コーヒーの空き缶
寒い冬の日のことだった。
「はい、缶コーヒー。微糖で良かったよね?」
白い息を吐きながらそう言って彼女が差し出したコーヒーの空き缶を俺はまだ捨てることが出来ずにいる。
黒い髪がたなびいてキラキラと輝いていて。乾いた冬の風はその美しさをより一層際立たせているようだった。ほとんど化粧をしない彼女の綺麗な肌は少しかさついていて、いつもはぷっくりとした唇もその潤いを失っているようだった。
「ケンカしたの」
ぽつりと呟いてそれっきり口を閉ざしてしまった彼女の目尻が赤くなっているのを俺は見ないふりした。それは彼女のためというよりは自分ためだった。
「そっか」
上手く慰められない口下手な自分が嫌になるけれど彼女はうん、とそれだけ言ってマフラーに顔を埋めた。気を悪くした風ではなかった。その様子に少し安堵しながら俺は言葉を探す…が、その前に彼女が口を開いた。
「どうして、上手くいかないのかな」
「うん。そうだね」
「私が悪かったのかな」
「さあ。俺にはわからないや」
「そうだよね」
「人生はままならないものだよ」
本当にままならない。
君が俺のものじゃないように。
「私、もう行くね。ここ寒いし佐波くんみたいなイケメンを独り占めしてたら皆に怒られちゃうから。付き合ってくれてありがと」
「あ、うん」
「じゃまたサークルで」
「うん、また」
俺の外見は女子ウケが良いらしい。イケメンだとか、男前だとかよく言われる。自分ではよくわからない。学祭期間は地獄だ。ミスコン(ミスターコンテストの略)に呼ばれたりだとかサークルの催し物に客寄せパンダだとかで呼ばれたり無駄に引っ張りだこでかなり疲れる。中身はただの口下手コミュ障なのに、そんなところも周囲はクールとかミステリアスとか寡黙とかなぜか知らないが好意的に受け止められている。世の中には不思議がいっぱいだ。
忘年会と名されたいつもと変わらない飲み会もお開きになった。なんの因果かアルコールがまったく効かない俺はどんなに飲まされてもシラフと変わらない。だからどんどん飲まされるのだが、流石に水分は溜まる。俺がトイレに行っている間にみんなは店の外に出たらしい。彼女だけがトイレの前で待っていた。
彼女はあまり酒が強くないらしい。今日はそんなに飲んでいないようでほんのり頬は赤くなっていたけど、足元はしっかりしていた。そのことを残念に思っている自分にうんざりする。
「あのね佐波くん、私、彼氏と仲直りしたよ」
「…そう。よかった、ね」
「うん。あのとき話聞いてくれてありがとね」
「いや、別に」
こっちを見てはにかみ笑いする彼女があまりにも可愛くて愛しくて、衝動的に抱きしめる妄想が浮かんだ。
でも現実には出来ない。俺は近くて遠いこの距離を壊せずにいる。身体はこんなにも近くにいるのに、心はあまりにも遠い。
結局、彼女を抱きしめるのは妄想の中の俺だけだ。やましい気持ちを押し隠していることを彼女は知らない。幸せそうに笑っている彼女が知ることは一生ないだろう。
あの、部屋の片隅に置いてあるコーヒーの空き缶は明日の朝ゴミに出そう、そんなことを思った。
イケメンの片想い