異世界へ行った彼女の話:第二十七話
坊主を渡らせてどれぐらい時間がたったかの……ある日坊主はどうやってかはわからぬが……魔術を使い、この岩のトンネルへと戻ってきおった。
死んだ魚のような目をした坊主が、突然儂の前に現れたのじゃ。
想像以上に成長したあやつの姿にそりゃ驚いた。
なんせこんなに生きられるはずがなかったのじゃからな。
なぜ来たのか?そう問いかけるとな、坊主はお前さんが魔力を帯び倒れたとそう話した。
そこでピンっときたんじゃ……。
まさか儂も……このようなことは想定しておらんかった。
あやつはお嬢さんの生命力を吸収して、生きておる事実に。
坊主の成長を見る限り単純計算すれば……お主の生命力は後数年で消えてしまうところまで吸収しておった。
だからお主が倒れた。
吸収した生命力は戻せないのが世の理、そして坊主は心を病んだ。
俺はなんてことをしてしまったんだ。
愛する彼女を利用し、彼女の人生を奪いながらに俺は生きていた。
彼女の側に居続けた俺はなんて愚かなんだろうか。
俺はどうしたらいい、どうすれば彼女を救えるんだ。
こんなはずじゃなかった……彼女の人生を狂わせる事など望んでいない。
悄然とする坊主に何の言葉もかけられんかった。
異界の渡りを許した儂に責はある。
儂もこんな事になるとは思っておらんかった。
何とかしてやらねば……そんな時ある事を思いついたんじゃ。
儂は提案したんじゃ、お主をこの世界へ渡そうとな。
あちらの世界へ渡れば、地球で数年の命だとしても、向こうでは何十年の命になるじゃろう。
方法はお主をこの場所へ連れて来るだけでいい。
その提案を聞いた坊主はようやく瞳に光が戻ってなぁ、だがいくつか不安要素があったようでな。
それは儂の魔力をあやつに与え解決したんじゃ。
そうして坊主はすぐさまお主の元へ急ぎ帰っていった。
そしてあの日、坊主はお主を海へ投げた。
お主から離れたあやつは消滅していったがなぁ……。
鯰の言葉に頭が真っ白になって行く中、もうグレンに会えない現実に、心が壊れそうなほどに痛み始める。
「だからじゃ、地球へ戻ればお主は死ぬ。坊主がいない世界へ戻る理由はないじゃろう。新しい世界に戻りんしゃい。最後に彼からの預かった手紙じゃ、もっておいき」
鯰はどこから取り出したのか……器用に尾ひれを使い真っ白な封筒を私の前へ差し出した。
私は狼狽する中、震える手を伸ばすと、封筒を受け取る。
その瞬間、突然強い海流が流れ出すと、空気の泡が辺りを包み始める。
「この場所はもうすぐ消える。さすればここは只の池にもどるじゃろう。そろそろ時間じゃ」
息が……苦しい……魔術はまだ効いているはずなのに……。
必死に水中で陣を描こうとするが、海流が激しくそんなどころではない。
嘘……ッッ、嫌、待って、待って!!!
そう叫んでみるが、声は泡に溶け鯰にはとどく事はない。
「本当にすまなかった。全ては儂のせいなんじゃ……」
息苦しさに悶える中、洞窟が細かい泡にとけていくと、鯰の姿が霞んでいく。
「人間の人生を狂わせるつもりはなかったんじゃ。こんな謝罪では許してはもらえんだろうが……儂はおまえさんに坊主の分も生きてほしいと望んでおる」
水が私を押し上げていく中 体が強く引き寄せられると、水渦に飲み込まれる。
陣で照らしていた光が消え、空気の泡が激しく舞い上がる中、視界が闇へ染まっていった。
息苦しさに意識が遠のいていく中、私はグレンの名を何度も何度も心の中で叫ぶ。
グレン、グレン、グレン……ッッ。
本当にもう会えないの?
あなたは死んでしまったの?
ねぇ、どうして言ってくれなかったの?
生命力なんていくらでもあげたのに……。
あなたのいない世界に価値などないのに……。
私が生きてこられたのは彼が居たから……。
あなたのいない世界なんて耐えられないの。
だから約束したじゃない。
ずっと一緒にいようって……。
なのに私に生きろと言うの……?
あなたのいない世界で……?
次第に朦朧としてくる中、私は手紙をしっかり握りしめると、ゆっくりと意識を手放した。
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ふと目を開けると、よく知る海辺へ佇んでいた。
隣には愛しいグレンの姿。
今までは全て夢だったんだ。
嬉しさに彼を抱きしめようとすると、グレンはなぜか首を横に振った。
「ごめんね。手紙を返してほしいんだ」
「手紙?」
私はそっと右手を持ち上げると、そこには鯰からもらった封筒がクシャクシャに握りしめられていた。
手紙……じゃあれは夢じゃなかった……?
「これ?でも……これはあなたが……」
「うん、だけど君の新しい人生に必要ないと思うんだ。だから……ね。君には俺の生まれた世界で幸せになってほしい」
グレンは私から手紙を奪うと、ニッコリと笑みを浮かべながらにその姿が薄れていく。
「待って!!!」
そう必死に手を伸ばすが、私の手は空を切り、彼の姿は消え去ってしまった。
どこへ行ったの?
辺りをグルリと見渡してみると、波がゆっくりと引いていく砂浜で、よく知る海の家が見える。
私達が暮らしていたあの家。
懐かしい気持ちでじっと家を眺めていると、ふと異変に気が付いた。
そっと目を閉じ心を落ち着かせる中、周りの音が一切聞こえない。
波の音も、風の音も、砂の音も……。
耳が聞こえなくなってしまったのだろうか、とあーと声を出してみると、その音ははっきりと耳にとどいた。
もう一度顔を上げ辺りへ目を向けてみると、人の姿はどこにもなく、道路には車も走っていない。
明らかに不自然なその光景に、私はその場でガクッと膝をついた。
「私はやっぱり戻れなかったんだ……そして彼はもういない」
そう呟いた瞬間、テレビの電源が切れるようにプツリッと視界が闇に染まっていった。
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ふと眩しい光に瞳を開けると、そこは見覚えのある部屋だった。
真っ白なテーブルに豪華なデザインの壁、窓の外には大きな池が見える。
寝起きで頭がぼうっとする中、手から温かい熱を感じ、私は徐に視線を向けると、そこにはエルヴィンが俯きながらに、私の手をしっかり握りしめていた。
またこの世界へ戻ってきたんだ……。
そう心の中で呟くと、私は彼の姿に笑みを浮かべながらに、ゆっくりと口を開く。
「おはよう」
するとエルヴィンは目を見開きながらに顔を上げると、頬には大粒の涙が流れていた。
彼のエメラルドの瞳を見つめていると、私が知るエルヴィンよりも大分大人に成長している。
そんな姿に戸惑う中、彼は私の体を抱きしめると、その腕は微かに震えていた。
あぁ……そっか、時間の流れが違うからかな……。
私が去って行ってから、どれぐらい時間が流れたのだろう。
彼はこんな私を待っていてくれていたのかな……。
震える彼の体をそっと抱き返し、熱を感じながらに胸の中へ顔を埋めていると、私の頬に水滴が流れていった。
もう元の世界へは戻ることが出来ない事実。
そして彼に会うことは出来ない事実に。
彼がいないこの世界でどうすればいいのかわからないけど……私はこの世界で生きていくしかない。
彼がそう望んでいるのだから……。
エルヴィンの腕の中で新たな思いを胸に、そっと瞳を閉じた。




