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第三話 殺意

―― 刺さり続けた小さな棘 第十二話 ――――


――それは、ある晴れた日の出来事。


 就職してから半年くらいが経とうとしていたある日の夜。ある高校時代の友人から、同じく高校時代に仲のよかった友人の上野(うえの)優菜(ゆうな)が引っ越しをするから、手伝うという名目でみんなで押しかけないかなんてメールが来て。どうやら彼女、新しい職場の近くにアパートを借りて引っ越すみたい。いままでずっと新人研修で研修所に寝泊まりしていてたんだけど、その研修も終わってようやく配属先も決まったから、その近くで一人暮らしをするんだって。

 正直、その話を聞いたときは、いままでずっと新人研修だったの?、っていうか、ずっと寝泊まりしてたって何?、なんて思ったんだけど。だってもう、入社してから半年よ、半年。新人研修なんて普通一二週間で、職場で仕事をしながらするんじゃないのと、そう思ったんだけど。


……えっと、他の友人たちに聞いたら、意外とまちまちで。私と同じように一二週間の子もいれば数か月とかいう子も結構いて。結構会社によって違うんだと、久しぶりにみんなで笑いあう。


 そんなわけで、優菜の引っ越しの手伝いと、あとちょっとしたお祝いをしようなんて話が持ち上がって。週末に高校時代の友人四人で、駅から少し離れた所にある2DKの部屋にお邪魔する。


「へぇ~、意外と良い部屋じゃん?」

「ちょっと狭くない?」

「……この部屋に会社のお金で住めるのはズルい」

「別にワンルームでも良かったんだけどね」


 部屋の中にみんなでぞろぞろと入りこんで、当の優菜も交えて好き放題なことを言いながら、まずは部屋の中でくつろいで。じゃあとっとと片付けて宴会だなんて言いながら、部屋の片隅に積まれた段ボールと戦い始めて。意外とあっさり片付いて。

 夕飯を食べに出て、お酒とツマミを買って部屋に戻って、カンパイして。気がついたらみんなで雑魚寝してて。


「ありがとー」

「いやぁ、むしろ邪魔しちゃってない?」

「全然! 助かったよ」


 そうして次の日の朝、飲み会の後片付けをしてから、彼女の部屋をおいとまして。バイバイ、さよならと、みんなで彼女に声をかけあって。うん、久しぶりに高校時代の友人たちとの楽しい時間だったね。


「じゃ、私こっちだから」


 彼女の部屋から少し歩いた先の、信号のある交差点で。今まで一緒に歩いてきた友人たちに、そう声をかける。


「あれ? 瑞葉(みずは)、駅こっちだよ?」

「ううん、こっちの駅の方が楽だから」

「……おお、ハイテク」


 来た駅と違うところに帰ろうとする私に声をかけてきた友人に、あらかじめケータイで出しておいた地図を見せる。来た時に使った駅でも帰れるけど、ちょっと遠回りになるんだよね、一回街中にまで出て乗り換える形になっちゃうからね、できれば避けたいよねと、そんな風に説明をする。


「そういえば瑞葉っち、携帯変えたんだっけ?」

「あれ? 就職したら普通、変えない?」

「……瑞葉、たまにオタクが入るよね」


 別れ際、信号待ちの間にそんなことを話し合って。……うん、ちょっと聞き捨てならないね、オタクってどういうことって聞いたら、普通は就職したくらいでケータイは変えない、就職直後にメアドが変わったの瑞葉だけ、なんて言われて。一斉に頷かれて。えー、だって、高校の時のケータイなんてオモチャじゃんなんて、そんなことをワイワイと言い合ってから、みんなと別れて。

 一人で少し歩いてから、やっぱりみんなと一緒に帰れば良かったかななんて思ったけど、後の祭り。ケータイの小さな地図を見ながら、頑張って、目的の駅までたどり着こうとする。


 そうして、大通りから一本中に入った小さな道から、聞き覚えのある声を聞いた気がして、足を止めて。少しだけ悩んでから、そちらの方に足を向ける。


――それは、ある晴れた日の出来事。瑞葉はその日、いままでずっと会ってきた人の、表の顔に初めて出会う。


 それは、今まで会ってきた彼と同じ顔で。今まで彼に会ってきた自分には見せたことのない、あたたかで幸せに満ちた表情を浮かべていた。


―――――――――――――――――――――――


 書きあがった文章を読んで、違和感を感じたところを修正して。もう一度読み直しては修正する。そんな地道な作業を黙々と繰り返していた影仁(かげひと)は、ようやくある程度満足したのだろう、修正した文章をファイルに保存してから軽く背伸びをして。少し暖かいものを飲もうと席を立つ。


――やがて、笛吹きケトルのピーという音が、小さなワンルームの部屋の中に鳴り響く。


 ガス台の前でお湯が沸くのを待っていた影仁は、素早く火を止めて、あらかじめ準備してあった急須にお湯を入れて、少しだけ時間を置いて、少し大きめの湯飲みにお茶を注ぐ。多分貧乏症なのだろう、もう一回、急須にお湯を継ぎ足してからお盆に乗せて、パソコンデスクまで運ぶ。再び椅子に座って自分の入れたほうじ茶をずずずと飲み込んで。これぞ男の一人暮らしだねぇなんて思いながら、張りつめていた気を解きほぐす。


 そうして、休憩を終えた影仁は、再び筆を執る。ただ黙々と、今書いている文章が物語となる、その時まで。


―――――――――――――――――――――――


 瑞葉が足を向けた先にあるのは、静かな住宅街の一角。小さな敷地に建てられたありふれた一軒家の玄関の前で、つい今ほど出てきたであろう一つの家族の姿を、彼女は交差点の反対側から、ぼんやりと見続ける。


――それは、どこにでもある、なんてことはない家族の風景。


 初めて見る家の前であの人は、元気そうに歩きまわる子供に話しかけて。その子供も、じっとしていられないとばかりに玄関の前を行ったり来たりしながら、父親の言葉に耳を傾ける。


――もう少しでママも出てくるからおとなしくしてなさい、はーい、そんなありふれた幸せに、瑞葉の心は凍てついて。


 やがて、再び玄関の扉が空いて。先ほどの子供よりも少し年上の女の子と、その女の子と手をつないだ「ママ」が出てきて。おまたせ!、おそーい!、こら、わがまま言わないのと明るく言い合う言葉が、耳を通して身体の中へと入ってくる。


 目の前にある、どこにでもあるような幸せ。でもその幸せは、まるで目の前に壁があるかのようにはじかれて。立ち止まって、身動きすることも忘れて。やがて、たまたまこちらの方を見たであろう門人(かどひと)が、私の方に気が付いたのだろう、とっさに目を反らす。その映像が、久しぶりに見るアノヒトのそんな態度が、私の心をどこかに吸い寄せる。


――ははは、ははははは。瑞葉の心が軋んで嗤う。


 こっちを見ない門人の方に顔を向けて、身体を向けて。一歩、前に進んで。

 バッグのひもを固く握りしめて。

 もう一歩、前に進んで。

 門人の方を見て。

 アノヒトの方だけを見て。


 近づいてくる車の音も、

 こちらを指さして慌てる子供の姿も気にも留めず、

 ただアノヒトだけを見て。


 このヒトは、

 このヒトはと、

 さらに一歩、

 前に

 進む。


「……ない!」


 子供の叫びは見えない何かに弾かれて。吸い寄せられるように、さらに一歩、前に進んで。はははは、はははと心が嗤い続けて、塗りつぶされて。


 塗りつぶされた心が染まって、染まったまま歩いて、ああ、きっとワタシハアノヒトヲコロ……


――吸い寄せられるように歩く瑞葉と、その視線の先の一家団欒とを分け隔てた住宅街の小さな交差点で。日常と非日常をかき消すような甲高い音を立てながら、一台の軽自動車が瑞葉の目前にまで迫って。彼女の少し前で、かろうじて停止する。


「危ないわね、気を付けなさいよ!」


 運転席の女性が窓ごしにこちらを見て、こちらに怪我がないことを見てとったのだろう、少し甲高い声でと叫んで走り去って。その様子をぼんやりと眺めて。遠ざかる車が見えなくなって、全身から力が抜けて。その場にかがみこんで。


「……じょうぶ?」


 そんな子供の声がすぐ目の前から聞こえてくる。気が付けば、すぐ目の前にかがみこんで、心配そうにこちらを見ている女の子。大丈夫、ごめんなさいと返事をして立ち上がって。もう一人の子供と、女の人もこちらに駆け寄ってくるのをぼんやりと見る。


「お怪我はありませんか?」

「はい、大丈夫です。ご心配をかけてごめんなさい」


 その声はとても優しくて。それでも。きっと私はここにいてはいけないと、すぐにその場を立ち去る決意をする。――今も目をそらして玄関の前に立ち尽くすことしかできないようなヒトなんかほっとけば良い、私の居場所はここに無い。だから早く、少しでも早くこの場から立ち去らなくてはいけない、と。


――アノヒトなんかどうでもいい。だけど、あの人たちをこれ以上見てはいけない。これ以上見たら戻れなくなる。私の心がそう悲鳴を上げていた。


―――――――――――――――――――――――


 影仁はキーボードを叩いて、筆を走らせる。文を紡いで、読み返して、消して、削って、書き加えて。タタタと音を立てながら、一つの感情を文字にしていく。それは、最初は影仁の「考えた」文章で。やがてそれは、影仁が「抱いた」感情が込められた文章になっていって。いつしかその文章は、まるで影仁の心の中に住む瑞葉の感情を代弁するようになっていって。


 筆を走らせて、見直して。影仁は文章に、どこまでもひたすらに、感情を込めていった。


―――――――――――――――――――――――


 閑静な住宅街を、その景色をゆがませながら、瑞葉は一人歩く。深呼吸しては先ほどのことを思い出して。顔を拭いては、あの人のそむけた視線を思い出す。


 どうすればいいかなんてわかり切っていた。そんなこと、昔からわかってた。それなのにどうすればいいかわからない。昔からずっとそうだったと、同じことをグルグルと考え続けて。それでも……


――もうダメだ。もうこれ以上はダメだ。そんな考えだけが、繰り返し頭をよぎる。


 あの時、私はアノヒトの姿を見て、何を考えた。あの時、あの人たちを見て、何を考えた。わかっている、あの時、ずっと目を背け続けたアノヒトに、何も期待することなんて無いことは。何より私は、確かにあの時、門人に――を抱いたのだから。

 ああ、うん、そうだ。あの時、何かを考える余裕なんてなかったけど、あれは確かに、そういう感情だった。


――あんなのはもう嫌だ。こんなのはもうたくさんだ。……なのに、どうして同じことを考えるのか。もうダメなのに。なのにいつまでも、いつまでも。


……それでも。自分の中の、自分を縛り付けていた何かがちぎれ散ったことを、瑞葉は心の片隅で、確かに感じ取っていた。


―――――――――――――――――――――――


 そうして、影仁は何度も繰り返し推敲をして、少しずつ、その「何か」を文章に込めていって。最後の最後まで推敲をして。


 そして、いつものように投稿をする。


 いつものように食事をとって、風呂に入って、一息ついて。小説投稿サイトやSNSを巡回して。そのどちらにもコトノハの感想が書きこまれていないことを確認した影仁は、そのことをほんの少しだけ残念に思いながら。まあでも、今日の話は感想を書きにくいよねなんて思いながら、いくつか書き込まれた感想に返事をしていった。


  ◇


 その日、影仁は夢を見る。


 それは、今までに何度も見た夢で。

 その夢の中は、今までに何度も味わってきた生々しさで。


 今までとは違う、突き刺すような痛みに、影仁は声なき悲鳴を上げる。


 今までとは違う、鋭い感情にその身をさらされながら。

 それでも、魅入られたように文字の羅列を追い続ける。


 それはきっと、あの人を見て抱いた――で。

 それはきっと、あの子を見て逃げ出して、抱かずに済んだ――の欠片で。

 軋んだ嗤い声が癒しの音を消し去って、感情が、殺意が身体に突き刺さる。


 血を吐き、赤く染まり、色を無くし。

 黒く染まった世界に一人、嗤いも癒しも、全ての音が遠ざかり。

 文字の羅列も、軋んだ嗤いも癒しの音もなくなって。

 苦しさも、刺さった痛みも読みたいという心もどこかに消え去って。


 何もない世界で、全てが去って無になった夢の中を、影仁はゆらゆらと漂い続けた。



 次の日の昼過ぎ、いつもよりも遥かに遅い時間に目を覚ました影仁は、まあ今にして思うとあの最新話、書き上げるのにちょっと無理してたかなと、そんなことを思いつつ、いつものようにパソコンに電源を入れる。


 そうして、SNSの方に届いていたコトノハからのメッセージを見て、ほんの少しだけホッとする。


 今回の連載を始めてから見るようになった不吉な夢。今までは非科学的でバカバカしいと自分に言い聞かせていたけど、昨夜に見た夢はさすがに思うところがあって。それだけに、コトノハからのメッセージが、いつも以上に心に響く。まるで彼女から直接ありがとうと言われたような、そんな気持ちになりながら、影仁はキーボードの上に手を置いて、メッセージの返信を入力し始める。


 コトノハから届いた、「こんな表現を使っていいのかわかりませんが。面白かったです」と短く書かれたメッセージに対する返信を。

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