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十一話 教師の矜恃

「楽しい楽しい、お・し・お・き・タ~イム♣︎」


 No.4はピエロのメイク越しでも分かるほど、口角を限界まで引き上げて笑っていた。


「幸せなら足鳴らそっ♪」


 ズンッ。


 No.4がリズミカルに足を踏み鳴らすと、大地が不気味な音を立てて揺れた。次の瞬間、地面に亀裂が走り、黒く裂けた大地が口を開ける。


「うわぁぁあっ!!」


 一箇所に集まっていた生徒たちが、次々とその裂け目へ落ちていく。


「あ、あれ……?」


 落ちたはずの生徒たちの身体が、ふわりと浮き上がり、そのまま地面へと戻されていった。

 戸惑う生徒たちとは対照的に、シーグフリードはすぐに状況を察した。


 ──この力は……ラファエルくんの念力か


 空中に浮遊する十数人を、一度に、正確に制御できる者は限られている。中等部・高等部を問わず、生徒たちを把握しているシーグフリードにとって、答えは明白だった。


「すまない、助かったよ。ラファエルくん」


 感謝の言葉に、ラファエルは静かに頷くだけだった。表情は険しく、集中を崩さない。

 そのとき、マティアスが走り寄りながら声をかける。


「先生、俺が結界装置を起動させる。……敵の注意を引きつけてくれ」

「ええ、任せてください。時間を稼ぎます」


 短く、しかし力強く応じるシーグフリード。

 彼は生徒たちの前に立ちふさがるように一歩進み、手を広げて庇う姿勢をとった。


「君たちは、下がっていなさい」


 だが、その背に向かって、ロランやドナシアンの声が響く。


「下がるわけにはいきません!」

「私たちも戦えます!」


 戦意を燃やす生徒たちに、シーグフリードは一瞬だけ迷いを見せる。だが、次の瞬間、かぶりを振って決意を固める。


「……デジレ殿下の治療が先です。それに、教師とは生徒を護るものです。……それなのに、護りきれなかった。責任を感じている」


 ぎゅっと拳を握りしめ、彼は続けた。


「ここからは……この命に懸けて、君たちを護らせてくれ」


 その言葉に、生徒たちは思わず動きを止めた。

 教師としての、男としての、覚悟の一言だった。


「白、戻れ」


 シーグフリードはデジレの傍へ歩み寄ると、片手をかざしながら短く呟いた。次の瞬間、彼の手元から淡い光が広がり、デジレの身体を包む。

 苦悶に歪んでいたデジレの表情が、みるみるうちに和らいでいった。


 シーグフリードの能力は《色彩》。

 色の名を唱えることで、その色が持つ概念や象徴を具現化し、操作する能力だ。


「治癒を施しました。もう安心でしょう。ですが……本格的な治療を受けさせた方がいい。医療班のもとへ連れていきなさい」

「ありがとうございます」


 デジレを支えていたピエールが深く頷き、彼の身体を抱きかかえると、医療班の方へと急いだ。ロマーヌも無言でそれに続き、戦線を離脱する。


「ふ~ん。今度は先生のあんたが、僕と遊んでくれるの?」

「……いいえ。遊びは終わりです。僕の可愛い生徒たちに手を出したこと、後悔させてやりますよ」


 シーグフリードは静かに袖を捲りながら、厳しい眼差しでNo.4を睨みつけた。


「いや~ん、こわ~い♢」


 ふざけた声色とは裏腹に、その目は冷たく光っている。


「赤、燃えろ」


 次の瞬間、No.4の身体が炎に包まれた。


「ぎゃあああっ!あついあついあついぃぃ!!」


 絶叫が響き渡る。燃え盛る炎の中でもがくNo.4の姿に、生徒たちは息を呑んだ。


「デジレ殿下に傷を負わせた代償です」


 シーグフリードは冷徹に言い放つ。


「熱い~!燃えちゃう~……なーんちゃって♣」


 声は、別の場所から聞こえた。

 炎の中でもがいていたNo.4とは違う、無傷のNo.4が、すぐ近くの岩の上に腰かけて笑っていた。

 炎の中には今なお、黒い影がのたうっている。だが目の前にも、ピエロがいる。


「アハハ!驚いた?驚いた?さて、問題です♢僕は何故無事なのでしょ~か?!」


 子供のような無邪気さで問いかけるNo.4。


「正解を教えてあげよう!答えは~……ドゥルルルルルル、ダンッ! 分身でーす♢」

「分身……だと?」


 シーグフリードが眉をひそめる。先ほどの攻撃、間違いなく直撃していた。それなのに、目の前のNo.4は無傷。


「信じられない?それなら、みせてあげよう♢幸せなら、ウインクしよう♪」


 No.4が口ずさみながらウインクする。と、その隣にもう一体、瓜二つのピエロが現れた。


「ね? これで信じられたかな~?」


 二人のNo.4が、両手を合わせて片足を跳ね上げるようにしながら、シーグフリードたちを煽る。


(あけ)、踊れ」


 シーグフリードが再び色を唱えると、今度は刃のような斬撃が空気を裂き、No.4めがけて飛んだ。


「ひゃんっ!あぶな~い♣」


 本体のNo.4はかろうじて回避したが、分身の一体は斬撃に切り裂かれ、真っ二つに裂けて消滅した。


「あちゃ~、一人やられちゃったか~。ま、いいけど」


 軽口を叩くNo.4だったが、次の瞬間、獣の遠吠えのような唸り声が、別の場所から響いてきた。

 山の方角から、複数の異形の獣たちがこちらへと突進してくるのが見える。


「No.6め、余計なことを。僕がやるって言ったのに悪い子だ♢」


 言葉とは裏腹に、No.4の声からは感情が読み取れなかった。


「でも、楽しみ減らされるのも癪だし、そろそろ本気出しちゃおっかな♤」


 空気が一変した。先程までのふざけた仕草が霧散し、No.4の瞳孔が細く見開かれる。空気が張り詰めるように冷たくなる。

 そして、次々と分身が増殖していく。


 その様子を、ルイーズはただ黙って見ているしかなかった。


 ──ミアに偉そうなこと言っておいて……なんですの、この体たらくは!!


 胸の奥に怒りがこみ上げる。

 六域を冠する者だとか、みんなを守るとか、結局は口だけ。

 ストレンジ狩りの時も、そして今も。

 大事な時に、何もできない。


 ──ミアが戦ってるのに、わたくしは……!


 歯を食いしばる。震える体を、無理やり動かそうとする。


 ──本当に、役に立たない! 何が六域よ……!!


 拳を握る手は白くなり、全身が軋むような感覚に包まれる。だがルイーズは、叫びそうな怒りを、自分に向けて吐き出すことしかできなかった。


「「幸せなら、指鳴らそう」」


 複数のピエロたちが合唱でもするかのように声をそろえ、歌うように指を鳴らした。


 その瞬間、これまでの比ではない凄まじい爆発が起こる。轟音と共に地面が揺れ、生徒や騎士たちが集まっていた一帯から、黒煙と土煙が空へ向かって噴き上がった。


「あっははは!何人、吹っ飛んだかなぁ?」


 No.4は腹を抱え、愉悦に顔を歪めて笑い転げる。


 ──みんな……!!


 ルイーズは呆然と、上がる土煙を見つめることしかできなかった。悔しさと無力感が心を締めつける。


 次第に土煙が晴れていくと、その中から複数の半透明なドームが現れた。セレスタンの結界に守られたシーグフリードやジェルヴェールたちの姿。そして生徒や騎士たちもまた、マティアスが設置した結界装置によって守られていた。

 皆が無事なことを確認し、ルイーズは胸をなで下ろす。


「ソレンヌ様。状態異常を解除する治癒のパワーストーンはお持ちですか?」


 サビーヌは静かにソレンヌへ問いかけた。

 彼女は自らの能力によって、ルイーズが今ストレンジを使えない状態にあることを察知していた。

 ルイーズの中から、あの独特の力の気配が完全に消えている。まるで存在そのものが途絶えたかのようだった。


「ええ。持っていますわ」


 ソレンヌの頷きに、サビーヌは安堵の表情を浮かべた。


「それは良かった。お嬢様は今、ストレンジが使えない状態にあります。お嬢様からストレンジが消えたのか、それとも敵の状態異常系の攻撃によるものなのか……」


 もし前者であれば、ルイーズはもう二度とストレンジを扱えない体になってしまったということになる。そうなれば、こちらにできることはほとんどない。

 だが、もし後者であれば、敵の能力によって一時的に使えなくなっているだけであれば、まだ救える可能性は残されている。


「状態異常によりストレンジが一時的に使えないのであれば、ソレンヌ様の力でお嬢様の状態異常を解除していただけませんでしょうか。この命に変えてもソレンヌ様は私がお護りいたしますのでどうかお嬢様を救ってください」

「分かりましたわ」


 ソレンヌは小さく息を吸い、力強く答えた。

 本当は恐ろしい。敵が強大であることなど見れば分かるし、近づくだけでも命を落とす可能性がある。だが、逃げるという選択肢はソレンヌの中には存在しなかった。


「私も行く!!」


 その場にいたエドが名乗りを上げる。サビーヌとソレンヌは互いに目を見合わせ、そして力強く頷いた。


 ストレンジ狩り事件以降、二人は毎日のように訓練を重ねてきた。自分たちの無力さのせいで敵に捕まり、ルイーズは仲間を助けるために自ら犠牲を選んだ。事件が終わったあとも、ルイーズは敵に打たれた薬物の影響で、一週間も眠り続けた。


 あの時の恐怖を、もう二度と味わいたくない。あの人に、もう二度と何も背負わせたくない。だからこそ、二人はあの頃とは違う。必ず力になると誓っていた。


「セレスタンくん、助かりました。あの敵は、僕が対応します。一度結界を解いてください。僕が外に出たら、再び結界を張り直して、中の皆を守ってください。珍獣どもは、騎士団が対処してくれるはずです」


 シーグフリードが低く、しかし確かな意志を込めて告げた。


「承知しました」


 セレスタンは指示に従い、結界の一部を解除する。

 シーグフリードがその穴から外へ出ると、すぐに四つの影も続いた。

 彼と共に結界を抜けたのは、ソレンヌ、エド、サビーヌ、そしてジェルヴェールだった。


 ジェルヴェールは、サビーヌがソレンヌに耳打ちしていた声を聞き逃さなかった。ルイーズ救出の計画を盗み聞いたのだ。

 本来、ジェルヴェールの任務はロランの護衛である。しかし、ルイーズのことも見過ごせなかった。


 何より、セレスタンが展開した結界はそう簡単に破られるものではない。

 中に留まっていても自分には大した働きはできない。そう判断した彼は、サビーヌたちと共に外へ出ることを決めたのだ。


「ロラン殿下。暫しお側を離れること、お許しください」


 結界が開いた瞬間、そう一言だけ残してジェルヴェールは戦場へと駆け出した。

 ルイーズ救出には、ソレンヌ、エド、サビーヌの三人が向かう。ジェルヴェールはその支援役となるつもりだった。


 敵は分身によって数を増やし、珍獣までがこちらへ迫ってきている。

 エドとサビーヌは接近戦を得意とするうえ、敵を引きつける役は多ければ多いほどいい。


「私が活路を開きます。あなた方は、一刻も早くルイーズ嬢のもとへ向かってください」


 ソレンヌたちは一瞬驚いたが、すぐにジェルヴェールの意図を察し、深く頷いた。

 意識を完全にルイーズへ向け、四人は戦場の只中を走り出した。


「待ちなさい!君たち!!」


 シーグフリードが思わず声を上げて制止する。しかし誰一人止まることなく、その背を見せて駆けていった。

 追おうとする彼の前に、No.4の一体が立ちはだかった。


「心配しなくても、彼らも対象物の元へは辿り着けない」


 No.4は余裕を含んだ声で続けた。


「安心しなよ。ルイーズ・カプレ、ソレンヌ・ペルシエ、ラシェル・キャリー。この三人はダルシアク国の重要人物だから、殺しはしないよ♢ああ、でも抵抗されたら、それなりに痛めつけるかもしれないけどね♣︎」


 その言葉と同時に、別の個体が彼らのもとへ向かっていく姿が視界の端に映る。


「彼らを止めたいなら、まずは僕を倒してからにしなよ♢」


 シーグフリードは一度視線を上げ、戦場全体を確認した。

 No.4の分身は本体を含めて六体。それ以上数が増える様子はない。

 珍獣は大半が離れた場所で交戦している総帥やダルシアク国の連中の元へ向かっているが、十体前後の珍獣がこちらへ流れてきていた。


 さらに、中間地点にいるルイーズの元にも、二体の珍獣が迫っていた。

 No.4の一体は、こちらに攻撃を仕掛けてきた時と同じように姿を消し、ルイーズの傍らに現れる。

 他の二体は、ルイーズ救出に向かう四人の元へ。一体はシーグフリードと相対し、残り二体は騎士団やマティアスが設置した結界に攻撃を仕掛けていた。


「……護れなくて、あんな思いをするのは、二度と御免だ」


 生徒たちの前では優しい教師、シーグフリード。

 今の彼の表情には、その面影はなかった。鋭い眼差しで目の前のNo.4を睨みつけている。


 かつて、彼には護れなかった者がいた。現場に着いた時にはすでに遅く、命を落としたその夫婦の傍に、ただ一人幼いラシェルが残されていた。

 シーグフリードは、教師であると同時に「陰影」の一員でもあった。

 任務で王都を離れていた時に、ストレンジ狩りの戦火が生徒たちに及んでいたと知った瞬間、血の気が引いた。


 それ以来、彼は決めていた。

 もう誰も護れずに、後悔することはしないと。


 ラシェルだけではない。日々教壇に立ち、生徒たちと接する中で、彼ら全員が守るべき存在となっていた。

 ルイーズも、彼女の救出に向かった者たちも、例外ではない。


「……僕は、彼らを守らなければならない。早く決着をつけよう」


 冷静な口調で、シーグフリードは告げた。


「君に倒せるかな♣︎」

「黒、喰らえ」


 その声と共に、黒い影の狼が六体現れ、No.4へと襲いかかる。

 五体は素早く回避したが、一体、シーグフリードの目前にいた個体は反応が遅れ、右腕で咄嗟に防御を取る。だが狼はその右腕に深く噛み付き、次の瞬間、煙のように姿を消した。


「……は、ははっ。なんだよ、何ともねぇじゃん。攻撃は不発だったみたいだね♢」


 そう言って両手を広げようとした瞬間、右手が力なく下がる。


 ──右腕が動かない。


 No.4はその異常に気づいた。そして、狼の効力を悟る。


 ──狼に触れると、まずい!


 右腕の感覚が完全に消えていた。

 狼に噛まれた部位は、その感覚を失う。そう理解したNo.4は警戒を強める。


 攻撃を避けていた他の五体も、狼の危険性に気づき、動きを慎重にする。


「幸せなら、その手を燃やそう」


 手を打ち鳴らし、炎を放つ。狼を焼き払おうとするNo.4。


「無駄ですよ。その攻撃は炎。影に炎は通じない」


 黒い狼に放たれた炎は、まるで吸い込まれるように消えた。


「黒、喰らえ。……黒狼に他の個体が捉えられるのも時間の問題だ」


 シーグフリードはさらなる狼の個体を生み出し、No.4へと向かわせた。

 No.4が分身を増やす気配が見えないことから、作れる分身は六体が限界と判断したのだ。


「侮られたものだね。……勝ちを確信するには、少し早すぎるよ」


 冷えた硝子のような視線で、No.4がシーグフリードを見据える。


「さあ、一緒に踊ろうか♢終わりの合図は、ボクの終幕舞踏(ラストダンス)だ♤」


 No.4が足元で軽やかにステップを踏み、指を鳴らす。

 次の瞬間、陽気で滑稽なダンスが始まった。リズムに乗って跳ねるように、まるで道化のような動き。


「幸せなら踊ろうよ、幸せなら踊ろうよ、幸せなら態度で示そうよ、ほら、みんなで踊ろうよ」


 陽気に歌い上げると、上空に突如として巨大なミラーボールが出現。戦場全体をカラフルな光で包み込み、異常なまでの陽気さが場を支配する。どこからともなく音楽が流れ、空から音符の雨が降り注いだ。

 黒狼が音符に触れた瞬間、霧のように消えていく。


 ソレンヌ、エド、サビーヌ、ジェルヴェール、そして珍獣たちまでもが動きを止める。

 その異様な効果範囲は、鵺と戦っていた戦場にまで及んでいた。

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