一度だけ
ここにひとりの駆け出し錬金術師がいる。
先日『錬金術師養成学校』を無事卒業し、<錬金術師>資格を得た新米だ。
彼の名をテリー・ルクファという。
「テリー!遅いぞ!」
先輩に叱咤される。工房の朝は早い。
新米のやる事は一に蒸留水の精製、二に蒸留水の精製、三に蒸留水の精製だ。
蒸留水はありとあらゆる薬や錬成の要となるもの。
これの善し悪しでその錬成が左右されると言っても過言ではない。
テリーが就職した、ここ、ナタヤ工房は、歴史の古い、薬を主に扱う店だ。
持ち場につき、蒸留水の精製を始める。朝6時から夕方6時まで、黙々と行う。
その後は住み込みの錬金術師達が持ち回りで夕食の支度をし、風呂に入ったり、勉強したり、各々自由に過ごす。
テリーは主人に許可を取り、錬成の練習をしていた。
今日は<瑞兆花>を作るつもりだった。
材料は、白百合、火の妖精の羽、蒸留水、薬草だ。
錬成といっても、魔法のように、ポンッと出来上がるわけではない。
地道に材料を計り、フラスコやビーカーやら温度計やらを使い、作業する。
果たして、ツヤツヤとした葉を持つ、見た目がくすんだ黄色の百合の花が完成した。
―見た目は成功だな…とテリーは思った。
この<瑞兆花>はお守りのような効力を持つ。
飾っておくと、災難から守ってくれ、なおかつ、幸運を呼ぶ、というものだ。
テリーは出来上がった<瑞兆花>を早速、自室のテーブルに飾った。
「良い事、あるといいな」
呟いて、ふぁわっとあくびがでた。
―明日も早い。寝よう。
テリーは何となく<瑞兆花>に「おやすみ」と声をかけた。
電灯を消し、ベッドに身を横たえると、あっという間に眠りに引き込まれた…。
工房に来て、半年が過ぎた。
試験だ。これをクリアーすれば、蒸留水作りからは卒業し、薬の調合―まだ簡単なものではあるが―を任されるようになる。
課題は<悪夢払い>。
必要な物は、バクの毛、水の妖精の羽、リリベア(低級の魔物である)の涙、蒸留水だ。
試験内容には材料採取も含まれる。
テリーと同時期に工房に就職した者達とともに、近くの森へ向かう。
まずはバクの毛。
彼らは大人しい生き物なので、簡単に採取出来た。次にその森のなかの清流のそばで待機。ひたすら待機。ふわふわと現れた空色の髪の毛を持つ、水の妖精を特殊な捕虫網で捕らえる。「ごめんね」と言いながら、羽をむしる。
しばらくしたら、再生するとはいえ、心が若干、痛む。
最後はリリベアだ。
彼らは大型の犬のようなサイズの魔物で、特に人間に悪さをしない。草食な為、たまに畑が荒らされる事があるが、目立って酷い事はしない生物である。
簡易の結界魔法を張り、かかったところを捕らえた。またしても「ごめんね」と言いながら、その前足に針を刺した。キーッと声をあげ、ポロリと涙をこぼす。それを上手く瓶に受け止められた。
集めたそれらを持って、工房に戻る。さぁ、錬成開始だ。
…。
果たして、ツヤツヤとした黒い丸薬が完成した。
それを主人に提出する。
これらの薬は、悪夢症に悩んでいるお客達の中から、協力してくれる人物に無償で渡される。
結果は一週間後だ。
テリーは自室に戻った。
テーブルの上では<瑞兆花>がまだ頑張っている。
通常、ふた月程で枯れてしまうはずなのだが…。
テリーはふと思い出した。
確か<瑞兆花>を原料にする薬があったな…。
本棚を探し、<薬学史>を取り出す。
…作ってみよう。
果たして、錬成は成功したように思われた。
<明けの明星>だ。
瑞兆花と火の石、金粉で作る、魔法石だ。身に付けていると一度だけ、持ち主の身代わりになってくれる、という代物だ。
こちらも主人に提出した。
一週間後。合格者の名前にテリーの名前があった。
明日からは晴れて、薬の調合が出来るようになる。
静かに喜びを噛み締めていると、主人から呼び出された。
何だろう?と思いながら、部屋を訪ねた。
そこには、粉々になってはいるが、<明けの明星>が置かれていた。
主人は言った。
「テリー、君のおかげで助かったよ。」
主人は先日、人魚の真珠を採取しに、冒険者二人とともに、海へ行った。
人魚の真珠はレアアイテムだ。採取はかなり難しい。主人は海に引きずり込まれた。
クスクス笑う人魚。その獰猛な笑みに死を覚悟したが...<明けの明星>が砕け散り、隙が出来た。
採取は諦めざるを得なかったが、冒険者共々、無事帰って来れた。
「感謝するよ。そのお礼と言ってはなんだが、望みはあるかい?」言われて、テリーは迷ったが、「では」と言った。
それを聞いた主人は目を丸くしたが「良い心がけだ」と朗らかに笑った。
更に一週間後。
特別試験の結果が発表された。
結果は合格。
テリーは喜んだ。
あの時、テリーが頼んだ事は、半年後に行われる試験の前倒しだったのだ。
―頑張ろう!
テリーはそれまでにも増して、努力した。
数年後、独り立ちする事になったテリーは様々なものに感謝した。
厳しくも優しかった先輩、
見守ってくれた主人、そうして...「ずっと見守っててくれて、ありがとう」
あの時、花を一輪だけ、材料にした<瑞兆花>は、なんとまだ咲き続けていた。
一度だけ、作ったこの花が幸運を運んできてくれたのかもしれない。
その後、テリーは錬金術師として、様々な人々を助け続けた。
彼がうつる写真にはどれも、くすんだ黄色の百合の花が傍らに置かれていた...。