異世界に行った彼女の話:第五話
そうして先生と魔術の勉強を終えてからも、私は一人で部屋にいる時ですら、魔術の本を読み漁っていた。
魔術というものは、本当に興味深く、知れば知るほどに楽しくなっていく。
最初に私が見た……化学の構造式に似ていた絵柄は、魔法陣と言って魔術の基礎となるものだ。
それぞれの陣に意味があり、私は元素記号を暗記するように、主となる魔法陣を何度も繰り返し覚えていった。
主となるグループとは、光・闇・炎・土・水・風・氷・雷。
そのグループによってまた細かな陣が存在するのだが……。
例えば光には治癒やフラッシュ、闇以外の属性を吸収する陣が存在し、他も同様、炎や土などにも細かい特性がいくつもある。
それらを単体で使用することも可能だが、それぞれグループごとにある陣を組み合わせることで、様々な魔術を作り上げることも出来る。
そんな無限にも近い組み合わせに、あの本に記載されていた(無限の可能性)との意味も理解できた。
そうして魔術漬けの毎日を過ごす中、ようやく基礎を学び終えた今日、魔術の実戦練習をさせてもらえることになった。
先生は魔術を描く紙を持ってくると、私の前へ掲げて見せる。
魔術用に用意されたその用紙は、紙というよりも……アクリル板のようで、固く表面がスベスベとしている。
この板にどうやって文字を書くのかな?
鉛筆では無理だろうし……油性ペンみたいな物があるの……?
差し出されたアクリル板をペタペタと触っていると、先生はニッコリを笑みを深めてみせた。
「まずは実際に陣を書いてみようか」
そう話すと、先生はアクリル板を指でなぞっていく。
すると不思議なことに、アクリル板に青白い線が浮かび上がった。
光は指先を追うように流れていくと、板の上に陣が形成されていく。
その光景を茫然と眺める中、板には基礎で習った光の性質を持つ陣が描かれていた。
そうして光の陣が完成すると、先生はその陣を囲うように丸い円を描いていく。
円が一周すると、アクリル板からポォッとした光が溢れ、辺りを眩く照らしていく。
発せられた強い光に反射的に目を閉じると、光は次第におさまっていった。
「今のは知っての通り、光を発する魔術だよ。魔術の発動は、最後に陣を外周した円を閉じることで起動する。わかりやすいように、魔術板を使用してみたけれど、実際はどこに描いても陣は発動するんだ。……例えばこういう風に……」
先生は宙で指先を小さく動かすと、青白い光と共に、眩い光が現れる。
その様子に感嘆とした声を漏れる中、私はアクリル板を受け取ると、さっそく学んだ陣を描いていった。
書くだけだから簡単でしょう。
しかしそう思っていたのもつかの間……陣を描き円で閉じても魔術は発動しない。
何が発動したい原因なのか……先生に確認してもらいながらに、何度も何度も陣を書き直していく。
そうしてようやく発動したときには、すでに日は暮れていた。
うぅ……先生は容易い発動させていたが……これはなかなかに難しい。
実際にやってみてわかった事だが……ただ陣を書けば良いというわけではなかった。
一度描いてしまった線は消すことが出来ないから、書き間違えると一からやり直しになってしまう。
漢字のように書き順というものがなく、それぞれ書きやすいように描いていくのが一般的だ。
しかし陣は文字を書くのと同様に、バランスが大事。
陣全体が片方に偏ってしまったり、中央からはみ出してしまったり、そんな小さなミスですら発動しない。
これ……書きだす位置がとても難しい。
もうこれは書き順を統一して、学ばせた方がいいんじゃないの!?
そんな事を考えイライラする中、私は何度も何度も魔術の練習を繰り返していった。
そうして魔術の実演と講習を繰り返す中、簡単な陣であれば発動させることが出来るようになってきたある日、ようやくエルヴィンと面会する日が決定した。
まだまだ魔術についての知識不足だろうが……簡単な魔術なら発動できるようになった……。
しかし彼は魔術の天才と城で噂されている少年だ。
まだ魔術を習い始めて日が浅い私に理解できない事も多いだろうが……まぁ……そこはしょうがない。
やれることはやった……よ……?
いざ面会の当日、私はオリヴィアに連れられるままに城を出ると、広い庭園内に見える、大きな塔へと案内された。
見上げるほどに高く巨大な塔に唖然とする中、どこまでも続く螺旋階段を上へ上へと上っていくと、目の前に木製の質素な扉が現れた。
オリヴィアは扉の前で立ち止まり軽くノックすると、ガチャリと音と共に、中からローブを来た男性が現れる。
その男性と何やらコソコソ話し始めたかと思うと、オリヴィアは笑みを浮かべながらにこちらへと振り返った。
「異世界の乙女様、こちらの部屋でお待ちいただけますか?すぐに魔術士様が来られますわ」
その言葉に私は深くうなずくと、恐る恐るに扉を潜る。
中に入ると、ホールのように広々とした空間だった。
壁際にはいくつもの本棚がズラリと立ち並び、分厚い本がギチギチに並んでいる。
そんな部屋には、均等に長テーブルが連なり、テーブルの上には、大小様々なアクリル板が並べられていた。
魔術板からは、青白い光や黄金の光、スモッグのような灰色の光に、夕日のように鮮やかな朱色の光が浮かび上がっている。
板に描かれている複合された陣をよく見てみると、陣を囲んでいる円から、光が発せられている事に気が付いた。
円は花火が燃えるように徐々に徐々に削れていくと、光が次第に弱くなっていく。
へぇ……簡単なばかりやっていたから気が付かなかったけれど、円が光を作り出しているのね。
あれ、この陣とあちらの陣……円が消えていくスピードに差がある、どうしてだろう……。
疑問に思いながらにじっと見つめていると、まだまだ魔術について、知らない事が多いのだと改めて実感した。
そんな事を考えながらに、机に並べられた様々な魔術を目で追っていると、突然強い風が吹き抜ける。
その風に驚き顔を上げると、そこにはエメラルドの澄んだ瞳が私をじっと見つめていた。
突然現れたその姿に肩を小さく跳ねさせる中、部屋の中を見渡してみると、いつの間にかオリヴィアも、先ほどローブの男性もいなくなっている。
私は目の前に映る、底冷えするようなその瞳に視線をあわせると、少年は軽く息を吐き出した。
「……さっさと要件を言え。俺は忙しいんだ」
感情のこもっていない言葉に、私は慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい!あの……お時間を頂き感謝します。先にお礼を言わせて下さい。池から現れた私を助けて頂いて、ありがとうございました」
「はぁ?俺は何もしてない。あんたが勝手に現れただけだ」
「あっ、いや……そうなんですけど、わざわざ王様のところへ連れて行って頂けて助かりました!」
「あれは義務だ。あんたの為じゃない」
表情を変えることなく淡々と答える彼の様子に、私は苦笑いを浮かべると自然に視線が落ちていった。