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「遅かったじゃん、大和~」
「もう! ずっと待ってたんだよ、鷹乃瀬くん!」
「みんなだいぶできあがってきてるけど、まだまだこれからだからガンガン飲んじゃってよ!」
「そうそう! 大和くんが参加するって聞いて楽しみにしてたんだから」
「ね~?」
「ね~!」
いい具合に酔っ払ってできあがった面々を見て大和は内心大きく溜息をつく。
元々参加するつもりのなかった合コンに、こう何度も何度も無理やり付き合わされる身としては、『そろそろキレてもいいんじゃないか』と思うくらい許されたっていいと思う。
それほどまでに、大和は己の置かれている現状に辟易としていた。
酒を飲むのは結構。
盛り上がるのも大いに結構。
楽しめる分にはそれでいいだろうが、その輪の外で、さっきの瑠菜のように楽しむどころか苦痛を強いられる者だっているのだ。
自分が遅れて顔を出したことでたまたまその現場に出くわし、寸でのところで助けに入れたからいいものの、もし自分がそれに間に合わず、他の誰もがそれに気付くことがなければ、今頃彼女は無理やりお酒を飲まされて酔い潰されお持ち帰りされていたのかもしれないのだ。
互いが合意の上でそうする分に文句を言うつもりは全くないが、そうでないのであれば話は別だ。
あんな場面を見て放っておけるほど大和は人でなしではない。
「いや、参加するとか言ってないし。つかオレ、今日バイトだから無理って言ったじゃん。労働して疲れてんだから、さっさと家に帰って休みたいわけ。分かる?」
「いいじゃん。明日は休みなんだし、労働したなら尚更飲んで発散したら?」
「残念~! 明日もバイトですぅ~!」
「はあ? お前どんだけバイト入れてんだよ?」
「ん~? 入れられるだけ~?」
「何それ~。大和ってばそんなに稼いでんの?」
「お金大好きマンですから♪」
「守銭奴かよ。さもしいな!」
「ちょっと~? 貯めるだけの汚い金の亡者みたいな言い方やめてくれる~? 稼いだ金は使いたいものに使ってんの。落とすべきところに落としてんの。そうやってちゃんと流通させて経済回してんだから、誰にも文句なんて言われたかないね!」
「大和のくせにマトモなこと言ってる……」
「……ああ。軽くてチャラい鷹乃瀬が、なあ?」
「はぁ~? 失礼しちゃうわね! オレはいつだってマトモだし、軽くもチャラくもないんですけど?」
「どこがだよ!」
「そういうとこ! そういうノリが軽くてチャラいんだって!」
「ウケる~! 大和超ウケる~!」
「面白ぇ~!」
「オマエらホント、マジ失礼! オレは気分を害した! ってなわけで帰る! 異論は認めない! 撤収~!」
「は!? ちょ……!?」
「えっ? ホントに帰っちゃうの!?」
「うそ、待ってよ鷹乃瀬くん!」
「ゴメンて、大和。謝るからこの通り、ここにいて~!」
「イヤだ。か~え~る~!」
この間、おおよそ1分弱。
さすがに瑠菜を待たせた状態でズルズル場を引き伸ばすわけにはいかない。
更には、例の先輩と鉢合わせたら面倒だ。
一刻も早くこの場を離れ、瑠菜を安全な場所に連れていってやりたい。
そんな気持ちで、大和は早足でこの場を後にしたのだった。
「え~っと……あれっ?」
待っててと言ったはずなのに、瑠菜の姿がどこにも見えない。
確かにこの場所は木が植わっていて目立たないとは思うが、完全に人が隠れられるほどバサバサに生い茂っているわけではない。
そのため、入口を出ればすぐに瑠菜の姿を見つけられると思ったのだが。
大和の視界のどこにも瑠菜の姿は引っかからない。
ゆえに、思わずといった感じで声が漏れてしまったのだ。
「あの……鷹乃瀬くん」
「!」
「ここです……」
小さな声で控えめに呼ばれ、大和は声のした方へと振り返った。
そこには完全に木の影に隠れるようにしながら、少しだけ顔を覗かせている瑠菜の姿。
「……マジか」
「えっ?」
「あ、いや。こっちの話」
「?」
この場所は完全に人を隠せるほどではないと思っていたがそうでもなかったようだ。
現に今、瑠菜の姿は木の影に隠されていて、目立たないどころかほぼ見えない。
なぜだと思いつつも、近づいて見たことであっさりと答えは見つかった。
瑠菜が小柄なせいだ。
背が低いために、自然と木に守られるような形になっていたらしい。
「とりあえず、ここから離れよっか」
「あっ、はい」
「テキトーな理由をつけたとはいえ、結構強引に出てきちゃったから、追いかけてこられると困るしね」
そう言って、大和が瑠菜へと左手を差し出す。
「?」
「走れそう?」
「大丈夫」
「よかった。それなら急ごっか」
流れるような動作で瑠菜の右手を取った大和は、そのまま先導するようにこの場を駆け出した。
もちろん小柄な瑠菜の歩幅を考えてペースは抑えめに。
それでいて、ゆっくりになりすぎないスピードで。
目的地は特にない。
今はただ、この店から離れた場所へと行けるのならばどこでもよかった。
そうして緩やかに駆けていくこと数分。
辿り着いたのは、自分たちの通う大学の最寄り駅近くの繁華街だった。
どちらからともなく、進むペースがゆっくりとなる。
漸く立ち止まった時には軽く息が上がっていた。
全力疾走したわけではないが、誰かが追ってきているかも……という緊張感から、身体はそれなりの疲労を感じているようだ。
立ち止まり、大きく深呼吸をしたことで二人の息が白く染まる。
その後何度か呼吸を繰り返し、落ち着いたところで、改めて瑠菜は目の前の大和に向き直り頭を下げた。
「鷹乃瀬くん、どうもありがとうございました」
言えなかったお礼を口にして、心からの感謝を伝える。
もしあの時、あの場に大和がいなかったら自分は今頃どうなっていたのか。
それを考えるとゾッとする。
それほどまでに、あの男は強引で怖かったのだ。
「ううん。大したことはしてないよ。それより、先輩には何もされてない? 大丈夫だった?」
「え、っと……距離を詰められて、その、肩に腕を回されたくらいで……他は……特には……」
大丈夫だと答えられなかったのは怖かったからだ。
小さくカタカタと身体が震えるのは、決して寒さからではないことくらい大和は気付いているだろう。
それ以上何も言わなくなってしまった瑠菜を見て、大和は軽く唇を噛んだ。
────オレがもう少し早くあの場に着いていれば……
頭の中を占めるのはそんな考えだ。
「ゴメン。大丈夫なんかじゃないよね。バカなこと訊いた」
「そんなこと……っ」
「いいよ、無理しなくて。先輩のあの行動は、さすがに目に余るものがあったし」
元から素行に問題のある人物だとは思っていた。
こういった飲みの席で、気に入った子を見つけては食いものにするという噂は何度も耳にしたし、本人がそう吹聴していたこともある。
時には自分をダシにして、合コン参加者の女子メンバーに特定の相手を参加させるよう指示していたことだってあった。
そういう事実があったことから、大和は合コンへの参加に難色を示す。
断っても断っても強引にメンバーに組み込まれるのは相手が先輩だからだ。
高校時代の部活動で体育会系の縦関係の厳しさを叩き込まれた影響もあって、どうも先輩相手には強く逆らうことができないでいる。
つくづくこう思う。
もしこれが同級生相手だったなら、いくらでも突っ撥ねられるのに……と。
「あの、鷹乃瀬くん」
「ん?」
「私、黙ってお店出ちゃって。その、弥紗ちゃ……お友だちも一緒に参加してて。だから……」
「えっ? もしかして、そのオトモダチもヤバい感じだった!?」
「ううん、それは大丈夫だと思う。楽しそうに話してたし。邪魔しちゃいけないかなって思えたほどだから。ただ……何も言わずに出てきちゃったから、私がいなくなって心配させてるかもしれなくて」
「じゃあ、メールかLINEで連絡入れておいたらいいよ。さすがにまたあの店に戻るのは嫌でしょ?」
「それは……はい」
「詳しいことは知らせなくても『強引に飲まされそうになったから帰る』で伝わると思うよ」
「じゃあ、そう書いて送ります」
どう説明したらいいのか迷っていたのも少しの間だけで、瑠菜は大和の言葉に従い、簡潔な内容のメッセージを弥紗宛てに送った。
そうして、今更ながらに気付いた。
お礼は言ったものの、自分が名乗っていなかったことに。
自分は大和のことを知っているが、それは彼が学内の人気者で有名人だからという一方的なものだ。
今まで一度も話したことのない大和が瑠菜の名前を知っているなど到底有り得ない。
「あの、鷹乃瀬くん」
「ん?」
「今更だけど、私名乗ってなかったと思って。助けてもらったことに対するお礼のことしか頭になかったというか、その……」
さっさと名乗れば済むことなのに、出てくるのは言い訳じみた言葉ばかり。
自分が何をしたいのか分からなくなってきたところで大和が『ふはっ!』と気の抜けるような笑い声を漏らした。
「大丈夫。知ってる。宇佐美瑠菜サン、でしょ?」
「えっ……?」
「あれっ? 違ってた!? やっべ、超シツレイじゃん、オレ!」
「ち、違うの! まさか鷹乃瀬くんが私の名前知ってるとは思いもしなくて、ちょっと驚いちゃっただけ」
「なぁ~んだ、ビックリした。オレ、人の名前間違って覚えるとかいう超シツレイなことしでかしたかと思って焦っちゃったじゃん」
「ご、ごめんね?」
「いやいや」
ヒラヒラと手を振り、気にしてないよと意思表示をする大和に改めて問いかける。
「でも……どうして私の名前を?」
「ん? ん~……まぁ、有名だからかな、宇佐美さんて」
「え……?」
────狙ってるヤツが多いって、男どもの間で有名だってことは……言わない方がいいんだろうなぁ……
本気で分からないという顔をしている瑠菜を見てそんなことを思う。
ただでさえ男に強引に迫られた後だ。
言ったら怯えることは必至だろう。
「ちっちゃくて可愛いってこと!」
「えぇッ!?」
これも本当。
けれど当の本人は全く気が付いていないようで。
「何かの間違いじゃないかなぁ……小さいのは事実だけど」
────あ、ダメだわこりゃ……
────この天然具合、どうぞ狙ってくださいって言ってるも同然でしょ……
────今までよく無事で生きてこれたな~……
謙遜ではなく本気でそう思っているらしい瑠菜に覚えたものは危機感だ。
常時この調子では狙われるのも当たり前だ。
世に悪い男なんて数多いる。
あの先輩だけではないのだ。
これは放っておけない。
放っておくとか有り得ない。
寧ろ放っておいたら己が罪悪感に押し潰されてしまいそうだ。
だから、なのか。
自分でも信じられないような言葉を以て、彼女を自分に縛りつけてしまおうだなんて考えてしまったのは。
そう。
それは一瞬の思いつき。
打算に塗れた、互いにとって都合がいいだけの薄っぺらな関係。
ただ周りを欺くことができればそれでいいという、何とも身勝手な提案。
分かっていながら、そんな言葉をサラリと吐き出せる自分は最低野郎だ。
だが、自分がそんな最低野郎だということを大和が自覚するのは、これよりももっと先の未来のこと……─────