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二話 三人のお兄様

 ルイーズは姿見の前で目尻を上げたり下げたり、時に両手で頬を引っ張ったり、押し潰したりしてみる。

 鏡の中の少女も、ルイーズの動きに合わせて顔の形を変えていく。


 彼女は頬を押し潰した状態で、スゥッと目を細め、遠い目をした。


 ──これが、現実なのよね。


 傍から見れば、つい先ほど前世を思い出したとは思えないほどの冷静さに見えるかもしれない。

 だが実際のところ、心中はとても穏やかとはいえなかった。

 感情は混沌と渦巻き、いっそ壁に頭を打ちつけて冷静さを取り戻したいほどには混乱している。


 ──うわぁ、美幼女って、タコ顔で悟り目してても美少女なんだなぁ。


 なんて、現実逃避めいた思考を抱きながら、鏡に映る自分の顔をしみじみと見つめた。


 その時、部屋に三回、コンコンコンとノック音が響いた。

 ルイーズが返事をするより先に、ドアが開く音がした。

 直後、扉の隙間から十四、五歳ほどの少年が顔を覗かせる。


「ルイーズ、入るよ」


 入室を伺う声が、その後から続いた。

 鏡越しにその姿を確認したルイーズの動きが、ぴたりと止まる。


 入ってきたのは、二番目の兄・マティアスだった。


 ルイーズは一拍遅れて、マティアスの行動の流れを思い返す。

 彼は、扉を開けた「後」に入室を伺う声をかけていた。


「ん?」


 ルイーズは首を傾げた。


 ──普通は、声をかけて返事を待ってから入るものじゃなかったっけ?


 彼の行動は、ルイーズの知る常識とは大きくかけ離れていた。

 ……と思ったその瞬間、ドシャリ。もし効果音がつくなら、そんな音がぴったりだろう。

 マティアスは、ドアノブに手を掛けたまま、がくりと膝をついて崩れ落ちた。


「お兄様っ!」


 ルイーズは慌てて彼の元へと駆け寄った。

 荒い呼吸。肩が大きく上下している。

 マティアスは、片手で口元を押さえ、顔を伏せていた。


「マティアス兄様、大丈夫ですか?」


 心配そうに覗き込んだルイーズと、見上げたマティアスの視線がぶつかる。

 菫色の瞳が見開かれた、その瞬間——ルイーズの動きが止まった。


 これ以上、マティアスに近づくことを、身体が本能的に拒否している。

 背筋に冷たいものが走り、額から一筋、冷や汗が垂れた。


 ──あ、やばい。


 そう思った時には、もう遅かった。


「るぅぅぅうぃぃぃぃぃずぅぅぅぅ!」


 巻き舌の奇声が響き渡った。

 ルイーズは回避する間もなく、彼の腕に捕えられキツく抱き締められていた。

 マティアスは、重度のシスコンだ。

 ルイーズは、前世を思い出したばかりで意識が前世に強く引っ張られていた。

 その為、マティアスが重度のシスコンであることを失念していた。


「なんだい!?さっきの可愛いお顔は!!いや、ルイーズはいつだって世界一可愛いがあの顔もまた格別に可愛かったんだよ。そうだ。今すぐ絵師を呼んで先程の天使のポーズを描いてもらおう!ところで、ルイーズは何をしていたんだい?両手を頬に当てて、唇突き出して……って、はっ、もしかして、キスの練習!?」


 目を輝かせながら、マティアスの妄想はどこまでも加速する。


「ああっ、なんていじらしいんだ、俺のルイーズは……!隠れて練習しなくても、お兄様が教えてあげるのに!下手でも嫌いになったりなんかしないよ?じゃあまずは、目を閉じて──」

「ちょ、待って、待ってくださいませっっ!」


 暴走する兄の顔がどんどん近付いてくる。

 ルイーズは反射的に両手で顔を庇い、防壁をつくった。


 しかし、そんな防御も意味をなさない。マティアスは容赦なく接近してきて──手に、当たるっ!?


 次の瞬間。


 目を瞑る寸前に見えたのは、マティアスが勢いよく吹き飛ばされる姿だった。

 驚いて再び目を開けると、目の前にいたはずの兄は跡形もなく消えていた。

 代わりに、ふわりと誰かに抱き上げられているのだと気づく。

 そして、自室だったはずの景色は、いつの間にか廊下へと変わっていた。

 遠くに、先ほどまでいた自室の扉が見える。


「ルイーズ、大丈夫?マティアス(変態)に何かされなかった?」

「ありがとうございます。グエナエル兄様、ラファエル兄様」


 声の主を見上げれば、長男のグエナエルと、三男のラファエルが立っていた。

 安堵の息を吐きながら、ルイーズは礼を告げる。

 マティアスの名を呼ぶ際、副声音が聞こえた気がしたが、ルイーズは気の所為だと思うことにした。


「ラファエル!兄に向かってなんてことしやがる!!グエナエル兄さんも俺のルイーズを返してくださいっ!」


 怒号が部屋から響いてくる。

 その距離、およそ三十メートル。マティアスの怒りは元気だが、遠い。

 ルイーズは、部屋に奇襲を仕掛けてきた騒ぎの元凶へと、冷ややかな視線を送った。


「もう大丈夫だからね」


 グエナエルが安心させるようにルイーズの頭をそっと撫でる。

 その手は温かく、柔らかく。

 そして自然な流れで、頬に優しく口付けた。


「それで、誰のルイーズだって?」


 ルイーズに向けた穏やかな声音とは打って変わって、グエナエルの声は幾分も低く、鋭く、冷たく落ちた。

 その瞳もまた、先ほどまでの優しさは影も形もなく、氷のように冷ややかだ。

 父譲りの茶髪と、凛とした佇まい。

 威厳すら感じさせるその姿は、いつも穏やかな彼とは別人のようだった。


「それと、マティアスは嫌がるルイーズに何をしようとしてたのかな?」


 一言一言、言葉を噛みしめるようにゆっくりと語られるその声音。

 意味を理解する前に、背筋に冷たいものが走る。

 グエナエルの背後に、見えるはずのない般若が見える気がした。


「……何もされてない?」

「大丈夫ですわ」


 心配そうなラファエルの問いに、ルイーズは小さく頷いた。

 それを確認したラファエルは、安心したように無言でルイーズの頭を撫でる。


「いくら兄さんでも、教えることはできません。俺とルイーズだけの秘密ですから」


 さらりと、とんでもないことを口にした。


「ラファエル、やれ」

「……了解」

「ちょ、ラファエル待っ──」

「……待たない」

「兄さぁあああんッ!!」

「ルイーズが嫌がることをした、お仕置きだよ」

「……ルイーズ、可哀想」


 三人の兄弟のやり取りを、呆然と見つめていると──。

 マティアスの体が、ふわりと宙に浮いた。


「ぎゃああああああああああああっっっ」


 盛大な悲鳴が響く。

 マティアスの足は床から離れ、天井近くまで持ち上がり、部屋の中を旋回し始めた。


「う、ううっ……」


 頭上から、呻くような声が聞こえてくる。

 そこには、蒼白な顔で口元を押さえ、ぐったりとしたマティアスの姿があった。

 視線を下ろすと、ラファエルが人差し指を立てて無表情のまま、くるくると指を回している。


 この世界には、“ストレンジ”と呼ばれる特殊能力が存在する。

 魔法ではなく、努力で身に付けるものでもない。

 それは、天賦の才によって授けられる、いわば超能力のような力だ。


 ラファエルが使ったのは【念動力】。


 ここ、“ストレンジ♤ワールド”は、剣と魔法の世界──ではなく、剣と【特殊能力】の世界。

 ストレンジの力は、貴族社会にも密接に結びついており、爵位が高いほどその能力も強力である。


 ストレンジの力の強さは、“器”によって変動する。


 だから本来、十歳程度の子供が人間一人を軽々と浮かせるなんて、あり得ない。

 しかしラファエルにとっては、どうということもないようだった。

 涼しい顔で、兄をぐるぐると弄ぶ。


「うっ……」


 マティアスが、青褪めた表情で嘔吐きそうになったその瞬間。


「ラファエル兄様、マティアス兄様を降ろしてさしあげてくださいませ。グエナエル兄様も、お仕置きはこのくらいで十分ですわ」


 ルイーズの柔らかな声に、ラファエルは静かに頷いた。

 指先を止めると、マティアスの体はゆっくりと床へ降りていった。


「ルイーズは優しいなぁ。これでもまだお仕置きは足りないと思うけど、ルイーズがそう言うならやめておくよ。」


 床に座り込んだマティアスは、いまだ脳が波打つのか、蹲ったまま動けずにいた。

 見かねたルイーズはそっとグエナエルの服を掴み、顔を見上げる。


「どうしたんだい?」


 優しく問いかけるその声音と笑顔は、とことん甘やかだった。


「グエナエル兄様。わたくしを、部屋に戻していただけますか?」

「まだ部屋に返すのは危険だ」

「グエナエル兄様。今、すぐに、部屋に戻して下さいませ」


 ルイーズは意識的に目尻をわずかに上げ、言葉を一つひとつ区切って訴えた。

 このままでは大惨事になる。彼女には、それが分かっていた。

 マティアスがいるのは、ルイーズ自身の自室だ。

 そんな場所で兄の醜態を見せられ続けるのは、勘弁願いたい。それが彼女の本音だった。

 渋々といった様子で、グエナエルはルイーズの願いを受け入れる。


 彼のストレンジは【瞬間移動】。

 一瞬で、ルイーズは自室へと移されていた。

 だが、何故かその場にはグエナエルとラファエルの姿もあった。

 しかもルイーズは、依然としてグエナエルの腕の中に抱き抱えられている状態である。


「あの、降ろし……」

「ん?」


 見上げたグエナエルの瞳が、「降ろすつもりはない」とはっきり語っていた。

 ルイーズは即座に諦めた。お願いしても無駄だと分かっているのに、わざわざ言葉を費やすのは面倒だった。


「ラファエル兄様。グラスを取っていただけますか?」


 寝具の横にある机を指差し、水差しと空のグラスを示す。

 ラファエルは静かに頷くと、念の力でグラスをふわりと浮かせ、ルイーズの前へと動かして止めた。

 ルイーズはグラスに手を翳し、そっと力を込める。

 本来、ストレンジは動作がなくても発動可能だが、手や身体の動きを添えることで、より力が安定する。

 とりわけ子供の場合、それはストレンジの精度を補う重要な要素だった。


 ルイーズのストレンジは【水】。

 まだ七歳という年齢もあって、能力は未熟。

 目一杯力を込めなければ、水を生み出すことはできない。けれど、グラス半分ほどの水量なら、なんとか出すことができる。

 目的は、つらそうにしているマティアスへ水を差し出すこと。それだけでよかった。

 これまでの経験に従って、彼女はいつもの要領で力を込める──そう、“目一杯”に。



 ドンッ──── 



 突然、屋敷全体を揺るがすような重い衝撃音が響き渡った。

 直後、天井から滝のような水が現れ、部屋を丸ごと飲み込んでゆく。

 ルイーズを含め、そこにいた四人全員が水流に呑まれ、ルイーズの意識はそこで途切れた。


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