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六話 ミア登場

 積み荷の大半を降ろし終えた頃、引率者として同行していたシーグフリードが声を上げた。

 中等部・高等部の生徒たちは、彼の呼びかけに促されるようにして集まり、自然とその場の中心にシーグフリードが立った。


「……君たち全員が本国に戻らなかったとは、正直、驚いたよ」


 その声には感嘆よりも、呆れが色濃く滲んでいた。


「わかっているのか?ルーノ国での訓練は、お前たちが想像している以上に険しく、そして過酷なものになる」


 シーグフリードの声は低く、重い。


「ここには、ダルシアク国のように結界が張られていない。珍獣の侵入を防ぐような保護は、一切ないんだぞ」


 結界を扱えるストレンジ保持者がルーノにいないのか、それとも意図的に張らないのか。

 それはルイーズにも分からない。

 しかし、一つだけ確かなことがある。


 この国には、結界を張るという発想すら、最初から存在していないのだ。


 元来、珍獣の多くは人里に近付かない。現れるのはせいぜい下級の個体で、強力な存在ほど、なぜか山の奥に棲み、決して降りてこようとしない。

 だが、侵入者に対しては容赦がない。問答無用で襲いかかってくる。

 まるでゲームのシステムみたいだと、ルイーズは以前からそう感じていた。


 八国の外側がどうなっているのか、誰一人として見た者はいない。

 それ以前に山奥に生息する珍獣の中には、彼女ですら敵わない、桁違いの存在がいる。


 ルイーズが本気を出せば都市一つを崩壊させられる。

 しかし、山奥の上級珍獣は、国を一つ。いや、下手をすれば八国全てを単独で滅ぼしうる存在かもしれない。


 それほどの力を持ちながら、人里に姿を見せた記録は、世界中の過去の文献を調べても一件も存在しない。

 まるで、「そこにいるだけ」で完結しているかのように、彼らは山から出てこない。


 だからこそ、ルーノ国では低級珍獣に対して結界を用いない。

 それを討伐することこそが、自らの力、あるいは所属する部族の誇りを示す証となっているのだ。


 ルーノ国を知る者であれば、訓練内容が珍獣を相手にした実戦であることにすぐ気付く。

 それはもはや、暗黙の了解のようなものだった。


「野放しの珍獣を甘く見ている者がいるなら、今からでもいい。ダルシアク国に帰れ」


 シーグフリードは視線を一巡させる。


「私から総帥に掛け合ってやる」


 それは、決して脅しではなかった。

 むしろ“最後の温情”だった。


 ルーノ国は、世界で最も年間の死者数が多い国だ。その最大の要因は、珍獣による殺害である。

 今回の遠征は、生徒たちにとって唐突な決定だった。

 誰もが聞かされておらず、自らの意思で参加を決めたわけでもない。

 船上では一度、帰国の意思を問われた。

 だが、レナルドやルベンの放つ圧と空気に飲まれ、帰るという選択を口にできなかった者も多かった。

 今度こそ、それが最後のチャンスとなる。


 生徒たちは互いに顔を見合わせ、隣の様子を窺いながら、沈黙の中で葛藤を続けた。

 誰もが心の中で、自分が今どこに立っているのかを問い直していた。

 そして、数瞬の静寂の後。

 最初の一人が、意を決したように手を挙げた。

 それに続くように、次々と手が挙がっていく。

 最終的に、集まった生徒の半数近くが、帰国の意思を示していた。


「ふっ。なんだ、貴様等、もう帰るのか? やはりストレンジに頼りきっている連中は、心身ともに軟弱だな」

「ラジーブ様、そんな本当のことを言っては可哀想ですよ。ほら、一寸の虫けらにも五分のなんちゃらって言うでしょう?虫の役にも立たない者でも命は大事ですから」

「彼らは常に結界に守られ、危険な日常とは無縁なのです。弱き者はこのルーノ国では生きていけない。今のうちに帰るのは、むしろ賢明な判断ですよ」


 十六、七歳と思われる三人の少年たちが、嘲るような笑みを浮かべながら、ダルシアク国の生徒たちを見下ろしていた。


 軟弱だの弱者だのといった挑発に、生徒たちの矜持が黙っていられるはずもない。さっきまで挙がっていた手が、次々と下ろされる。


「ラーゲルベック先生。我々ダルシアクのストレンジが、他国の者と比べてどれほど優れているか、実地で示してやるべきでは?」

「僕も賛成です。特に“脳筋”な方々には、ストレンジの応用技がいかに高度で優れたものであるか、理解できないのでしょう。肉体をいくら鍛えたところで、珍獣の力に素手の人間が適うわけがありませんし」


 ダルシアク国の生徒たちはラジーブたちの挑発に乗る形で、口々に反論した。


「ほう……言ってくれるではないか」

「どうやら自分の力量を、まるで分かっていないらしい」

「力の差というものを、身をもって教えてやる必要がありそうだな」


 喧嘩早い民族として知られるルーノ国の生徒たちも、当然ながら黙ってはいなかった。

 空気は次第に張り詰め、両国の間に不穏な気配が立ちこめていく。


「カウア、見えるか?」

「はい。標的はあのアクアマリンの髪の女性でよろしいのですね?」

「そうだ。……私と、どちらが強い?」

「ストレンジに関しては能力の発動を見てみないと断定できません。ですが、身体能力だけで言えば……あちらも規格外ですが、ミア様の方が上かと」


 不穏な空気が漂い始めるより少し前。

 二人の人物が、遠く離れた森の入口からダルシアク国の一行を静かに見つめていた。


「それは面白い。カウア、君は後から来い」


 ミアはそう告げると、ふっと気配を消し、その場から姿を消した。

 従者であるカウアの目の前から消えたその刹那、彼女の気配は疾風の如く、ダルシアク国の一団へ向かっていた。


 その頃、祖父であるデープとカランは総帥との久方ぶりの再会に夢中で、騎士団の者たちも、総帥たちの様子に気を取られていたため、ラジーブたちと生徒の間の異変にはまだ気づいていなかった。

 ミアは森を出ると同時に、完全に気配を絶った。狩人の域を超え、もはや野生の捕食者のように、珍獣ですら気づけぬほどの完璧な気配の殺し方だった。


 一触即発となる瞬間。彼女は、離れた場所からごく一瞬だけ、殺気を放った。それはまるで、瞬きの隙間に滑り込むような、鋭利な一閃。

 その殺気に気づけた者は、一割にも満たない。

 デープとカランは感づいたが、動かない。総帥も反射的にミアの方へと身を傾けたが、彼らの様子を見て、動作を止めた。


 仮に総帥が動いたとしても、間に合わなかっただろう。

 一歩を踏み出すより早く、ミアは既に、一行のすぐ傍へと至っていた。


 ラジーブとその側近二人も気づいてはいたが、あえて動こうとはしなかった。

 ダルシアク国側でも、総帥を除く三人ほどがその異変を察知していたが、ミアは確信していた。


 ──遅い。誰一人、止められない。


 邪魔が入るより先に、ミアはルイーズの背後に距離を詰めていた。


「あんたが六域のルイーズかい?」


 ルーノ国とダルシアク国の間で漂う、不穏な空気に戸惑っていたルイーズの耳に、低く挑発的な声が届いた。振り向く間もなく、視界の端に何かが閃く。振り抜かれた拳だった。


 ──速い。


 その拳がルイーズの眼前で、紙一重の距離で止まる。


「へぇ……私の殺気と動きに反応するなんて、さすがだね」


 次の瞬間、拳の前に氷の盾が現れ、それを掴む手があった。ミアの拳を制したのは、ジェルヴェールとシーグフリードだった。盾を張ったジェルヴェールがルイーズの前に立ち塞がり、ミアを鋭く睨む。


「ジェルヴェール様、ラーゲル先生!」


 ルイーズの唇から安堵の声が漏れる。

 ミアと対峙した二人は、すぐに彼女が本気でないと察した。なぜなら、ミアは最初から寸止めするつもりで拳を放っていたからだ。もし彼女が本気であれば、シーグフリードの腕は砕け、ジェルヴェールの即席の盾も粉々になっていたことは間違いない。


「待てっ!サビーヌ嬢!」


 突如、シーグフリードが声を張り上げる。

 その叫びと同時に、サビーヌがミアの背後を取り、怒りに満ちた表情でダガーナイフを彼女の首元へと突きつけていた。


 サビーヌもまた、ミアの放った殺気に気付いていた。ただ、どこから来るのか分からずに反応が遅れたのだ。もしジェルヴェールとシーグフリードが動いていなければ、もしミアが本気で拳を振り抜いていれば、ルイーズを守ることはできなかった。

 その事実が、サビーヌの中に悔しさと、敵意の火を燃え上がらせた。


「サビーヌ、やめなさい!」


 ルイーズの声が、焦燥を帯びて響く。


 その声に、サビーヌは寸前で手を止めた。もう一瞬遅ければ、ミアの喉元に鋭い切っ先が触れていたかもしれない。もっとも、ミアがサビーヌの動きについていけてなければの話であるが。


 ミアは冷静に、サビーヌの腕を取り、次の瞬間、反動を活かした後ろ回し蹴りを脇腹に叩き込んだ。


「……ッ!」


 衝撃でサビーヌの身体が吹き飛ぶ。彼女は並みの相手からの攻撃ならびくともしない実力者だ。だが、ミアの一撃は明らかに異常だった。


 「サビーヌ!」


 驚愕に目を見開くルイーズ。


 ミアは続けて、すかさずシーグフリードへと向かう。鋭く絞った拳が、鳩尾へと突き出される。シーグフリードは両手でそれを受け止めたが、拳に軸捻転を加えたコークスクリューブローの衝撃に、彼はその場に膝をついた。

 瞬時に危険を察知したジェルヴェールが、ミアの脚から腰までを氷で凍らせる。氷の鎖が彼女の動きを封じた。


「ジェルヴェール、よくやった」


 いつの間にか場の空気は一変していた。状況を理解した学生たちが、ミアに向けて一斉に警戒態勢を取る。

 ジェルヴェールの氷がミアの動きを止めたことで、ようやくロランが声をかけた。


「くははは、やっぱり平和ボケしてる連中は馬鹿ばっかりだな」


 ラジーブは学生たちの安堵した様子に、喉を鳴らして笑った。


「どういう意味だ?彼女の動きは封じた。もう動くことはできないはずだ」


 デジレが怪訝な表情で言う。


「動きを止めた?人間の尺度でミアを測ろうとするな。無意味だ」


 ラジーブの言葉が終わるや否や、ミアの拳が振り下ろされる。

 凍りついた下半身にヒビが走り、乾いた音と共に氷塊が砕け散った。


「体の芯まで凍らせられたら打つ手なしだったけど、優しいんだね」


 挑発するような笑みを浮かべ、氷を割ってミアが飛び上がる。再び凍結を試みるジェルヴェールの攻撃を軽くかわし、彼の目前に着地した。


 そのまま片足で立ち、もう片方の脚を振り下ろすようにジェルヴェールの頭部を蹴りつけた。氷の盾を即座に展開するが、硬度が足りず、砕け散る。しかし完全に受けきれたわけではなく、衝撃はジェルヴェールの右腕にのしかかった。


 次の瞬間、ミアは上げた脚をジェルヴェールの首へ絡めると、もう片足で地面を蹴り、その勢いを借りて、膝蹴りを顔面に叩き込む。


「ッ!」


 ジェルヴェールの顔が弾かれ、鼻血が噴き出す。

 その姿を見たルイーズの全身から、明確な殺気が放たれた。


「な、なんなんだお前は……!」


 シーグフリードも警戒を強めるが、明らかに格上の相手に一歩腰が引ける。それでも、学生たちは一斉に臨戦態勢を取った。

 だが、その空気をルイーズの声が制する。


「皆さん、手を出さないでくださいまし。彼女は、わたくしに用があるそうですわ」


 ミアは笑って答えた。


「話が早くて助かるなぁ。でも、こうなる前にもう少し聞き分けてくれてたらよかったのに」


 笑顔のまま、軽く肩をすくめる。


「ルーノ国の方々は、どうやら野蛮で粗野な方ばかりのようですわね」


 皮肉を込めたルイーズの言葉に、ミアは楽しげに笑った。


「あはは、耳が痛いなあ。でもまあ否定はしないよ」


 反省の色など一切見せず、ミアは悪びれずに言った。


「私はただ、六域のひとりである君の力を試してみたかっただけ。なのに、早とちりして攻撃してきたのは君たちでしょ?」

「いきなり攻撃してきたのはそちらでは?防御のために反撃に出るのは当然の理ですわ」

「……あ、それもそうだね。ごめんごめん。じゃあ、仲直りの握手~」


 気楽に手を差し出し、ルイーズの手を握るミア。

 ルイーズの手を握った瞬間、ミアの瞳が一瞬だけ揺れる。だが微笑みはそのままに、すっと顔を近づけて、低く囁いた。


「あんたも転生者だったのか。二人きりで話がしたい」


 その一言に、ルイーズの思考が一瞬止まる。自分以外に転生者がいる可能性は否定していなかった。だが、目の前に現れたという事実には衝撃を隠せない。


「そんなにも、わたくしの力が気になるのですか?」


 ルイーズは目を細めながら問い返す。


「わたくしの可愛い従者が倒されたのです。ケジメをつけるのも主であるわたくしの務めというわけですわね」

「物分かりがよくて、本当に助かるよ」


 ミアがにんまりと笑う。だがルイーズは続ける。


「けれど、この場で力を振るえば無関係の者たちが巻き込まれてしまいます。誰もいない場所で、誰にも見られずに。そこでなら、あなたにだけわたくしの力をお見せいたしましょう」

「我儘なお姫様だねぇ。……そんな条件が整う場所は、結構危ないけどいいの?」

「珍獣の扱いには慣れておりますもの」

「あはは!君、気に入ったよ。ついてきて」


 ミアが笑いながら先導する。

 ルイーズはサビーヌ、ジェルヴェール、シーグフリードの介抱をソレンヌたちに託した。

 彼女と親しい者たちは口々に「罠かもしれない」と引き留めようとしたが、ルイーズはその制止に応えることなく、黙ってミアの後を追って歩き出した。

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