死神先生は美化娘を乱したい。
――冷静になればなるほど、自分は被害者である。
そう確信した死神は、からだを拭くのもそこそこに、少しだけ丈の短い愛日兄の服を着込む。そしてぱーん!! というすさまじい音を立てて、愛日の気配がするリビングの扉を開けた。
「ちょっと痴女ぉ!」
「あっ!」
「えっ、な、なにさ……??」
彼女が突然あげた咎めるような声に、死神の勢いは、いともたやすく半減する。
「髪の毛がびしょ濡れじゃないですか」
なぜだか愛日から、ぷんこぷんこ、という不思議な効果音が聞こえ、死神は目を丸くした。少女はすっ、と死神のわきをすりぬけるように洗面所の方角に向かい、速やかに戻ってくる。その死神よりもふっくりとした小さな手には、ヘアドライヤーが握られていた。
そしてリビングの窓際に配置されたソファまで、すたすたと歩いた愛日は、ヘアドライヤーのコンセントを壁の電源タップにじゃこっ、と接続してから、死神へ向かい手招きした。
「ここへかむ、です、先生。私が乾かします」
「……いや、その……はい」
有無を言わさぬ様子に、死神が折れる形となったのである。
ソファに座った死神の髪に、丁寧な手つきで温風を当ててゆく愛日。
細く柔らかな指が、死神の髪を優しく、優しく梳く。
響くのは、ヘアドライヤーの稼働音だけ――。
そのような状況がいたたまれなくて、こそばゆくて。
死神は憎まれ口を叩いた。
「あんたさぁ、圧と我が強すぎ。よくガッコでやってゆけるね?」
「……ひとり、でしたよ」
「え、」
「先生は把握されていなかったんですね。上手にできないです。特に、女の子はむずかしくて。独特のルールとか、私にはとても読めません」
愛日の口調から、周囲の彼女に対する風当たりの強さは容易に想像できてしまう。
それはどこまでも穏やかな、絶望と諦念だった。
絶句する死神に、愛日はぽつぽつと続ける。髪は乾かしおえたらしく、ヘアドライヤーの電源を、彼女は静かに切った。
「だから、すきなこと、善いことに振りきってしまおう。そんな風に思って、今の活動をはじめたんです。偽善者、って言うかたも多かったですけど」
寂しげに言う愛日に、死神は辛抱ならず、彼女の華奢な肩を掴み、まくしたてる。
「おれは! あんたのこと、おもちゃだって思ってるよ!!」
「はい……?」
「いいから聞く! 思い通りになんなくて、もやっとはするけど、なんかわくわくして、うずうずして、ほっとけなくて。もっと、もっと傍に置いときたいし……っ!」
そうして上目遣いに、死神は愛日を見つめた。
「あんたは真性のお節介で、偽善者なんかじゃないよ……」
その言葉に、愛日はうつむいて、そして。
「フォローしているのか貶しているのか、よくわからない言葉ばかりです……」
花が綻ぶように、微笑った。
「あ、あんた、笑えたの……!!?」
手を震わせながら、愛日を凝視する死神がツボだったらしく、愛日はころころと笑いだした。
「ふふふ、先生、幽霊でも見たようなお顔!」
「ちょっと、ウケすぎでしょぉ!」
ひとしきり笑ったあと、愛日はきりっ、と表情を戻した。
「大変申しわけないです落ちつきました」
死神は彼女の、あまりの切りかえの早さに、目を白黒させる。
愛日と出合ってから、振りまわされ、乱されてばかりだ。
でもそれが、なぜだか不快には感じない。
この思いの名がなんなのか、彼はまだ知りえないけれど。
にっ、と口の端をつりあげ、彼女へびしっと宣言した。
「決めた! いつかあんたのこと、おれからもっともっともーっと、乱して乱して、乱しきってやるから!!」
「ヒェ……、案件ですか、通報しても?」
「違ぁああぁう!! スマホ掲げるなし!!」
――その日が訪れるのは、当分先になりそうである。
【了】
ここまであたたかくお読みいただきまして、本当に本当に、どうもありがとうございました!