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本名、《山田 夕陽のハイビスカス》  作者: かぎろ
第三話「地底人、地上を歩く」
8/21

 そこは行き止まりだった。白い車の目の前には林が行く手を阻み、背後には三台の黒い車が道を塞ぐように止まっている。左右には民家の塀がそびえ立つ。まったくの袋小路だ。

 車たちに追いついた陽は、自転車をこぎ終わるやいなやその場に倒れてしまった。息も絶え絶えの陽は、運動不足とは恐ろしいものなり、と思う。同時に、自分は運動せずに涼しい顔をした幽邃を、焦げてしまったパンを見るような目つきで睨みつける。


 それぞれの車から人が出てくる。三台の黒い車からは、黒スーツを着たサングラスの男が一人ずつ合計三人。どれも同じような格好なため、陽には見分けがつかない。

 白い車から出てきたのは、二メートルほどの筋肉質な大男だった。三十歳くらいだろうか。無精ひげを生やしている。非常にガタイがいい。人がぶつかったら三メートルくらい突き飛ばされてもおかしくない、そう思わせる威圧感を放っている。


 大男の方を向く三人の黒スーツの男。彼らを陽と幽邃は後ろから見ている。


「我々は警察ではない」 黒スーツ男その一が言う。

「警察ではないが、貴様を取り押さえる」 黒スーツその二。

「えーっと……特に言うことなし」 黒スーツその三。


 誘拐犯の大男はニヤッと笑う。片頬を歪ませた、不敵な笑みだ。 「笑ったぞ!」 「くっ……何を考えている!」 などと黒スーツが呟く。

 寒空の下、大男は暖かそうなダウンジャケットを脱ぎ上半身裸になった。黒スーツが 「なっ……なんだあの筋肉は!」 と叫ぶ。大男はボディビルの大会に出場すればトップを狙えるのではないかと思うほど、強靭そうな肉体だ。

 そして陽たちが大男を睨みつける中、大男は背を向け車のトランクを開ける。バーベルを取り出す。それには黒光りする重りが二つ付いている。重量感たっぷりのそれを下げた両手で持ち、陽たちに向き直った。


「ま、また笑いやがった!」 と黒スーツ。大男の笑みは、彼がこの期に及んで全く焦っていないことを陽たちに示している。にやつくヒゲオヤジはどこか変態的な雰囲気を醸し出していた。この状況で半裸になりバーベルを取り出すのだから、やはり変態なのだろう。

 そして大男は目を瞑る。唇を舐め、肩を揺らす。 「くっ……何をするつもりだッ!」 と黒スーツ。大男は息をふぅっと吐き、目をカッと見開く。


「ふんっぬうう!」


 持ち上げた。バーベルを高々と掲げた大男は顔をプルプルさせながら、それでも変態スマイルを浮かべている。 「ば……バカなッ!」 「バーベルを持ち上げた……だと……ッ!?」 「なんて力だ……!」 などと黒スーツが驚きをあらわにする。


 陽は隣の幽邃を見る。じとっとした目つきで、タバコに火を点けていた。陽はそれを見て、あの黒スーツと大男は阿呆なのではないか、という考えはおかしくないのだと思い安心する。


 バーベルを車のトランクに戻した大男は、マッスルポーズを繰り返しては変態スマイル。時々ウインクするので、陽は気分が悪くなる。そんな中、黒スーツの三人が大男との間合いをじわじわと詰めていく。


「力で負けても、幽邃お嬢様を守るために磨き上げた我々の体術があるッ!」

「三人でかかればどんな相手も一瞬でひれ伏すであろうッ!」

「えーっと……そうだそうだッ!」


 大男が五回目のマッスルポーズを決めた時、黒スーツが動く。素早い動きは陽にゴキブリを連想させた。二人が左右からGキックを繰り出す。同時に真ん中の一人が黒い羽をはばたかせて跳び蹴りを放つ。肉がぶつかる鈍い音。

 大男は両腕で二人の回し蹴りを防いでいた。跳び蹴りが大男の腹に炸裂する。しかし大男は笑みを浮かべたままだ。全くこたえていない。両腕で回し蹴りを放った二人の脚を掴む。振り回す。二人が悲鳴を上げ、投げ飛ばされて林の木々にぶつかった。崩れ落ちる二人。次に大男は、勇猛果敢にも突進する最後の一人を張り手で突き飛ばす。


 幽邃が叫ぶ。 「佐藤ー!」

「田中……です……」 黒スーツの最後の一人はそう言葉を漏らして気絶した。


 大男は 「ぬあぁ!」 と叫んで、再びマッスルポーズ。鼻の穴が膨らんでいる。


 陽は困った顔で大男を見つめる。変態ではあるが、三人の男に同時に襲われても簡単に倒してしまうほどの者だ。陽が立ち向かっても、デコピンとかでKOされるかもしれない。陽は考える。どうするか。このままでは逃げられてしまう。警察を呼ぼう、と思い立つ。最初からそうすればよかったのだ。陽はポケットの携帯電話に手を伸ばす。そこで幽邃が進み出たのに気がつく。


 幽邃はタバコを吸っている。煙が口からふわりと出てゆく。ところどころがハネた短めの茶髪が煙を纏う。しっかりとアスファルトを踏みしめて歩いてゆく幽邃の後ろ姿。そこからは彼女の確信が伝わってきた。必ずあの変態に勝てる、という確信だ。


「……幽邃」

「大丈夫。おれはあの三バカの十倍強いから」


 陽は戦いを始めようとする幽邃に、柔道とアルセーヌ・ルパンについて語ろうとして人差し指を立てたが、彼女から発せられる思いを感じて黙った。

 普段の幽邃の性格を知らなければ、彼女に惚れていただろうと陽は思う。そう思わせる魅力があった。強さだ。あの筋骨隆々の大男とは違う強さだ。気高いヒョウのようなスマートさを持っている。獲物を前にした彼女は進む。その頭の中には既に勝利の光景が描かれているだろう。驕りではない。ただ、勝利が、決定された未来としてそこにあるのが陽には見えた気がした。


 マッスルポーズをやめた大男が空手の構えをとる。幽邃と大男が視線を交わす。次第に雰囲気が変わる。なめらかな風が、刺すような殺気を含んだものに変わってゆく。陽は息を飲む。そして理解する。大男のためにも、警察に任せるべきだったのだと。


 静かな自信をみなぎらせて歩く幽邃。しかし、不意に聞こえたあどけない声が彼女の歩みを止まらせた。


「ユウスイさん、ヨウさん、どうかしたのですか?」


 ルラピケが白い車から出てきて、こちらを見ている。左手に何かのパンフレットが握られている。縄で縛られているなどの異状はない。

 いや考えてみれば、と陽は思う。考えたら地上の縄など、ルラピケの怪力の前では意味をなさないだろう。もっと言えば、誘拐犯を殴って黙らせることくらいたやすいはずだ。だが、ルラピケの場合は誘拐犯を攻撃するより、車の天井を突き破って逃げ出しそうな気もする。


「ピケ」 幽邃が驚いた声を出す。 「大丈夫なのか?」

「なんですか?」 ルラピケがきょとんとして小首を傾げる。誘拐された自覚がないらしい。どこまでも能天気だ。


「そこまでだッ! 誘拐犯ッ!」


 黒スーツだ。集団がダカダカと走ってきて、前の林と後ろの道路を塞いだ。人数は三十人くらいか。完全に陽と幽邃、ルラピケ、そして大男を囲い込んだ。大量のサングラスが陽たちを見つめる。民家の窓が次々と閉まる音が聞こえた。陽は、できれば私もこの謎の集団から目を逸らしたい、と思ってため息をつく。


「誘拐犯よ、諦めて投降せよ! 犯罪者は刑務所以外の空気を吸ってはならぬ! 投降しないのならば、我々『幽邃お嬢様親衛隊』の手で、その傲慢なる犯罪者の魂を踏みにじってくれる!」


 大男は黒スーツの男たちを見回した後、変態スマイルを浮かべ、 「ふんっ!」 とマッスルポーズを決めた。黒スーツたちが 「な……なんと美しいダブルバイセップス……!」 と息をのむ。陽は頭を押さえる。

 幽邃はルラピケが酷いことをされていないため、攻撃するのをためらっているようだ。このまま大男が諦めて捕まってくれるかもしれない。だが大男は笑う。まるでボディビルの大会の時のようにポーズをしながら、笑うのだ。陽は大男の余裕の正体を掴めないままでいる。


 そうこうしているうちに、悩む陽の耳に先ほどから聞こえていた、ヘリコプターが飛ぶ音が大きくなってくる。上を見た。


 カラフルなカラーリングのヘリだった。燃え上がる炎のような形の赤に、雷の黄色が絡みつく。底には溜まった水のような青、頂には夜の闇のように黒がもやもやと描かれている。それらは白色の上に塗りたくられているようだった。ところどころに見える白から推測できる。

 バババババ、と鳴り響く回転翼の音は、やかましさという点では巨大なハエを思わせる。林がざあざあ揺れる。ある程度地上に近づき、そこで停止した。垂れてきたものがある。はしごだった。それは大男を救う蜘蛛の糸のようにぶら下がっている。


 危機感を感じたのか、黒スーツたちが包囲網を縮める。すると、大男は 「にょっぶぬぅぁあ!」 と叫んでポーズを決めた。 「にょ……にょっぶぬぅあだと!?」 と黒スーツがひるむ。その隙を突いてジャンプした大男は、はしごに掴まる。

「おい待て、変態!」 幽邃が駆け寄るが、遅かった。はしごはヘリに吸い込まれてゆく。大男は最後までそのたくましい上腕二頭筋をアピールしながら、その中に消えていった。


 見覚えがある。陽はそう感じた。あのヘリ、どこかで見たことがある。どこか高いところで。例えば観覧車の中のような。そして誰かに、あんなヘリの中から拡声器で呼びかけられたことがある気がする。その誰か――女性に愛の告白をされた気がする。そして付き合うことになり、食卓は和風か洋風かという理由で別れた気がする。


「……あのヘリコプター、果樹園の物な気がする」

「え、マジで?」 幽邃が振り返る。 「陽の元カノの?」


 女がヘリからひょっこり顔を出した。拡声器を持っている。空から陽たちを見下ろす。黒の長髪が風でなびいている。陽は、ほお、髪を伸ばしたのか……と、呆然としながら思う。女はうっとうしそうに指で髪を撫でながら、陽に向かって叫んだ。


「夕陽のハイビスカス! 久しぶりね! 私よ! 樫宮果樹園よ! え!? 何!? 聞こえないわよ! あ、そうそう、近いうちにあなたにまた会うわ! あなたの意思とは関係なく、ね! 楽しみにしていなさい! じゃあ私たち帰るから! だから聞こえないわよ! じゃあね! また今度! グッバイ! スィーユーネクスタイム!」


 煙突のように棒立ちし、ぽかんと開けた口からもわりと白い息を立ち昇らせる陽たちを残して、ヘリコプターは空に帰る。

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