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七話 悪役令嬢は他の悪役令嬢と仲良くなりたい

 国王陛下との謁見から数日後。

 第一王子スタニスラスの訃報が、ついに世間へと公布された。

 それは真実の死を告げるものではない。スタニスラスに放たれた暗殺者の目を欺くための偽装。命を守るための偽りの訃報であった。

 葬儀も形式だけで滞りなく終え、王都が静けさを取り戻し始めた頃、ルイーズは王城へと招かれた。


 招待の目的は、王の側室が主催するお茶会への出席。

 側室は、第二王子と第三王子の実母であるレリア、そして第四王子の母であるエミリエンヌの二人いる。


 陛下は愛妻家として知られ、王妃エヴリーヌを深く愛していた。

 だが、エヴリーヌには長らく御子がなく、国政の安定のためやむなく側室を迎えることとなったのだ。

 エミリエンヌとエヴリーヌの関係は円満であったが、レリアだけは別だった。

 彼女が密かに王妃の座を狙っている──そんな噂が、王城内でも絶えたことはない。


 今回のお茶会の主催者は、そのレリアだった。


「レリア様、ご機嫌麗しゅうございます。此度はお茶会に御招きいただき、誠にありがとうございます」


 庭園に設けられたティーテーブル。その傍らに優雅に腰掛けるレリアへ、ルイーズは完璧なカーテシーと共に挨拶を述べた。


「おお、良く来た。ルイーズ嬢よ。さあ、此方にいらっしゃい。皆貴方を待っていたのよ」


 レリアの口調はどこか粗雑であった。高貴な立場に似つかわしくない言葉遣いに、ルイーズは思わず眉をわずかにひそめる。

 だが、それも一瞬。すぐに柔らかな微笑みを浮かべ、促されるまま席に着いた。


 ルイーズは、レリアを嫌っていた。

 それは単なる相性や印象の問題ではない。

 前世の記憶が、彼女に警鐘を鳴らしていた。

 レリアこそ、正妃エヴリーヌを死に追いやった張本人だ。


 その事実を知るのは、やがて第二王子との距離が縮まったとき。

 王子の口から「王妃の死の真相」が告げられることになる。

 だがその証言には、確たる証拠が伴わない。ゆえに、レリアが正式に糾弾されることは決してなかった。


 ルイーズにとって、エヴリーヌはただの王妃ではない。

 かつての自分を受け入れ、愛してくれた“第二の母”のような存在だった。

 その恩と愛情は、死してなおルイーズの胸に深く刻まれている。


 だからこそ、ルイーズは怒りを隠し、微笑みを装いながらも、レリアの傍に身を置いた。

 その目的の一つは、第三王子の婚約者候補という立場を得て、第二王子に接近すること。

 そして、レリアがエヴリーヌの死に関与しているという証言を、引き出すためである。


「本日はお日柄もよく、お茶会にご招待いただき誠にありがとうございます。このような素敵な場にお招きいただけるなんて、レリア様には感謝の念に堪えませんわ」


 微笑みを浮かべながら、ルイーズは優雅に礼をする。


「まあ、ルイーズ嬢はまだ七歳だというのに、本当にしっかりしているのね。噂通りだわ。ルベンの婚約者には、勿体ないくらいよ」


 レリアの言葉には、わざとらしい賞賛と含みが混じっていた。


「そんなことは御座いませんわ。わたくしのような若輩者はまだまだ未熟でございますゆえ、日々精進いたしております。それに、ルベン殿下のような素敵な御方の婚約者“候補”になれただけでも、わたくし、嬉しく思っておりますわ」


 ──婚約者、などと軽々しく決めつけないでもらいたい。


 胸の奥に渦巻く黒い感情を、ぎり、と押し殺して笑顔を浮かべた。

 つい“聞き捨てならない”単語に、眉間に一瞬力が入りかけたが、何とか気合で押し切り、さり気なく訂正を加える。

 だがその意図は、レリアにはまるで伝わっていないようだった。

 そのとき、庭園の入口から新たな訪問者の声が響いた。


「お久しゅうございます、レリア様。此度もまた、お茶会にお招きいただき誠にありがとうございます」

「まあ、ソレンヌ嬢。いらっしゃい。よく来てくれたわね」


 人目を惹くほど美しい女性に手を引かれて、一人の少女が姿を現す。


 小柄な体に、陽光を受けて輝く金糸の髪。光を映すような薄緑の瞳と、雪のように白い肌。髪はやや多めで、ルイーズよりも癖が強いが、それがまた自然な気品を生んでいる。

 整った顔立ちは、どこか現実離れしていて、まるで森の奥に棲む妖精のようだ、とルイーズは思った。


 ソレンヌと名乗ったその少女は、レリアと挨拶を交わしたあと、控えめにテーブル席へと腰を下ろす。

 その隣に座ったルイーズは、にこりと口角を上げて話しかけた。


「初めまして。わたくし、カプレ公爵家の長女、ルイーズ・カプレと申しますわ」


 柔らかな物腰で、自ら名乗る。社交界では年齢など関係ない。主導権を握るには、先に動くのが肝要だった。


「あ、えっと……。わたくしは、ペルシエ公爵家の長女、ソレンヌ・ペルシエと申します」


 ソレンヌは少し戸惑いながらも、礼儀正しく名乗った。


「ソレンヌ嬢のことは、以前宰相のジョゼフ様よりお話を伺ったことがございますわ。確か、ヴァイオリンがとてもお得意だとか」

「えっ、お父様ったら……!」


 ソレンヌは頬をほんのり染め、視線を伏せる。


「わたくしなんて、まだまだですわ。とても、人様にお聴かせできるようなものではありませんの」


  ソレンヌは恥ずかしそうに告げた。


 ──第一印象は、まずまずといったところね。


 内心でほくそ笑みながら、ルイーズは彼女を観察する。

 第三王子の婚約者候補となった理由のひとつは、まさにこの少女の存在だった。

 レリア主催のお茶会に参加すること。それは、第二王子と“その婚約者候補”であり、いずれ正式な婚約者となるであろうソレンヌ・ペルシエに近づくための好機でもある。


「ソレンヌ嬢、もしよろしければ、仲良くしてくださいますか?」


 ルイーズは、柔らかな微笑みとともに手を差し出した。


「こ、こちらこそ。よろしくお願いいたしますわ……」


 ソレンヌは一つ年下ということもあってか、わずかに緊張した様子で返した。


「ふふ、そんなに固くならないでくださいませ。わたくしたち、同じ立場なのですから」


 ルイーズの穏やかな言葉に、ソレンヌの表情がほんの少し和らぐ。

 お茶会は、王子たちが現れる前からレリアの采配により始められていた。

 集められたのは、およそ二十人ほどの子どもたちとその母親たち。

 少女たちは第二王子と第三王子の婚約者候補、少年たちは将来王子たちの側近となることを見据えた側近候補である。


 中には、北軍騎士団総帥オーギュストの息子、そしてストレンジ騎士団団長アイロスの息子といった、名門の子息も名を連ねていた。


 子どもたちは自由に歓談し、用意された上質な茶菓子に舌鼓を打っていた。

 一人の侍女が庭園に入り、そっとレリアのもとへ近づくと、何やら耳打ちをした。


「ルイーズ嬢、ソレンヌ嬢。少し、こちらへいらっしゃい」


 レリアが、突然二人を名指しする。


「はい」


 ルイーズは首を傾げつつも返事をする。

 対してソレンヌは、まるで何かを察したかのように、すぐに立ち上がり、レリアの後について歩き出した。


 ──まさか、王子たち?


 そんな予感を胸に抱きながら、ルイーズも後に続く。

 レリアは庭園を抜け、王城の中へと足を進める。しばらく進んだ先、緩やかに曲がる回廊の角で立ち止まった。


「「母上、お待たせいたしました」」


 声とともに現れたのは、二人の少年。

 茶色の髪、薄い青の瞳、そして瓜二つの顔立ち。

 まるで鏡合わせのような容姿に、声までそっくりな二人は──第二王子と第三王子、王家の双子の王子だった。

 年は六歳。ソレンヌとは同い年である。

 彼らを見た瞬間、ルイーズの心は僅かに波立った。

 ソレンヌは、まるで慣れた様子で前に出ると、淑やかに礼をする。


「お久しゅうございます。レナルド殿下、ルベン殿下」


 ソレンヌが丁寧に一礼すると、双子の王子たちは息を揃えて応じた。


「「久しぶり、ソレンヌ」」


 息もピッタリかよ!と、ルイーズは心の中で軽く突っ込みながら、自身も一歩前に出てカーテシーをする。


「お初にお目にかかります、レナルド殿下、ルベン殿下。此度、ルベン殿下の婚約者候補となりました、カプレ公爵家の長女、ルイーズ・カプレと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」


 ルイーズの言葉に、王妃レリアが微笑を浮かべて口を開く。


「レナルド、ルベン。この二人はいずれ貴方たちの婚約者となる者たちです。しっかりとエスコートなさい」


 そう言いながら、レリアはそれぞれの息子をルイーズとソレンヌの前に立たせた。

 ソレンヌの前に立つのが第二王子・レナルド、ルイーズの前に立つのが第三王子・ルベン。──と、そう“紹介された”。


「初めまして、ルベン殿下。どうぞよろしくお願い致します」


 ルイーズはにこやかに微笑み、丁寧に頭を下げる。

 彼らは噂に違わぬ瓜二つの双子であり、見分けるのはほとんど不可能に思えた。レリアが名を呼びつつ位置を示してくれなければ、確実に間違えていただろう。


 ──間違えずに済んだ。


 ほっと胸を撫で下ろしながらも、ルイーズは気づかなかった。

 隣に立つソレンヌの表情が、どこか困惑と戸惑いを含んでいたことに。


「わたくしは先に戻ります。貴方たちは少しお話でもしていらっしゃいな」


 そう言い残し、レリアは庭園へとゆったりとした足取りで去っていった。

 残されたのは、四人の静かな空間。

 やや気まずい沈黙が流れる中、最初に動いたのはソレンヌだった。


「ルベン殿下、お久しゅうございます。レナルド様も、一週間前にお会いした時以来ですわね」


 その挨拶に、ルイーズは目を見開いた。

 “ルベン殿下”と“レナルド様”──同じ敬称ではない。そこに、親しさと呼び分けの明確な違いがある。

 ソレンヌはまず、自分の目の前に立つ少年へと穏やかに会釈をしてから、くるりと向きを変え、ルイーズの前に立つ少年へと視線を向けた。

 その瞬間、ルイーズは全身を硬直させた。


 ──まさか……


 すぐに、己が重大な過ちを犯したのだと悟る。

 立ち位置を鵜呑みにし、名を呼ばれた方をそのまま信じて挨拶してしまった。

 目の前の少年は、本当に“ルベン”だったのか?

 答えはソレンヌの態度が教えてくれた。

 ルイーズはひざを折るように深く頭を下げ、すぐさま謝罪の言葉を口にした。


「誠に申し訳ございませんっ。レナルド殿下とルベン殿下はとても似ていらっしゃると伺っておりましたが……お二人を見間違えるなど、あまりにも無礼を致しました」


 その一言に、王子たちとソレンヌは揃って目を瞠る。


「「……ぷっ」」


 二人の王子が同時に吹き出した。


「ルイーズ嬢、顔を上げて」

「君は初めて僕たちに会うんだし、それに……お母様が僕たちを逆に君の前に立たせたんだから、そこまで気にしなくてもいいよ」


 レナルドとルベンは、くすくすと笑いながら宥めるように言った。

 ルイーズはようやく胸を撫で下ろす。


 ──よかった……!


 ここで二人の機嫌を損ねて、婚約者候補から外されでもしたらルイーズの計画は、水の泡になるところだった。


「でもさ、どうしてソレンヌ嬢の言葉が正しいって思ったの?」

「僕たちが母上の指示を無視して、わざと逆の位置に立ったとはいえ……なぜ、ルイーズ嬢は母上ではなく、ソレンヌ嬢の言葉を信じたの?」

「わたくしとしては信じていただけて嬉しゅうございますけれど、今までのご令嬢方でしたら、決まってわたくしを嘘吐き呼ばわりしておりましたのに。……何故、わたくしの言葉を信じてくださったのか、わたくしもぜひ伺ってみとうございますわ」


 三人に囲まれるように詰め寄られ、ルイーズは思わず背を仰け反らせた。

 目を輝かせながら覗き込んでくる美幼女と美少年の視線に、心の奥底が妙な方向にくすぐられる。


 ──うっ……美幼女に美少年とか、可愛すぎて母性本能がくすぐられる……っ。


 このまま頭を撫でまわしたい衝動を懸命に押しとどめながら、どう返そうかと考えを巡らせる。

 レリアの言葉を素直に信じて、目の前に立った少年をルベンだと思い込んだ。

 だが、ソレンヌはそれと逆の名前を口にした。

 ゲーム内の設定では、「唯一、ソレンヌだけが双子を見分けられた」とあった。

 つまり、実の母であるレリアさえ見分けられなかったということ。

 そして、のちにヒロインが言われる「君は、僕たちを見分けられた二人目だ」というセリフ。

 その情報を思い出したルイーズは、レリアの紹介よりもソレンヌの言葉が正しいと結論づけたのだ。

 だが、そんな核心に触れるわけにもいかない。さて、どうしたものか。


「レナルド殿下、ルベン殿下は、ソレンヌ嬢とよくお遊びになられていると、以前耳にしたことがございますの。ですので、日頃よりお傍にいらっしゃるソレンヌ嬢であれば、殿下お二人の……そう、内なる輝きまでも見極められていても、不思議ではないと感じましたの」


 咄嗟に紡いだ言葉だったが、我ながらそれなりに理屈は通っている……はず。

 少し苦しいかと心配したものの、三人は「なるほどー」と頷き、妙に納得した様子だった。

 そして四人は、そのまま連れ立って庭園へ向かった。


 ソレンヌは自然にレナルドの隣に寄り添い、楽しげに談笑している。

 ソレンヌの心がレナルドに無いことをルイーズは密かに願っていたのだが。どうやら出会う時期が遅過ぎたようだ。

 頬を淡く桃色に染めて笑いかけるソレンヌの瞳が、何より雄弁に語っていた。

 彼女の心が、既にレナルドに向けられていることを。


「ねえ、ちょっと」


 そんな二人の様子を後ろから眺めつつ、ついて行っていたルイーズはふいに腕を掴まれ、後ろへと引き寄せられた。


「ふーん、あんたがルイーズ嬢か。まあ、顔は悪くないね。でもその硬っ苦しい喋り方、自分は聡明なんだってひけらかしてるみたいで、正直うっとうしいけど」


 不意の言葉に振り返ると、そこには至近距離でルベンの顔があった。


 あの方と同じ青い瞳──けれど、どこかが決定的に違う。あの方の瞳は、底知れぬ静けさと光を湛えた、いつまでも見つめていたくなるほど澄んだ輝きがあった。だが、ルベンの瞳は、同じ色をしていながらも濁りを含み、ルイーズを映すそれは歪んで見えた。


「お兄様のお下がりってのは正直気が進まないけど、まあ、顔だけは使えるからさ。せいぜい僕の役に立ってよね」


 ──……は?


 ルベンがレナルドより性格が歪んでいることは、前世の知識として理解していた。けれど、まだ子供と呼べるこの年で、ここまで下衆だったとは想像していなかった。

 彼の言う「役に立つ」とは、要するに、自分に言い寄ってくる令嬢たちの盾としてルイーズを利用するという意味だ。

 彼女が“婚約者”という肩書を持つことで、他の令嬢たちを牽制し、あるいは飽きた相手から身を隠す隠れ蓑として扱うつもりなのだ。


 ルイーズはゲーム内ではヒロインのライバルとして設定された「悪役令嬢」であり、美貌の持ち主。そんな彼女をまるでアクセサリーのように扱い、他の令息たちに見せびらかしては歪んだ優越感に浸る。それがルベンの嗜みであり、性癖だった。


 ゲームの彼は、ルイーズをただの「都合のいい女」、もしくは「自分を着飾るためのステータス」としてしか見ていなかった。


「ねえ、聞いてる? あいつが死んだせいで僕が“お前”を引き受ける羽目になったんだから、僕の言うことはちゃんと聞いてもらわないと困るんだけど」

「ルベン殿下、あまりそのようなことは仰らない方がよろしいかと存じますわ。いつ、どこで、誰が耳を傾けているか分かりませんもの」


 苛立ちで引きつる口元を、手の甲でそっと隠す。そして、穏やかな笑みを目元に刻みながら、なるべく冷静に応じる。


「……痛っ!」

「おい、僕に指図するな」


 ルベンはルイーズの髪を乱暴に引っ張り、苛立ちをあらわにした怒声をあげた。

 他の令嬢なら、恐怖に震えてルベンの顔色を窺い、即座に従っていたことだろう。

 だが、ルイーズは冷静だった。否、冷静に“見せた”。


「これは失礼いたしました、ルベン殿下。どうかご機嫌をお直しくださいませ」


 頭を下げ、形ばかりの謝罪を口にする。


「……初めからそうしてろよ」


 満足げに鼻を鳴らし、どこか品位に欠けた足取りでルベンは庭園の方へと去って行った。

 そして、王子が加わってからのお茶会は、散々なものとなった。


 登場早々、見目麗しい二人の王子に令嬢たちは色めき立ち、彼らに群がるようにして会話を試みていた。だが、華やかなはずのその光景は、どこか薄っぺらく、滑稽にさえ見えた。


 レナルドと引き離されたソレンヌは、一人取り残されたように座り、遠くから彼が他の令嬢と談笑する様子を寂しげに見つめていた。

 その姿がどうにも見過ごせず、ルイーズは静かに彼女のもとへと足を運ぶ。


「ご機嫌よう、ソレンヌ嬢。差し支えなければ、ご一緒しても?」


 優しく声をかけ、彼女の隣に腰を下ろす。ソレンヌは驚いたように目を瞬かせたが、すぐに微笑み返した。

 ルイーズはソレンヌの緊張を解くように、丁寧に言葉を選びながら話しかけ、少しずつ距離を縮めていく。

 しかし、その穏やかな空気も束の間だった。

 現れたのは、またしてもルベン。まるで計ったかのようなタイミングで、天使の容姿をした悪魔が近づいてきた。


「おい、お前。僕の婚約者ならば、僕の傍にいろよ。おかげで馬鹿女たちの相手をさせられたじゃないか」


 ルベンはその言葉を吐き捨てるように言い放ち、冷徹な眼差しをルイーズに向ける。その瞳に宿るのは、ただの不満ではなく、自己中心的な支配欲と怒りだ。


「ルベン殿下、そのように言ってはいけませんわ。それに、わたくしは婚約者ではなく、他の御令嬢と同じ婚約者候補の立場でございます」


 ルイーズは淡々と、しかし確固たる意志を込めて答えた。冷静に言い返すことで、ルベンの剣幕を少しでも和らげようとしたが、それが逆に火に油を注ぐ結果となった。


「お前!また僕に逆らう気かっ!」


 怒声が響き、ルベンは思わず声を荒げ、右手を振り上げた。手は勢いよくルイーズに向かって振り下ろされる。


「きゃぁぁ」


 傍らでソレンヌが恐怖に震えながら声を上げ、その反応にルイーズも目を閉じた。心の準備をし、痛みに耐えようとしたが──


 一向にその痛みは襲って来なかった。


「やめるんだ、ルベン」


 思わず目を開けると、そこにはレナルドが立っていた。彼は冷静にルベンの振り上げた手を掴んでいた。


「今はお母様が開いたお茶会の最中だ」


 レナルドの言葉が空気を一変させる。辺りの令嬢や令息たちがその場の騒ぎに気づき、何事かと目を見開いて見守っている。誰もがその瞬間を目撃していた。


「くそっ」


 ルベンは苛立ちを露わにし、掴まれた腕を力任せに振り解いた。

 レナルドはじっと彼を見つめ、悲しげな表情を浮かべていた。


「レナルド様」


 ソレンヌが恐る恐る声をかける。


「ソレンヌ、怖い思いをさせたね」


 レナルドは優しく謝罪の言葉をかけた。ソレンヌは恐縮した表情を浮かべながらも、必死で微笑みを作る。


「い、いえ。わたくしは大丈夫ですわ」


 それに続いて、レナルドはルイーズの方へ向き、申し訳なさそうに頭を下げた。


「ルイーズ嬢にも、ルベンが迷惑をかけてすまない」


 その瞬間、ルベンは不安げな顔でレナルドを見つめる。しかし、ルイーズは目を伏せず、堂々と答えた。


「なんのことでしょうか。わたくしは謝罪されるような事は何もされておりませんわ」


 予想外の反応に、ルベンは一瞬目を見開き、驚いたように顔を上げた。レナルドも驚きと戸惑いを見せた。


「ルベン殿下は、わたくしの近くにいた虫を振り払ってくださっただけですわ。その際、傍目からは手を振り上げたように見えてしまったようですわね」


 ルイーズは首をかしげながら、困ったように表情を作る。その微妙な表情には、どこか計算された巧妙さがあった。


「むしろ、ルベン殿下のおかげでわたくしは害虫を避けることができましたわ」


 その言葉に、令嬢たちや令息たちは安心したように息をつき、再びお茶会の席へと戻っていった。

 

「どういうつもりだ。僕を庇ったつもりか?」


 ルベンは怒りを込めて言った。


「いいえ。理不尽を受け入れたわけではございませんわ。ですが、幸いわたくしは手を出されておりませんし、楽しいお茶会の場を壊したくないと思っただけですわ」


 ルイーズは冷静に返しながら、周囲の状況を確認する。大人たちは話に夢中で、子供たちの様子には気づいていないようだ。


「ありがとう、ルイーズ嬢」


 レナルドは静かに礼を述べた。


「レナルド!こんな奴にお礼なんか言うな!」


 ルベンが再び声を荒げる。目に怒りの炎を宿し、レナルドを睨みつけた。


「だけど……」

「うるさい!レナルドは僕よりこいつの味方をするのか!」


 ルベンの声が震え、怒りが増していく。レナルドはしばし黙っていたが、深呼吸をひとつしてから言った。


「僕はいつだってルベンの味方だよ。だけど、ルイーズ嬢に手を上げて怒られるのはルベンだ」


 その言葉に、ルベンの表情は一瞬固まり、しばらく沈黙が続いた。レナルドの目には、無言の説得が込められていた。


「レナルド……」


 ルベンは、しばらくしてようやく呟くように言った。


「僕は怒られるルベンを見るのは嫌だ」


 レナルドの目には哀しみと共に決意が宿っていた。彼の言葉は、今はまだ幼い二人の心に深く突き刺さった。


「わかったよ。僕もレナルドを悲しませたくないし、嫌われたくない」


 ルベンの言葉は、心の中で一番大事な部分に触れられたような気がした。彼の言葉には、まだ六歳の少年らしい素直さと、悲しみがにじみ出ていた。

 二人のやり取りから、心の奥に隠された深い闇が見え隠れしていた。それが、二人を歪んだ性格に変えてしまったのだと感じさせられる。


 レナルドはルベンを連れてお茶会を後にする。

 その後をついて行きたそうにソレンヌが見ていたが、ついていける雰囲気ではなく二人を見送った。


 四半刻後、二人は再び戻ってきた。今度は、最初に会った時のように、無邪気な笑顔を見せていた。まるで何もなかったかのように。

 残りのお茶会では、二人は悪戯を繰り返した。

 令息令嬢たちに、どちらがレナルドでどちらがルベンかを当てさせるゲームは可愛らしいものだった。だが、すぐにエスカレートし、嫌がる令嬢に虫を捕まえて見せたり、令息令嬢たちに無理難題を吹っかけたりしてしまい、ついには泣かせてしまった。

 結局、この日のお茶会はお開きとなった。


 色々あったが、ルイーズはソレンヌという友人を得ることができた。そして、後日、ソレンヌの邸に招待されることとなった。

 お茶会は最悪のものであったが、ルイーズは心から満足そうな表情でコーデリアと共に帰路についた。

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