートが音もなく揺れる。
「裏切ればお前も、お前の“大事な者”がどうなるか、分かっているんだろうな」
鵺の眉がわずかに動く。その視線の奥に、誰にも知られたくない痛みが走る。
それでも、彼は動かない。抱えるルイーズの命が燃え尽きようとしているから。
そんな中戦場の別の一角。
「ルイーズ嬢!!」
ジェルヴェールが叫ぶ。隣ではソレンヌが顔色を失い、サビーヌとエドも駆け出そうとしていた。
だが、彼らの前に仲間たちが立ち塞がった。
「待て!今は行くな!」
ロランが腕を広げて叫ぶ。
「今行けば、今度はお前たちが殺される!」
「ロラン殿下、お願いです!行かせてください!ルイーズ嬢が一人で戦っているんです!!」
ジェルヴェールは主君の言葉だろうと、止まれなかった。
目の前で、ルイーズが血を流しながら立ち向かっている。ボロボロの身体で、なおも一人で仲間を守ろうとしている。
──彼女を、失いたくない!!
その想いが胸を締めつける。
ルイーズが傷つく姿を見るのが、怖くてたまらない。彼女をこのまま、ひとりきりにしたくない。
ストレンジ狩りの事件以降、誰かを守る力が欲しくて、必死に腕を磨いた。五域にまで登りつめた。
それなのに、またルイーズはあの時と同じように一人で敵と戦おうとしている。ダルシアク国でルイーズを守れる存在がいるとするならば、総帥くらいだろう。
しかし、その総帥ですら、敵とルイーズの戦いに割って入ることは出来なかった。
総帥やデープが割って入ったところで、ルイーズの攻撃の邪魔となり、足でまといになると判断したからだった。
「ルイーズ嬢を助けに行かせてください!!」
ジェルヴェールが叫ぶ。激情に震えるその瞳は、誰よりも真っ直ぐにルイーズを見ていた。
「気持ちはわかる……だが、私もお前を失うわけにはいかない!!」
ロランが歯を食いしばり、彼の前に立ちふさがる。
その表情には、彼の覚悟と苦悩が滲んでいた。
他の者たちも、思いは同じだった。
誰もが今すぐにでもルイーズの元へ駆けつけたかった。だが、現実は非情だ。
力が足りない。彼女に手を伸ばすための、ただ一歩が遠すぎた。
「ワシらが行こう」
静かに、だが確かな足取りで歩み寄ったのは、白い髭を撫でる総帥だった。いつの間にか、別の場所で戦っていた者たちもこちらに集まっていた。
「お前たちはまだ発展途上……これからの未来を支える者たちじゃ。ここで死なせるわけにはいかん」
隣にはデープ。険しい顔で顎に手をやり、呟く。
「まあ、老いぼれ二人の命で、あの化け物が引いてくれれば万々歳じゃがな……」
自嘲気味に笑う彼らの背に、ジェルヴェールたちは息を呑む。
その覚悟が、言葉よりも重く響いていた。
──そのとき。
「追憶の花弁」
柔らかな声が空気を震わせた。
ミアが、静かに立ち上がっていた。
その身体にはまだ傷が残っているものの、戦えるだけの力は戻っている。
空から、淡い光の花弁が舞い降りた。
その花弁が仲間たちの頭上に降り注ぐと、彼らは一瞬、動きを止めた。
追憶の花弁はミアの能力だ。
一定範囲内の者たちの「最も深く刻まれた記憶」を呼び起こし、一時的に精神を過去に引き戻す。
外的には10~30秒の停止だが、内的には「数時間~数日」にも感じられる“記憶の旅”を強制する力。
怒りや焦燥を凍結し、冷静さや原点を思い出させるための能力だ。
「……爺様たちでも、相手が悪いよ。いくらなんでも無茶すぎる」
そう呟くと、ミアは浮遊し、風を裂いて前へ出た。
「あれほどの戦いを見せられたら、私も頑張らないわけにはいかないよね、ルイーズ」
誰にともなく微笑み、彼女は再び空気を蹴った。
その背は、迷いもなく敵に向かっていた。
「来たか」
No.1が、ミアの接近を察知し、静かに視線を向ける。
その眼差しには、警戒心と、ほんの僅かな愉悦が混じっていた。
「ミア。No.4を元に戻せ。そうすれば、お前の命は助けてやろう」
「嘘だね」
ミアは空中で一瞬停止し、きっぱりと答える。
「あんたは私を一番警戒してる。No.4を元に戻したら、あんたは私を殺す。違う?」
その声は落ち着いていた。どこか諦観すら含みながら、冷静だった。
「始祖神は、あんたがやることなら目を瞑るだろうしね。そういう手合いって、よく知ってるよ」
ミアの眼差しは、まっすぐにNo.1を射抜いていた。
「そうか。俺としても、とても残念だよ」
No.1の声には、失望と断罪が混じっていた。
それは“力なきもの”に向けた嘲りではない。
“道を違えた存在”に対する、無情な処理としての決断だった。
次の瞬間、彼の右手が静かに持ち上がる。
空間がねじれるように、彼の掌に異質な力が集中し始めた。
No.1の能力──それは、【分解】。
存在そのものを崩し、還元する力。触れれば最後、何も残らない。
ミアが応戦しようと構えた、そのときだった。
「──だめだよ、それは……」
風を切る音。視界を裂いて、ひとつの影が割り込んだ。
「ルイーズっ……!?」
ミアの前に飛び出したルイーズは、すでに限界を超えていた。
折れた腕。割れた額。全身を血に染め、もはや立っているのが奇跡だった。
けれど、それでも。彼女は迷わなかった。
自分ではない“誰か”のために、最後の一歩を踏み出した。
そして、No.1の手がルイーズに触れた。
ズ……という音と共に、ルイーズの身体が崩れていく。
皮膚が、骨が、静かに、確かに分解されていく。
だがその最中、彼女の右手から音が鳴った。
──パキィンッ!!
右手に嵌めていた、青と菫色のパワーストーンが連なったブレスレットが弾け飛び、空に舞った。
その欠片は、陽の光を反射しながら、キラキラと空中を舞い落ちていく。
彼女は振り返り、笑った。
ミアに、微笑を向けて。
「……あとは、頼んだよ」
その声は、誰にも届いた。
追憶に囚われていたジェルヴェール、サビーヌ、エド、そしてソレンヌの瞳が、ふと空を仰ぐ。
視線の先で、崩れていく彼女と、最後の笑顔が重なった。
誰よりも優しく、誇らしい笑顔だった。
ルイーズは、そのまま音もなく消えていった。
戦いの只中で、少女の命が、光の粒となって天に還っていく。
高い空には雲ひとつなく、眩しい日差しだけが、無情にも世界を照らしていた。
遠くから見ていたジェルヴェールの視界が揺れた。
信じられない光景を、理解が拒んでいる。
──消えた?
彼女が?
守れなかった……
「……う、あ……ぁ……」
膝が砕けるように地面に落ちた。
喉から引き裂くような叫びが漏れる。
「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
彼の叫びが、空へと消えていった。
光は変わらず、ただ眩しく、痛いほどに美しいままだった。
ジェルヴェールの叫びが空に消えた直後──
「……もういい」
その一言を呟いたのは、No.1だった。
戦意も殺意も、すでにその眼差しから消えていた。
「これ以上は得るものがない。No.4も限界だ。撤退する」
鵺は、足元に落ちた小さな光の破片に目を落とす。
海に漂う、弾けたブレスレットの破片。
波間に揺られ、どこかへ流されていくその欠片を、しばし黙して見つめた。
やがて、鵺は背中のNo.4を支え直すと、何も言わずにその場を離れ始める。
No.1が彼の背に乗り、鵺の身体が音もなく宙を舞う。
風も、波も、彼らを止めることはない。
彼らは静かに、まるで何もなかったかのように戦場を後にした。
波音と、誰かの嗚咽だけが、残された。
そして、ひとつの光が、海の上をゆっくりと漂っていく。
それはかつて、ルイーズの右手に嵌められていたブレスレットの、名残だった。




