第二話 プロローグ 2
家族も死んでしまっていたというショックからしばらくの間その場に佇んでいた青年であったが、女神に促されるままに歩みを進め始めた。
どのくらい歩いたことであろうか。辺り一面は変わらず真っ白な空間のままであったが、先ほどから変わっている部分もあった。足元である。青年が初めにいた場所はコンクリートのような感じであったが、今では砂浜のようなサラサラとした感じへと変わっていた。
「さて、少しは落ち着きましたか。」
「ええ。もう大丈夫です。」
「そうですか。おっと、見えてきましたよ。あれが貴方を異世界へと送るための施設です。」
そう言って女神は遠くの方を指差した。青年がその指の先を見ると、確かに建物らしきものがかすかに見えた。
「まだ結構ありますね。異世界行くのって結構大変ですね。」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけどね。まあ見ててよ。」
女神はそういうと再び手に光を纏わせ始めた。そして二度短く手を叩くと、先ほどまでかすかに見えていた建物が消えた。
「えっ?」
「あっ、ちょっとだけ離れて。んーもうちょっと。あと3歩くらい後ろかな。」
青年は何かとてつもなく嫌な予感がした。そしてなんとも悲しいことにその予感はすぐに現実のものとなった。女神が両腕をゆっくりと胸の前に伸ばし、腕を横に広げた。
「それじゃあー行きますよー。 よっと。」
「ちょまっ」
女神が勢いよく手のひらを重ね合わせ、パンッといい音がした。
次の瞬間ッ―――
とてつもない衝撃とともに先ほど見た建物が二人から五十メートルほど先に現れたが、舞い上がった砂によってすぐに見えなくなった。
「うおっ!」
いきなり巻き上がった砂ととてつもない強風に青年は耐えられず後ろにゴロゴロと転んでしまった。口の中がジャリジャリする。
青年はあまりの衝撃に腰が抜けてしまったのか立つことができずに座り込んでいる。辺りが舞い散った砂でほとんど見えない中、青年は先程まで自分がいたであろう方向を向いて立ちあがろうとしたが、能天気な女神の声が聞こえてきて動きを止めた。
「いやー。酷い目にあったよ全く。一体誰の仕業だろうねー。」
青年はどの口が言うんだと思ったが、女神が心を読めることを思い出してすぐに忘れようとした。
「ふーん。まあいいや。」
そう女神が呟き、指をパチリと鳴らした。するとどうしたことであろうか。一メートル先も見えないほどにもうもうと舞っていた砂が一瞬にして晴れたのである。そして、青年の目に真っ白な教会が飛び込んできた。
その教会は、外観の色は周囲の景色と同じであっても材質は違うようであった。一眼見ただけでも、石や煉瓦、木のようなものが使われている。何でできているか検討もつかない箇所があるかと思えば、建材同士が融合している箇所やパラパラと何かが崩れ落ちている箇所もある。そんな理屈の外側の建物に青年は混乱した。
「…はっ?」
「グフッ。フフフフフ。」
青年は本日何度目かになる呆然とした顔を浮かべたまま片膝立ちで固まっていた。女神は青年の顔がツボにでも入ったのか、クスクスと笑いを堪えきれずにいる。
ようやく青年が復活して立ち上がると、 ―いつ笑うのをやめたのだろう― 女神は青年に手招きをしている。青年は服についた砂をパンパンと払い落として、女神の側にゆっくりと近づいていった。
「さて、ようやく着いたね。」
「いや、もう何も言いませんよ。…僕歩く理由あったんですか?」
「さぁ。」
「さぁ、って貴女女神ですよね。しっかりしてくださいよ。」
女神は無言でニコニコと微笑んでいる。
「で、この施設で転移するんですか。 …はっ!まさかこれも演出ですか!?」
今までの女神の所業を思い返して、青年は嫌な考えを思い浮かべてしまった。
「いやコレは本当。」
「ほっ。ならいいです。」
「まあ、ひとまず中に入ろうか。」
そう言い二人は教会の中に入っていった。教会に入ってすぐ青年は驚いた。教会の中は外とは違い水晶のようなものでできていたからだ。二人は、時折キラリと輝く水晶で舗装された道を進んでいく。しばらく進むと、大きな両開きの扉が見えてきた。軽く五メートル以上はありそうである。その扉には天秤を持つ人と蔓植物が描かれていた。
「おい、これってさ。」
「さぁ、扉を開けてください。」
「話聞けよ、残念美人。」
「うるさいですね。早く入ってくださいよ。」
どことなく不貞腐れたように女神が言い、青年は肩をすくめて扉を開けた。次の瞬間青年の目に飛び込んできたのは、少し低くなった床に描かれていた巨大な魔法陣であった。大体直径が十メートルくらいであろうか。青年はその大きさに足がすくんで動けなくなった。
女神は扉が開くと同時に歩き出し、水晶でできた三段の階段をスタスタと降りていった。階段を降り魔法陣の淵まで歩くと女神は立ち止まり振り返って青年を見た。
「さあ、あの魔法陣の中心まで進んでください。」
女神の言葉に青年は我に返り、ゆっくりと一歩ずつ魔法陣に近づいていった。青年は魔法陣を近くで見て、初めてそれが床に直接彫られていることに気がついた。魔法陣の淵で青年は立ち止まり女神の方を向いた。
「魔法陣ってそのまま踏み込んでも大丈夫ですか?」
「あー。大丈夫大丈夫。そのまま歩いてってもらって問題はないよ。」
「ならいいです。」
青年は一礼をして魔法陣の中に足を踏み入れた。そのままスタスタと歩いて魔法陣の中心にたどり着き、青年は女神の方を振り返った。
「着きましたよ。で、僕は何をすればいいですか?」
「特にすることはないかな。あー、一つだけあるね。私が手を叩いたら目を閉じて欲しいんだ。次に目を開けるのは向こうの世界についてからだね。心の準備ができたら言ってね。」
「分かりました。」
青年は一度大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりとゆっくりと息を吐き出した。
「いいですよ。準備できてます。」
「分かりました。では始めます。」
女神は、今までのヘラヘラとした態度を止め、真面目な顔持ちになった。パンッと女神が手を叩くと同時に青年は目をつぶる。すると、今までただの模様と化していた魔法陣が白く輝き始めた。青年は目を閉じていてもなお感じる眩しさに、さらにギュッと目をつぶった。魔法陣が全て輝きを放つと、今度は小さな光の粒がプカプカと浮かび始めた。
女神は青年がしっかりと目をつぶっていることを確認すると、言葉を紡ぎ始めた。
「我はここに世界の扉を開く者なり。我が名― ■■と■■を司る神、■■■■■■の名―において命じる。異界との間に道を開き、かの者― ■■■■―を約束されし地へと導きたまえ。」
青年はノイズがかかったように不自然に聞き取れないところがある女神の声を不審に思ったのか首を捻った。女神はそれを無視して言葉を紡ぎ続ける。
魔法陣から溢れる光の粒は女神の言葉につられて輝きを増し、次第に青年の周りを半球を描くようにゆっくり回転し始めた。青年の姿が見えなくなるほどに光の粒が現れると、新しく光の粒は出てこなくなった。
「我は祝福する。かの者の新たなる門出を。
我は讃える。かの者の魂の輝きを。
故に我は宣言する。
汝を我が加護を受けるに値する者と認める。」
女神の宣言と同時に、青年の周囲を漂っていた光の粒が一斉に青年の胸に向けて飛び込んでゆく。光の粒は殆ど青年の中に入り込んだ。入りきらなかった光の粒は青年の足元に小山を作り、次第に輝きを失っていった。
光の粒の奔流が収まると、女神は一際荘厳に言葉を紡いだ。
「我が祝福を受けし者、今異界へと旅立つ。
…汝が旅路に幸あらんことを。
いざ行かん。祝福されし『勇者』よ。
世界の扉よ、今こそ開かれん。」
女神がそう告げると同時に魔法陣は輝き出し、一瞬で周囲一帯を真っ白な光で染め上げた。
光が収まるとそこには青年の姿は無く、光の粒の残骸が小山を作っているだけであった。
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「行きましたか。本当にこれで良かったんですか?」