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一話「始まりの鐘が鳴る」

 アイドル――それは憧れや尊敬の対象であり、夢の一つでもあり、追い続けるものでもある。

 ただし、極少数の人間にとっては障害物となり、挫折や失望の象徴にもなる。

 ずっと遠くで見ていた『アイドル』を、ずっと夢見ていた『アイドル』を、ずっと追いかけていた『アイドル』を――そして、ずっと大きな壁だった『アイドル』の正面に立つ。


「『アイドルになれるわけがない』だなんてトップアイドル様が殊勝なことを言うじゃないの。上等だわ。私からもあなたに言わせてもらう」


 この物語は生半可なアイドルの成長物語ではない。


「受け取りなさい、本渡美結菜。これは私からの宣戦布告よ」


 ――これより始まるは一人のアイドルとの戦いの物語。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 



 屋上から見ることの出来る景色は今日も綺麗だった。

 僅かに残った桜の花びらが風で舞い、純白の雲と清澄な青色の空に色鮮やかに混ざり合う。

 風景だけでなく、小鳥のさえずりや生徒たちの元気のある声が気持ちよく耳に入ってくる。

 四月に味わうことの出来る極上の環境ではないかとすら思う。


「――ちょっと、あんた」


 こんな時間がいつまでも続けばいいのに。


「ねえ、聞いてるの」


 けれど現実は非常で、あと三十分もしないうちに昼休み終了のチャイムが鳴る。

 屋上でゴロゴロ寝転がってられるのも今のうちだけだ。それまで澄み渡った空を瞳に焼き付けねば。


「おいそこのロマンチスト」


 ヌッと視界に人影が入り込んでくる。

 ちょうど視線の前に顔を重ねてきたせいで青空が見えなくなる。


「……誰だ、お前」

「誰だ、じゃないわよ。こちとら今日一日ずーっとあんたを探してたっていうのに」

「ストーカーかよ」

「同じ学校の男子生徒って情報しかなかったんだから仕方ないでしょ」

「それはストーカーをしていいって理由にはならないと思うんだが」

「うるさいわね。男なんだから細かいこと言わないの。むしろ美少女にストーキングを受けたことを喜びなさい」

「自分で美少女って言うか、普通……」


 けれど目の前の人物は確かに美少女といって差し支えない容姿の持ち主だった。

 力強い輝きを放つつり目に陶磁のような肌。流れるような黒髪は絹のように繊細だ。


「だって私が美少女なのは事実でしょう」


 あくまで美少女であることを強調しながら彼女は手を差し伸べてくる。

 その手を掴み、俺は起き上がる。


「とにかくようやく見つけたわ」


 腕を組みながら二本足で立つ彼女は、どんなに綺麗な風景でさえ霞ませてしまうような凛とした光を放っていた。


「……俺を探してたらしいけど、俺はお前のこと知らないぞ」

「なら昨日のことを思い出しなさい」

「昨日のこと?」

「そうよ。あんたは昨日、男に絡まれた美少女を助け出すっていうラブコメ的イベントを経験してるでしょ」

「ラブコメ的イベントって……」


 でもまあ昨日暴漢に襲われていた女性を助けたのは事実だ。

 

 昨日、食材が足りないということでスーパーに向かっている途中、路地の奥から微かに声が聞こえた。

 前々からそこは不良どもがたむろしている危険エリアで、この近辺を利用している人ならば誰もがその情報を知っている。だから普通の人は近づかないようにしているはずだった。


「お前もこの学校の生徒なんだからあそこが危険って知ってるだろ」

「ええ、もちろん。ただ急いでたから近道をしようとしたの。結果的に普通に向かうより遅くなっちゃったけど」


 目の前の女性は露骨に苛立ちを見せた。


「ま、あんたに会えたのが不幸中の幸いってやつね」

「あー……もしかしてそういうことか?」


 俺の予想通りだとしたら、彼女に申し訳ないことをしてしまった。

 別にそういったことを期待して助けたわけではない。あの場所に少なからず因縁のある俺としては、暴力の現場を見過ごせなかっただけだ。


「ようやく理解した?」

「ああ。……悪いけど、俺はお前とは付き合う気はない」

「…………はあ?」


 美少女が顔を歪ませる。

 正直女の子が見せていい顔じゃないと思う。


「自意識過剰ね。私があんたに惚れたとでも思ってるの? 私のような美少女があんたに?」

「お前にだけは言われたくなかったな」


 勘違いなら勘違いで構わないが、上から目線で言われるのはムカつく。

 

「ま、あんたも悪くない顔立ちしてるし、普通の女の子なら惚れちゃったかもね。驚いて反応が遅れただけで、あの場をなんとか出来た私としてはそこまでトキメキを感じなかったの」

「どういうことだ?」

「簡単な話よ。護身術を学んでるの。あの程度の人数と実力だったら一人でも何とかできたってこと」


 なるほど。助け損だったってわけだ。


「あ、別にだから助けがいらなかったってわけじゃないわよ。あんたを探してた理由の一つだって昨日助けてくれたことのお礼をするためだったんだから」

「その割にはあることないこと言ってくれるじゃないか」

「ないことは言ってないわよ。告白もしてないのに断られる屈辱を味わってなかったらあることも言うつもりはなかったわ」


 ということは彼女は俺のことを自意識過剰と思ったままのわけだ。

 やっぱり助け損だったんじゃないかな。


「だから改めて。……昨日は助けてくれてありがとうございました」


 彼女は頭を下げて真摯にお礼を言ってきた。

 先程までの態度から一転した姿勢に戸惑いが生じた。


「ああ、いや、まあ……そこまで言われるようなことはしてないけど」


 結果、照れくさくなってそんな言葉しか出てこなかった。


「なんだ、意外と可愛いところあるじゃない」

「……うるさい」


 彼女は顔を上げてカラカラと笑った。

 笑う姿も絵になっていて、照れくささと恥ずかしさでつい目を逸らしてしまう。


「礼を言うのは俺を探してた理由の一つって言ってたけど、他の理由はなんだよ」


 話を変えて誤魔化す。

 それに他の理由が気になるのも確かだ。


「もう一つの理由を話すにはある情報知っていることが前提になるわ」

「ある情報?」

「ちゃんと全部話してあげるからいちいち聞き返す必要はないわ。私、元々ジュニアアイドルとして活躍してたの」


 アイドル。

 俺はその単語につい反応してしまう。


「あまり知名度は高くなかったけどね。それでもそこそこ私を応援してくれるファンはいた。ありがたい話ね。けど、態度……というより行動に問題があるファンの人もいるわけで、ちょっと困ってたのよ。……って聞いてる?」

「あ、ああ、もちろん」

「なーんか納得いかない返事ね。ま、いいわ。それで昨日の騒ぎの野次馬にそのファンの人がいたわけ。あんたがチンピラを抑えた後の私達を彼は見ていたの」


 ――路地裏の空間にたどり着いた時、三人の男が目の前の美少女を取り囲んでいた。

 俺はまず、美少女に触れていた男の腕を掴み、捻り上げるようにして地面に投げた。その光景を見た他の二人はすかさず殴りかかってきたが、どれも単調な動きで避けるのは容易だった。

 必要以上に暴力を振るうのもなんだったので、足を引っ掛けるやら、突っ込んできた勢いを利用して相手に自滅を促すやらでその場を乗り切った。

 三人が倒れている隙に俺は目の前の美少女の手首を掴み、その場から駆け出した。

 人の目がある場所に来てもすぐには手を離さず、問題の地点からある程度距離を置くまで走り続けたのだった。

 男どもから逃げたあとは、ここならもう大丈夫だ、とだけ俺は言い、目の前の美少女と一方的に別れた。


 それが昨日の顛末の全てである。


 ……というかいい加減名前を教えてくれないだろうか。

 説明するのに美少女という表現が一番分かりやすいから美少女って言ってるけど、あまり気乗りがしない。

 

「彼は私とあんたの逃避行を恋人同士のじゃれ合いだと勘違いしたらしくてね。スキャンダルだって言ってSNSに私達の写真を載せているの」

「ファンの風上にも置けないやつだな」

「ええ。ファンの人をあまり貶したくはないけれど、こればかりは最低ね。アイドルをしている以上ある程度覚悟はしてたけど」


 美少女が陰りのある表情を見せる。

 やはりアイドルってやつは一筋縄ではいかない職業らしい。


「要するにその場に居合わせた当人としてスキャンダルの撤回の手伝いをしてほしいってわけか」

「それも理由に含まれているわね。私自身がそこまで有名じゃないから、火種が大きくなる前にほぼ消火できてる」

「消化できてるなら俺を探す必要はないと思うんだけどな」

「ほぼって言ったでしょ。完全に消化するにはあんたの協力が不可欠になる。だから、あんたに協力を依頼しに来たのが一つ」


 彼女は指を一本立てる。


「まだ他にあるのか」

「さっきジュニアアイドルとして活躍してたって言ったでしょ。今は事務所を変えてトップアイドルになるために勇往邁進中なの。ただ、私の所属している事務所が発足したばかりで人手が足りないの」


 トップアイドルとは夢がでかいなあだとか、夢がでかい割に事務所を選ばないのはどうなんだ、といった感想が頭をもたげる。

 けれど、彼女の語りには確かな「熱」があった。「熱」が伝わって、俺はいつしか彼女の言葉に真剣に耳を貸すようになっていた。


「今更だけど、名前を教えてくれる?」

玖島(くしま)優吾(ゆうご)だ」

「良い名前ね。優吾って呼ばせてもらうわ」


 今日は四月の中でも極上の環境だ。

 風が心地よく、空も快晴ときた。


「私は河西(かわにし)桜華(おうか)。桜華って呼んでちょうだい」


 風が桜の花びらを運び、青空に彩りを与える。

 そんな幻想的な光景を己のものとし、桜華は世界の中心となる。

 

「玖島優吾。あなた――私のプロデューサーになりなさい」


 直後、俺と桜華の物語の始まりを告げる鐘の音が世界に響いた。



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