(5)
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「で、本当に心当たりないんすか?呼び出される理由」
「ない」
王都に存在する、国内警備部隊本部の建物内。
赤いカーペットがひかれた重厚感のある廊下を、セレスティアはレイと共に奥へと進む。
「清々しいくらいに言い切りますね、隊長…。あんた、先週も呼び出されたことをもう忘れたんすか?」
苦々しい顔をしたレイに対し、当人はそれを全く気にしていないのだろう。
セレスティアはレイの顔を見ることもなく、ただひたすらに前に進む。
身長は10cm以上差があるのに、セレスティアの歩く速さはレイよりも少し早い。
それは今日に限ったことではなく、国内警備部隊 第一隊隊長という肩書をもつセレスティアにとっては、当たり前のことだった。
「俺、まーた隊長の尻拭いで報告書書くのとか嫌っすよ!?ちゃんと自分で書いてくださいね!!」
「あーもう、うるさい。第一、向こうから手を出してきたんだから、こっちは正当防衛だろう?なんで私が報告書なんてかかなきゃいけないんだ」
それらの報告書のほとんどが、城下町での暴力沙汰だ。
ちなみに、先週のお呼び出しの内容は『酔っ払いに絡まれた女性を助けるため、という理由で殴った男が王国の重役だった』というものだ。
手を出されそうになったところを返り討ちにしたため、先に仕掛けたのはこちらではない。
と、セレスティアは言い訳し、部隊長にブチギレられたのは記憶に新しい。
「正当防衛とか…よく言いますよ。肩を掴まれて反撃に出た結果、腕一本、肋骨三本を骨折させて、全身打撲。あぁ、歯も二本ダメにしたんでしたっけ?向こうがいくらゲスのタヌキ親父だったとしても、さすがにやりすぎっすよ」
そして毎回副官として呼び出される俺の苦労も知ってください、と、心底呆れたような声でレイは唸る。
セレスティアやレイが所属する国内警備部隊は、第一隊から第三隊までの3つの中・小隊から成り立つ。
総勢60名が在籍する第一隊の隊長を担っているのがセレスティアで、その右腕としてサポートする副官がレイだ。
女性ながらに、兵士の育成機関をわずか半年で、しかも歴代卒業生の中でもトップクラスの成績で卒業したセレスティアは、戦闘や戦術に関しては随一の腕を持ってる。
しかし、書類整理や報告書の作成、いわゆる雑務とよばれる仕事は驚くほど全く進まない。
そのため、仕事における書類に加え、月3〜4のペースで提出が求められるセレスティアがおこした騒動の報告書まで、レイが担っているのだ。(押し付けられている、ともいう)
レイも、セレスティアが理由もなく暴力を振るう人間ではないことも知っているし、拳を上げた時は大体向こうが悪いのも分かっている。
だから、痛い目にあった相手に同情はしないのだが。
(やりすぎるとそれが上まで報告されて、結果的に俺が処理する仕事が増えるんだよなぁ…)
すこしくらい彼女の尻拭いをさせられている自分を案じて欲しい、と思うのは罰当たりじゃないはずだ。
セレスティアは反省を全くしていないような表情で、淡々と話す。
「…別に、ちょっと投げたら折れちゃっただけだ。最初から骨折させようなんて思ってない」
「そんな皿を落としたら割っちゃった、みたいなテンションで言われても…」
副官のため息は止まらない。
そんなやりとりをしているうちに、二人は立派な扉の前に到着した。
ネームプレートには、“警備部隊 部隊長室”。
その下には、この部屋の主である“ジュラルディ・ダント“の文字が刻まれていた。
コンコン……
「失礼いたします。警備部隊第一隊 隊長、セレスティア」
「同じく第一隊 副官、レイ・ヴァルヒルン。部隊長の命により、参上致しました」
「入りなさい」
2mは超える重厚感のある木材の扉の奥から聞こえた、低音の声。
セレスティアはゆっくりと息を吐き、その扉を開けて中へと入った。
「お呼びでしょうか。部隊長」
部隊長と呼ばれたその男ーージュラルディ・ダントは、外見を一言で言えば“ダンディーなオジサマ”だ。
オールバックにしながらも、ワックスですこし遊ばせている黒髪に、整えられた清潔感のある髭。
紺色の軍服は程よくついた筋肉のラインを引き立たせ、40を過ぎた今でも現役であることを示している。
伊達にこの国の警備部隊長を名乗ってはいないことは確かだ。
「あぁ、休みの日に悪いな。大事な話があってレイに探させたんだ」
ご苦労だった、とレイへ労いの言葉をいうと、レイは45度に頭を下げた。
「大事な話……ですか」
てっきりお小言だと思っていたセレスティアは、虚を突かれたように目を瞬かせる。
「ん?なんだ、その意外そうな目は」
「いえ…」
「…また説教の呼び出しだと思ったか?というか、その心当たりがあるのか?」
「いいえ「先程、城下町でやらかしたようです」
セレスティアとレイが同時に正反対の答えを返す。
(こんの、、馬鹿!!)
レイはセレスティアと目を合わさずに、シラーッとした態度で淡々としている。
いつも苦労をかけられているのだから、これくらいの仕返しくらい、許されるだろうという顔だ。
「はぁ……まったく。お転婆なのは今も昔も変わらんな」
ジュラルディの言葉にセレスティアはピクリと肩を震わせ、微かに表情を硬らせる。
「……いえ、変わりましたよ」
掠れた声だったが、その小さな呟きは隣にいるレイにも、少し離れたジュラルディにも届いていた。
「それで、部隊長殿。わざわざ休みの日に部下を使ってまで私をお呼びになった件とは、一体何でしょうか」
先ほどの空気を霧散させるかのように、いつもの第一隊隊長の顔に戻ったセレスティアは、多少の嫌味を交えながらジュラルディを見る。
その目には、「さっさと話せ」と上官に向かっては些か過激すぎる剣呑さがあった。
「あぁ、本題に入ろう。実は貴官に人事部から移動命令が出た」
「こんな時期に、ですか?一体なぜ…」
移動自体は別段珍しいことではない。
だが、年に一度行われる人事異動は半年前に行ったばかりだ。
それに、どこかの隊長が怪我をしたとか、退役したなどという話は聞いていない。
ジュラルディは、先ほどまでの穏やかな顔つきとは一変して、深刻な表情になっていた。
「…この移動命令は、大将軍閣下直々のものだそうだ」
ジュラルディがそう伝えた瞬間、部屋が凍りついた。
重苦しい空気がこの空間に広がる。
息を飲んだのはレイ。
眉を潜め、強く歯軋りをしたのはセレスティアだ。
(…………ついに、か)
いつかはくると思っていたときがきた。
セレスティアは大きく息をついて、目を閉じ、感情をリセットする。
自分に今必要なのは、激情に任せて声を荒げることでも、この地獄の地から逃げ出すことでもない。
「……なるほど。それで、私の次の豚箱はどこになるのでしょうか?」
「……機動部隊。その中でも“不死身の鬼”と呼ばれる、特殊機動部隊“牙”」
「ハハッ、さすがあの方だわ!!アリを踏みつぶすにも余念がない」
何も言えず、固まったままのレイの隣で、セレスティアは嗤い声をあげる。
そう、すべては3年前から。
地を這うように生きるアリと、大空を舞う龍の戦いは始まっていたのだ。
「……いいのか、セレスティア。牙隊は…」
珍しく言い淀んだ先の言葉は、セレスティアもレイも想像がつく。
「シェルランツェの最前線で戦う国軍のブラックボックス、でしょう?分かっています」
そう。
この国の最前線で戦う機動部隊、特に“牙”と呼ばれる精鋭は、不死身の鬼と恐れられている。
なぜ、不死身の鬼と呼ばれているのか。
分かっていることは、都市伝説並みに少ない。
彼らは幼い頃から過酷な戦闘訓練を強いられ、それに耐えて生き残った数少ない“生きる兵器”であるとか。
超人的な身体能力に加え、人を殺すことに躊躇いのないように訓練されているとか。
普通の兵士なら致命傷となるはずの傷を受けても、相手を倒すまでは決して倒れない、その執念が異常である、とか。
それゆえの、不死身の鬼。
だが、彼らの姿をみたことがある者はほとんどおらず、どういう人が、どのように選抜され、どのように戦っているかすら知る者はいない。
その鬼を見たことのある貴重な人間も、うわごとのように繰り返すだけなのだ。
“化物が、戦場にいた“と。
最も戦績を上げているのが牙隊であることを国軍の上層部も知っている。
だからこそ“おそらく非人権的な方法で強化された人間で結成されている“牙隊の正体を明かそうとしない。
それはまるで、決して開けてはいけない、言うなれば国軍のパンドラの箱。
もしくはブラックボックス。
戦場の最前線。
そこで戦う、兵としての英才教育を受けた超人たち。
そんな隊に、あくまで普通の人間であるセレスティアが配属された。
それが遠回しに意味することは、セレスティアの死だ。
普通の人間でないからこそ、生きることができる戦場。
いくら優秀なセレスティアであっても、そこに飛び込むことは自殺行為にしかならない。
それが分かっているからこそ、ジュラルディは悲しげな目で彼女を見つめる。
この移動命令は、彼女を死へと導く片道切符を渡すようなものだから。
「…そんな目で見ないでください、部隊長。分かっていたことです」
「だが…」
「いくら部隊長でも、これはあの方の命令。覆すことなどできません」
この命令を下したのは、大将軍閣下ーーつまり、この国軍のトップであるナキト・リリス・アーバントーー国王だ。
国のトップに逆らえば、ジュラルディの首は間違いなく撥ねられるだろう。
ナキトは、そういう男だ。
(地獄は、3年前に経験した)
だからこそ、準備した。
タダで倒れてやるものか。
必ず、一矢報いてから死んでやる、と。
女性の身でありながら、必死に訓練に明け暮れ、剣技を磨き、自身を高めてきた。
「ご心配なく、部隊長。簡単にはくたばりませんよ」
セレスティアは嗤う。
悪巧みをする、悪役のように。