三話 船上訓練
「総帥。準備が整いました」
船内から、乗組員と思われる人物と騎士団員の一人が姿を現した。
「ほう、もう出来たのか。仕事が早いな」
総帥は顎を撫で、感心したように声を漏らす。
それを合図に、一同は総帥の後に続いて移動を始めた。
船はまるで豪華クルーズ船のような巨大な造りで、各人に個室が用意されているという。
そんな規模の船がダルシアク国にあっただろうかと首を傾げていると、
「やはり、この船は我がマラルメ国で造船された最新型の船だね」
ロランの言葉に、周囲の者たちは納得したように頷く。
ダルシアク国には、これほどの規模と堅牢さを持つ船を建造する技術はない。
つまりこれは、同盟国マラルメからの貸与品なのだ。
「「ルイーズ」」
背後から自分の名を呼ぶ声に、ルイーズは足を止めて振り返る。
そこに立っていたのはマティアス、ラファエル、ヘンリー、アドルフ。見慣れた四人の姿だった。
「お兄様」
「兄さん!」
ヘンリーとアドルフの姿を認めたソレンヌとエドは、反射的に声を上げる。
「マティアス兄様、ラファエル兄様。何か御用でしょうか?」
高等部の生徒たちにラファエルがいることは知っていたため、驚きは少ない。
ルイーズは小首を傾げて問う。
「ルイーズ……お前、本当にこの遠征に行く気なのか?」
マティアスが眉を寄せて問う。
続けて、ラファエルも口を開いた。
「……僕も、ルイーズは帰った方がいいと思う」
「ソレンヌもだぞ。訓練はすっっっごくキツいんだからな!か弱いソレンヌには無理だっ!」
続けざまにヘンリーが力説する。
三人とも、今回の合同訓練への同行には否定的なようだった。
一方で、アドルフは違った。
「エド。俺は帰れとは言わんぞ。ミュレーズ家の者が、キツそうだからなんて言って引き下がるタマじゃねぇだろ?」
「おう!あたぼーよ!」
エドは右腕を前に出し、力こぶを左手で叩いて見せた。やる気に満ちた表情だ。
「お兄様方のご意見、もっともです。ロマーヌ、貴女はダルシアクに戻りなさい」
様子を聞いていたデジレが、腕を組んで頷きながら妹に言い聞かせる。
「やだっ!私、帰らない!私だって強くなりたいのよ!そのために留学してるんだから!」
「留学の本来の目的は“文化交流”だろう。強くなるためじゃない」
「デジレ兄様。私が何も知らないって思ってるの?私だって、強くなってやるんだから!」
ロマーヌはあっかんべーをして、すばやくピエールの背後へと隠れた。
デジレがため息混じりに口を開こうとした、その時だった。
「「……誰が“義兄様”だって?」」
マティアスとヘンリーが声を揃え、低く鋭いトーンで詰め寄る。
ラファエルは無言ながらも、鋭く目を見開き、その視線はデジレに突き刺さっていた。
「へっ……?いや、違う。義兄様じゃなくて、お兄様方と……」
「「“方”だと……? 二股か?」」
「いや、そうじゃなくて。ちょ、助けてルイーズ嬢、ソレンヌ嬢!」
完全に誤解されたデジレは、たじろぎながらルイーズたちへ助けを求めた。
そのやり取りを見ていたロランとピエールは、顔をそむけつつ肩を小刻みに震わせている。
どうやら、笑いを必死に堪えているようだった。
「マティアス兄様、ラファエル兄様」
「ヘンリーお兄様」
「「おやめください」」
ルイーズとソレンヌが制止に入ったことで、ようやく三人の兄たちはデジレから離れた。
そのことに、デジレはホッと胸を撫で下ろした。
「マティアス兄様もラファエル兄様も、ご心配には感謝します。でも、わたくしは戻りませんわ」
「わたくしもです。いつまた敵が現れるか分かりませんもの。もう、足手まといになるのは嫌なのです。わたくしのせいで、皆さまに危険が及ぶなんて二度とごめんです」
孤児院を襲った敵の本来の標的は、ソレンヌだった。
多少の誤算はあったが、敵はルイーズとエドの捕獲にも成功し、三人はそのまま拉致された。
中でもソレンヌは、自分が三人の中で最も戦力にならなかったことを痛感していた。
一番最初に捕まったのもソレンヌだった。
それ以来、彼女はずっと皆に対して申し訳なさを抱えていたのだ。
この場に残っている者たちは、それぞれが強くなる理由を持っている。
模擬戦の経験が少ないエルヴィラもその一人だ。
心配していたヴィヴィアンも、エルヴィラが以前から自分の無力さを悔いていたことを知っていたため、無理に止めることはできなかった。
「ここに残った者たちは皆、覚悟を決めて合同訓練に挑んでいますの。せめて、自分の身くらいは自分で守れるようになりたい。それが今のわたくしたちの目標ですわ」
ルイーズが背後にいたロマーヌとエルヴィラに視線を送ると、二人は静かに、だが力強く頷いた。
その様子を見て、兄たちも言葉を飲み込んだ。もうこれ以上、帰還を促す者はいなかった。
「着いたぞ。今日から、ルーノ国に着くまではここで訓練を行う」
総帥が先頭に立ち、船の最下層で足を止める。
そこには飲食も可能なリフレッシュルームが広がっていた。
左右には男女別の更衣室が設けられ、シャワールームも完備されている。
その先には、射撃や小規模戦闘訓練が可能な個別訓練室が複数並び、一番奥には模擬戦用の室内演習場がそびえていた。
「各訓練施設には、世界最高硬度を誇る《クリスタル・インビンシブライト》を使用しております」
総帥の後ろに控えていた乗組員が、手短に説明を加える。
クリスタル・インビンシブライトとは、透明かつ美麗な結晶状物質であり、常軌を逸した硬度を持つ。
通常の物理衝撃やストレンジの直接的な影響では傷一つつかない。
その反射率と光沢により、天井照明を受けた室内は、幻想的な光彩に包まれていた。
また、この素材には他にも特徴がある。
例えば、ストレンジの力を反射する盾として加工すれば、攻撃者にその能力を跳ね返すことが可能だ。
さらに外部エネルギーを吸収・蓄積し、状況に応じて攻撃・防御に応用することもできる。
「訓練室および演習場は、ストレンジ技術によりフィールドの選択や広さの調整が可能です。たとえば、マラルメ国の高層建築を模した都市フィールドや、弾丸飛び交う抗争地帯、氷河地帯、溶岩地帯といった特殊環境まで、様々な地形を再現できます」
誇らしげに説明する乗組員は、片手を上げて二階にあるコントロール室に合図を送った。すると、ガラス越しに見える操縦員が頷いて装置を操作し、フィールドが一変。高層建築や抗争地帯が瞬時に再現された。
その高精度の変化に、生徒たちから感嘆の声が上がる。
さらに、時間帯の設定も可能で、朝・昼・夜を自在に切り替えられるのだという。
「仕掛けはそれだけじゃないプー」
皆が興奮気味に演習場を見上げる中、不意に背後から声がした。振り返ると、そこに立っていたのは丸い体と特徴的な声を持つ、見覚えのある男。
「ブタ!なんでお前がここにいる!」
エドが即座に臨戦態勢をとる。
「相変わらずひどいやつだプー。せめて名前ぐらいちゃんと呼んでほしいプー。おいらはフウタだプー」
「ふざけるな、答えろ!!」
現れたのは、かつてストレンジ狩りでエドやソレンヌたちを捕えた敵の一味、フウタ。彼の姿を見た者たちは、同様に警戒の色を強めた。
「お嬢様、お下がりください」
初対面であるルイーズが状況を呑み込めずにいると、サビーヌがすかさず彼女を庇って立ちふさがる。
「こやつはワシが呼んだ」
緊張が走る中、総帥が一言で場を静めた。
「総帥!何を考えているんです!そいつはラシェルたちを攫った連中の一味ですよ!」
レナルドが憤怒とともに声を張る。
確かに、ストレンジ狩りの後、ナンバー以外の関係者はほとんどが騎士団に捕縛され、フウタもその中にいた。
ナンバーの一人に至っては、あと一歩のところで捕獲寸前まで追い詰めたものの、鵺の介入により逃走を許してしまった。
ポールたちが対峙していた別のナンバーも、突如現れた仲間に回収され、姿を消していた。
「こやつの能力が使えるのでな。訓練室に、少し細工を施してもらったのじゃ」
「そうだプー。おいらは頼まれて来ただけだプー。逃げるつもりなんて毛頭ないプー」
「それに、こやつが何か妙な真似をすれば、ワシが責任を取ると約束しておる」
そう言って総帥がフウタの肩に手を置くと、フウタは玉のような汗を噴き出した。
わずかに力のこもったその手と、笑っていない目に射抜かれ、フウタは小動物のように硬直していた。
「お、おおおおおいら、絶対に逃げたりしないプー!」
今にも泣き出しそうな表情に、さすがの生徒たちも若干の同情を抱き、殺気立っていた空気が緩んだ。
「訓練室と演習場には、こやつのストレンジを利用して制限をかけておる。ストレンジの使用を二割にまで抑える環境になっておるのじゃ」
フウタのストレンジ能力は、【干渉領域】と呼ばれるものである。
彼が直接触れた物質は、特殊な干渉を帯び、接触した相手のストレンジ能力を最大で八割まで削ぐ。
この干渉は一時的なものではなく、フウタの意志が込められていれば長時間にわたり効果を持続する。
さらに、この能力の真価は“空間構築”にある。
フウタのストレンジが染み込んだ物質によって構成された空間内では、相手がその物質に触れていなくともストレンジが大幅に抑制される。
まるで空間そのものが「抑圧の場」と化すのだ。
干渉の強度や範囲はフウタ自身の精神状態や集中力によっても左右されるが、訓練を重ねた今では中規模な部屋程度であればほぼ完全に能力を封じることができる。
それを応用し、訓練室一帯をストレンジ鉱石で覆うことで、自然と訓練時のストレンジ使用が大幅に制限されるように設計された。
「おい、通常の室内演習場に戻してくれんか」
総帥がコントロール室に声を飛ばすと、フィールドは再びコンクリート調の室内に切り替わった。
ごく普通の訓練場に見えるその場所も、ストレンジの制限下であればまるで異なる戦場となる。
「フルパワーのワシなら、クリスタル・インビンシブライトだろうと容易く破壊できるが──」
総帥は両足を踏ん張り、拳を握り込むと大きく腕を引いた。
「どりゃあッッ!」
大音声と共に拳を突き出す。
瞬間、壁には深々とクレーターが刻まれ、周囲の床や天井にも放射状にヒビが走った。
「この通り、本気を出しても二割の力しか出せんワシでは、この壁は壊せん。どうじゃ!すごいじゃろう!」
ガワワワワ、と豪快に笑う総帥に、周囲の者たちは言葉を失う。
世界一硬い物質である、クリスタル・インビンシブライトに素手でクレーターを刻むその光景は、もはや怪物の所業だった。
「十分化け物だろ……」
マティアスの呟きに、誰もが心の中で深く頷いた。
「総帥!なんてことなさるんですか!修理は私たちがやりますので、そこを退いてください!」
血相を変えて駆け寄った乗組員に叱られ、総帥はバツの悪そうに頭を掻いた。
「む。す、すまん……」
あの破壊力を目の当たりにしても怯まずに叱責できる乗組員に、多くの者が「この人の方が本物の大物では」と密かに感心していた。
破損箇所の修復が終わるのを見計らい、総帥が再び口を開いた。
「どのように訓練するか、見てもらった方が早かろう。ルイーズ嬢、相手を頼めるかな?」
「承知いたしました」
指名を受けたルイーズは一礼し、そのまま更衣室へ向かう。
数分後、訓練服に身を包み、演習場に姿を現した。
「いつでも、かかってくるがよい」
総帥の言葉に、ルイーズは躊躇なく駆け出した。
接近と同時に、総帥の周囲に水のカーテンを展開する。
本来ならば滝のような水圧と密度を持つはずのそれは、現在のルイーズでは大雨の際に屋根から落ちる程度の威力にしかならなかった。
それでも、彼女はその薄さすらも戦術に変える。
水のカーテンを背景に、ルイーズは超高速で円を描き始めた。
その残像はすでに、常人には視認すらできない域に達していた。
「ガワワワワ、上から来よったか」
笑い声と共に、水のカーテンが音を立てて床に吸い込まれるように消える。
その直後、露わになったのは総帥の頭上から拳を叩き下ろすルイーズと、それを太い両腕で受け止める総帥の姿だった。
傍観者たちは、一体いつ彼女が水の中に潜り込み、上から襲いかかったのか分からず目を見張った。
その動きを、アドルフ以外は誰一人捉えられなかったのだ。
拳を止めたルイーズは、総帥の両手首を掴み固定する。
そして、自身の落下の勢いを利用し、腹部へと両足を振り下ろした。
蹴撃をバネに、ルイーズは空中で回転しながら後方へ跳躍、瞬時に距離を取る。
本来であれば、今の一撃で相手は吹き飛ぶはずだった。
だが、総帥はその場に踏みとどまり、足をわずかに滑らせた程度。
腹部を押さえることも、表情を歪めることもなかった。
まるで蚊にでも刺されたかのような反応に、周囲の者たちは再び戦慄する。
「流石、総帥ですわね」
総帥が本気を出せる数少ない相手、それがルイーズだった。総帥は楽しさを隠しきれず、口角を上げたまま、目を細めている。
その目は、まるで狩りを楽しむ獣のように、ルイーズを捉えていた。
ルイーズもまた微笑を浮かべているが、そこに余裕はない。先手を取っているのは彼女であるにも関わらず、表情の裏には焦りが覗く。
二人とも、ストレンジの力を八割削がれた空間にいる。フウタの能力が施された素材で作られたこの場所では、能力による決着は望めない。頼れるのは、己の肉体だけ。だが、ルイーズはこれまで一度として、体術で総帥に勝てたことがなかった。
特に厄介なのは、総帥が攻撃に転じた時だ。その太い腕から繰り出される一撃は、質量そのものが武器。骨の芯まで響く重さがある。
先手必勝。ルイーズは迷わず動いた。
鼻梁、顎、喉、心臓、溝内、股間。急所を狙い、寸分の迷いもなく打撃と蹴りを叩き込む。しかしすべていなされ、躱される。打撃を繰り出した際、両手首を弾かれたかと思えば、次の瞬間には捕まれていた。
すぐさま体を跳ね上げ、手首を掴まれた状態のまま体を返して総帥の腕を握り返す。宙に跳び上がり、頭上を超えて背後に着地しようとした瞬間、総帥が腕を振り下ろし、ルイーズの体勢を引き戻す。
総帥と、向き合わせの状態で体が戻る。その流れの中で、ルイーズは右手を総帥の右腕に這わせ、左手は後方に伸ばす。瞬時に体勢を切り替え、右肩に総帥の腕を乗せたかと思えば、屈伸した総帥の両膝に足を掛け、自身の体重を乗せて後方へと倒れ込んだ。
狙いは、関節外し。総帥の右肩から、ゴキリという鈍い音が響いた。
「やった!」
手応えに喜ぶルイーズ。
「甘いわ!」
総帥の一喝とともに、掴んだままの左手が一気に引き寄せられる。ルイーズの体が引き戻され、次の瞬間。
ガツン!
強烈な頭突きが額に直撃した。脳がぐらりと揺れ、視界が歪む。遠くで誰かの怒声が聞こえた。「あんのクソジジイ!」と、マティアスのものだ。
意識をかき集めるようにして総帥の姿を捉えた瞬間、今度は拳が目前に迫っていた。
──あ、しまった。
後ろによろめきながら、避けきれないと悟ったルイーズは、きつく目を閉じる。
だが、予想していた衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開くと、彼女の体は空中に浮かんでいた。
「一体……何が?」
下を見やれば、ルイーズのいた場所に氷の盾が現れ、総帥の拳を受け止めている。そして、総帥の身体は不自然に右へと傾いていた。
拳を下ろすと同時に、氷の盾が砕け散る。
「マティアス! ラファエル! ジェルヴェール!」
総帥が怒声を上げた。
「貴様ら、邪魔をするな! 特にマティアス、貴様はワシを殺す気か!」
その言葉で、ルイーズは全てを理解した。
ジェルヴェールが氷の盾を張り、ラファエルがルイーズを空中に逃がした。そしてマティアス──彼は筒状の道具を構え、恐らく毒針か何かを撃ち込もうとしたのだろう。総帥の不自然な傾きは、マティアスの狙撃を回避した結果だった。
「クソジジイこそ、俺のルイーズを殺す気か!」
怒りを露わに叫ぶマティアスに、総帥は目を細める。ジェルヴェールとラファエルは無言のまま、素知らぬ顔をしていた。
「油断も隙もありゃせんわい……」
ぶつぶつと文句を言いながら、外れた肩を元に戻す。鈍い音がまたひとつ、響いた。
こうして、総帥との手合わせは、強引かつ唐突に幕を下ろした。
次話、マティアス小話(?)
本当は今話で船上話終わらせるつもりだったのですが、長くなったので分けます。次話まで船上小話お付き合い下さい。第五話からついにルーノ国上陸です。




