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三一話 No.5の男

 錆びついた金属音が、遠くで響いた。

 また誰かが来たのだろうか、とルイーズはかすかに思った。

 その思考を嗤うかのように、部屋主の男が近づいてきて、喉の奥でくつくつと不気味に笑った。その直後。


「お嬢様!!」


 開かれた扉から気配が二つ。

 よく耳に馴染んだ声が遠くで聞こえた気がした。

 もしかして、サビーヌなのか。


 ──ダメ、来てはダメ!


 そう叫ぼうとするも、声は出ない。

 声を奪われた口は、ただわずかに唇を動かすだけ。

 目の前の男の能力は不明だが、本能が叫んでいる。関わってはいけないと。

 男の殺気が、空間全体を鋭く支配していた。

 防衛本能が働き、思わず能力を使おうとするも、手足にはめられた鎖がルイーズの意思を封じ込める。

 冷たい汗が背筋を伝った。


 扉を抜けたジェルヴェールとサビーヌは、足を止める。

 凍てつくような殺気。歓迎の言葉代わりだ。

 即座に、二人は戦闘態勢を取った。


「ここまで来るとは、流石に思わなかったな」


 男はゆったりとした口調で言うが、全く隙がない。

 気の抜けた言葉と裏腹に、空気は研ぎ澄まされていた。


「私が行きます。ジェルヴェール様はお嬢様を」

「待て──!」


 ジェルヴェールの制止を振り切り、サビーヌは駆け出す。

 その動きで翻るスカートの下、太腿に仕込まれたスローイングナイフ。

 彼女はそれを指の間に挟み、男目掛けて迷いなく投擲した。


「サンエン」


 男が短く呟いた瞬間だった。

 天井から、三つの影が音もなく舞い降り、スローイングナイフを弾き落とす。


 サビーヌは舌打ち一つ。そのまま進路を変え、三人の敵へ突っ込んだ。


 キィィィン───────


 金属が鋭くぶつかる音が響く。

 サビーヌはダガーを抜き、一人目の敵と激突した。


「くっ……!」


 そこで、誤算が生じた。

 本命はあの男、ルイーズの隣に立つ者。

 この三人は、あくまで通過点のはずだった。

 一撃で薙ぎ倒すつもりだったが、敵の身体は想像以上に重く、硬い。

 続く二人が、すかさず彼女に襲いかかる。


 サビーヌは前方の敵との距離を詰め、溝内へ鋭く蹴りを打ち込んだ。

 同時に、迫る敵の一方にはダガーを振り抜き、もう一方には回し蹴りを放つ。


 だが、二人はぬるりとそれを躱した。


 空中へ跳躍した敵は、頭上で一回転しながらサビーヌの両耳に手を添え、すぐさま着地。

 もう一人は蹴りを身を捻って避け、サビーヌの両目を手で覆い、そのまま後方へ倒そうとする。


 サビーヌはその力を巧みに受け流し、後方へ柔軟に仰け反って床に両手をついた。

 倒立の姿勢から両脚を大きく開き、回転して敵を薙ぎ払う。


 攻撃を回避しつつ再び三人が襲い掛かる。

 その瞬間、天井から複数の氷柱が降り注いだ。

 それは直径一メートルにも達する巨大な氷の杭。

 敵は紙一重でそれを回避する。

 こんな氷柱を、瞬時に、これほどの数作り出せるのは一人しかいない。

 


「一人の女性を、三人がかりでとは感心しないな」


 敵に向けられた、鋭く冷えた声。

 氷の残響を纏いながら、ジェルヴェールが静かに前へと歩み出る。

 その眼差しは、まるで氷刃のように鋭く、敵の心を穿つようだった。


「ヒュー、かっこいいこと言うじゃねぇか。だがな、女子供だろうと関係ねぇ。俺に楯突く奴は、全員殺す」

「……下衆が」


 男の言葉に、ジェルヴェールは心底嫌悪を滲ませて吐き捨てた。

 だが男は、その反応すら愉しむように薄笑いを浮かべる。


「いいのかよ? もたもたしてると、囚われのお姫様はずっと助け出せないぜ」


 挑発的に笑いながら、男はルイーズの顎を掴むと、指で頬を押し潰し、自分の頬を擦り寄せるようにして触れさせた。

 ルイーズは首を振って抵抗するが、鎖で自由を奪われた身体では為す術がない。


 その瞬間、ジェルヴェールの瞳が獣のごとく鋭く光った。


「言われなくても──!」


 腰の剣を引き抜き、地を蹴って突進する。

 “サンエン”と呼ばれた三人の刺客はサビーヌが食い止めていた。彼女が作った道を、ジェルヴェールは迷いなく駆け抜ける。


 目指すはただ一人。ルイーズの隣にいるその男。


 ジェルヴェールの剣がまっすぐに突き出される。

 だが男は避けようともせず、悠然と片手を剣の前にかざした。


 ジュッ……


 刃が音を立てて溶ける。剣先から中腹にかけて、まるで熱されたように鉄が歪み、消えた。


「おっとぉ、あーらら。剣が使い物にならなくなっちまったなァ」


 男の能力は、酸。触れたものを腐食させ、融解させる力。

 しかし、ジェルヴェールは表情ひとつ変えずに答えた。


「問題ない」

「ほお?」


 男が余裕の笑みを浮かべるその瞬間。

 ジェルヴェールは柄を握ったままの剣を放し、次の動作へと移っていた。


「貴様は、すでに捕らえた」


 距離を詰めて男の顔面を鷲掴みにする。

 触れた瞬間、足元と頭部から同時に凍結が始まった。

 氷が男の全身を瞬く間に包み込む。酸の能力が発動する前に、冷気が全てを押さえ込んだ。


 ジェルヴェールは男が完全に凍りついたのを確認し、小さく息を吐いた。

 そしてすぐにルイーズの元へ向き直る。


「ルイーズ嬢。無事か」


 その声に、ルイーズが微かに頷いた。

 鎖に繋がれ、声も出せない様子。

 その姿に、ジェルヴェールの眉間に皺が寄る。

 女性相手にここまで非道なことを──。怒りと嫌悪が胸を焦がす。

 彼は黙って鎖を解き、ルイーズを解放した。


「ルイーズ嬢、怪我はないか」


 ジェルヴェールが問いかけようとしたその瞬間、違和感を覚えた。

 ルイーズは彼を見つめていた。だが、その瞳には焦点がない。

 確かに視線はこちらに向けているのに、その目は何も映していないかのようだった。


 やがて、ルイーズの手がそっと伸びる。

 その手が、ジェルヴェールの頬に触れた。


「ルイ──」

「ジェルヴェール様ッ!敵の能力で、視覚・聴覚をっ──!」


 戦いの最中、サビーヌが叫んだ。だがその声は、途中でぷつりと消える。

 ジェルヴェールが顔を上げると、サビーヌは敵の攻撃を避けながら何かを叫んでいる。だが、音が届かない。


 まるで世界が、急に無音になったかのようだった。

 ジェルヴェールはルイーズへと向き直る。


「ルイーズ嬢。俺が見えるか?俺の声が、聞こえるか?」


 その問いかけに、ルイーズは目を見開いたまま、震える唇を動かす。

 しかしそこからは、息が漏れるだけで音が生まれなかった。


「まさか……声まで、奪われたのか……」

「その通りだ」


 背後から、冷ややかで楽しげな男の声が響く。


「その女は、視覚も聴覚も、声もすべてを失った」


 言葉と同時に、ジェルヴェールの喉元に何かが触れた。


 ジュッ……ッ!


 熱を伴う鋭い痛み。

 男の手が彼の喉元に触れ、皮膚が酸で焼かれる。


「く……っ、がっ……!」


 ジェルヴェールは苦悶の声を漏らし、反撃として肘を男の腹に叩き込む。

 だが、男は軽く身を引いて衝撃をいなした。


「やれやれ、氷と酸ってのは相性が悪いなぁ。凍らされたときは、ちょっと焦ったぜ。溶かすのに、思ったより時間かかっちまった」


 男は一歩下がると、自分の手を何度か握ったり開いたりして感覚を確かめる。

 氷の痕跡すらない手のひらに、深い笑みが浮かんだ。


「面白ぇ。さあ、殺り合おうぜ。その女も返して貰わねぇといけないしなぁ」


 男の身体から、再び凶悪な気配が立ち上がる。


「俺を一瞬でもヒヤッとさせた礼だ。特別に名前を教えてやるよ。俺の名はノクス=ヴィーヴル。No.5だ」


 口角を吊り上げるノクスに、ジェルヴェールは喉を押さえながら、ルイーズを庇うように一歩前へ出る。


「ははっ。いいねぇ。お姫様を守る、ナイト様ってか?」


 ノクスが一歩踏み出すと同時に、ジェルヴェールは氷の杭を生成し、射出する。

 しかし、すべてが宙で溶けるか、あるいは紙一重でかわされる。


「チッ……!」


 即座に氷の剣を形成し、突進するノクスを迎え撃つ。


「ははは。いいぜいいぜ。最高だ。お前の剣が俺の心臓に届くのと俺がお前にトドメを刺すのどっちが早いか」


 剣と素手。溶かす力と凍らせる力のぶつかり合い。

 剣が振るわれるたび、ノクスの肌に浅い切り傷が刻まれていく。だがその全てが、刹那のうちに酸で溶かされ、深手には至らない。


 剣を生み、溶かされ、また生み出し。

 刹那の攻防が、幾度も繰り返される。

 やがて、ノクスの手がジェルヴェールの胸元に迫った。


 ドォンッ!!


 水の塊が、ノクスの横腹に叩きつけられた。


「……っ!」


 不意を突かれ、ノクスの動きが止まる。

 攻撃の主は、ルイーズだった。

 目を見開き、唇を噛み、恐怖を振り払うように両手を翳しながら、水泡を次々に撃ち出す。


「へぇ……やってくれるじゃねぇか、女ァァ!」


 怒声が、部屋中に響き渡る。

 ノクスの顔に浮かんでいた余裕が、怒りへと塗り替わった。

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