第一話 神社の御神刀を抜いたら……
……現状とのつながりはあまり覚えてない。
俺は今、見知らぬ古風なヨーロッパの街中――フランスとか、イギリスとかドイツ辺りの観光街に似てるような所で、日本刀を片手に突っ立ってる。
周りを通り過ぎていく人は、誰も俺を気にしてくれない。
だけど、やはりここは外国のようで、顔立ちの良い人ばかりだ。
日本人のなんか野暮ったい風貌と違い、メリハリが付いていて、とても分かりやすくザ・外国人。
ただ悲しいかな、その全てが、ここは俺の住んでいた日本という国ではないと教えてくれる。
たしか、俺の名前は久世原健司。年齢は十六歳。
家族が居て、筋トレと、自己流剣術の鍛錬に励みながら、今流行のフルダイブ式VRMMORPGを楽しむ、一般的な少年だったハズなんだ。
えぇと、まず、ここに来る前に何があったか思い出そう――――
◇◆◇
長い階段を上がり、石の鳥居を潜る。
パンパンに膨らんだボストンバッグと、ショルダーバッグを肩からぶら下げた夏用制服姿の高校生が、ようやく音を上げて一息ついた。
すると、神社の境内にある木陰で待っていた神主の男性が、元気よく話しかけてきた。
「おぉ、よく来たなケンジ! 俺だ! タイガだ! 覚えてるか!?」
「覚えてますよタイガ伯父さん。昨日もゲーム内でボイスチャットしたじゃないっすか」
ここは日本の某所にある、大島鬼鎮神社。
夏用制服姿の高校生――ケンジは、神主を務めるタイガ伯父さんの家に泊まりに来ていた。
俺――ケンジは、七月下旬から始まった夏休みを、フルダイブ型VRゲームに注ぎ込んで人生を満喫していた。
しかし、ゲーム内で野良パーティを組んだ時に、運良く知り合った伯父のタイガが、
『良い若者が夏休みにゲーム三昧とは許せん! ぜひ家に遊びに来い! 俺と一緒にゲームをして、夏休みの思い出帳に楽しい一ページを刻みなさい!』
という、意味の分からない事を言い放ち。
その日の内に俺の両親を軽々しく言い包め、俺に数日分の着替えを用意させて。
次の日には、VRゲーム用のヘッドギアと共に、俺を神社前まで送り届けさせたというのが。
この場面に至るまでのいきさつだ。
前半はまだ正論だから分かるけど、後半は明らかにタイガの欲望が入っているだろう。
なぜなら、ゲーム内での俺はLv100のカンスト勢で、伯父さんはLv16の駆け出し。
ゲーマーなら今の説明で分かると思うけど、初心者向けに簡単に言うと、伯父さんは『レベル上げが大変だから俺に頼ってしまおう』という魂胆なのだ。
それはまぁ、別に良い。
武具作成や錬金、その他の生産職が必要とする低ランク素材が手に入るので、損はしない。
むしろ供給が不足しているにも程があるので、願ったり叶ったりかもしれない。
なぜかというと、今どきのVRMMORPGはモンスターにも高度な人工知能を実装しているので、生半可な装備や技量では太刀打ち出来ず、キャラの育成・素材収集が難しいから。
だからおのずと、需要のある物は良い値段で売れるし、ときには買い占められて供給がなくなる。
さらに、運営側のBOT・ツーラー対策として、NPC商店・商会群が持つ資産量、最大取引額なども決められているので、莫大な金を稼ぐにはプレイヤー同士での取引が重要となる。
そう、狩場に一番近い商店に素材を全売却してまた狩りに戻る、という作業プレイが出来ないのだ。
聞いた限りではプレイヤー側が不利だけど、ゲーム内に存在する総資金は、ゲームの運営と超高性能な人工知能が共同で管理をしていて、不足が起こらないよう専門家の指示でばらまいているので大丈夫なのだろう。多分。
――ここまでつらつらと説明はしたけど、俺がゲームに求めているのは楽しさ・面白さだけであって、そういう裏の事情にはほとんど興味がない。
詳しいのも、フルダイブ型VRゲームプレイヤー内での常識だからだ。
「あ! そう言えば――」
「あぁ、それは――」
二人は、とりとめのないゲームの話で盛り上がっている。
境内は蝉がうるさい。耳が痛くなりそうだ。
さらに、照りつける夏の日差しのせいで制服が汗ばんでいく。
あぁ、このままだと干からびてしまいそうだ。
そこでようやく伯父さんが切り出した。
「――まぁ立ち話もなんだ! ウチでお茶でも飲みなさい!」
「あ、はい。いただきます」
俺は伯父さんと一緒に、本殿の真横に繋がっている社務所兼、大島家の自宅へと入った。
ワガママだけどもっと早めに入れてほしい。
◇◆◇
案内されたリビングで待っていると、伯父さんがコップに入れた麦茶を持ってきてくれた。
俺は待ってましたとばかりに受け取って、一気に飲んだ。
「あ゛~……生き返る」
あまりにものどが渇いていたせいか、つい、酒を飲んだおっさんのような声も漏らしてしまう。
伯父さんは豪快に笑った。
「ハッハッハッハ! まるで親戚のおじさんのようだなケンジ!」
対して俺は、少しだけ上から目線で言葉を返した。
「はは――ま、伯父さんよりはちょっと長目にゲームやってますんで。多少、年上っぽくても問題ないですよね?」
「おっ、ここで先輩風を吹かすか? 見てろースグに追い抜いてやるからなー?」
伯父さんはシュッシュッとシャドーボクシングを決める。
俺も負けずに拳を突き出した。
「がははは」
「あはは」
伯父さんの熱意とやる気は素晴らしいと思う。
でもま、そう簡単には追いつかれない。
そもそも、レベルが上がるにつれてレベルアップに必要な経験値は多くなるし、Lv差が84もある今の状況なら、どれだけ本気でもカンストまでには半年ほど掛かる。
それだけレジェンド・ファンタジーの経験値は渋いのだ。
またしてもとりとめのない、しかし本人たちにはとても大事なゲームの話が進む。
その際、一週間前に実装された新職業である【サムライ】と【シノビ】の話題になり、タイガ伯父さんは『良い物を見せるから付いて来な!』と言ってリビングから出ていった。
何を見せてくれるんだろうか?
「ま、行ってみるか」
俺としては、このクーラーをガンガンに効かせた部屋から出たくないんだけども。
ここで機嫌を損ねるとアイテム分配で揉め事が起きそうな気がしたので、しぶしぶ付いていく。
◆
「ケンジに見せたい物は――これだ! この神社の御神体である日本刀だ!」
「へぇーなんかタイムリーですね」
さっきまでサムライの話をしていたからだけど。
タイガ伯父さんは、長々と伝承だの言い伝えだのを言っていたような気がするけども、俺は御神刀の麗しい見た目に虜になってしまい、あまり耳に入らなかった。
赤文字の御札で封印された黒漆の鞘には、中腹から末端に掛けて、桜色の花びらが散る装飾が施されている。
柄は白い鮫革と白い柄巻きで、鞘とは対照的な色合いだ。
上反りに飾られていることから、打刀に分類されると思う。
うん。深い歴史を感じるいい刀だ。
「――とまぁこんな感じだ! 大島鬼鎮神社の御神体で、神が宿ると言われている刀! その名も鬼神刀桜花!」
「へぇ、良い名前ですね!」
「ふふふ、そうだろう?」
タイガはやはり好感触だったとご満悦のようで、ご神刀の説明を続けた。
「さっきも言った通り、この刀は夫婦刀でな! 夫である鬼斬・霧六は、第二次世界大戦中に日本軍に徴用されたが、妻であるこの刀は『女子を矢面に立たせるなど日本男児の恥である』として見逃されたんだ! ……まぁ、そういう時代だったから仕方ないんだが、夫刀は戦乱の中で行方不明になってしまってなぁ。黒い鞘に、白い雲のような霧が描いてある見事な刀なんだ。どうか俺の代で見つかって、早く夫婦に戻ってくれると良いんだが……」
「へぇー」
おぉ、そんな悲しい話があるんだ。
でもまぁそれよりも。
「あの、タイガさん」
「なんだ?」
「抜いてみてもいいですか?」
「ダメだ! 神様だぞ!?」
「ちぇー」
俺は残念そうに口を尖らせて、両手を後頭部に当てた。
がははと豪快に笑ったタイガは、次の話題に切り替える。
「ま、これで神社の成り立ちは分かっただろうから、さっそくゲームをしようじゃないか!」
「あぁ良いですよ。パソコンにヘッドギアの端子を差す場所、開いてますよね?」
「開いてるともさ! さぁ行こう行こう! レジェンドファンタジーが僕たちを待っているぞ!」
「分かりましたー」
二人はタイガの自室に移動して、凡そ五時間ほどかけてフルダイブ型のVRMMORPG、“レジェンド・ファンタジー”を楽しんだ。
◆
タイガがLv26になった頃。
外部からの音声チャットが夕食だと告げた。
二人はいったんログアウトし、伯父さんの妻であるタイコさんと一緒に食卓を囲む。
タイコさんは俺が来たことを大層喜んでくれたので、俺も『しばらくお世話になりますっ!』と改めてあいさつをした。
その後、再び二時間ほどゲームをしてから風呂に入った。
「あ゛~……目が……」
暖かい湯ぶねに浸かり、眉間をマッサージする。
VRゲームは目がとても疲れるので、クールダウンを入れないと視力が悪くなってしまう。
……とは分かっているのだが、やはり楽しさ優先である。
あぁ、でも、本当に奇跡のような発明だよな。フルダイブ型VRゲームは。
これがあれば、誰でも理想の自分になれる。声も姿も思いのまま。
これはもう、トランスジェンダー問題が解決したのと同義なんじゃないだろうか。
現代社会に疲れ切った人間のストレスのはけ口にもなるし。
「いやいや……」
社会問題とか、学生の俺にとってはどうでも良いんだ。
重要なのはゲームの話。
「とりあえず――」
最初に選んだメイン職業:刀剣極士とサブ職業:裁縫士はカンストしていて、今は第二・第三枠のメイン職業――モンクと魔術師のレベルを上げている。
モンクは対人用のスキルを増やすためで、魔術師は短縮詠唱と詠唱破棄――スキルのクールタイムが超短縮されるスキルを習得し、MPという非常に重要なステータスを上げるためだ。
サブは金策用&器用さ上昇用の職――命中率を上げるためのジョブなので、変える必要はない。
ただ、下位魔法や低級武術スキルだけでは、楽に倒せるモンスターが限られてくるので、今の叔父の養殖――強いプレイヤーが弱いプレイヤーを守りながら育てるという意味のネットスラングだ――は、実はとても有難い。
ソロよりも狩りの効率が良いし、努力の成果――今まで培ってきた戦闘技術を再確認できるし。
俺つえー的な、ね?
まあ大概のゲームはそういう物だという話はさておいて。
「んー……」
例えば……ゲーム内での俺の状況を簡潔に説明するならば。
神話になぞらえたレイドボスを、一時間も掛けて討伐する“神々の黄昏”というエンドコンテンツから生還した伝説の英雄かな。
過去の時間軸に戻った俺は、精霊の導きによって弟子を見つけ、稽古を付ける。
世界の終焉を変えるために。
ゲームのシナリオに合わせるならそんな感じだったよな。
「なんかゲームしたくなってきたな、上がるか」
風呂から上がって、パンツとシャツを着た俺は、またVRゲーム世界にフルダイブする。
◆
今は夜中の三時。
お茶を飲むためにヘッドギアを外した俺は、伯父さんの部屋を出てキッチンに移動した。
自宅に居るような感覚で、冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを取り、フタを外し、お茶をガラスのコップに注いで、ぐい、と一気に飲む。
キンキンに冷えたお茶が、ゲームで疲れた体に染み渡った。
「くぁ~っ……」
変な声を漏らすのはもう癖なのかもしれない。
その後、洗い物と片付けを終えて、おじさんの部屋に戻る途中のこと。
神社の本殿につながるドアが少しだけ開いていた。
あぁ、叔母さん閉め忘れたんだな。
幸いなことに鍵はコチラ側から閉められるようなので、気を利かせてドアの鍵を閉めて――
「あっ……」
しかし目が霞んでいたせいか、目標を逸れてドアを押し開けてしまった。
ゲームのやり過ぎは良くないなぁやっぱり、と思いながらドアを見る。
ついでに中も見えた。
――何やら、本殿内が白く光っている。
「え?」
見間違いかと思って目をこするも、そうではないらしい。
気になって中に入ると、祀られている御神刀が白く輝いていた。
えっ、マジで何事?
「これ何が起こっているんだろう……」
つい手を伸ばして、光り輝く御神刀を手に取ってしまう。
すると刀の輝きが増し、どういう訳か俺の目の霞みを治してくれた。
視界がはっきりとする。
「これは……」
御神刀からは、封印のお札が完全に取り払われていた。
白い光は鞘と鍔の間。
つまり、刃の部分から放たれている事が分かった。
刀を抜けば、光っている理由が分かるだろう。
……抜けば、刀身を見られる?
「――!」
緊張と興奮でゴクリ、と唾を飲む。
辺りを見て、誰も居ない事を確認する。
――――よし、誰も居ない。
ちょ、ちょっとくらいならバレないよな? あははー……
俺は光る理由を確かめるべく、ゆっくりと刀を抜いた――――
◇◆◇
――という所までは覚えている。それ以降の記憶がない。
俺は中世ファンタジーチックな街の中、顎に手を当てながら考えた。
この状況は何だろう? どういうことなんだ?
「なんで俺は外国――――あれ、女の子の声……?」
そこでようやく自分に意識が向いた。
あれ、おかしいな。
なんか、手の感触とか、身体の調子がいろいろと違う気がする。
「なにが――」
なのでまず、確認のために真下を見た。
俺の視界には黒いセーラー服に包まれた女性の大きな双丘が見え――
「は!?」
驚いて手や腕を見て、顔を触り、胸を揉み、最後に股間を触る。
「マイサンが無い! 何で!?」
何が起こったってんだ!?
慌てて周囲を見回すと、露店に大きな鏡が吊り下げられているのを見つけた。
容姿を確認するべく全速力で走り寄る。
「はい、いらっしゃい」
店主の言葉を耳に入れる余裕はない。
俺は鏡で自分の容姿を見るやいなや、あ然とした。
売り物の鏡を両手でつかんでしまうほどに。
「な、なんで……? 俺、黒髪の女の子になってる……」
鏡に映る俺――黒髪朱眼、黒セーラー服の大和撫子が言葉を漏らす。
一般的な男子高校生だったケンジは、何処とも知れない異国の地で、どういう訳か、黒いセーラー服を着た黒髪の美少女となってしまった――と、ようやく理解したのだった。