第二話 理由も分からぬ異世界転移
「なんで女の子に……」
俺は、鏡に映っている見知らぬ女の子の顔をまじまじと見てしまう。腰まで流れる整った黒髪に、視線が吸い寄せられるような朱い瞳をしている、犬歯が少し尖った子で……
「あれ……?」
改めてというか、この子めちゃくちゃ可愛くないか?
「うわ、すご」
髪の毛もサラサラで、胸も大きいし……あれでも、この子って、俺、なんだよな? つまり、俺がこの、この美少女なのか?
「うう、はぁ、体が、熱い……っ」
謎の興奮に駆られて頬が赤らみ、漏らす吐息が少しずつ荒くなっていく。ついには俺の精神が、鏡の中の美少女と一致していくような感覚に襲われ始め――
「どうしたんだお客さん。何かあったのかい?」
「ハッ」
――る途中で店主に話しかけられて、自我を取り戻した。
「こ、怖かった……」
底知れない恐怖感で、思わず思考が漏れる。つい自分に見とれていた。本当に危なかった。少しでも遅かったら、心が完全に女の子になっていただろう。運がいいのか悪いのか――いや、そもそも、そういう次元の話じゃない。だって、俺がここに居て、しかも女の子になってるいきさつが全く分からん。
「ふぅ……」
……よし、そうだな。何もわからないんだから、まずは情報収集だ。ここが何処なのか、彼――店主に聞くところから始めよう。
「ええと、すみません」
「なんだい?」
「ここって何処ですか? 国名は?」
「ん? ああ、ここはリアスティール公国の露店街だよ」
「……リアスティール公国?」
どこだろう、聞いたことのない国だ。少なくとも地球上には存在しない。
日本の大使館がどこにあるか分かりますかと尋ねると、彼は眉をしかめて首を傾げた。逆に『それって何だ?』と聞き返されたので、彼は日本も、大使館という言葉すらも知らないらしい。
「んん……?」
眉をひそめて、考えるポーズを取る。そこでふと、ぼんやりとだが、友人とのやりとりを思い出した。今度は周囲をじっくりと観察する。
人混みには、エルフ耳だったり背が低かったり、動物の耳が生えた人間が混じっている。服装も現代とは違って、ゲームの街人NPCが着ているような物を想起させる。ハイファンタジーっぽい、とでも形容すべきか。
「――あ、だったら」
試しにヘッドギアを外す仕草をする。
何も起こらない。
メニュー画面を開こうと空を突く。
何も浮かばない。
夢かと思って頬を抓る。
とても痛い。
「なるほど」
あぁ、やはりそうだ。これは現実で、さらに異世界転移だ。間違いない。
先ほど思い出した友人とのやりとりで聞いていたヤツだ。
ようやく合点が行った。
「――……えっ、俺、これからどうすれば良いの?」
と同時に、緊張と恐怖でダラダラと冷や汗が流れ始めた。
ポケットを確認したが何も入っていなかった。持ち物はこの、鞘に桜色の花びらが散る装飾が施されている日本刀のみ。しかしこの装飾には見覚えがある。
今日、神社の本殿で見た御神体の刀、鬼神刀桜花だ。俺はこの刀一つで、中世ヨーロッパのような異世界に放り出されたらしい。
いや、『異世界物というジャンルのネット小説が話題なんだ』と友人に聞いてはいたさ。なんでも、普通に生活していた一般人がいきなり異世界に迷い込んだり、死んで生まれ変わったりして異世界を生き抜く話だと。
知っていたから、そういう状況になんだろう、とは分かる。
だけどまさか、自分が選ばれるなんて思いもしなかった。異世界ものは天丼ばかりであんまり面白くなかったから、それ以上の話――物語の主人公がどういった行動を取っていたのか、異世界がどういう世界観なのか、までは覚えていない。
俺はこれから何をすれば良いんだろう……
「うう、どうすれば」
本気で路頭に迷っていると、見かねた店主が助け船を出してくれた。
「なぁアンタ」
「は、はい……?」
「アンタ迷子かい? この辺りじゃ見ない顔付きだし、どっか遠い国から来た異邦人だろう?」
「あ、えっ、あ、はい!」
俺はこくりと頷いた。
店主はやっぱりか、と優しく笑うと、話を続ける。
「なら冒険者ギルドに向かうと良い。そこなら異邦人でも身分を保証してくれるし、金の稼ぎ口も作れる。道を教えてやろう」
店主は質の悪い地図を手に取ると、赤いインクで進路を書き、俺に渡してくれた。
「その赤い線に沿って進めば辿り着くよ」
「あ、ありがとうございます……!」
「どういたしまして。ま、次は買い物に来ておくれよ?」
「えぇ、はい! 必ず来ます! ありがとうございました!」
「今後ともご贔屓に」
店主に見送られた黒髪赤眼の美少女――こと俺は、地図を片手に露店街を歩いていく。
そうだ。彼の言う通り、とにかく金を稼ごう。
今を生きれば良いんだ。
◇
冒険者ギルドに着いた。
三階建てのドイツ風味な見た目の建物だ。
俺は、重厚な木製のドアを開けて中に入った。
ギルドの中は、さまざまな武具を付けた人間が仲間内で話し合う声や、昼間から酒を飲む酒好き共の喧騒でうるさかった。わずかに圧倒されて息を呑む。
ゲーム的に見るならならず者の傭兵――いや、冒険者だったか。
そう思ってしまうほど、どいつもこいつもガラの悪そうなやつばかりだ。
女性冒険者が一人も居ないというのも物寂しい。
ギルドの受付カウンターは最後に見つけた。
カウンター内には、軍服のような白い制服を着た職員が、男女含めて数名ほど。
各自、事務作業を行っているようだ。
「よし」
勇気を出してカウンターに向かう。
そこで、一番話しかけやすそうな女性職員に声を掛けた。
「す、すみません」
「はーい!」
緊張でこちらの声は震えていたけど、彼女は笑顔で迎えてくれた。
「冒険者ギルド、リアスティール公国店へようこそ! 冒険者登録の方ですか?」
「そうです。お願いします」
「畏まりました! では、コチラの用紙にご記入をお願いしますね!」
職員さんはそう言って、一枚の羊皮紙と、羽ペンの刺さったインクつぼをカウンターの上に置く。羊皮紙には見た事のない記号が書かれているけれど、どういう訳か文字として認識できてしまった。これは冒険者登録用の個人情報記入紙のようだ。
「ん……?」
よく分からないけど、文字が分かるのはラッキーだ。
俺は、羽ペンの羽根に軽く触れながら考えた。
まずは名前か……
俺の本名は久世原健司。だけど、ここでその名を書く気はない。この誰とも知らぬ美少女をケンジと呼ばせたくないし、何より、元男だとバレたら恥ずかしい。
それに、
『かわいい女性アバターにはかわいい名前を付けたい!』
――と思うのがゲーマーの悲しき定め。
ふわとろもっちんとかのネタネームもアリだけど、どうせなら、呼ばれて嬉しい名前が良いな……何か、良い名前は――
「んー……」
俺は周囲を見て、最終的に手元の刀に行き着いた。
――そうだ。この刀の名前は鬼神刀桜花。この肉体の名前にぴったりじゃないか。確か女性の付喪神だったはずだし、なにより桜花という名前の響きが可愛い。
さっそく羽ペンで『鬼神刀桜花』と書いた。
「――あれ?」
漢字やひらがなを記入したつもりだったけども、何故か自然に異世界文字で書いてしまった。
まぁ良いか。
文字が書けて何か困る訳じゃない。むしろ便利だ。
後は住所と職業を正直に書いた。住所は日本。さらに自宅の住所。職業は学生。すべて異世界文字で記述した。そのまま羊皮紙の上に羽ペンを重ねて提出する。
「終わりました」
「ありがとう……ご、ございます。に、ニホンという国の生まれなんですね! その、具体的にどのような地方かお分かりですか?」
「あー、えっと」
その質問にはとても困らされた。
書いたは良いものの、日本がどこなのか説明すら出来ないのだ。
……あぁ、でも、待てよ?
確か友人が『自分の住んでいる場所は“遠い東方の島国”だと説明するのがテンプレだ』と言っていた気がする。ならばそのテンプレとやらに従っておこう。
「そう、遠い東方の島国です」
「そ、そうなんですか! 随分と長い旅をされてここに来られたんですね! では、その情報も追加で書いてもらえますか?」
「分かりました」
再び羽ペンを手に取り、追加で記述した。
「はい、ご記入ありがとうございます。最後ですが、この水晶に手をかざしていただけますか?」
受付嬢はカウンター内から紫の分厚い座布団に乗った……何というか、水晶玉というより、何かのコアのような物を取り出した。
内部では、何重もの金色の金属の輪が、時折交差しながらクルクルと回っている。レジェンド・ファンタジーならゴーレムとか、機械人形の胸部に動力源として格納されているだろう。
「何ですかコレ?」
「貴方のステータスを読み取るための魔導装置、ステータスリーダーですね。読み取ったあとは、能力値を最小Fから最大Sランクで分類したものと、所持スキル一覧を記載した冒険者カードを吐き出します」
「へぇ、どういった原理ですか?」
「企業秘密です」
「ですよねー」
当然の事を言われた。俺は水晶玉に手をかざす。
「おぉ」
すると、かざした手から複数の光の糸が伸びて、水晶に引き込まれていく。
読み取りは十秒程で終わった。
「はい。終わりました。コチラが冒険者カードです」
「ありがとうございます」
職員さんは、コアから生えてきた長方形のカードを手渡してくれた。
カードはプラスチックのような金属のような、良く分からない質感だ。
まあ、とりあえずは内容を確認しよう。
――――――――――――――――――――
名前:鬼神刀桜花 種族:現人鬼神
職業:学生 性別:女性
ステータス
体力B 魔力F
筋力S 魔攻力F
敏捷S++ 持久力S
防御B 技巧ExSSS++
知性B 幸運C
スキル
言語理解 自己流剣術:epic
裁縫上手
――――――――――――――――――――
「……?」
この体って人間じゃないのか?
ステータスを見て首をかしげるケンジ。いや、桜花。
目の前の職員さんに質問した。
「すみません、最大ランクってSまでですよね?」
「そうですねー、あっ、もしかして記入ミスが起こっちゃいました?」
「はい。敏捷がS++ですし、特に技巧の部分がおかしくなってますよ? ExSSS++って」
「えぇっ!?」
職員さんは冒険者カードを見せる事を要求し、桜花もそれに従った。
「なっ、ななな、何ですかこれぇ~……!?」
「……なんだ?」
「どうした?」
彼女の小さな驚愕は、数名の職員を呼び込んだ。
後ろから確認した彼らも驚いてしまう。
「これは……!?」
「なっ、ExSSSなんて聞いた事がない……! さらに+が二つも……!」
「と、遠い異国の地からわざわざこられた方ですから、それなりに強くてもおかしくはないんですが、これはちょっと異常では……!?」
ざわつくカウンター。
しかし、一人の職員がコホンと咳を付き、落ち着いた口調で目の前の職員に告げた。
「まぁ待て。ここで騒ぎ立てるのはあまり良くない。いろいろと問題が起こる。ここはひとまず普通に、まずは普通に、冒険者として活動してもらおう。その成果によって上に報告するか判断しよう」
「そ、そうですね」
「あ、あぁ、そうしよう」
話がまとまったのか、冒険者カードを返却された。
その後、女性職員からの説明が始まる。
一つ目。
この冒険者ギルドは、とある王国が作った組合らしい。
初回登録は無料。
二つ目。
冒険者にはランク制度がある。
最下級がFで、最上級がSランク。ゲームでよく見るタイプだ。
今の俺はFランクからのスタートらしい。
銅のドッグタグに“F”と刻まれたネックレスをもらった。
最後。
登録期間はランクによって変わり、今の俺は一カ月で抹消される、との事。
継続するには、定期的にクエストを受けるか、年会費を払うかの二択だと言われた。
年会費は五千リア。高いのだろうか?
ただ、支払えば領地間の通行税が安くなるなど、とても便利な特典が付くらしい。
「では桜花さん。早速ですけどクエストを受注しませんか?」
「ん……」
クエストを受注するか聞かれ、少しだけ考えた。
今のところ、やる事もない。
そして金もない。
このままでは空腹で野垂れ死ぬ。
ヤバい。
「あ、あの、すみません」
「はい!」
焦りが混じった声で聞くと、クエストについて優しく教えてくれた。
クエストの受注方法、達成報告のやり方、報酬はすべて後払い、など。
今日を生きるにはこの場で受けるしかないようだ。
「分かりました、では――」
まず手始めに、誰でも出来る簡単なクエストを受けたいと聞いた。
職員さんはいくつか提示してくれた。
一つは街の清掃業務。
馬糞の処理。
二つは公国の城壁外に生息する魔物の討伐。
スライムや角ウサギが主らしい。
三つ目は森での採取。
アコローンという大きなドングリを採取するというクエスト。
そのドングリは脂質が豊富で、良質な油が取れるらしい。
搾りかすは良質な家畜の餌にもなるので、とても需要が高いそうだ。
「――採取クエストにします」
「分かりました、受注書を発行しますね!」
俺は迷いなく採取を選択した。
結界が張られていて魔物が寄り付かない“聖域の森”という場所でのクエストだ。
まだここがどういった世界なのか理解出来ていないけども、採取なら達成できるはずだ。
魔物討伐は実入りが良い――――が、今の俺では魔物を殺すのをためらったあげく、死んでしまう可能性がある。なので、死が身近にあるようなクエストは避けたかった。
ただ馬糞掃除だけは本当に嫌だ。
絶対に臭いし、辛いし、汚れるだろうし。
わりと潔癖症なのだ。
「では桜花さん、こちらにサインをお願いします」
「はい」
俺はクエストの受諾用紙にサインをして、街の城門を出るルート、そして森までの道筋が書いてある地図と、アコローンの実の模写が書かれた受注書をもらった。
森は街のすぐそばにある。これなら今日中に帰ってこられるだろう。
「よし、行くか――」
「オイ待ちな」
「ん? うっ……!?」
外に出ようとすると、ガタイの良い三人の男が桜花の前に立ち塞がった。
冒険者三人組は完全に酔っているようで、俺の胸やふとももを見ながら、下卑笑みを浮かべている。桜花は彼らから出る強烈なアルコール臭と異臭に顔をしかめた。気色悪い。
「人を、ジロジロと見るな。変態」
俺は嫌悪感をはっきりと口にする。
するとボス格らしき男が笑顔で話しかけてきた。
「アンタ、異国から来た嬢ちゃんだろ? なかなかかわいいじゃねぇか」
「……どうも」
「良かったら俺たちとパーティーを組まないか? 冒険者のいろはを手取り足取り、なぁーんでも教えてや・る・よ♪」
男はニッコリと笑い、取り巻きの二人はゲスく笑った。
あー、これはナンパされてるのか?