湖面の人
ファンタジー、もしくはSF(すこしふしぎ)
緑の湖面を通して、私はずっと知らない人の顔を見ていた。
森のほとりあるに私の家は、森の中にある広くて美しい湖に近く子供のときからよくそこへ遊びに行っていた。
その人は、突然現れた。
声は聞こえない。いつも私が一方的に話すだけ。湖に入れば会えるかと、飛び込もうとする私をその人は慌てた仕草で止める。理由はわからないけれど、飛び込んでもその人には会えないらしい。
そんなことを繰り返して、動作ばかりのやりとりの中でわかったのは、どうやらその人のいる場所は私の世界とは違うらしいということと、私の声は聞こえているらしいという二つだけ。
世界が違うとわかったのは、私の世界は晴れているのにその人の世界が曇っていたり、私が見たこともない服をその人が来ていたりするからだ。
文化や国どころではなくてたぶん違う世界だと思うくらいには私にとって異質に見えた。
私の声が聞こえているらしいことは、相手の反応からわかった。だけどその人が何かをいうことはなく、向こうからの音自体も聞こえないので一方的にこちらの音だけが通じているらしい。
冷たい湖面に手を晒す。その人は一瞬慌てて、たぶんまた私が飛び込もうとするのではないかと思ったのだと思う、けれどそれ以上何もしない私に少しだけ首をかしげた。
その人と触れ合うはずの手は、当然ながら冷たい水を感じるだけで人の温度や固体的な感触を得ることはない。
しばらくそうしていると、その人も私の手の位置に自分の手を重ねた。瞬間、もしかして触れられるかも、なんて思ったのはすぐに打ち消される。やっぱりそこは冷たいだけだった。
恋、とも呼べない。漠然とした憧れだけを抱いて私は湖に向かう。
静かな揺れを伴う湖面にしては鮮明に写るその姿を見つめるだけの虚しい邂逅。
初めてあった頃には少女だった私も、今では嫁入り出来る年になった。
湖の向こうのその人は、いつ見ても変わらない。時の流れが違うらしい。その人のことを表現する時はいつも“らしい”としか言えないことが、どんなに辛いか。私はこの何年かで深く学んだ。
「こんにちは」
声は聞こえても、言葉は通じるているのか。その人はいつも私の第一声に微笑む。
「今日は私がここへ来るのが最後になると告げに来たの」
その人は目を丸くしてパチパチしている。いつも曖昧な態度で伝わっているのかいないのかわからなかったけれど、なんとなく通じているのだろうか。戸惑った雰囲気があった。
「私は明日には隣村の人の元へお嫁に行くのよ。だからもうここにはこれない」
たぶん、一生。言いたくなくて噤んだ。どうせ言ったところで現実に実態を伴って相見えることなどできないけれど。
触れられない距離に焦がれても、実世界は私に構わず進んでいく。夢ばかり見ていられる年齢はとうに過ぎ去ってしまったのだ。
「さようなら」
言って私は、湖面に触れる。最後に一度でいいから彼に触れたかった。手のひらに当たる小さい水しぶきと冷えた温度は現実を教えてくれたけど、それでも私は笑った。
さようなら、湖面の人。幼さの憧憬。必死で手を伸ばした愚かな過去。
さようなら、さようなら。
私のあいした幻。
我ながら作りが雑ですね。