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 泉水に次は勝つなどと、なんの当てもなく言い切ったもののそろそろサボりの虫も湧いてきはじめて放課後になってもすぐにグラウンドへ向かう気になれなかった。

 暑いし、頭痛もなおりきらないし。

 こっそりこのまま帰ってやろうかと何度も迷いつつ、それでもしぶしぶ部活へかったるい足を向けた。

 

 サボれば安藤がまたうるさいだろう。あの女に怒られるのと部活に出るのとどっちが面倒かと天秤にかければ、アストライアはにやりと笑って前者を指し示すだろう。

 俺も遺憾ながら同感だ。

 ……なにより今日だけは変に邪推するヤツも出てきそうな気がするし。というのは、こっちの邪推だろうか?

 

 グラウンドはいつもより心もち人が少ない気がする。あくまでも心もち、だが。

「お・そ・い!」

 着替えてトラックへ行くと頑張ってサボらなかった俺の努力はなんの甲斐もなく、すでにアップを終えた安藤にあっさり一刀両断された。

 ちゃんと練習に来るだけマシになった、というようなポジティブな考えは持ち合わせてないらしい。


「……いろいろあんだよ」

 言い訳も思い浮かばず俺は口の中で言葉を濁した。

 トラックの連中もみんなとっくにアップを終えているらしい。それぞれの自主練習に入っているようだ。

 となると一人でアップを行わなければならないが、まあそれもいつものことと言えばいつものことではある。

 三年はこれまでの経緯を考えれば当然ながら相も変わらず遠巻きで、同級生たちは薄情というか形勢を読んでいるというかマイペース、そして一年からしてみたら得体の知れない微妙な立場の俺に進んで声をかけてくるヤツもめったにいない。

 

 たまに気まぐれなのか物珍しいのか変わり者がいるが逆に俺がなじめなくて結局断ってしまう。

 部長になれだのなんだのおだてられたところでまだまだ俺なんて、ぽっかりと波間を漂うクラゲみたいなもんだ。

しょうがないし、別に誰かと仲良くするためにやってるわけでもないんでどうでもいいんだが。


「…………」

 なのでいつもの通り一人ストレッチを始めたんだが、何故か安藤がかたわらから離れない。


「…………なんだ?」

 聞きたくはない。こういう場面でこいつが俺にもたらす話にどんないいことがあった試しがあるだろうか。いや、ない。皆無といっていい。

 しかし聞きたくはないんだが、じっと無言で見下ろされているプレッシャーに俺は耐え切れなかった。根性のない自分が憎い。


 どうせ突っ立っているならストレッチに手を貸してくれても良さそうなもんだが、安藤にその気配はなかった。

「噂は届いてるよ、多分みんなに」

「噂?」

「今日の、体力テスト」

「あー」

 俺はハムストリングスを伸ばしながら、曖昧にうなった。他に言いようがない。素直な感想だ。

 だからどうした、とはさすがに怖くて続けられないが。


 みんな暇なんだな。おしゃべりスズメが電線に寄り集まっては、ちゅんちゅく喋りあっては情報を伝達していくのと同じだ。

「そこらの運動部が、大慌てで勧誘に走ってるよ。ノーマークだったって」

「なるほど」

 どおりでグラウンドがわずかだが空いていると思った。いまグラウンドに出て来てる連中はなにごともなかったように平常運転に見えてたが、水面下ではダークホースの新規勧誘でバチバチ火花を散らしているのか。


 ご苦労なことだな。主に有坂が、だが。

 安藤は納得した俺をじっと見下ろしている。いつものこいつらしくないまだるっこしい話の持っていき方だが、もしかして俺に有坂を勧誘して来いという前フリなのだろうか。

 だとしたら冗談でもやめてもらいたい。


  念のため、別に有坂を見て頭痛がする体質になったからでも、ヤツが嫌いなわけでも、負けたからひがんでるわけでもない。

 単に俺が強制されて部活をやるのが、どれほどつまらなくて面倒で面白くなくて苦しいばっかりなのかを知っているからというだけだ。

 

 やりたければ勝手にやるだろうし、そうでなければそれはそれでそいつには必要のないことなだけだ。自分からは仲間に入れない内気なタイプでもなさそうだしな、有坂。


「不愉快? この話題」

 意外にも安藤は斜め上の見当外れな台詞を吐いた。

「は? べっつにー?」

「じゃあなんでそんなふてくされてんの」

「ふてくされてるつもりもないし、ふてくされるような理由もない。そう見たいからそう見えてるだけじゃね?」

「そう?」

 安藤は納得した様子もなく首をかしげている。俺は深く息を吐き出して、そして立ち上がった。単に、ストレッチの次の動作にうつるためだけの理由だが。


 さっきまで俺を見下ろしていた安藤と、今度は身長差の関係で目線の位置が逆転する。

 まあ見下ろされたからといってひるんでくれるような、そんな可愛いキャラじゃないが。


「強いて言うなら、この話題でうわすべりで的外れなあてこすり言ってくる連中が不愉快ではあるな。言いたいことがあるならズバっと言えばいいじゃないか。にやにや笑ってるヤツの顔眺めて時間とられるのはつまらないだけだ」

「私?」

「お前も言いたいのは別の話だろ?」

 安藤はいつもの勝気な笑みを浮かべる。


「まあね」

「ざまーみろでも調子にのんなでも、なんでもいいからさっさと言ってさっさと消えてくれ」

 思わず勢いに乗って言わなくてもいいことまで口にしてしまったが、安藤はいちいち言葉尻を咎めず肩をすくめた。


「別にそんなこと思ってないから言わないわよ」

「あっそ」

「うちの部もお昼休みに部長と福島先輩が、その子のところに行ったらしいよ」

「へー……」

 さらりと元の話題に戻されて、俺はあっさり勢いを失った。また曖昧にうなる。まあ、確かによその部が行って陸上部が行かない理由はない。

 というかこの流れなら率先して行っていても不思議はないし、トラックも有坂が入部すれば大きな戦力になる。

 

 俺的には有坂の存在は嬉しくはないが、本人がやりたいというなら止めることでもない。そんな権利もない。

 ただ、短距離に来て同じ四百をずっとやるのはしんどいかもしれないが、でもそれも面白い気がする。まず有坂がうちに入れば、だが。


「うちのエースがこれでやる気になってくれるかもしれないから、ありがとうって」

「……は?」

 今日はいちいち安藤は俺の予想を裏切る台詞を吐きまくる。どうしたんだ一体。俺は唖然としてしまってぽかんと大口をあけてしまった。


 安藤は俺のこのリアクションを待っていたらしい。イタズラが成功した小学生みたいに嬉しそうに目を輝かせている。

「ありがとう……?」

「そう、ありがとう」

 百歩譲って宮崎部長はともかく、福島先輩までが一緒に? なんの冗談か、嫌がらせか。どういうことだ。

「それだけあんたのことを、なんだかんだ言っても先輩たちは買ってるってことでしょ」

 じろりと安藤に睨まれたが、俺は呆然として畏れ入ることもできない。部長はもちろん、トラックを走っている福島先輩もいつもどおりでそんな気配は微塵もない。

「実際それだけの奮起を見せるほどの甲斐性があんたにあるのか、疑問ではあるけどね」

 さらに安藤は小憎らしい台詞を続けるが、なんかもうそういういちいちに腹を立てるにはちょっと気がそがれすぎていた。

 

 というか、いつもどおりっていったところで俺の知っているいつもどおりは接触がないということだけで福島先輩が普段はどんな人なのか本当は全然知らないことに気がついた。


「そりゃそうだろうね」

 安藤はやれやれと言いたげに大げさに溜息をついた。


「せんぱ~い、一緒にジョグ行きましょうよー」

 俺が戸惑っていると、脇から背丈のひょろ高いメガネの一年生が声をかけてきた。

 小学生のお迎えか。こいつもトラックの選手らしく俺に時々誘いをかけてくるヤツらのうちの一人だった。

 中でもこいつが一番頻度が高い気がする。


「あれ、まだ話し中っすか?」

「ううん、全然。ほら桐生、せっかく町田君が誘ってくれてんだから行きなよ」

「俺を誘ったのか?」

 お前のことじゃないのかと言おうとしたら、安藤に先に思いっきり背中を叩かれた。

「痛てえ……」

 小声で不満を漏らしたが、安藤は知らん顔をしている。


「あれ」

 今更ながら、ふと気がついたことがある。

「お前、部会の時に俺に有名人だかなんだかって口を挟んだヤツか」

「えー」

メガネは情けない声をあげた。

「これまで全然覚えてくれてなかったんすかー」

「えっと、すまん……?」

 あの発言は失礼な割り込みだったと思うんだが、俺が忘れてやってたほうがこいつ的には良かったんじゃないかと思うんだが、メガネが恨めしそうな顔をしやがるのでつい謝ってしまった。


「つーことは、当然俺の名前は」

「え……」

 助けを求めて安藤を見る。もちろん安藤が助け舟を出してくれるような優しさを持ち合わせているはずがなく、肩をすくめられただけだった。


「町田です。町田司です。先輩とおんなじ四百やってまーす」

「別に下の名前は……」

 いらないんじゃないか、と最後まで言い切れなかったのはメガネ、もとい町田が悲しそうに見えたからだ。

 図体がでかいくせに上目遣いをするんじゃない。


「とりあえず、走るか。うん。そうしよう。じゃあな安藤」

「はいはい、いってらっしゃい」

 なし崩しに町田がついてきて、俺はなんだかわけがわからぬまま一年たちと一緒にその日のトレーニングをこなすことになったのだった。



 そしてそれから数日。

 体力テストの余波はクラス内だけでおさまらず運動部を揺るがしたことに盲点ながら俺は驚いたのだが、運動部どころか全校を揺るがしていたことを知る羽目になる。

  

「大袈裟にもほどがあるだろ」

 俺は朝から頭を抱えた。日頃の頭痛だけで手一杯なのに、また新たな頭痛の種が勃発だ。

「あはは、亮ちゃんが自分で思ってるより有名人だったってことだよきっと」

「それは慰めてるつもりか?」

 こちらの気など知る由もないのか泉水は明るく笑っている。


 何が嫌って、話に尾ひれがつきすぎている上に時系列まで入れ替えられていることだ!

「俺が有坂に負けて悔しいから毎日練習に出てることになってるうえに、部長が有坂を勧誘に行ったら嫉妬のあまり退部すると言い出して、それをなだめるためにしょうがなく次期部長の座を俺に譲ることになったとかになってんぞ!」

 

 噂と言うよりも、ただのデマだ。真実のかけらもないではないか!


「どうどう、落ち着いて」

 憤死しそうな俺を泉水がなだめるつもりか背中を叩いてくるが、申し訳ないが逆効果だ。

 

 さっきパンを買いに売店に行ったら、購買のおばちゃんにまで次は頑張れと励まされた時は屈辱のあまり受け取ったパンを握りつぶしてしまった。

「そんなにこの学校の連中は暇なのか、話題に事欠いてるのか! 俺はワイドショーネタに踊らされる芸能人か!」

「まあまあ、そんな怒らないで」

「これが怒らずにいられるか」

 廊下を歩きながら俺はとりあえず買ったばかりのパンの一つをビニール袋から取り出した。自分のせいだが真ん中からひしゃげている。


「噂のでどころがわかったら、そいつを名誉毀損で訴えてやりたい」

「ははは、その前に消えちゃうよ」

 他人事だと思ってか、泉水は鷹揚だ。

「人の噂も四十九日ってやつか」

「それはちがーう」

 泉水が嫌そうな顔をする。


「七十五日。二ヶ月半くらい?」

「なげーよ、そんなに耐えられるか」

 パンに食いつきながら、重い息を吐いた。


「なんでよ、たった二ヵ月半だよ。だいいちもうすぐちょうど夏休みだしね。もっと早く忘れちゃうよ。あと十日くらいの我慢だよ」

「そうは言ってもなあ」

 パンを三口で片付けてしまって二つ目を取り出した。教室に帰り着く前に全部なくなってしまう勢いだが、腹が減っては怒りをセーブすることができないのだからしょうがない。

 昼飯は昼飯でまた何か買うとしよう。


「あっというまだってば」

 泉水はゆっくりと言った。

「わたし、毎日ものすごーく早くすぎちゃうなーって思ってるもん」

 廊下の窓は全部開放されているが、ほとんど風が入ってこない。泉水はしみじみと実感がこもったように言う。


「それに中学卒業した時、三年って長いようで短かったなーって思わなかった?」

「それとこれとはだいぶ違わないか」

「違わないって。これから亮ちゃんのながーい人生のうちのたった二ヶ月半くらい、すぐすぎてしまうよ」

「長い人生ねえ」


 ――――雨。


「これから生きていったらいろんなことがあるんだから、後になって考えたらこれくらいなんてことないことのうちだって」

 泉水は俺を見上げてにっこりと笑った。

 未来から振り返る今じゃなくて、今この瞬間の話なんだがといいたいのに口がしびれたように言葉が出てこない。

 

 ――――雨が降っている。

 ――――紫陽花の影。そして有坂幸夜。

 ざわりと黒い影が内側でうごめいて、鳥肌が立った。心臓が一つ強く俺をノックする。


「どしたの?」

 急に黙った俺に泉水が不思議そうに見上げてくる。もちろん廊下には七月の日差しがいっぱいに差し込んでよく晴れている。

 雨なんてどこにも降っていないし降る気配もない。


「いや、なんか急に」 

 心配そうにされて居心地が悪く感じたせいか、さっきの不快感は体の中をすり抜けてどこかへ消えてしまっていた。

嘘みたいにもうなんともない。

「また頭痛?」

「いや、そういうんじゃなくて……」

 俺は少し首をかしげて考えた。

「気分が悪い、みたいな?」

 手に持ったままだったパンに再び食いつきながら答えてしまったおかげか、泉水は微妙な表情で俺を眺めはしたがなけなしの優しさかノーコメントだった。


 本当になんだったんだろう。頭痛に加えて心筋梗塞のケでもあるんだろうか? 心筋梗塞の症状がどういうものなのかは全く知らないが。

 ふと視線を感じた気がして、振り返る。廊下の端に有坂幸夜がいたが、クラスの女子たちと盛り上がっているだけのようで、自意識過剰なだけかもしれなかった。


 しかし、なんだったんだろう。具合が悪い時はあいつのせいにする癖がついてしまったんだろうか。

 考えても結局答えが出るわけがなくて、俺は残りのパンを一息に口に放り込んだ。


「ほんと気をつけてよ」

「何にどう気をつければいいんだよ」

 パンを飲み込んで返事をしたところで、始業のチャイムが鳴った。泉水はまだ言い足りなさそうな顔つきをしていたが、一旦話を打ち切って教室へ戻る。

 

 一時限目の物理の公式が全くデータとして脳内メモリに蓄積されることなく授業が終わってしまったのは、遺憾ながらさっきの不快感とは何の関係もないことだった。


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