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二七話 ナンバー

 ウゥゥゥウゥゥ───…


 獣の呻き声のような低い音が、重く鈍く響き渡る。

 それがサイレンだとルイーズが気づいたのは、数秒が経ってからのことだった。


 視覚も声も未だ戻らない。耳だけが辛うじて音を拾ってくれている。

 沈黙が戻った頃、重い扉が軋む音がして、その気配がまっすぐルイーズのもとへと向かってくる。

 気配は、彼女のすぐ目の前で止まった。


「あんたに朗報だ。どうやら仲間が助けに来てくれたらしい。もっとも、ここに辿り着く前に全滅だろうがな。あ?違うな、それじゃ朗報じゃなくて悲報か。……ま、どうせ今のあんたには聞こえちゃいねぇか。クハハハハ」


 嗤いながら近づいてきたその声の主は、ルイーズをこの部屋に閉じ込めた男だった。

 男はルイーズの顎を掴み、耳元へ顔を寄せてくる。

 首を振って抵抗しようとするも、身体は厳重に拘束されていて、激しい動きは叶わない。

 しかし男は、彼女がわずかに音を聞き取れていることに気づいていない。だからこそ、鬱陶しいほど近くでしつこく耳元で笑い声を上げた。


 ルイーズは顔を向け、男の顔があるであろう場所に反射的に噛み付こうとする。


「おっと、危ねぇな。あんた、本当に公爵家の令嬢か?野生児みてぇだな」


 反撃は空振りに終わった。せめて顔に唾でも吐きかけてやりたかった。

 けれど、それだけは公爵令嬢としての矜持が、なんとか思い止まらせた。

 その代わり、無意識に「ケッ」と息を吐き出して、顔をしかめていた。そう、勝手に顔が──。


「……本当に令嬢か?いや、嘘だろこいつ」


 男はルイーズの表情を見てぽつりと呟く。


 ──令嬢は令嬢でも、悪役令嬢ですからねー。悪い顔には定評ありますの。


 そんな皮肉を、ルイーズは心の中で静かに返した。


「だが、悪くないな。令嬢ってのはもっと澄ました顔で、親の威光を振りかざすような奴ばかりだと思ってたが……。あんた、面白い。それに顔も俺の好みだしな」


 そう言って再び顎を掴まれ、男の顔がぐっと近づいてくる。


 ──ひぃぃぃっ、寄るな、触るな、近い、口臭い!……じゃなかった、わたくしに触れて良いのはジル様だけなんだからね!!


 心の中で絶叫しながら、足をじたばたと動かし、男の手を避けようと顔を左右に振る。

 普段のルイーズなら、涼しい顔で冷静に対応していただろう。

 だが今は、視覚を奪われ、声も出せず、ストレンジも封じられた。

 それら全てが、彼女の心に不安を呼び込み、男の接触に反射的に身体が震えてしまう。

 その震えを誤魔化すように暴れるしかなかった。


 本当ならば、ルイーズの肉体能力なら鎖を破壊してこの部屋を脱出することも可能だった。

 ストレンジなしでも、彼女一人だけなら逃げる術はある。


 だが、脱出しないのは理由があった。

 ここにはソレンヌとエド、そして一般市民が多く囚われている。

 軽率に動けば、彼らに被害が及ぶかもしれない。

 しかも敵の情報は一切ない。

 どんなストレンジを持ち、どれほどの数の敵がいるのか、策もなく動くにはあまりに無謀だった。


 ──「お仲間が来た」──さっき、あの男がそう言っていた。


 捕らわれたのは、公爵令嬢が二人と、辺境伯令嬢が一人。

 この状況なら、中央騎士団とストレンジ騎士団が動いているはずだ。

 ルイーズは思案する。副団長のポールが出陣している可能性は高い。

 もし彼が来ているのなら、きっと一時間以内には、ソレンヌやエドたちを救い出してくれる。


 今はその時を、信じて待つしかない。


 目の前の男。恐らく今回の首謀者は彼だ。

 一人だけ別室に連れてこられ、“依代”と呼ばれたこと。

 それらから考えるに、今のところ命を奪われる心配はないだろう。


 この部屋に出入りしているのは、この男と、サンエンと呼ばれる、彼女の感覚を奪った者たちのみ。

 時折扉が開くが、その気配が室内まで踏み込んでくることはなかった。


 ──恐らく、目の前の男は相当の実力者。


 彼の放つ気配は、他の者とは明らかに違っていた。

 この男に勝てる者は、果たして味方の中にどれほどいるのか。


 けれど今は、ただ願うしかない。

 どうか、せめてソレンヌとエド、そして囚われた民たちだけでも無事に、外の世界へ連れ戻されることを。



 #


 サイレンが鳴る少し前───


「エド!お願いだから、もうやめて!」


 ガンッ、ガンッ、と鈍い金属音が部屋中に響き渡る。


「ムダムダムダプー。諦めるっプー」

「お願い、エド。もう…やめてっ!」


 ソレンヌの悲痛な声が、響きにかき消されそうになりながらも檻の中にこだまする。


「貴女の足が……これ以上動けなくなってしまうわ!」


 ソレンヌはとうとう堪えきれず、エドの身体を後ろから羽交い締めにしてその動きを止めた。


「離して、ソレンヌ!姐さんを助けに行かなくちゃいけないの!」

「だからぁー、ムダムダムダプー。って言ってるっプー」

「さっきからブーブーブーブーうるさいな!そこのブー!少し黙ってろ!!」

「ブーって、おいらのことっプー?!」


 言い争う二人と、檻の外からの甲高い声が交錯する。


 ソレンヌとエドが目を覚ましたのは、檻の中だった。

 部屋の三分の二を占めるその檻には、二人の他にもペルシエ領の民が数人閉じ込められていた。見たところ、重症ではないものの、顔に疲労と不安の色が浮かんでいる。

 

 エドは目を覚ましてすぐに、ルイーズがいないことに気づいた。

 怒りと焦りが噴き出し、鉄格子を壊して助けに向かおうとした。


「クソッ!全然効かない!」


 強化のストレンジを持つエドでさえ、檻はビクともせず、彼女の拳や脚はむしろダメージを受ける一方だった。

 何度も鉄格子を蹴り、頭突きを食らわせた結果、彼女の脚は腫れ上がり、額からは血が垂れている。

 それでもなお暴れ続けようとするエドを、ソレンヌは必死に止めたのだった。


「だからさっきから言ってるっプー。これはおいら特製の牢獄っプー。ストレンジの力、八割以上削るようにできてるっプー。無理したら壊れるのは檻じゃなくて自分の方っプー」


 どこか呑気に、そして少し誇らしげに口にしたのは、檻の外でこちらを見下ろしていた醜悪な体型の男だった。

 球体のように丸く、脂ぎった肌に玉のような汗を浮かべながら、彼は椅子にだらしなく腰掛けている。他にも武装した男たちが四人、無言で見張っていた。


「おい、お前!ピッピコか人間か分かんない体型してる奴!私たちと一緒にいた、もう一人の女性はどこにやった?お前らの目的はなんだ!」


 エドは鉄格子にしがみつき、怒声を上げる。


「ひ、ひどいっプー!どう見てもおいらは人間っプー!失礼しちゃうっプー!それに仲間だなんだって、そんなの知らないっプー。おいらのところに来たのは、お前と、そこのお嬢さんだけっプー」

「くそっ、役に立たない奴だな。いいから、今すぐ此処から出せ!」

「だーめだめだめっプー。でも、でもぉ……」


 お菓子をぽりぽり頬張りながら、丸い男は一度言葉を切り、ふとソレンヌの方へと視線を向けた。

 舐めまわすような目つきで彼女を見つめ、ゆっくりと立ち上がる。そして、よたよたと歩み寄りながら、口元をにやけさせて言った。


「そこのお嬢さんだけなら……出してやってもいいっプー。但し、条件付きだプー」

「…………」

「おいらのお嫁さんになってくれるって言うなら、今すぐ檻を開けてやるっプー」


 その気色の悪い言葉に、檻の中の空気が一瞬凍りついた。

 男の荒い鼻息が聞こえるほど接近してきたことで、ソレンヌは思わず一歩下がる。


「ひっ…!」


 ソレンヌの喉から短い悲鳴がこぼれた。その視線に晒された恐怖が、肩を震わせる。


「ソレンヌに近づくな!」


 すぐさまエドがソレンヌの前に立ち塞がり、その視線を遮るように両腕を広げる。


「フウタ、ここを開けてください。私です」


 タイミングを計ったように、部屋の外から柔らかな声が響いた。


「おおお、お帰りなさいっプー!い、今開けるでプー!」


 フウタと呼ばれた丸い男が慌てて跳ね上がり、鉄格子の鍵を操作する。

 この部屋の扉は通常の扉とは異なり、牢と同じ頑丈な鉄格子で構成され、廊下との間に視界を確保していた。その向こう側に立っていたのは、何者かを俵担ぎにした男だった。


「やあ、ソレンヌ嬢にエド嬢。目が覚めたようで何よりです。ちょうどよかった。彼女とも仲良くしてやってくださいね」


 茶髪の男は人当たりの良さそうな笑みを浮かべながらそう言った。しかし、ソレンヌもエドもその顔に見覚えは一切なく、警戒心を露わにして睨みつける。


「とはいえ、彼女の能力は少々特殊でしてね。あなた方の檻に入れておくわけにはいかないんです」


 男はそう言うと、見張りの一人に椅子を持ってくるよう指示し、担いでいた人物を丁寧に椅子へと座らせた。

 縄で縛られ、口には布を詰められていたその女性の顔を見た瞬間、ソレンヌとエドの目が大きく見開かれる。

 その人物は、淡いハニーピンクの髪と、蜂蜜を溶かしたような甘く煌めく瞳を持つ、二人にとって忘れようにも忘れられない人物だった。


「ちょっと!いきなりこんなとこに連れて来て、何のつもりよ!?せっかくのデートが台無しじゃない!誘拐イベントってのは、連休明けの登校日が定番でしょうが!!」


 口の布を外されると、ラシェルは甲高い声で怒鳴りつけた。


「うーん、ずいぶんと騒がしい方ですね。……もう一度、口を塞いでおいてください」


 男は耳を塞ぎながら呆れたように見張りに命じ、再びラシェルの口を封じる。


「それと……あなたが何を言っているのかは分かりませんが、学園には帰れません。それはソレンヌ嬢とエド嬢、あなた方も同様です」


 にこやかに言い放ち、男は部屋を後にしようとした。


「おい、待て!あんたがボスか?私たちをどうする気だ!」


 エドが檻越しに叫ぶ。


「そうだ!この煩い娘から実験台にするプー!それがいいプー!ね、ひろ──」


 言いかけたフウタが突如、勢いよく壁に叩きつけられた。


「……誰がその話をしていいと言いましたか?」


 茶髪の男は振り返らず、微笑を浮かべたまま手を一振りする。その瞬間、フウタの身体が目に見えぬ力に押され、鉄壁に押し付けられていた。


「この場で死にたいのですか?」

「ご、ごめんなさいプー……!」


 壁に押しつけられたまま、フウタはじたばたと手足を動かし、顔を青くして必死に謝る。


「以後、気をつけてください。それと、ナンバーのメンバーは番号で呼ぶように…」

「し、失礼しましただプー……No.12様」


 フウタが小さく震えながら答えると、男はようやく手を離し、部屋を出て行った。


「おい、ブータ。あの男は何者だ」

「ブータじゃなくてフウタだプー!!」

「Fooooでもプーでもブーでも何でもいい。あいつは何者なんだ。“実験台”ってどういう意味だ」


 エドの追及に、フウタはむっとした表情を見せるも、一度大きく息を吐いてから得意げに語り出した。


「さっきの御方はナンバー持ちだプー。“ナンバー”ってのは、始祖様に特別に認められた選ばれし存在なんだプー。普通のストレンジ持ちとは桁が違う。あんたなんか、相手にならないくらい強いんだプー」


 嫌味な笑みを浮かべながらフウタが語り終えた、その時。

 耳をつんざくようなサイレンの音が、檻の中に鳴り響いた。

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