二話「事務所にて」
昼休みが終わった後の午後の授業。
俺は桜華の言葉の意味をずっと考えていた。
プロデューサーになれ、か……。
考えるというよりは途方に暮れていたと言っていい。
桜華のスキャンダルを無かったことにするための方策とはいえ、あまりにも突拍子過ぎる提案ではないのか。
事務所の人手が足りないと言ってもこちとら高校生だ。しかも入学して一ヶ月も経過していない。中学生に片足突っ込んでいるような男だぞ。
色々と問題があるんじゃないか。
考えることが多すぎて授業に全く集中できない。
気晴らしに校庭を少しの時間眺めていたのだが。
「お、おい玖島。授業に集中しろ!」
「……あ、はい。すいません」
と、素直に詫びを入れ、先公の方に顔を向けようとする。
だが、先公は「ひっ」と小さな悲鳴をあげる。
目線を合わせようとしただけなのに、先公は勝手に怯えていた。
……何故だ。
別に睨んだわけじゃないし、俺の見た目が怖いわけでもない。
ただ顔を先公の方に向けようとしただけじゃないか。
怖いならわざわざ注意しなきゃいいのに。
大方特典稼ぎのための行為だろう。
くだらない。
本当にくだらない。
問題児らしく授業を放棄してバックレたい気分だった。
だが、そこはグッと堪える。
こうなってしまったのは俺自身のせい。すなわち自業自得だ。
中学生の時の黒歴史の代償だと思えば我慢できる。
何も言わず、無表情のまま黒板に向き直る。
面倒事を起こさないためにも、考えるのはやめだ。
昼休みの出来事を無理やり頭から振り払い、授業に集中する。
それでも内容の半分ぐらいは頭に入ってこなかった。
「ったく、桜華が変なこと言いやがるから……」
放課後。
昇降口で文句を言いながら帰宅の準備をする。
呪詛のような言葉を呟く俺の周囲に人はいない。
否、俺を恐れるように皆距離を置いていた。
いや、別に不機嫌ってわけでもないし、不機嫌だとしても周りに危害を加えるつもりなんて微塵もないんだが……。
まあ、仕方ない。これも代償の一つだ。
それよりも考えるべきは桜華の言葉だ。
プロデューサーになれ、なんて彼女は言っていたが、一体あれは何だったんだ。
丁度昼休み終了のタイミングで言われたために断るタイミングもなかったし、説明を受けるタイミングもなかった。
……聞かなかったことにするのが一番か。
「私の頼み、考えてくれたでしょうね」
昼休みの出来事を無かったことにしようとした矢先、校門で待ち伏せをしていた桜華本人から釘を刺されてしまう。
「出待ちとは卑怯じゃないか?」
「美少女が一人の男の子のために待っていてあげたのよ。少しは喜びなさい」
「昼休みに話してた理論と同じじゃないか」
「美少女とつければ何でも許されるの」
例え美少女だとしてもそこまで世の中は上手く回らないはずなんだが。
「さて質問だけど、この後予定はあるのかしら、優吾」
予定がある、と言わなければ連れ回されるパターンだこれ。
何か良い言い訳はないかと逡巡する。
「すぐに答えないってことは予定がないわね。なら私と一緒に事務所に行きましょう」
「待て。答えを出すには流石に早合点だと思うぞ」
「じゃあ、面倒くさそうな顔をした理由をまず答えてくれるかしら」
気がつかない内に面倒オーラを出してしまっていたらしい。
どうにか弁解しようと逡巡する。
「ほら、また逡巡した。考えが裏目に出てるわよ」
まるで彼女の手の平の上で踊っているみたいじゃあないか。
アイドルってやつは人の考えを読み取れるエスパーだったりするのか……?
「人間追い込まれたら感情が表に出やすいだけよ。私を騙したかったらもう少し鍛えるべきね。それじゃ、行きましょ」
「……お前な」
「お前じゃなくて桜華って呼んでちょうだい。未来のプロデューサー候補に『お前』呼ばわりは悲しいもの」
桜華は平然と言い、さらに
「まあ、すぐに優吾をプロデューサーに任命したりしないわよ。まずは事務所で説明を受けてほしいの。決めるのはその後でいいから。話だけでもとりあえず聞いてくれないかしら?」
と言うのだった。
やっぱり、アイドルは卑怯の塊だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
河西桜華が所属している事務所は雑居ビルのワンフロアを拠点としているようだった。
桜華が入り口の電話を鳴らすとすかさずドアが開く。
「桜華ちゃん、いらっしゃいっす」
「どうも、坂崎さん」
出迎えたのはスーツを着た若い男性だった。
若干緊張した様子といい、話し方といい、今年入社したばかりの新入社員のように見える。
「もう少ししたら社長が来るんでお待ちくださいっす」
応接スペースで坂崎と呼ばれた男性がお茶を運んできて、事務連絡をしてくれる。
「ありがとね、坂崎さん」
「いえいえ。それにしても彼が例の男の子なんすね?」
「まあ、ね。それより坂崎さん、この後は?」
「……書類の作成っす。……はあ」
「大変だろうけど、頑張ってね」
「まあ、新入社員だから仕方ないっす。俺……じゃなくて自分、頑張るっす」
坂崎さんは小さくガッツポーズして行ってしまった。
「今の人は?」
「坂崎拓郎さん。事務所……というより会社の雑務担当」
小さな会社だから若手の社員が雑務をやらされるんだろう。
世知辛いが仕方のないことだ。
頑張れ、坂崎さん。
「でもわざわざ社長が出て来る辺り、桜華のお願いはかなり重要毎なんだな」
「そりゃあね。まあ、社長が出てくるのは当然といえば当然だけど……」
「どういうことだ?」
「だって事務所の社員、坂崎さんと社長しかいないもの」
「……え?」
人手が足りないとは聞いていたけど、社員二人(+所属アイドル一人)はあまりにも少なすぎでは。
心によぎった思いを口に出そうとしたが、聞いたことのない明瞭なボイスが遮った。
「オー、ユーが玖島優吾だねー」
中途半端に発音の良い英語が混ざった言葉。
だが、その言葉を発した人物を一瞥した瞬間、違和感は消えてなくなった。
ウェーブがかったブロンドの髪に色白の肌。
ナイスバディの上には白いスーツがよく映える。
「紹介するわ、優吾。彼女はノーラ・スコット。この会社の社長よ」
「よろしくねー、玖島君」
社長とは思えないくらいフレンドリーに手の平をヒラヒラと振っているノーラと呼ばれた女性は若くてセクシーな白人女性だった。
……初見のインパクトだけで言えば、桜華を遥かに上回っている。
「ちょっと。あなた今、ノーラさんに比べたら私のこと地味だなって思ったでしょ」
「そこまでは思ってねえよ。何でさっきまで自意識過剰だったのに今は自己評価落としてるんだ」
「優吾がノーラさん見てデレデレしたからでしょ」
「いや別にデレデレなんてしてない」
「その割には視線が胸部に一直線のようだけど?」
「男の本能だ。許せ。それに胸だけじゃなくてスカートから伸びるスラットした肉体的な太腿にも視線は向けて……って痛い痛い。腿をつねるな。今時暴力ヒロインは流行らないぞ」
「今では一周回って流行るかもしれないけどね。というか、優吾が欲望に抗っていたならこんなことしないわよ」
「そこはお前の寛容な美少女精神で見逃せ!」
「美少女精神なんて意味不明な言葉を使って逃げないで」
「……オー、二人は仲良いねー」
いつの間にか対面に座っていたノーラさんが微笑ましく俺たち二人のやり取りを見ていた。
いやこれ、ただの喧嘩だからな?
「桜華ちゃんから聞いた時は不安だったけど、今なら玖島君にプロデューサーの役割を任せてもいい気がするよー」
「今のやり取りのどこを見ていいと思ったんですか」
「オー、安心して。お給金はきっちり出すから。高校生だからバイト扱いだけどねー。まあ、プロデューサーっていう大変なお仕事をやってもらうから正社員と同じくらいの給料になるよう上手いこと調整するよ」
「待ってください。俺はまだプロデューサーの仕事をやるなんて一言も言ってません」
けど、高校生の身で正社員と同じくらいの給料っていうのは結構魅力的だ。
かといって金で釣られたりはしないがな。
「……オー? やらないの……?」
「やることを前提としないでください。可愛く首を傾げても無駄ですよ」
「優吾、ノーラさんは天然なの」
「いや別にその情報はいらん」
ノーラさんは恐らくだが20代前半。
今はまだ許容範囲だが、20代後半になってもこの天然な仕草をしてたら色々きついだろうな。
「……オー、今何かとっても失礼なこと考えてなかった?」
「プロデューサーをやるなら俺じゃなくても坂崎さんがいるじゃないですか」
心に思ったことを深く追求されたら命に危険が生じるかもしれないため、咄嗟に回避する。
「最初は坂崎君をプロデューサーにすることも考えたんだけどねー。小さな会社には小さな会社なりに忙しいの。それに加えて昨日の一件もあるでしょ? 総合的に考えた結果、玖島君にお願いするのが一番だと思ったの」
「いや、俺まだ高校生だし、プロデューサーやれって言われても何すればいいかわからないし……」
「始めから完璧な仕事をしてくれとは言わないよ。少しずつ、少しずつやることを覚えていけばいいの。いくらか経験があるといっても、桜華ちゃんもまだまだ未熟なんだから。二人で一緒に成長していけばいい。ほら、日本には二人三脚って素晴らしい言葉があるくらいだし」
ノーラさんは本当に大人の女性かってくらい子供のように無邪気に笑う。
反面、中身はしっかりとした年上の言葉だ。
素晴らしい言葉だと思う。
だが。
「……やるやらないはともかく。小さな会社は星の数ほどあるにしても、ここって一応芸能事務所ですよね。社長含めて社員は二人。所属者もほぼ無名に近いジュニアアイドル駆け出しのアイドルが一人。この状態から成り上がるなんて……不可能に決まってるじゃないですか」
しかも桜華の夢はトップアイドルになることだ。
弱小中の弱小芸能事務所。
トップアイドルになるどころか、名を売ることすら困難に近い。
野球未経験の九人しかいない高校野球のチームが甲子園で優勝を目指すようなものだ。
「玖島君は不可能だからって理由で何もしないのかな? ゼロからイチは生まれないよー」
それでも、ノーラさんは平然と笑う。
九人のチームメイトがいなければ甲子園を目指すどころか試合すら出来ない。
無理だと分かってても九人集めて無謀な挑戦を行う。
しかも当人たちは決して甲子園優勝が出来ないなんて思わない。
ノーラさんは……いや、ノーラさんと桜華は甲子園で優勝が出来ると本気で信じている。
…………坂崎さんは分からないけど。
「だからって……幾らでも別の方法はあるんじゃないですか」
「探せばあるだろうねー。けど、私はイチから彼女に挑みたかった」
「あ、優吾、」
「……彼女とは?」
「彼女には触れちゃ……あーあ」
大人しく俺とノーラさんのやり取りを見守っていた桜華が慌てたように割り込んでくる。
だが、桜華は遅かったと言わんばかりにため息をついた。
「……そう、彼女。彼女の名前は三条沙良って言うの。アメリカのハイスクール時代、私のことを見向きもしなかったあの女……。笑顔を振りまくだけ振りまいて、私の初恋の男の子の気持ちをかっさらっていった魔性の女……。挙句、私との能力差を思う存分見せつけてきた憎き女。……許すまじ。許さないわ三条紗良ぁぁぁあああ!!」
「の、ノーラさん……?」
「駄目よ、優吾。ノーラさんがこうなったら誰にも止めようがないわ」
あまりの豹変ぶりに修羅でも宿ったんじゃないかと思う。
心なしか「ヒィィ」と坂崎さんの悲鳴が遠くから聞こえてきたような気がした。
(ノーラさんをここまで変えてしまう三条紗良って誰だ? そんなに凄い人なのか?)
(あら、知らないの? そこそこ有名な人だけど。あの総合商社H&Cの取締役よ)
(あのH&Cか!?)
総合商社H&Cといえば、ここ十数年で一気に大企業への仲間入りを果たした会社だ。
つい最近ではエンターテインメント事業にも手を出し始め、その一貫として芸能事務所を子会社として持つまでにいたった。
そしてその芸能事務所には現在日本で注目を浴びている河北慶という二枚目俳優や高城和晃といった若手俳優が所属している。
何より、数年前に世間を騒がせた香月比奈という元アイドル(今は女優兼歌手として活動している)もこの芸能事務所出身のはずだ。
(優吾もH&C社は知っているようね。ま、数年前一人のアイドルが随分注目を浴びたからね。お陰でそのアイドルが引退した後の二年間、トップアイドルの座を巡ってアイドル界は空前絶後の戦いが繰り広げられてたくらいなんだから……)
何だそれ、事態を盛りすぎじゃないか、と思ったが桜華の深刻な顔を見るに本当にあったことらしい。
まあ無理もない。芸能人にほとんど興味のない俺でも香月比奈というアイドルは強く記憶されてるくらいだ。
アイドルの頂点に立っていた彼女が急に舞台から消えれば、その座を巡った戦争が起きたとしても無理はない。
「……というか待て。ノーラさんは……いや、ノーラさんだけじゃなくて桜華はそのH&C社に挑もうとしてるのか!?」
「ええ、その通りよ」
さも当然と言わんばかりに桜華はニヤッと笑う。
先程、桜華はアイドルが引退した後の二年間は凄絶な戦いが行われていたといった。
そう、行われていたのは二年間だけ。
元国民的アイドルの香月比奈が引退した二年後――ついに一人の少女がトップアイドルの座に君臨した。
以来、彼女は燦然と輝くアイドルの王者として活動している。
当然のように所属事務所は香月比奈と同じH&C社の芸能事務所である。
「優吾も名前くらいは聞いたことあるんじゃない?」
芸能人に興味のない俺だって知っている。
いや、日本人なら誰もが知っていると断言してもいいくらい、彼女の名は広く知れ渡っている。
そんな彼女の名前は。
「――本渡美結菜。私の憧れの人であり、私の最大の敵よ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「オー、さっきは取り乱しちゃってごめんね」
「いえ、気にしてないので」
嘘です。
人が豹変する良い例として深く心に残った。否、心に傷を負った。
「プロデューサーの件、今すぐとは言わないけどお願いねー。良い返事期待してるから!」
「この私が目にかけたんだからよろしく頼むわよ?」
「玖島君、また遊びに来てねー」
ノーラさんは笑顔で手を振り。
桜華が傲岸不遜に笑い。
坂崎さんは呑気に見送る。
小さな会社ではあるけれど、三人の結束力は決して低くないと感じた。
あの三人の輪に入るか入らないかは俺次第だ。
プロデューサーか……いや、それよりも……。
彼らが打倒を目指す強大な敵。
様々な気持ちを描きながら俺は会社を後にする。
俺の深刻な様子を察したかのように携帯が軽快な音楽を鳴らす。
誰かからメッセージが来たようだ。
『早めに仕事上がったから夕飯作ってあげようと思ったけど限界でした。優君の帰り待ってます。お腹空いたよ~早く~(>ω<)』
とまあ、そんな感じのありきたりな内容。
メッセージの差出人の部分には、
『本渡美結菜』
と表示されていた。