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本名、《山田 夕陽のハイビスカス》  作者: かぎろ
第二話「ヒロインは空から降ってこない」
5/21

 床が砕けた。ばぎっ、という音が同時に耳に飛び込んでくる。

 コンクリートの床に起きた、その事実を認識するまでに時間がかかる。床の破片が頭にぶつかり、その痛みに夢ではないことを悟る。だが、依然として目の前で何が起きたのかわからない。

 カウンターの内側から見て、その向こう側だ。破片が空中にある。落ちる。ぱらぱら、と床に着地し動かなくなる。そこを壊した張本人を見つけた。先程まで、数秒前まで存在しなかったそれは、床に、奇妙な事実として、生えていた。


 人間の子の上半身だった。


 生きている。頭でコンクリートを突き破って出てきたというのに、汚れているだけで傷一つない。色白の肌。肩まで伸びた赤い髪の毛。高級そうな水色で半袖の服。土に汚れてさえいなければ、神々しく見えたかもしれない。そう思わせる風格を持っていた。小さな女の子でありながら。

 女の子が周囲を見回す。幽邃を見る。椅子から転げ落ち、壁にぶつけた頭を抱えて唸る陽を見る。二人の呆然とした表情を可笑しいと思ったのか、ふふっと笑った。金色の瞳をぱっちり開け、小首を傾げて、口を開く。


「シェナロペクラモンモ? ラッタッテルミ?」


 あくまで自然に、言葉を話しているようだった。表情にはからかいの色はない。中国人が、相手は日本人だと知らずにぺらぺらと中国語で話しかけている、そういう感じだ。残念ながら、幽邃たちは外国語に疎い日本人。

 幽邃は陽を見る。口を半開きにしている間抜けな表情を見て、自分もこうなっているのか、と慌てて口を閉じる。閉じた後で唇を舐め、言う。


「誰かほんやくコンニャク持ってないか?」

「隣のコンビニで買ってきたらどうだ」


「アァ!」 赤い髪の女の子が、日本語を聞いて何か閃いたように手をぺちっと叩く。

「エーット……私の名前は、ルラピケです」


 幽邃と陽は顔を見合わせる。 「ルラピケ?」


 女の子の笑顔が輝いた。これ以上ないというくらい思いっきりニッコリして、えへへ、と声を出す。喜色満面、という言葉がぴったりだった。


「シュレヤフレン!」 ルラピケと名乗った女の子が嬉しそうに言った後、言い直す。 「通じた! エーット、初めまして」

「初めまして……」 戸惑う幽邃。


 また言葉が通じたからか、ルラピケは嬉しそうにはしゃぐ。はしゃいでいるうちに、自分の下半身が未だ床の中にあることに気づく。


 ルラピケは、よっ、と体をねじり、次に床を腕で思いっきり押した。幽邃と陽は、床から彼女が出現した時のように目を見張る。まるでおもちゃの空気鉄砲から撃ち出されるスポンジ玉のように、簡単に飛び出した。擬音をつけるなら、スポンだ。勢い余って天井に激突したが、彼女は表情を少しも変えない。


 着地したルラピケを幽邃は改めて眺める。水色の服はワンピースだった。膝まで隠している。茶色の革靴。身長は、小学校低学年――百二十センチ程だろうか。


「ンーット、私、ピケは、ミャミョリの民……地底人、です」


 そして言動も非常に突飛だ。


「まぁ待て、状況を整理しよう」 陽が頭をさすりながら言う。壁にぶつけた時にたんこぶができたようだ。

「私と幽邃は、いつもと同じように店を経営していた」

「いつもと同じように客来なかったよな」

「お前がいるから来なくなったんだろうが」 陽が咳払いをする。 「私たちは何気ない日常をそこそこ楽しんでいた。嗚呼、過ぎ去りし麗しの日常よ……。そんな中、突然、床に穴が開き、鮮やかな赤い髪の子供がでてきた」


「ピケ、と、呼んでください」 ルラピケは人懐っこい笑顔だ。


「恐らく、遊びで穴を掘っていたんだろう。埋蔵金探しごっことかな。私もよく小さい頃はよく砂場に穴を掘ったものだ」

「最近の子供は遊びでコンクリートに穴を開けるのか」


「最近は、親が子供にやたらといろんなものを与えるからな。ミヤナカ製巨大振動ドリルとか。そして彼女は穴を掘り続けた」 陽が人差し指を立てる。 「掘って掘って、掘り続けた。そして穴の中で過ごすうち、自分は地底人だと思うようになってしまった。子供は純真で、何かに染まりやすいものだ。かくいう私も小学生の頃、高速戦隊ターヴォレンジャーという戦隊モノ特撮ドラマの影響で、『僕には妖精が見える』とクラスメートに言いふらした忌むべき過去がある」

「古くて分からん」


「そして、いつものように掘り続けた結果、ここまで辿り着いたというわけだ」 陽は腕を組み、頷く。自分の言っていることが全て宇宙の真実であると言いかねない。

 幽邃も腕を組み、頷く。 「なるほど、陽は三流ストーリーテラーだということがよく分かった」

「だってそうでもしないと説明できないだろうが!」


 無理矢理だ。しかし、幽邃にはとても説明できないことだった。寂れたパン屋が、一転して異常な空間になっている。壮大なドッキリか何かだろうか。だとしたらドッキリを計画した奴に、罰として陽のパンを食べさせてやろうと心に決める。


「あのゥ……」 ルラピケがもじもじしながら口を挟む。 「あなたたちは、ピケを、信じていませんか?」


「信じられるか!」 陽がルラピケを指差す。 「どうせ小学生のたわ言だ。親と連絡を取らせなさい。床の補修代、キッチリ払ってもらおうじゃないか! ついでにパンもお買い上げください!」


 すると、ルラピケは一気に落ち込んだ表情になった。大きな瞳を潤ませ、くたびれたヒマワリのように俯く。陽は慌て、幽邃はため息をつく。


「あ、いや、その、すまん」

「オッサンは黙ってろ。えっと、ピケ、本当はどうして床から生えてきたんだ?」 幽邃が優しく、それでいて警戒を解かずに、声をかける。生えてきたって何だよ。と、自分で言ったことに対して苦笑する。

 ピケは幽邃を見上げる。 「ごめんなさい……ピケが話しても、信じてもらえないのです……」

「信じるよ」 幽邃は口角を上げてピケを見つめる。 「だって、きみは、こんなことがあっても全くの無傷だったし、簡単に穴から出てこられる怪力も持っているのをおれは知ってる。話してみな」


 こんなことを言ったが、本当は奇妙な夢を見ているだけなのではないかと疑っていた。とりあえず頬をつねってみる。確かな痛みと、自分がしたことの古典的加減に苦笑い。

 陽は幽邃に「オッサンは黙ってろ」と睨まれたことで、喋る気をなくしたようだ。意外にデリケートなのかもしれない。


 ルラピケは涙を拭いて、鈴が転がるような声で身の上話を始める。


「ピケの全部の名前は、ルラピケ・ニニ・ポェリソラッソスです。地底の国、ポェリソラッソスの王女です。ピケたち地底人は、自分たちのことをミャミョリの民と呼びます」

「ポェリソラッソス、ミャミョリ」 幽邃は聞いたこともない単語を反芻する。

「ミャミョリは人工太陽のことです」 ルラピケは続ける。 「地上には、ギロシュはないのですよね? あ、ギロシュは魔法という意味を持ちます。魔法で人工太陽や不可侵領域を作って、地底人たちは暮らしています」


 陽は頭を振ってやれやれといった風に手を挙げているが、幽邃はルラピケをしっかりと見つめている。


「エーット、ピケがここに来た理由は、魔法の力を高くする道具を使ってしまったからです。使ってはダメなのです。しかしピケは好奇心で使いました。お父様とお母様にはごめんなさいと言います」 ルラピケは俯く。 「道具のせいで、ピケの魔法の力が強くなりました。ピケが魔法で空を飛んでいると、道具のせいで暴走してしまいました。ピケは王族なので、ただでさえ魔法の力が強いのです。暴走したピケは空の果てにぶつかり、そのまま地上に出てきてしまいました」


 その地上が、この店だったわけか。幽邃はなんとかこの少女が言ったことを信じようとする。

 一方、陽はそんな努力を一切していないらしかった。


「なるほど、ありきたりな『設定』じゃないか」


 饒舌な陽の話が始まる。


「私が設定の不備を見つけ出してやる。クエスチョンタイムだ。まず地底の国の数を言ってみなさい」 彼は答えを聞く前から、勝ち誇ったような表情を浮かべている。

「一つです」 ピケは笑いかける。

「つまらん設定だ。首都は?」


 ルラピケは「設定」と言われたからか、少し不満そうに頬を膨らます。 「ヘモモルトンです。人口は約九万八千人です」


「盛んな産業は?」

「農業です。クラシレという野菜が美味しいです。また、霧や煙を織って布にする伝統的な魔法産業があります」

「訳が分からん。文化は?」

「地上の日本を真似て、近年はアニメーションが盛んです。『ヘャフリンゼヲニコエ』はピケも見ています。日本語に直訳すると、『あなたは究極の鉛筆を食べます』」

「わたしは究極の鉛筆を食べません」 陽がいらいらしている様子で首を振る。 「じゃあ、いくぞ。初代国王は? 一番人気なアニメは? 一番有名な俳優は? 最も有名なスポーツ選手は? 最近人気な曲は? 一番美味しいパン屋は?」

「チェレニモです。ヘャフリンゼヲニコエです。キョポゥス・スッススです。デレワフンフオ・コーピョルです。ジュダドデイです。ホッホミポッテンです」


「ごきげんうるわしゅう、地底人の姫君」


 信じたのか、ボロを出させるのを諦めたのか、陽はそう言ってため息をついた。幽邃は笑うしかない。一方、ルラピケは宝石のように目を輝かせている。


「信じてくれたのですね! よろしくお願いします!」 そう言って陽に握手を求めるルラピケ。

「ああ、よろしく……え?」 陽が疑問符を語尾につける。幽邃も気になったことがあった。

「よろしくって……今すぐに、穴の中に戻ればいいじゃないか」

 ルラピケが悲しい顔をする。 「ピケは戻ることができません。魔法による不可侵領域は、外側から干渉することができないのです」


 幽邃と陽は顔を見合わせる。幽邃は、お前の顔間抜けすぎ、と笑い飛ばしたくなる。しかしそんなことより、重大な問題があった。


「戻れないって、それ、困るじゃん」

「困ります」

「これからどうするつもりだ」

「ポェリソラッソスに戻る方法をみつけるまで、お世話になります」 ルラピケが陽にぺこりと頭を下げる。


 陽は、ペットショップの店員に見たこともないような謎の動物を強引にしつこく薦められている時のような困った表情で、ルラピケの赤い髪の毛を見つめている。いや、この比喩は違うかもしれない、と幽邃は思った。陽なら、その店員と熱い演説バトルを繰り広げ、むしろ活き活きとするだろう。


「……幽邃」

「嫌」

「まだ何も言っていないだろうが」 陽が幽邃を指差す。 「幽邃、お前の父の組織に預かってもらえ。裏社会の謎の組織。それで問題ないだろう」

「陽が養ってあげればいいじゃねぇか。子供、可愛いじゃん」 それが地底人だとしても、だ。

「私に子育てなどできるか! そもそもこのパン屋は、認めたくはないが、潰れる寸前なんだぞ。私が一人暮らすのと、店の経営、お前に給料を払うので精一杯だ。子供を養う金などない」


「エーット……」 ルラピケが大きな瞳で陽を見つめる。 「ピケは、四日に一度、地上人の食べる一食分を摂るだけで充分です」


「だってさ」 地底人パネェ、と幽邃は笑う。そういえばペン回しを忘れていた。ペンを拾って技を決める。


「迷惑にならないようにがんばります。毎日いっしょうけんめい戻る方法を探します。だから、お願いします」


 陽は目を泳がせ、「しかし……だな……」などと口の中で呟いている。幽邃は、ふと、こんなヘタレな男に小さな子供を任せておくべきではないのではないか、と思った。陽も自分でそう思っているのかもしれない。

 付き合って数日だが、幽邃は、陽が自信たっぷりのナルシストを演じているのを見抜いていた。喋るのが好きなのは本当だろう。そして様々な言葉で自身を形成していくが、本質は、自信がないのだ。日常的に強がりを繰り返している、そんな男なのではないか。幽邃は、そう思っている。

 だから、陽が頭を縦に振った時、幽邃は驚いた。


「いいだろう」

 ルラピケが目を輝かせる。 「ありがとうございます!」 陽に抱きつきそうなほど喜んでいる。

「だが、私の家で暮らす以上、何かしら仕事をしてもらう」 陽はルラピケを指差す。

 幽邃はペンを回転させ、にやつく。 「いわゆる照れ隠し」

「だまらっしゃい」


 他人に厳しく自分に甘く。それが私のモットーだ、陽はそう言っていた。幽邃に言わせれば、子供っぽい。何故なら、本当の気持ちを隠すために、そんな悪い人間のようなモットーを掲げているからだ。本当は優しいのに、恥ずかしいからそれを隠している。だが幽邃はそんな陽のことが嫌いではなかった。


 陽に許可を取ってから、ルラピケは彼に抱きついた。地底人の間では普通の挨拶らしい。はにかむ陽を見ながら、幽邃は、こんな出会いってアリかよ、と思う。衝撃的な出会いによってもたらされる、非日常への第一歩。あまりに衝撃的だ。祥子と春香に話したら、どんな顔をするだろう。


「私と暮らす上で、もう一つ条件がある」 思ったよりルラピケの力が強かったのか、陽が慌てて彼女と距離を取る。咳払いをして、言う。

「地底の国の話を……、『設定』の話をしてもらおう。いつか、ボロが出るに決まっている」

「はい!」 ルラピケほど、喜色満面という言葉が似合う人はいないだろう。

「喜んで、おはなしします!」


 幽邃たちもつられて笑った。

 外で優しく鳴り響くチャイムが、地上の正午を告げている。

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