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七話 転生者

 ルイーズとミアは荒野を駆け抜け、やがて深い森へと辿り着いた。

 その奥、木々の隙間から陽の光が差し込む開けた場所に、小さな湖が静かに水面を湛えていた。ミアは湖の縁に歩み寄り、ようやく足を止める。


「息も切らさずここまでついてくるとは。たいしたもんだね」


 湖面を見つめながら、軽く言葉を投げた。


「貴女は、何者ですか」


 ルイーズの声には、警戒と探るような色が滲んでいた。


 握手を交わしたときの一瞬、ミアの目がわずかに見開かれたのをルイーズは見逃さなかった。

 あの反応から察するに、ミアは触れた相手の記憶を読み取るストレンジの能力を持っているのだろう。


「何者か、ね。この世界での私はミア。君と同じく、転生者。そして『ストレンジ♤ワールド』の元プレイヤーだよ」

「わたくしが転生者だと断言するあたり、やはり記憶を読むストレンジをお持ちなのですね」

「正確には、記憶に関するストレンジを有している、かな」

「なるほど……それで、わたくしに何のご用でしょうか?」


 視線を逸らさず、ルイーズは問いかける。

 たとえ同じ転生者であろうとも、初対面で仲間たちを容赦なく叩き伏せた相手だ。そう簡単に信用などできるはずもない。


「そんな怖い顔しないでよ。君の仲間を傷つけたのは確かに悪かった。けど、ただ実力を確かめたかっただけなんだ」


 ミアの声に嘘はなかった。心から悪意があったわけではなく、単純に力を知るために行動したという印象を受ける。

 実際、ミアの奇襲に反応できたのはジェルヴェール、サビーヌ、そしてシーグフリードだけで、ルイーズですら気づけなかった。ほんの一瞬、殺気を解き放ち、それだけで戦闘不能に追いやったという事実。その差は、あまりにも圧倒的だった。

 六域の能力を有していようとも、五域の総帥に一度たりとも勝利できず、得物を抜かせることすら叶わない。それと同じだ。今、目の前にいるミアという存在は、ルイーズにとってまさに“そういう相手”だった。力の差は、埋めようのないほど開いていた。

 己の力の限界を、ルイーズは静かに悟った。


「君、あの第一王子のことが好きなんだろ?それって、強制力か何かの影響だったりするのか?」


 唐突な問いかけに、ルイーズは目を見開いた。


「な、なっ……あの一瞬で、そこまで読み取ったのですか!?」

「いや、恋愛に関する記憶までは覗いてないよ。ただ、あのとき第一王子に攻撃が届いた瞬間、君の殺気が跳ね上がった。あれは個人的な感情から来るものだと思ったんだ。それに、ゲームの中でも君──“ルイーズ”は、第一王子ルートの悪役令嬢だったからな」


 同じ転生者であるミアが、ジェルヴェールの正体がダルシアク国の第一王子スタニスラスであることを知っているのは当然だろう。

 だからこそ「第一王子」という一言で、誰のことを指しているのか、ルイーズにはすぐ察しがついた。


「貴女の言う通り、わたくしはジェルヴェール様をお慕い申し上げておりますわ。けれど、それは強制力などではなく、わたくし自身の想いです。……まあ、証明する術はございませんので、信じるかどうかはお任せいたしますけど」

「いや、信じるよ」


 あまりにもあっさりと返ってきたその言葉に、ルイーズは思わず黙り込んだ。


「この世界は、もはやゲームじゃない。私たちはここで生きてるし、思考して、心を動かしてる」


 ミアの瞳は湖面の向こう、遠いどこかを見つめていた。

 その表情には、どこか寂しげな色が浮かんでいた。


「ミア様にも、想い人が?」

「……ああ」


 はっきりと頷いたミアの表情は、どこか切なさを帯びていた。

 ルイーズは、彼女が誰かに深く心を寄せていたことを、その瞳の奥から感じ取っていた。


 そういえば森へ向かう途中、港へ駆けていく少年とすれ違った時のことを思い出す。

 ミアはその少年に、ラジーブたちと合流するよう指示を出していた。

 そのときだけ、彼女の雰囲気がふっと和らいだのをルイーズは見逃さなかった。


「もしかしてあの時の、少年……?」


 思わず口に出していた。


「いや、違う。彼はカウア。私の従者みたいな存在だ。私の恋人だったのは、カウアの兄だ」

「だった、ということは……」


 それ以上は言えなかった。

 ルイーズはそれを聞いた瞬間、ミアの表情に見覚えがあることに気づいた。

 それは、自分の中にもかすかに宿っている、愛する者を喪った者だけが持つ、静かで、深い哀しみの色だった。


「ミア様……」


 かけるべき言葉が見つからなかった。


「はは……暗い話になってしまったな。ごめんよ」

「いえ、そんな」

「そうだ。ミア様じゃなくてミアって呼んでくれよ。口調も崩してくれて構わない。こっちでは私たち同い年だし、同じ転生者なんだし。私もルイーズって呼んでいいか?」


 どこか空元気にも感じられる微笑みだったが、ルイーズは静かに頷いた。


「ええ。問題ないわ」

「それでさ、ルイーズの方は?さっき見てた限りだと、お互い大事にしてる感じだったけど。この時期なら、第一王子だった記憶は戻ってるんじゃないのか?それとも全部知った上でジェルヴェールって名乗ってるのか?」

「いえ……ジル様──いえ、ジェルヴェール様は、ゲームと同じ記憶しか戻っていないわ。わたくしと過ごした日々も……母上である王妃様のことも、何ひとつ覚えていらっしゃらないのです」


 今度はルイーズが目を伏せ、寂しげに答えた。


「私のストレンジで思い出させてやろうか?そうすれば、ゲーム内の彼みたいに頭痛で苦しまなくても済む。思い出せば、お互い両想いだったことも──」

「やめてくださいませ!」


 ルイーズは、ミアの言葉を遮るように声を上げた。

 自分でも驚くほど強い声だった。慌てて言葉を続ける。


「も、申し訳ございません。お気持ちは嬉しいのですが……でも、やめてください。わたくしは、陛下と“過去”のことについて話さないと約束しましたの。それに敵との戦いも控えているわ。今後は益々激化していくでしょうね」


 どれほど思い出してほしいと願ったことか。

 もしも記憶を取り戻し、想いが通じ合えたら、どれほど幸せだろう。

 ストレンジ狩りが始まる前は、そればかりを考えていた。どうしたら“両想い”になれるかを。


 けれど今は違う。

 自称始祖神を名乗る存在が動き出し、緊張が高まる中で、恋に溺れている余裕などない。


 それに、ソレンヌやエドといった、本来この戦いに巻き込まれるはずのなかった人々までが、自分のせいで危険な渦中にいるのだ。

 そんな状況で、「記憶を取り戻して両想いになってハッピーエンド」など、叶うはずもない。


「すまない。……考えなしだったな」

「いえ。わたくしの方こそ、取り乱してしまって申し訳ありません。でも、ミアの申し入れ、とても嬉しかったわ」


 そう微笑みかけると、ミアも少し照れたように笑みを返した。


「ゲームの知識があっても、現実はそう上手くいかないもんだな」

「本当に、そうですわね」


 互いに小さく笑い合う。けれどその一瞬後、ミアの表情が引き締まり、真剣な面持ちへと変わる。


「……ルイーズ。君は、この世界のことをどこまで知ってる?」

「それは自称始祖神や、その仲間たちのことを指しているのかしら?」


 ミアは静かに頷いた。


「知っている範囲なら。自称始祖神の側には“ナンバー”と呼ばれる十二人の仲間がいて、さらにその下に多数の手下がいること。その中には、世界各地に潜伏している者もいる可能性があるわ。敵の本拠地は、おそらくラマニス国。今のところ、そのくらいですわ」

「平和な国にしては、よく調べてるじゃないか」


「……まさか、ルーノ国はそれ以上の情報を掴んでいるの!?」


 ルイーズの目が見開かれる。


 彼女の話した内容は、すでに世界で共有されているものだ。ダルシアク国では、フウタという男を捕らえ、敵の情報を洗い出そうとしたが判明したのはナンバーの存在と、そのうち数人の能力だけ。

 フウタが口を割らなくとも、ストレンジを使えば情報を引き出す方法はいくらでもある。だが、結果的に彼は“ほとんど何も知らない”使い捨ての駒でしかなかった。


 そもそも、自称始祖神やナンバーの上位者たちについては、その姿どころか、能力すら不明なのだ。


 過去、ダルシアクには一人の伝説的な情報収集官がいた。

 生きた者からはもちろん、記憶を失った者や死者からすら情報を読み取る。

 尋問と解析の分野で、未だに“三本指に入る”と評されるその男は、かつて“ナンバー2”の称号を持つ敵を捕らえ、始祖神に関する情報を引き出そうとした。


 だが、あと一歩で“深淵”に届くというそのとき、彼は命を落とした。

 始祖神に関する情報は、“触れようとすれば命を落とす”ほどに深い闇に覆われている。


「ルーノ国が掴んでいる情報も大して変わらん。最新の情報とすればジャポンヌ国に関することか。だが、私は始祖神を知っている」


 ミアの告白に、ルイーズの身体が小さく震えた。


「……っ!?」


 それは衝撃だった。

 誰一人として、始祖神の姿を見た者はいないというのに。

 情報の断片さえ、霧がかかったように読み取れないというのに。


「ルーノ国はその事実を、今まで黙っていたということですの……?」


 ルイーズの声は震えていた。驚愕、そして怒りが入り混じる。

 この世界のどこもかしこも、犠牲を払いながら、命を削ってまで始祖神の痕跡を探し続けているというのに。

 そんな中、ルーノ国は最重要情報を隠し通していた。そう思うと、抑えきれない感情がこみ上げてきた。


「言っただろう。ルーノ国が握っている情報は、他国と大差ない。これはあくまで、私個人が知っているだけだ。この話をしたのも、君が初めてだ」

「どうして……どうしてそんな重要なことを、黙っていたのですか」

「話したところで、世界が絶望に染まるだけだと判断したからだ」

「それは……どういう意味ですの?」


 長年、どれほど探しても一片の手がかりすら掴めなかった“始祖神”に関する情報。

 それを、なぜミアが知っているのか。そして、知っていたとして、なぜ共有しようとしなかったのか。ルイーズには理解できなかった。


「始祖神に勝てる者は、この世界に一人もいない。私と君。六域の力を持つ私たちをもってしても、だ」

「ミアは、何を知っているの?」

「始祖神について口にすれば、私は死ぬ。もう気づいているだろうが……無理に情報を引き出そうとすれば、私だけでなく、話を聞いた者も死に至る」

「つまり始祖神は、自身に関する情報を秘匿する能力を持っている。そういうことですわね。他の者たちの記憶が始祖神に関して完全に消去されていた中、ミアだけが覚えていた理由はあなたが記憶を操る能力者だから。そして、わたくしよりも強い貴女が勝てないと断言する理由。それは、攻撃が届かない、あるいは複数の能力を持ち対策を立てることすら困難な存在だから。違いますか?」


 ルイーズは静かに、だが明瞭に言葉を紡ぐ。

 限られた情報から真実に迫ろうとするその洞察に、ミアは小さく目を細めた。


 ──やはり、この娘は只者ではない。


 ミアの情報を探ろうとすれば、最高戦力である彼女を失うことになる。そんな選択は許されない。

 それに、たとえ調査によって始祖神の情報へ辿り着けたとしてもその瞬間、情報を得た者も、そしてミア自身も、死に至る危険がある。

 だからこそ、上層部や機関に報告しないことこそが、唯一にして最善の策だとルイーズは理解していた。


「どうして、出会って間もないわたくしにそのような話を?」


 ルイーズの言葉には当然の疑念が滲んでいた。

 いくら賢い彼女でも、情報を得るために報告に走る可能性はある。

 実際、戦いを終わらせる唯一の手がかりである始祖神について知りたい気持ちは、ルイーズの中でも強く渦巻いていた。


「私は始祖神に弱点を握られている。だから、君に選んでほしいんだ」

「弱点?選ぶって、何を?」

「始祖神はこう言った。私、ルイーズ、ラシェル、そしてジャポンヌ国の巫女ヒミコを差し出せば、戦いは終わらせると。私とルイーズ、そして今ジャポンヌ国で囚われているヒミコは全員六域だ。始祖神はおそらく、力を求めているのだろう」

「わたくし達三人がいなくなれば、始祖神に届き得る六域の能力者がいなくなる。そういうことですわね」


 ルイーズは冷静に構図を把握していく。

 だが、次に名の挙がった人物に、ほんの少しだけ眉をひそめた。


「けれど……どうして、ラシェル嬢まで?」

「さあな。君たちが来た時、君の力は私とほぼ同等だとすぐに分かった。だがラシェルは……なんだあれは? ストレンジ♤ワールドでは主人公だから、何か特別な力があるのかと思ったが……あまりにも弱すぎる」


 ミアの言葉は辛辣だったが、的を射ていた。

 ラシェルは異性を落とすことに全力を注ぎ、訓練は怠けがち。能力値はつい最近、ようやく三域に届いたばかりだった。


 その一方で、彼女の能力“無効化”は前例のないもので、王や上層部からは大きな期待を寄せられていた。

 だが、当の本人はその期待を裏切り続けている。


「ヒロインの無効化なら、始祖神にも対抗できるかと思ったんだがな。というか、本来のストレンジ♤ワールドなら、当然主人公必勝ルートがあるはずだろ。アイツは完全にバッドエンドルートの主人公だな」


 ミアの皮肉に、ルイーズは苦笑するしかなかった。


「ラシェル嬢も、おそらくは転生者だと思うのだけれど……ストレンジの訓練にはあまり熱心とは言えませんの。いくら主人公補正があるといっても、能力だけは努力なくして身につきませんわ」

「何?ラシェルが転生者だと!?」

「え、ええ。本人に確認を取ったわけではありませんが、攻略対象者を落とす手腕や、時折口にする台詞からして……おそらく」

「そういうことか。私、君、ラシェルが転生者ならヒミコも、まず間違いなくそうだろうな。だとすれば始祖神は私たちが“転生者”であることを知っている、ということになる」

「でもわたくしたちの存在が影響したのか、本来のストーリーとは明らかに異なっている気がしますわ。それに自称・始祖神は、わたくしたちを集めて何を……」


 その時だった。

 ふたりの会話は、突如として走った“ぞわり”とした感覚にかき消された。

 背筋を撫でるような、鋭い寒気。


 異質。異様。異常。


 珍獣とも違う、“何か”が発した気配が、遠くからでもはっきりと感じ取れた。


 ──港だ。


「カウア!!」

「なに!?この気配は!?」


 ミアとルイーズは同時に港の方角を睨んだ。


 その瞬間、大地が轟いた。爆撃のような音とともに空気が震え、地面が大きく揺れる。

 土煙がもうもうと立ち上り、見えない何かの衝撃が確かにそこにあった。


「ルイーズ!ピッピコの能力で飛ぶぞ。君も来い!」


 ミアは自身の転移ストレンジを持つピッピコを呼び出すと、素早く手を差し伸べる。

 ルイーズがその手を取った瞬間、二人の姿は港へと跳んだ。


 転移直後。視界に飛び込んできたのは、まさに戦場だった。

 破壊された地面。巻き上がる黒煙。負傷者たちの呻きと怒号。

 爆発音は今も断続的に響き、港は完全に戦闘状態にあった。


「カウア!!どこだカウア!!」


 ミアは着地するや否や名を叫び、周囲に視線を走らせる。

 ルイーズもまた冷静に、戦況を観察した。


 大地が抉られている。数名の兵が倒れ、呻き声を上げていた。

 敵と思しき姿が三人。ひとりは以前、ストレンジ狩り事件で対峙した、鵺だった。

 その背中に一人、そして、爆発の原因と思われる人物が一人。


 敵はまだ到着したばかりのようだが、状況は今まさに戦闘開始の寸前。火蓋が切って落とされようとしていた。

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