冒険十六日目 沼地で窮地
気が付くと真っ白な空間にいた。
見渡す限り、まばゆいばかりの純白で、それ以外には何もない。
動く者はおらず、音は静寂に支配され、ただ不思議と安らぎだけが満ちている。
「二日続けて会うとは。どうした? まさかもうこっち側に来るつもりじゃあるまいな?」
何もいないはずの空間から、声が届いた。
私にとっては初めて聞く声のはずだが、何故か覚えがある。
ていうか、こっち側って何だ。行ったらどうなるわけ?
「そりゃお前、終わりさ。戻って来られなくなるに決まっているだろう?」
……あ、そう。ならお断り。行かないよ。
私、まだやりたいことがあるし。
「ハハハ、そうだろうな。最初と同じ答えだ」
最初? いや、これが一回目のはずだけど。
あなたは何者なの? ここで何をしているわけ?
「俺か? 俺のことは好きに呼べばいい。別に形などはないからな。この話方も、いくらかお前に合わせてやっているだけだ。俺に決まった姿などないし、存在する場所はここに限ったことではなく、どこにでもいるしどこにもいない」
うん? 何だって? どういうこっちゃ。
「分かりづらかったか。なるべく丁寧に説明してやっているつもりだが、どうもおおざっぱになるな。一言で言えば、何でもできる存在というだけだ」
……神様?
私がその言葉を口にした途端、姿はないが、声がにやりと笑ったような気配がした。
「言っただろう? 決まった形はない。お前たちの好きに呼べ。俺は万能かもしれないし、無能かもしれないし、救済をするかもしれないし、破滅をもたらすかもしれないし、どこにでもいるし、どこにもいない。そういうものだ」
意味が分からん。
まあ、そこはいいや。無理に理解する気にもならないし。
で、あなたはここで何をしているわけ?
「仕事をしているだけだ。今は主に死人相手のな」
死人?
え、何、じゃあ私死んでここにいるの?
「……ぶははははは! そうか、そういう話に聞こえるか! 確かにな!」
声が唐突に爆笑する。
いやいや、ちょっと待って。その話が事実なら、こちとらだいぶ深刻だぞ。
「安心しろ。別にお前は死んでいない。いや、正確な意味合いはもう少し違うが、フィーよ、お前の死ではない」
そうなの? じゃあ、何で私はここに引っ張られているんだ。
いや、引っ張られているって何だ。その単語、どこから湧いてきた。うーん?
「うむ。忘れているようだがきちんと覚えているな。感心感心。どちらにせよ、ここのことはお前の目的にとって重大ではない。肝心なのは、『冒険をすること』だ。違うか?」
まあ、そうなんだけど。釈然としないな。
それに覚えておけって言ったんだから、気にしろってことじゃないの? 矛盾してない?
「気にはすべきだが、それに囚われる必要はないってことだ。お前は物分かりはいい方だからな。ここにいると、物分かりの悪い奴も案外多く来てなあ。全く困ったもんだ。ハハハ」
声は自分で自分の言うことに笑っている。
困ったもんだって言われても、私だって内容の分からない愚痴を聞かされても困るんだけど。
「そうだな。無関係な話は置いておくとしよう。もう一度伝えておくが、この会話は目が覚めたら忘れてしまう。それでもしっかりと覚えておくように。その他のことは、期限が迫るまで、お前の好きなようにすればいい」
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冒険者になって十六日目。私はギルドへと赴いた。
「おはようございます、フィーさんっ」
「フィーさん、カスミさん、おはようございます」
ギルドの中にはカスミちゃんと受付さんの姿がある。
二人はいつも通り私に挨拶してくる。
「フィーさん……?」
「フィーさん、どうかされましたか? どうも上の空みたいですが」
「も、もしかして体調でも悪いんですかっ? 私、診ますよ?」
え、いや。そんなことはないよ。大丈夫よ。
というか二人とも、急にそんなどうしたの。私、どこか変だった?
「いえ、普段だとすぐ返事をしてくれましたから、気になって」
「そうですね。反応が遅れてたので、何かあったのかと」
ああ、うん。ちょっとぼうっとしちゃってたね。二人とも、おはようございます。
「はい、おはようございます」
「おはようございます……本当に大丈夫ですか? 私、治癒士ですから、軽い診断くらいなら出来ますよ?」
カスミちゃんは心配そうに言ってくる。
いやー、平気だって。今までの冒険も怪我とかしてないわけだし。問題ないよ。
「そうですか……? えっと、何かあったらすぐに言ってくださいね。私じゃお役に立てないかもしれませんけど、フィーさんの助けになるよう頑張りますから」
「カスミさんの言う通りですね。不調を感じたら、素直に引くのも冒険の選択のひとつです。くれぐれも無理はなさらずに」
カスミちゃんも受付さんも過保護だなあ。
まあ心配されているうちが花だし、気遣いはありがたい。
でも私は元気なので、今日も依頼を受けるのです。
「分かりました。では本日の依頼ですが……ヴェインさんから指名で依頼が来ていますよ」
ほう? 昨日、素材を納品したばかりだというのに、何かあったのかな。
「フィーさんとカスミさんの装備をそろえるのに、普通のリザードだけだとどうも納得いかない出来になったらしくて。ちょっとリザードのボスを狩ってきて欲しいと」
「え、えーと……? どういうことでしょう?」
あれか。昨日、ヴェインさんの職人魂に火を点けたというか、勝手に火が点いちゃったから、そのせいか。
ちゃんと仕上がるまで装備をくれなさそうだね。
「ど、どうしましょう……?」
なんともはや。でもリザードを狩ってくれば済むんだから、本末転倒ってわけじゃないし、いいか。
「即死魔法で倒せますもんね」
うむ。とはいえ、ボス相手だと、うまくいかない可能性もあるから、あくまで慎重に行こう。
「はい、頑張りましょうねっ、フィーさん」
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さて、前回同様に準備をして湿地帯へとやってきた。
果たしてボスはどこにいるだろう。スライムと違って、リザードの数はまばらだ。
この辺一帯のボスなわけだから、一番多い所にいるのかな? 沼の中に隠れられていると若干面倒だけど。
「その場合はどうしましょう?」
風で巻き上げてみるか、釣りでもしてみるか。
縄張りに近づいたら勝手に襲ってきそうだけどね。
「今回は近くへ寄らないといけないから、ちょっと大変そうですね……」
カスミちゃんが不安そうな声を上げる。
なーに、大丈夫大丈夫。私がいるからね。こんだけ土があればクレイくんも無限に再生できるし、楽勝よ。
「は、はいっ。いつもそうですけど、頼りにしていますっ」
はっはっはっ。……ここまで言っといて失敗したら一大事だな。気合い入れて行こう。
基本的に先行はクレイくんにさせ、見た目だけだと分かりづらいぬかるみの深さや柔らかさを確かめながら進む。
もしもクレイくんが泥にはまったら、いったん分解して素材だけ回収し再生、もしもリザードが出てきたら応戦として、ボスの姿や痕跡を探していく。
ボスの姿は大きさより色が特徴なんだっけ?
「あ、はい。大きさは他とあまり変わらなくて、ここの土の色よりさらに濃い色合いになっているそうですよ。黒っぽいんでしょうか?」
見つけづらそうな色だねえ。どうせなら大きければ探すのにもっと楽できたかも。
だいぶ進んでいるけど、なかなか遭遇しないし――
「あ、フィーさん、あれっ!?」
カスミちゃんが急に声を上げて、指を差す。
指し示した方向には、リザードではなく人間の姿があった。
どうやら沼にはまってしまったらしく、上半身だけが見えている。そしてその顔には見覚えがあった。
「アキハラくん!?」
何と沈みかけているのはシノブくんだった。
どうして彼がこんなところに?
「イチジョウ……!? と、フィー……」
シノブくんが私たちの姿を見つける。
しかし迂闊に動くと沈みかねないため、大きく叫ぶことも身じろぎすることもできないようだ。
急いで助けないと。こういう場所だからロープは用意してある。
とりあえずクレイくんに引っ張らせよう。
「っ、おい、後ろ!」
シノブくんが警告する。
振り向くと、今まさにリザードが飛びかかってきた瞬間だった。
あぶなっ!?
私は身をかわしながらリザードを凍結させる。今しがた立っていた場所を凍り付いたリザードが通り過ぎ、そのまま息絶えた。
改めて向き直ると、いつの間にかリザードたちが集まってきている。
「どこからこんなにたくさん……!」
カスミちゃんが驚愕した表情でリザードたちを見る。
私も同じくリザードたちの様子をうかがう。
すると、多数集ったリザードの中に、ひときわ体表の色の濃い個体がいた。その一匹だけが、群れの最後尾で他のリザードたちに壁を作らせている。
間違いなくあいつがボスだ。
順調に進んでここまで来たように思えるが、どうやら誘い込まれていたらしい。
「ふぃ、フィーさん、どうしたら……」
カスミちゃんはクレイくんとシノブくん救助だ。こっちは大丈夫。
「は、はいっ。任せてくださいっ」
私が指示すると、カスミちゃんはすぐさまクレイくんと一緒にシノブくんへロープを投げ渡し、引っ張り始める。
よし、向こうは平気。行くぞ、リザードたち。
リザードの群れはしゅーしゅーと鋭い息吹を上げてこちらへ迫ってくる。
ふっ、残念だがいくら来ようと無駄なのよ。
私は群れへ向けて即死魔法を解き放つ。さすがに全員が倒れることはなかったが、大部分が一気に動きを停止する。
「……シャアアアアア!」
この光景に、後方で控えていたボスが恐らくは怒りの咆哮を上げる。
一応、お前も範囲に入れたんだけど、やっぱり抵抗されるのね。
依頼で来てなきゃシノブくんだけ助けて終わりにしたところだが、生憎標的でもあるので大人しく倒させてもらうぞ。
私は風と水の魔法を同時に操り、ボスへ向けて雷を落とした。
激しい閃光と音が走ったかと思うと、ボスの体は耐え切れずに、蒸気を上げて絶命した。
ボスの死を目の当たりにし、統率を失った残りのリザードたちは、おろおろしながら湿地帯のあちこちへ散っていく。
変に手こずったりしなくてよかった。上位の魔法を使った疲れと危機が去った安堵から、私は大きく息を吐いた。
おっと、まだシノブくんのことがある。急いで助けねば。
そう思って振り向くと、丁度シノブくんはカスミちゃんとクレイくんによって沼から引っ張り出されたところだった。
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で、一体何でまたこんな所に?
「…………」
私が尋ねると、シノブくんは無言で顔を逸らす。
「アキハラくん……」
カスミちゃんもシノブくんの顔を心配そうにのぞき込む。
「……関係ない」
またそれか。言いたくないんならそれはそれでいいんだけど。
じゃあ他の二人はどうしたの? シノブくんひとり?
「それは……」
シノブくんは口を開きかけるが、やはりすぐにつぐんでしまう。
うーん、どうしようかな。
「……助けてもらったことには礼を言う」
そう言うと、シノブくんは立ち上がって去ろうとする。
だが沼で体力を消耗しすぎたせいか、足を取られてべちゃりとその場で転んでしまう。
「む、無理しちゃダメですよっ」
カスミちゃんが慌てて横から支える。
「うるさいな。ほっといてくれ」
「そんなことできませんよっ」
カスミちゃんの言う通りだ。その様子だと、アサグロに帰るのも大変そうだしね。
とりあえず、一緒にマシロまで行こうよ。
「何でそんな……お前たちに何もメリットないじゃないか」
別にいいじゃない。なんなら私が気分いいからってことにしとけ。
助ける理由なんて、そんな大層な物じゃないよ。目の前にいたからやった。そんなもんでしょ。
「アキハラくん……」
「……分かったよ」
シノブくんは観念して、カスミちゃんの手を借りて起きる。
おっと、クレイくん、ボスの亡骸は忘れないように。
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マシロへ戻った私たちは、まずギルドへ向かった。
シノブくんをその場で休ませつつ、成果を報告した。
狩ってきたボスリザードは、工房まで代行者が届けてくれると受付さんは言った。ヴェインさんの張り切る姿が目に浮かぶようだ。
シノブくんの方はというと、沼に浸かりすぎたせいで体が冷えており、けっこう危ない状態だった。
湯を沸かしたり、毛布を集めたり、火にあたらせたり、なんやかんやあって少し持ち直した。
しかしこれからどうしようねえ?
「ギルドとしてはお話をうかがいたい所ですが。関係ないの一点張りで、どうにも頑なですね」
受付さんが私に向けて言う。
関係ない、ねえ。シノブくんは、周りと関わりたくないからそう言っているのではなく、むしろ巻き込みたくないように思える。リザードが迫ってきていることを知らせてくれたし、古城の時も手伝ってはくれたし。
「私もそんな気がします。でも……できればアキハラくんにきちんとお話して欲しいです」
カスミちゃんが私の意見に同意する。
どっちにしても、今は休ませておくしかない。
せっかくの機会だから、アサグロへ戻るまでに仲良くなって事情を聞いてみよう。
受付さんから報酬をもらう。今回は銀貨五十枚となった。一気に報酬変わっているね。
「これでも相当大人しい依頼ですよ。モンスターが活発な地域だと、金貨や白金貨が飛び交うくらいですから」
わーお。私たちには縁がなさそうだな。
何にせよ、お疲れ様、カスミちゃん。
「はい。……フィーさん、私、今日はアキハラくんに付いていようと思います」
お、そうか。まあ心配よね。
私はまた明日に訪ねるから、よろしくね。
「はいっ、また明日」
カスミちゃんに後を任せて、私は宿へ向かった。
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宿に戻った私は、いつも通り夕食を頼んだ。
しかしなんだか問題が多くなってきちゃったなあ。考える時間も増すから、おかげでデザートをゆっくり味わう機会が減っちゃうぜ。
一日が終わる。
部屋に戻った私は、明日も頑張ろうと思いながら、ベッドで眠りについた。