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────どうしよう……困ったな……
彼女───宇佐美瑠菜は大いに困っていた。
『気軽な食事交流会だから』と先輩から誘われ、気乗りしないまま親友と一緒に参加する羽目になったそれが、まさかの合コンだったのだ。
その合コンの席で、瑠菜は一人の男に強引に迫られていた。
食事の席に着くなりロックオンされてしまったのか、開始早々からずっとこの男に張り付かれている。
どんなに『お酒が飲めない』と断っても、男は『大丈夫、大丈夫』と話を聞かない。
挙げ句に『お酒弱いの? 酔ったらちゃんと介抱してあげるから安心していいよ』などと、安心できるどころか寒気がするようなことまで言い出す始末だ。
強い物言いで突っ撥ねたくとも、相手は一応一学年上の先輩だ。
それ以前に、おとなしめの性格の瑠菜では、たとえ同い年の相手であったとしても強気に出ることなどできない。
────うぅ~……弥紗ちゃん、助けて……
縋る思いで一緒に参加することになった親友の方をチラリと見遣る。
……が、その親友は別の参加者との会話に夢中で、今の瑠菜が置かれた状況に全く気付いていない。
食事の席に着いた瞬間、これが合コンだと分かって顔色を変えた瑠菜を見た弥紗は『自分が先輩の誘いに乗ったせいだ、ゴメン』と酷くバツの悪そうな顔で瑠菜に謝ってきた。
そして『困ったことがあれば助けるから!』と、頼もしい言葉を言ってくれたため、少しだけ瑠菜は安心していた。
だがそれも、弥紗が瑠菜のこの状態に気付かなければ無意味に終わる。
呼べばきっと気付いてくれるだろうが、さすがに楽しそうに参加者の一人と会話をしている彼女の邪魔をすることは憚られた。
……なぜなら。
弥紗が夢中で会話をしているその相手が、弥紗が前々から『ちょっといいな』と気にしていた同級生だったからだ。
────ダメ!
────楽しそうにしてる弥紗ちゃんの邪魔はできない
────自分で何とかしなきゃ……
とはいえ、中学、高校と女子校出身で男に免疫のない瑠菜に男をあしらう術などあるはずもなく。
ただ只管にこの地獄のような時間を耐え続けるしか方法はなかった。
勧められるお酒から逃げつつ、ジリジリと距離を詰めてくる相手からも逃げつつ、ただただこの時間が早く終わることだけを願った。
だが、現実とは無情だ。
必死に耐える瑠菜の努力を嘲笑うかのように、男の強引さに拍車がかかったのだ。
「ホラホラ、宇佐美ちゃ~ん」
「!?」
突然肩を抱くように腕を回され、瑠菜の身体がビクリと跳ね上がった。
「これなら甘くて飲みやすいし、お酒が苦手でも大丈夫だと思うよ~」
「……ッ!」
ガッチリとホールドされ、これまた強引にお酒の入ったグラスを口元に近づけられてしまった。
至近距離から漂うアルコールの香りに、脳が揺さぶられたかのように頭がくらりとなる。
────近……!
────っていうか、肩……!
────これじゃあ逃げられない
「おいしいから。ぐいっと飲んじゃって! ホラぐいっと!」
────飲まされる……ッ!
唇にグラスを押しつけられてしまい、もうダメだと観念して瑠菜がぎゅっと目を瞑ったその時だった。
「ハイハイ、ダメ~! 飲みのルールはちゃ~んと弁えましょーよ、センパ~イ!」
明るく軽い調子の言葉がかけられると同時に、瑠菜の唇に押し当てられていたグラスがさっと奪われていったのは。
『えっ?』と、思わず見上げたそこに立っていたのは、学内一の人気者で同級生の鷹乃瀬大和その人だった。
「お酒飲めないって言ってる人に無理やり飲ませるのはセクハラでしょ~。ん? アレ? パワハラだっけな? まぁいっか、この際どっちだって。と・に・か・く! 飲めない子がいるんだったら、その分飲めるヤツが代わりに飲んじゃえばいいんですよ! ってなワケでセンパイ! 飲めないこのコの代わりに男気見せてセンパイが飲んじゃってください……よ! ……ってね!」
「ぶはっ!?」
奪われていったグラスは、そのまま瑠菜に強引に迫っていた男へと返された。
それも無理やり中身を飲み干させるという暴挙によって。
ただ、強引にグラスを突き付け、勢いのままにそれを傾けたせいか、その半分以上は口には入らず着ていたシャツに零れてしまったのだが。
「よっ! センパイ、超オットコ前~! ヒュ~♪」
「テ、メェ……鷹乃瀬~~~!!」
「キャッ! 怒っちゃイヤン! カワイイ後輩のちょっとしたお茶目じゃないですか~!」
「……ッざっけんな! ゲラゲラ笑いやがって何がお茶目だ! オレのシャツ酒浸しにしやがって」
「ほい、おしぼり。あと顔も洗ってきた方がいいですよ?」
「テメェに言われなくともそうするよッ!」
サッと出されたおしぼりをひったくるように奪い、男は肩をいからせながらお手洗いへと消えていった。
怒涛のように流れていったこの一連の遣り取りを目の前で見ていた瑠菜は、ただただポカーンとするしかなかった。
まさに嵐のような出来事だったのだ。
ハッと我に返り、助けてくれたことへのお礼を口にしようとするも、それよりも早く大和が瑠菜の耳元でこう囁いた。
「キミの荷物、ここにあるものだけ?」
「えっ? あ……うん……」
「じゃあ、それ持って早くこの店を出た方がいい。一応追い払ったとはいえ、少ししたら先輩も戻ってくるし。また絡まれたら厄介だよ。次も同じ手が通用するとは限らないから」
「…………それは、ちょっと……」
『困る……』と続けようとした瑠菜の言葉を読み取ってか、大和は理解したと言わんばかりに一つ頷くと再び瑠菜の耳元で囁く。
「うん、だから。先輩が戻ってくる前に帰った方が安全だよ。ここの支払いはどうなってる? 事前に参加費払った感じ?」
「あ、ううん。お金はいらないからって、サークルの先輩に誘われて……」
「じゃあ何の心配もないね。テキトーに理由つけておくから、キミは早くここを出て?」
「鷹乃瀬くんは……?」
「オレもすぐに出るつもり。この店の入口のトコ、木が植わっててちょっと目立たないからそこで待ってて。心配だから送ってくよ」
「でも……それだと鷹乃瀬くんが参加した意味がなくなっちゃうんじゃ……」
「いいよ。元々参加するつもりなんかなかったのに、無理やりメンバーに組み込まれてただけだから。だから喜んで一緒に帰るよ。さ、行って」
「う……うん」
ほぼ頷かされる形ではあったものの、この場で苦痛に耐え続けるよりはずっといい。
迷ったのは一瞬で、瑠菜は荷物を手に取るとすぐさま合コンの席から抜け出し、大和が指示した場所へと向かった。
途中であの男と鉢合わせるかもしれないとビクビクしたが、それも杞憂に終わり、無事に入口を出たところで瑠菜は大きく息をついた。
「はぁ……」
吐き出した息が、冬の夜の冷たい空気に触れて白く染まる。
「助、かった……」
弥紗に黙ったまま店を出ることになったのは少し心苦しいが、さすがにあの場に留まるのは得策とは言えない。
己の身を危険に晒してまで留まる理由などないのだ。
あの場に強引に割り込んで男を引き離してくれた大和にはただただ感謝の気持ちしかない。
まだ……きちんとお礼を言えていないけれども。
『すぐに出てくる』と言った大和を待ちながら、今度こそちゃんとお礼を言わなければと思いつつ、瑠菜は冷たくなりかけた手にそっと息を吐きかけたのだった……─────