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 気が済むまで、とはいかないが少しの間泣かせてもらって、自転車を押しながら有坂と並んで校門を出る頃には空は青とピンクの地層を綺麗に作って落ち着いていた。

 あれだけの激しい雨が嘘のようだ。 

 

 こんな風に世界は目の前であっさりと裏返って手のひらを返すのに何を安心していたんだろうと、今なら思う、

 

 西日はじりじりと俺たちの背中を焦がすが、吹き渡る風は涼やかだった。

 有坂の顔色も多少は回復しはじめたのに負けないように、俺も気力を取り戻しぽつぽつとどうでもいいような会話をかわした。

 

 駅へ出る頃、さっきからずっと聞いてみたかったことを訊ねてみた。

「いつからあんな超能力? みたいなのがあるんだ?」

「さあ。物心ついた時には普通に使ってたから覚えてない」

 本人は話題に出されるのが嫌だろうかと迷っていたのだが、有坂は案外あっさりと答えてくれた。

「へえー」

 あっさりしすぎて逆にこっちの感想が困ったくらいだ。すげえなと言っていいものなのかどうなのか。

 いろいろ便利そうで羨ましいが、俺が漫画やらアニメで知っているといえるかどうかわからないがほかの超能力者みたいなヤツらは、その力故に迫害されたり困った目にあっている。

 一般社会では経験がないアニメ脳で申し訳ないが、そいつらと比較してみて有坂にどう言ったものか悩んだ。


「それに別にたいしたことはしてないよ」

「どこがだよ」

「うーん」

 有坂は首をひねる。


「結局のところ、桐生一人がうまく騙されてくれれば良かったわけだし。その本人はとても協力的だったしね」

「俺?」

「そう。誰に限らず基本的に脳自体は簡単に騙されてくれるものだけれど。ほら、騙し絵とか。記憶の改訂とかあるだろう」

「ふむ」

「桐生はその中でも無意識に進んで騙されたがっていた。なかったことにしたがってた。ずっと……教室でも廊下でもいたるところで記憶がいつも高野さんの影を探していた」

「……そうか」

 夕日のせいだけでなく赤面したくなるような台詞を真顔で言われた気がするが、軽く流しておくことにした。

 深く追求しないほうが幸せになれそうだ。


「まあ」

 俺はちょっと考えて別の方面から思ったことを口にした。

「俺と泉水はラッキーだったよな。お前に会えて」

 有坂は不思議そうに俺を見返した。

「おかげでもう一回会えたし、話せたし」

「どうかなあ」

 そのまま礼につなげようとしたのに、当の有坂は懐疑的だ。

「なんだよ」

「僕のせいで二人とも、一度ですむところを二度もつらい別れをしなきゃいけなかったんじゃないかって気もするよ。……特に桐生は」

「あほか」

 足元に視線を落とした有坂を、厳しく叱ってやった。


「会えたほうがいいに決まってんだろ」

 有坂は白い顔を上げた。読みづらい表情をしている。

「たとえすぐまた別れなきゃいけないにしても、もう一度会うほうを選びたいよ俺は。最初別れた時とおんなじくらいつらかったとしても、いや、二回目のほうがつらかったとしてもまた会えたほうがずっといい。二度と会えないより会える方がいいよ。当たり前だろ」

「そうか……」

「おう」

 断言してやると有坂は、息を吐いて笑った。こいつも何か吹っ切れたらしい。


「なら良かった」

「よし。せっかく夏も来ることだしパーッとやるか」

「え?」

「お前もここまで付き合ったんだ、最後までこのままついてこいよ」

「え? え?」

 困惑する有坂を自転車の後ろに乗っけると、ホームセンターに走らせた。大量に打ち上げ花火を買い込む。

 最初は何が何だかわからない顔をしていたのに、花火をカゴに押し込む頃にはどこか納得したような顔つきの有坂にも快くかどうかはわからないが多少カンパしてもらった。


「河原行ってやろうぜ」

「いいけど……まだ明るいけど……」

「細かいことは気にするなって」

 まだ完全に日が落ちない沼田川へ自転車で乗り付けると、サッカーをやっている小学生たちがそろそろ遊びをやめるタイミングを伺いながら走っていた。

 俺の記憶がまた無意識に遊んでる小学生たちと同じくらいの年齢だった泉水や、ついこないだ一緒にデートだかなんだかで一緒に来た泉水の姿を探すけれど、当たり前ながら抜け殻の残像しかない。

 心臓がぎしりと痛むが、気がつかないフリをした。


「よーし、この辺でいいか」

 泉水と来た時よりはもう少し風を受けにくい橋の方へ寄って自転車を止めた。買ってきたビニール袋のから花火を全部出していると、有坂が黙って制服のズボンのポケットからライターを取り出した。

「お」

 そういえば花火ばっかり買ってきたが肝心な火を用意してないことに今更気がついた。

「気がきくー」

「どういたしまして」

 有坂は褒めたのに嬉しそうな顔もしない。というより何故ライターを持っている。


 喫煙者だったのかと問う前に、有坂は大きく息を吐き出した。

「今日は朝からこうやって桐生に最後まで付き合う運命だったんだなあ」

「どういう意味だ?」

「そういう意味だよ」

「さっぱりわからん」

 有坂がつまらなさそうに肩をすくめて説明をしてくれたところによると、これもこいつの能力の一環で一般的にアポーツと呼ばれる物体移動能力らしい。

 こいつの場合は、自分が欲しいものではなく予知的にこれから何かで必要になるものが意思とは関わらず勝手に出現するそうだ。


「そりゃなかなか大変そうだ」

「まあ、役に立ってくれればなによりだけどね」

 何に使うのか本人にもわからないので、使いそびれたまま無用の長物で終わることがほとんどならしい。

 ふと記憶がよみがえった。

「あれ、ってことは前スパナ持ってたのは」

「ああそんなこともあったね」

 有坂はくたびれたように息を吐く。本人にとっては全然嬉しい能力ではないようだ。はためには便利そうにみえるんだが。


「あ、あとついでに言っておこうかな」

「なんだよ」

「体力テストで短距離一緒に走ったと思うけど」

「おう……」

 そういえばそんなこともあったな。忘れていたわけじゃないが、わざわざ思い出したくもない出来事だ。

 泉水の台詞じゃないが人の噂もなんとやら、ようやく周囲も関心を失ってくれたのかいちいち引き合いに出されなくなっているのに。

「あれはインチキだから気にしないで。桐生のイメージを勝手に使ったんだよね」

「は?」

 意味がわからず聞き返した。


「僕、本当はあんまり走るの得意じゃないんだ。でも僕が目立って高野さんの存在をカムフラージュさせなきゃいけないしということで、桐生の走りのイメージというかそういうものをそのまんまコピペしたんだよね」

「はあ……」

 説明されても理解できない。というかそんなことまで出来るのか。


「普段はできないんだけど、まあ僕もいろいろとあの手この手を使わざるを得ませんで」

「なんじゃそら」

「……いる人をいなくするより、いない人をいるようにするのは結構大変だって事」

「まあ……それはそうかもしれないが」

 いまいち理解が及ばず首をひねったが、有坂はそれ以上は説明する気がないらしい。

「とにかく、あの時の僕の記録は本来の桐生の能力だから。頑張ってこのまま部活やったらいいと思う」

「そうか……」

 そう言われてもしかし全然頑張ろうという気になれないのはなんでなんだろうな。とりあえずこの話を続けるのはやめにした。


 それから花火についてきたミニろうそくを倒れないようかつ風で消えないようにベースを作って立てることに成功する。

「よーし片っ端から行くか」

 火を点けると、藍色の空に打ち上げ花火が上がった。


 有坂は無口な花火職人のように、せっせと次々と順番に花火を並べては火をつけていく。帰る準備を始めた小学生たちが、ちょっとばかり羨ましそうにこっちを見ていた。

 いくつか連続で花火を上げ終えて、太陽が川上の山に完全に姿を隠した頃一段落してもう一つ気になっていたことを有坂に訊ねてみることにした。


「えーっとさ。もしかしてお前、泉水のこと好きだったりしてたりする?」

「えっ」

 次の花火の準備をしていた有坂が絶句して俺を見た。


「いや……全然そんなことは……そう思われるのが意外というか。変な意味ではなく。なんというか、その……」

 何故かものすごく慌てている。普段の取り澄ました笑顔じゃないのが新鮮だ。

「あ、別にさっき手を握ってたのはそういうつもりじゃないから」

 有坂はひどく戸惑った顔をしていた。

「そういうんじゃなくて」

 有坂は言葉を捜して、暗くなっていく川面を見つめた。

「単に君らが羨ましかった気がするよ」

「うらやましい?」

 どこがなのか重ねて聞いてみたかったが、有坂はあいまいに笑ってごまかした。それでもいつだったか転校が多いようなことを言っていたことを思い出して、そういうことなのかなと勝手に納得することにした。

「ま、いいか」

 口の中で呟いて、俺は花火に火をつける。赤とピンクの小さな花が空に華やかに咲く。


「こっちのはかなりでかいぞ」

 次の花火はひまわりのように黄色く丸く花開いた。

「よし、この調子でどんどん行くぞ」

「綺麗だね。きっと高野さんも喜んでるよ」

 有坂が笑う。


「だといいけどなあ」

 ――――手向けの花だ。受け取れ、泉水。





 生まれて初めて、夏休みが長いと思った。

 部活にも毎日真面目に出て、有坂が体育テストで俺を驚かせたフォームが俺の中にあるもんだというならもうちょいとだけ本気でやってみようかと汗を流したり、何故か安藤にしごかれたり、ガラにもないがついでに後輩の面倒まで見たりした。

 補習もサボらなかったし、織田たちと地元のと尾道のと二回も花火大会に出かけたし、島の親戚のとこへ泊まりに行って海で泳いだり川で釣りをしたり、誰かの家に宿題をやる名目で集まっては夜通しゲームやったりもした。

 例年の夏休みと変わらないといえばかわらない。

 

 いつの夏休みだって盆を過ぎる頃には、いい加減することがなくなって、母親にゴロゴロするなと布団叩きで追い回されたりするもんだ。

 それでも今年は異常なくらい長く長く感じた。暇とかじゃなくて。

 時間の針がまったく動いてないんじゃないかと思うくらい、一秒一秒が粘っこくなかなか終わろうとしなかった。

 

 おかしなことに、いつもならそうやって怒る母親もなんだか文句を言いに来なくて調子も狂わされた。

 ついでに言えば安藤もどこか気を使って必要以上に怒鳴りまくってるような雰囲気があった。ものすごくポジティブに考えての話だが。


 多分、俺の記憶の改竄が元に戻ったとき、みんなも一緒に元通りになったのだろう。俺が落ち込んでると思ってくれたんだろう、勝手にそう考えることにしている。

 

 そんなこんなで地獄のような夏休みも、それでもようやく終わりが来て新学期を迎えた。けれど。

 二学期の教室も、どこか妙に居心地が悪い。有坂の魔法がとけてしまったせいだろう。

 クラス全体が普通にしよう普通にしようと頑張りすぎて、逆に変な空気をかもし出してくれている。

 こっちとしては、教室に足を踏み入れたときに俺の前方の席が空席になっていることの衝撃もちゃんと受け止める覚悟が出来ていたんだが。そうは見えなかったんだろうか。

 由井がしょっちゅう教室から姿を消していた理由をようやく実感した。が、あらためてそれを言いにいけばきっとまた怒られるだろう。

 

 しかし正直驚いたのは、別のことだったりする。

 空席がもう一つ増えていたことだ。

 有坂幸夜がいなくなっていた。


「なんでだ?」

 織田の首根っこを捕まえて訊ねると、夏休みの間に親の都合とかで転校が急遽決まったのだと教えてくれた。

「風の又三郎かっつーの」

 思わず呟いた。本当に親のせいか? 俺には経験がないからさっぱりわからないが、そんなに突然転校とかできるもんなのか?

 俺が誰かに有坂の特殊能力を喋るとでも思ったんだろうか。ものすごく心外なんだが、またしても文句を言うべき相手がいない。


「おい、織田」

「えー?」

「どこへ転校していったって?」

「さあー、行き先までは聞いてない」

「使えねえな!」

 のんびりした返事に思わず理不尽とも言える突っ込みを入れてしまった。

「えー、ひでえよー」

 織田は不服そうにぶつぶつ言っていたが、謝るのは後回しにしてその場を離れた。

 有坂を取り巻いてた女子どもなら、転校先を知っているかもしれないと考えたのだ。

 しかし、どいつに聞いても首を横に振る。またしても八つ当たりしたい気分になったが、さすがに複数名の女子を敵に回す勇気はないので内心で舌打ちするに留めておいた。

 そもそも本当は俺に、誰を責める権利もなければそんなことが言える立場でもないのも重々承知していた。


 しょうがないので、始業式の前に職員室に足を運んで担任に聞きに行くことにした。

「岐阜? なんで岐阜」

 答えはあっさりもらえたが、親の仕事の都合で岐阜に転校というのがどうにも解せない。

 いや、そういう業種もなにかあるのかもしれないがこんな田舎に来てみたり突然岐阜くんだりへ引っ越してみたり有坂の親父は一体どんな仕事なんだ。

 納得がいかないが、職員室にも俺の疑問に正解を出せるヤツがいるはずがない。とりあえず礼だけ述べて廊下へ出た。

 有坂は携帯を持っていなかった、とクラスメートたちは口をそろえて言っていた。だから個人的な連絡先を知っているヤツはいない。

 一か八かでクラス名簿のこっちの自宅だった電話番号にかけてみたが、転送にもならず現在使われておりませんのアナウンスが無情に返ってくるだけだった。

 

 俺はちらりと時計を確認してから、さっき聞いてきた有坂の転校先の学校に電話をかけてみることにした。

 三コールめにつながったが、事務の人でも出るのかと思えばどうやら向こうの校長が出たらしい。

 名前と学校名を告げて、用件を簡単に説明したが始業式前でごたついているのかどうにも要領を得ない返事ばかり戻ってくる。

 有坂が転校してきたばかりにしても、こんな校長じゃ周りはさぞかし大変だろうなとこれから行われるであろう始業式でのスピーチを想像して勝手に暗鬱とした。 まあ、そんなことはどうでもいい。

 こっちも始業式に出なければならないので、ギリギリまで折衝した挙句わかったのはとりあえず今のところ有坂は編入試験の一度だけしか学校へきたことがないということだ。

 転校の前準備で何度か登校しなければならないこともあったらしいが、父親だけしか来ず本人の姿はなかったらしい。

 手続きはすんでいるのでそのうち来るだろうと向こうの校長には言われたが、何故だかあんまり期待できない気がした。何の確証も根拠もないが。

 

 とりあえずもし有坂がちゃんと来たら、俺に連絡がもらえるよう電話番号だけ伝えて通話をた。

 しまいそこねた携帯を手の中でもてあそびながら、始業式の体育館へ足を向ける。

 うちの学校の校長の話も長かったようだが、全く耳に残らなかいまま式は終わった。

 

 こんな風に簡単に、ハサミで何かを断ち切るよりもあっさりと。

 ついさっきまで近くにいた人があっさりと何の痕跡も残さずに消えてしまうことがあることを。

 ほんの少し前に知ったばかりなのに、俺はバカだな。

 

 途方にくれたまま、教室に戻って二学期初日のHRを終えた。掃除当番を残してみんなさっさと家に帰っていく。

 織田に昼飯を食ったら家に来いと誘われたが、気乗りしなかったので断った。

 迷子になった子供みたいな、そんな気分だった。


(泉水。有坂がどこにもいないんだよ。お前知らないか?)

 返るはずのない声を、まだどっかで待っている。本当に俺はバカだ。

 廊下の床に視線を落とすと、一学期の終業式に持って帰らなかったから薄汚れたまんまの上履きの横に水滴が一粒落ちるのが見えた。

 しみじみ自分がバカだと確信した。

 いつまでも学校にいても暑いばっかりだし、せっかく部活はないんだから俺も早いところ家に帰りたいんだが身体に上手に命令を出せなかった。


(泉水)  

 呼べば当たり前に返事がある贅沢さに慣れすぎていて、わかっていてもつい名前を呼んでしまう。

 階段のほうから、ほかの生徒たちの話し声が響いた。そのざわめきにまぎれるように、泉水がしょうがないなあ、と笑った声が聞こえた気がした。


 俺はごしごしと顔をこすると、一つ頭を振った。いかん。ずいぶん心が弱り始めているようだ。幻聴まで聞こえ始めるとは、末期だ。

 そりゃ泉水も心配して、いつまでも俺のそばにいたはずだ。

 肩で大きく息を吐くと、少し気分が入れ替わった。

 有坂はこの学校からは消えても、連絡がとれなくなったところで死んだわけじゃない。


 そういうことだ、と一歩足を踏み出したとたんに制服の胸ポケットの中で携帯がびりびりと震え始めた。

「うお、誰だよ」

 心臓を直接ノックされるくらい衝撃がある。せっかく決めたところを驚かされて、慌てて着信番号も確認せずに電話に出た。

「誰だってことはないだろ。自分から連絡して来たんじゃないの」 

 たった一ヶ月ちょっとしかたってないのに、妙に懐かしく聞こえる声が電話口から流れてもう一度心臓が殴られた気がした。


 というか、誰だと言ってるのに名乗りもしない。お前と電話で話すのは初めての気がするんだが、わかって当然だろうということか?

「…………」

「どうした、桐生?」

「いや、お前今どこにいるんだよ」

「どこって学校。新しい学校。始業式っていうか転校初日にいきなり大遅刻しちゃったけどさ」

 有坂は電話の向こうで朗らかに笑っている。顔は見えないけれど、どんな顔しているのか想像がついた。


「お前さ……」

「ああ、どうかした? なんかあった?」

 なんかあったかってあったに決まっているだろう。新学期はじまったらお前いきなりいないじゃないか。

 一学期の終わりにあんな感じで別れて、始業式でいきなり転校して行ってたら俺が不安になるとか考えなかったのかこいつは。

 一息に文句を言ってやりたいのにどうにも言葉が出ない。


「うーん、もしかして僕のこと心配してくれてたりするんだろうか」

「あのなあ」

「ははは、それはないか」

 有坂はおかしそうに笑った。

「ほんとどうしたんだよ桐生。……もしかして泣いてるのか?」

「なんで泣くんだよ!」

「しょうがないなあ」

 否定したのに、有坂はスルーしやがった。何がしょうがないんだよ。お前も泉水も勝手に決めつけすぎなんだよ。

 泣く理由なんか、俺にないじゃないか。有坂は少しだけ声のトーンを落とした。


「ゆっくり話を聞いてあげたいとこだけど。まだ学校なんだ。そっちもだろうけど。夜にでもまたかけなおすよ。あ、これ僕の携帯だから登録しといてちゃんと」

「……携帯持ってないんじゃねーのか」

「こないだ買った。一応友達らしい友達もできたし。使う機会もあるかなーと思って」

「……あっそ」

 俺が不機嫌に相槌をうつと、電話の向こうで苦笑した気配があった。


「じゃあまた後で」

「おう……」

 そして通話が切れた。


 泉水、これはお前がなんかしたのか? たまたま偶然だよなあ。

 秋の気配を少しも感じさせない青天を見上げて訊ねたが、当然返事はない。あるはずがない。

 このどこへ向けていいのかわからないやりきれない、悲しいのとも少し違う行き場のない空虚さもいつかどこかへおさまるんだろうか。

 代わりの何かが穴を埋めてくれるのか。それとも忘れていくのか?


「とりあえず百年後、覚えてろよ」

 約束どおり、こんな気分にさせられる文句をたっぷり言ってやるつもりだ。

 俺は足を止めて、呼吸を整える。まだ時々どうにもできない目の前が暗くなる感じに捕まるけれど、俺は大丈夫だ。

 ちゃんとスタートラインが見えている。 


 ゆっくり顔を下げると、一度目を閉じ自分の鼓動の音を聞く。全身の力をためる。体中を流れる血液とエネルギーが出口へ向けて方向を定めているのがわかった。深く沈みこむイメージ。

 そして俺は合図のピストルを待ちながら顔を上げる。


「なーんてな」

 俺は家に帰るために歩き出した。




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