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月の箱庭  作者: 悠月
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第4夜:蒐集家

冷たい雨が張り付いて艶やかな髪の毛を重くする。

コートに描かれる水玉模様も次第に多くなり、女は小さく舌打ちをした。

今日はとんでもない厄日だ。

後輩はへまをやらかし上司からは残業を押し付けられた。

昼食もろくに取れぬまま、ずっとパソコンとにらめっこ。

ようやく帰路に着くころには見計らったようにこの雨だ。


ブランドのもののコート。

色も形も好きではない。

けれど出来る女を演じるためにあつらえた。


足元を彩る靴も血豆をこさえながら、やっとの事慣れたのだ。

けれどぬれた路地の上とは相性が悪く、何度も体を揺らす羽目になった。


もう、嫌だ

何もかも投げ出してしまいたい


最近全てがうまくいかない

いっそのこと、この身と共にすべて捨ててしまおうか


暗い思考で街中を歩きながら目に付いたのは小さなギャラリー。

小さなドアからは暖かそうな光が漏れている。

絵になど興味は無いけれど、この雨からは逃れたかった。

思い切ってドアを開ければ、心地よい暖かさが頬を打つ。


「いらっしゃいませ」


現れたのは一人の紳士。

室内の温度と同じ柔らかな笑みを湛えていた。

首元のループタイがひどく目を引いた。


「コートをお預かりしましょう」


「えっ・・・ああ」


こんな小さなギャラリーで丁寧な扱いを受けるとは思っていなかったので少々戸惑った。

長居するつもりなど無いのにと思いつつ、笑みに促されコートを渡す。

その紳士の腕に納まったコートを見てそんなに悪くないかもしれないと思ってしまった。


そこは本当に小さなギャラリーだった。絵は一枚きりしかない。


青いカップを持った少女が一度として表情を変えずにどこか焦点の合わない目で此方を見ている。

その絵の題名は『青いカップ』

少女の背後はうっそりとした灰色で黒いドレスに埋もれた顔の白さと手元の青ばかりが目に付く絵だった。


あまり好きではないな

そう思っていると、紳士が背後から声をかけた。


「この作品にはこんな話があるのですよ」









そこには看板もなく橙のランプの光りがほんの少し漏れ出ているだけのドアだった。

ドアを開けるとリンと客の来店を告げる涼やかな音がする。

店内を淡い光りが包み、茶を基調とした店内が暖かく迎えてくれる。

カウンター席をあわせても20席もないであろう狭い店内はけっして息苦しさを感じさせはしなかった。

ゆるりと流れるオルゴールの調べに導かれ、いつもの席に座ればマスターが微笑を浮かべる。

「いらっしゃいませ」そんな言葉でこの静かな世界を壊したりしない。

銀色の髪はきれいに撫で付けられ、眼鏡きらりと光る。

布巾でグラスを磨く姿は奇跡のようだった。

理想の老紳士を描いた絵から抜け出したのではと思ってしまうマスターは背後の棚の扉を音もなく開けた。

ここでは好きなカップにお茶を注いでくれる。

色とりどりのアンティークカップが鎮座して選ばれるのを待っている。

こんな隠れ家的な喫茶店に飛びいりでくる客は珍しく、店内にいる客は殆ど顔馴染みだ。

顔馴染みといっても言葉を交わしたことはなく、彼らの名前も帰る場所も知っているわけではない。

この空間を共有する同士なのだ。

無粋な言葉でこの世界を揺らしたりしない。

もしかしたら空間を彩る椅子と同じ意味しか持っていないのかもしれない。

それぞれに定位置があり、お決まりのメニューがある。

もちろん選らぶカップも決まっているのだ。

カウンターの端に座る老人は何の飾り気もない白いカップにダージリン。

手にはいつも分厚いミステリー小説。

金文字も擦り切れた洋書はひどくこの世界に合っていた。

男のお気に入りは深い青のカップだった。

上辺を金の模様が踊り、ソーサーにも花のように広がっている。

いつものようにそのカップを指差そうとおもったら棚の一番下の右下、そこのあるはずのカップがなかった。

今までにそんなことはなく店内を見回してみると、一番奥の席にひっそりと座っている少女の姿が目に入った。

フリルをふんだんにあしらった黒いドレスの少女は壁にかけられた絵のようにしっくりと馴染んでいた。

けれども知らぬ顔だ。その手元には青いカップがあった。

残念に思いながらも別のカップを指差した。

違うカップでいつものメニューを頼むのは何となく嫌で今までに飲んだことのないお茶を選んだ。

次の日店を訪れるとやはりあのカップはなかった。

奥の席にはあの少女がぽつりと座っている。

次の日も次の日も次の日も。

お気に入りのカップは自分の元へは返ってこない。

どんなに時間を変えてみたところであの少女はそこにいるのだ。

青いカップの代わりに白に緑の模様が映えたカップが定番になる頃に男はそっと禁忌に触れる。

「君の名前は?」








語り終えた紳士は女を奥に案内した。

絵を背にするように一人掛けのソファと机が置いてある。

目の前の壁には何もかかっておらず、白い壁紙が全体を覆っていた。


「まぁおかけください。お茶でもどうぞ」


いつのまにかティーカップが。

悪いと断ろうとしたのだが良い香りに誘われるままに腰を下ろした。

少し自分には柔らかいと思うソファはしっかりと全身を支えてくれた。


「すみれの香りでございます」


一口含めば鼻孔を芳醇な香りが満たし、ほうと息をつくころには心地よさが脳髄を満たす。

スプーンには小さな角砂糖が一つ。


「どうぞ砂糖を入れてみてください」


「ああ、私砂糖は入れないの」


これとて、そのほうがカッコイイと思い込んでいたからに過ぎないけれど


「特別に取り寄せたものなのですよ。ぜひ」


促されるままに砂糖を入れかき混ぜると瞬時に溶けてしまった。

もう一口含んで理解した。

これがこの紅茶にとっての適量なのだと。

入れないときよりもなお美味さが伝わってくる。

先ほどの2倍の心地よさが身体を弛緩させソファの硬さは調度良くなった。


「どうして、ここには絵を置かないの?」


空白の目の前を指していった。


「ここは余韻を楽しむための場所ですから」






「どうでした?あの作品は」


話を聞いて絵を見れば最初の印象とはガラリと変わった。

そういいたいのに何故か口を開くのが億劫で。

次第に瞼も下がってくる。


「すばらしいでしょう?たった数十年しか生きない種だというのに、人とはあれほどまでに強いものを残すものなんですよ。」


意識が緩やかに上昇と下降を繰り返す


「先ほどの絵はね、あるお方の生涯で一番印象に残っている場面なのでございます」



「私は蒐集家でございますから」



「そのお方が亡くなるときに最も印象深かった場面を切り取ってもらうのでございます」






「アナタはどんな場面くれるのでしょうね」





「わ た し 死ぬの?」


やっと出たのはそんな言葉


「アナタは諦めてしまったのでしょう?」


そうだった

冷たい雨の中で

全てを放り出したのだ


「ここにたどり着けるのは死を目前にした方ばかりですから」


眩しいライト

けたたましいクラクション



「ごめんなさい。そんなに美しい場面をあげられないわ」


きっと今切り取れば怒った上司の顔が出てくるに違いない。

次に現れた人物にさんざんに叱られる場面を話されると思うと情けないばかりだ。

できるなら

もっと素敵な場面を残したいけれど




「それならばもう少し生きてみませんか?」



「・・・そんなこと可能かしら?」


「今ならば」


出来るのなら


「もう一口お飲みなさい」


言われたとおりに流し込むと意識が急速に落ちて行く

最後に聞いたのは




「特別サービスですよ

どうか私が感嘆するほど素敵な場面を作ってくださいね」



優しい声




















次に意識がハッキリした時には

白い病室の中にいた




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