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本名、《山田 夕陽のハイビスカス》  作者: かぎろ
第一話「私がパン屋にいたら強盗に遭遇したが得意の演説で怖がる女店員を助けて場を切り抜けた時の話」
3/21

 体をクネクネさせながら陽もパン屋に入る。扉に取り付けられた、無差別歓迎音を降らす鈴に、ご苦労と言いたくなる。


「しゃせー」 幽邃が煙を吐きながら、だるそうに言う。 「……ここって客来るのな」

 黒ずくめの男は黙っている。

「幽邃! 『いらっしゃいませ救世主様』だろうが! 申し訳ございませんメシア様、私は店長の山田という者です。どうぞごゆっくり」 そう言ってクネクネを加速させる。


 男はゆっくりしているつもりなどなかった。 「金出せやコラァ!」 そう言った男が陽に包丁を突きつける。


 幽邃がタバコを指に挟んだまま固まった。倦怠感溢れる表情を、驚愕のそれに変える。一方陽は気づいておらず、暢気に 「あっ、このパンツパンは新作で、純白のブリーフに付く黄色い染みを再現してみました!」 などと喋っている。


「おい、山田! 金出せっつってんだよ!」 強盗の男が尚も声を出す。

 陽はクネクネしたまま強盗に向き直る。 「む?」 包丁で大道芸か何かを披露してくれるのだろうか、と首を捻る。

 強盗がうんざりして言う。 「だから、俺は強盗だ! さっさと金出さねえと殺すぞ!」


 陽は頭の中で鳴り響かせたクラッカーをいそいそと片付け始める。宴は数十秒で終わってしまった。パーティの後始末をする時の空しさを抱えながら、ため息混じりに言う。


「あ、そう、強盗ね。八割引でパン売ってやるから、帰ってそして罪悪感に苛まれながら逮捕されるまでの絶望の日々を過ごせよ」

 強盗は 「逮捕」 と 「絶望の日々」 に少しだけぴくりと反応したが、覚悟を固めなおそうと声を張り上げる。 「金を出せっつうのがわからねぇのか!」


 陽は頭を掻く。 「困ったな。こんな旨そうなパンを八割引で買えるんだから感動してさっさと帰ってくれると思ったのだが」

 幽邃が再び煙を吐く。 「こんなパン、タダで貰えるとしてもいらねえよ」


 強盗は困惑し、包丁を更に陽に近づける。そして思いついたように叫ぶ。 「てめえら! 俺を誰だと思ってやがる!」


「資本主義に踊らされた哀れな大学生」 陽が全然哀れに思っていない感じの顔で言う。

 幽邃がふざけて笑う。 「だから共産党に投票しておけとあれほど言ったのに」


「お前ら……ふざけるのも大概にしろ!」 強盗が包丁を強く握る。 「俺の名前を教えてやる! 俺の名は……」


 強盗は少し間を置き、それに頼ることで雰囲気を作ろうとしている。息を吸い込み、できるだけこの掴み所のないパン屋の店員をおののかせようとしているかのように、静かに言った。


「……渡辺(わたなべ)ワン太郎だ……!」


 今度はネオヤマザキ店員たちが困惑する方だった。陽は幽邃と顔を見合わせる。

 例えば家電量販店に行った時、従業員が 「この扇風機、逆回転もできるんすよ~」 と言ってきた時の感覚に似ていた。だから一体何だというのか?

 一方、強盗――ワン太郎は、言ってやったぞ言ってやったぞ、と興奮を高めているようだった。舌を出して 「へっへっへっ」 と息を吐く。

 これで恐れるに違いない、勝った、ワン太郎の表情はまさにそう語っていた。この強盗が成功したら、今度は愛犬のポチとペットショップを経営しよう。そして仲間の犬と一緒に保健所を破壊するんだ。そうぶつぶつと呟いている。


 しかしその夢は 「へっへっへっ」 と喘ぐ犬が出した舌の唾液のように儚く消え去ることとなる。


 カウンターの内側で、幽邃が声を抑えて笑っている。一方、陽は静かに涙を流していた。

 困惑の表情をしたワン太郎は謎の店長を 「あぁ、怖かったのか? 怖いよなぁ、よしよし」 なんて慰めているが、何故自分より年上のオッサンを慰めなければならないのだろう、と思っていることを表情が物語っていた。我に返り、慰めるのをやめる。 「……何で泣いてるんだよ」


「お前……変な名前だなって言われないか……?」 陽が涙を拭いて、言う。

 ワン太郎が吠える。 「確かに言われる、だが、父さん母さんからもらった大切な名前だ! 俺はこの名に誇りを持っている! バカにする奴はぶん殴って黙らせる! 今までも、これからもな!」


「同情しよう……そして、素晴らしい!」 陽が晴れやかな顔をする。 「私の名前は山田夕陽のハイビスカス。名前をバカにされる悲しみは痛いほど分かる。だがバカにされても屈しない姿勢! 感涙したぞ! 見直したっ! 警察に連絡してあげよう!」

「どうもありが死ね」 ワン太郎は包丁を更に突き出し、陽の腹にそっと当てた。双方の表情が強張る。 「やめろよ! 警察に連絡なんかしようとしたらお前を傷つけなくちゃならないぞ! てか俺の名前知らなかったのかっ? 俺はここら一帯で最近有名になった連続強盗犯だぞ!」


 陽がゆっくりと両手を挙げる。顔をしかめ、パンを九割引にすれば満足してもらえるだろうか、などと考える。


「でもさぁ」 幽邃が顔に笑いの残骸を残しながらタバコを吸う。

「幽邃。まるで私が刺されても気にしなさそうな声色だが」


 実際その通りなのだから仕方がない、と言いそうなほどヘラヘラしている幽邃だが、 「でもさぁ」 から始まる話を続ける。


「バカにされるって言うけど、雲越輝子さんよりはマシじゃね?」

 陽とワン太郎が同時に訊く。 「ウンコシテルコ?」

「うんこしてるこ」 幽邃がまた、くっくっ、と抑えた笑い声を出す。 「あだ名は『名前を言ってはいけないあの人』だな。世の中には、お前らより酷い名前の人がいるんだよ。ウンコさんに比べれば夕陽のハイビスカスなんてマシだろ?」


「ウンコシさんだろうが」 陽は挙げた両手の手首を傾けて幽邃を指差す。 「大体、姓と名を別々に言えば問題ないだろう。それに私の場合はその人より酷い」


「親に貰った大切な名前を『酷い』だと? 論外だ」

「親に貰った大切な人生を強盗に使うお前が論外だ」 そう言ってワン太郎を睨む幽邃は無表情だ。彼女は軽く怒ったにすぎなかったが、ワン太郎を威圧するに充分だった。キャイーン、と小さく呻いたワン太郎に隙が生まれる。


 陽はその隙を全く活かす気がなかった。声高に叫ぶ。 「いいか! 私がこの名前にどれだけ悩まされたか、お前たちに教えてやろう!」


 この状況でそんなことを話せるんだからある意味天才だよな、と幽邃は呟いた。タバコをもう一本取り出し、火を点ける。そんな幽邃を横目で見ながら、この状況でのんきにタバコを吸えるんだからある意味天才だよな、とワン太郎は呟いた。包丁を持つ震える手を、抑える。そんなワン太郎を見ながら、この状況で冷静に演説できるのだから私は天才だよな、と陽は呟いた。人差し指を立て、話し始める。


「この名前のデメリットを挙げ始めればキリがない!」 陽は首を振って嫌悪感を示す。 「中学生の卒業式で名前を呼ばれるのが怖かった! 高校生の頃、私が廊下を通るだけで他の生徒がひそひそとDQNネーム談義を始めた! SEの仕事をやりたかったが、書類選考で弾かれた! この名前を持っているだけで『私はバカです』と書かれた張り紙を背中にくっつけられているようなものだ! 自分では気づいているのに簡単には剥がせない! お前も変な名前をつけられる悲しみが分かるだろう、幽邃!」


「おれの名前は変じゃねぇよ」 幽邃が眉をひそめる。 「バカには分からない名前だってだけだ。幽邃ってのは『奥深く、静か』って意味なんだぜ。おれにぴったりな名前じゃねぇか」


 陽は 「幽邃」 の意味とは程遠いこの女に反論しようと口をぱくぱくさせたが、自爆特攻は怖いので、演説を続行することにした。


「ごほん。確かに名づけは自由だ。酷い名前でも、『夕陽のハイビスカス』なんて名前でも、『太郎』と書いて『ハートキャッチプリキュヤ』と読ませるような名前だとしても、役所で粘れば通る。いやハートキャッチプリキュヤが容認されるかどうかはちょっと自信ないがともかく、名づけは自由だ。だが、そんなDQNネームをつける親の頭の中に責任という文字はあるのだろうか? DQNネームをつけて、その子供が名前の読み方の訂正に時間を無駄にし、またはいじめを受け、親を恨んで非行に走り、その親を殺し、自分も自殺。そんなことになったとして、親の名づけに責任がないと言えるのだろうか?」


 陽は息を吸って、吐く。 「自由には責任が付き物だ。うんざりするくらいに。水泳の時に自由形で犬掻きをして仲間に殴られた後に私は責任というものを思い知った。あれは私が中学生の頃である。小学生の頃と違い男子と女子で分けてプールを使うことに、大人への第一歩を踏み出したとされている自らの精神に戸惑いながらも、股間に収束しつつあるリビドーをドウドウと抑えつけてプールサイドに立っている私は思った。犬掻きでチームを優勝に導けば、私は伝説になれる」


「陽ってバカだよね」


「そう、あの時の私は愚かしさを伴う若さに満ち溢れていた。あの場で若さを満ち溢れさせると主に股間が危険だったが、なんとかクールダウンしつつ私はプールに飛び込んだ。自由形といっても、自由時間のお遊びみたいなものだったが、我々は本気だった。なぜなら、チーム戦で人数を絞った後の個人戦の優勝賞品は、クラスのマドンナに告白する権利だったからだ。その子は寂れた汚らしい学校に舞い降りた天使のような、あるいはその慈愛の中にも挑発的な美しさが見え隠れする微笑みをかんがみれば堕天使と表現してもいい、そんなアイドルだった。しかしその子の名前は今で言うDQNネームで……、そういえばDQNネームの話をしていたんだったな。幽邃、なぜ私の話を軌道修正させないのだ」


「何でだと思う?」 幽邃はへらへらと笑っている。しかし、どこか感情を押し殺したような感じでもあった。陽は少し気になるが、続ける。


「話題を戻そう。名づけの際に責任について私の親は考えなかった。しっかり育てればいい、愛があればいい、そう反論するそこの諸君!」 虚空を指差す。 「その時点で諸君は駄目なのだ。名づけは一番最初の子育て。そこから間違っているのだからしっかり育てていることにはならないし、愛があることにはならない――なったとしても、それはペットに対する愛情でしかない! ペットも家族だとっ? 知るかそんなもの! 子供には子供に対する愛情を注ぐべきなのだ!」


 知ったかぶりもはなはだしいな、と幽邃は呟く。ここまでくれば最早才能だわ、とそう言う。


 陽は尚も思い込み論を振りかざす。 「私のパン屋が繁盛しないのもこの名前のせいに違いない! おかげで貧乏になり、パンの質が落ちてしまった! 私が未だに結婚できそうにないのもこの名前のせいである! 昔、唯一できた彼女が変人だったのもこの名前のせいだ! 全てはDQNネームのせいなのだ! ああ、嘲笑が聞こえる! 世間の嘲りの笑いが聞こえてくる! 全ては親の『こんな名前をつければ個性的で子供も喜ぶ』という勘違いから生まれた悲劇! 私は、DQNネームをつける親は悔い改めるべきだと、今ここに高らかに宣言する!」


 傍聴するのが二人しかいないパン屋での大演説が終わった。大人げねー、と幽邃が呟く。拍手が聞こえてこないのは一体どういうことだ、と陽は不満に思う。思った後で、ワン太郎に笑いかける。


「では、受講料は頂かないから、帰ってください」

「やだね」 ワン太郎は自分が強盗に来ていたことを、たった今思い出したかのようにわめく。 「俺はこの世にはびこる害悪の象徴、人間を滅ぼすために金が必要なんだ! 特に、自分の名前を誇りに思わないような腐った人間を排除するためにな!」

「邪悪な魔王みてぇな野望だな」

「犬王だ。いずれこの世界は犬が支配する!」 ワン太郎が真面目に言うので、陽はふき出してしまう。


 幽邃が外を眺めている。何かに安堵したかのように煙を吐く。陽はアニメに出てくるような輪っかの形の煙を期待していたが、実際に吐き出された煙は芸術性のかけらもない。


「おいメス! レジから金出せ! 紙幣全部だ!」 ワン太郎が唾を飛ばす。

「幽邃、出してやれ」

「はいはい」


 ワン太郎は金が入れられてゆくバッグを見つめる。この金が手に入ったらポチの犬小屋を十坪に大きくしてあげよう、などと訳の分からないことを呟いて、にへらぁと笑っている。


 陽は絶望の眼差しで、開いたレジからさっさと金を出す幽邃の手を見ている。できれば別れのキスをしておきたいなぁ、と野口英世を見ながら思う。同時に、惜別の表情を一切見せない幽邃はうちが潰れようがどうでもいいんだろうな、と想像し、憤る。


「よし、入れたな」 へっへっへっ。 「あばよっ!」


 ワン太郎は重くなったバッグを掴み、包丁をしまって扉を開ける。ばたぁん、と扉の音。りんりんっ、と鈴の音。

 神経を緩ませて透明な扉の外を見た陽は、驚くような呆れたような、そんな表情で呟いた。


「絶景かな」


 黒スーツを着たサングラスの男たちがワン太郎に一斉に襲い掛かり、あっという間に取り押さえた。


「猛犬を押さえ込んでるみたいだ」 もしかしたら猛犬の扱いには慣れているのかもしれない。


 黒スーツたちはキャンキャンわめくワン太郎を一人がなにやら古武術のような謎の動きで黙らせ、数人で黒い車へと引きずりこんだ。哀れにずれたサングラスが隠していた両目は、白目を剥いている。

 無残だ、と陽は思う。正しい強盗のヤラレ方とは違う気がしたが、ここまでされて然るべきなような気もした。


「遅かったなぁ。佐藤、鈴木、高橋、田中……あとその他もろもろ」 幽邃は満足気だ。

「いつの間に呼んでたのか?」

「いつの間に呼んでたのさ」


 裏社会のボスの娘か、敵わないな、と陽はしみじみ思った。それにしても、皆同じような格好で誰が誰だか分からない。見た目の怪しさではワン太郎といい勝負だった。できればすぐに帰って欲しい。


 一人の男が店に入ってくる。 「お嬢様、遅れてしまい申し訳ありません」

「佐藤か」

「田中です」

「田中。よく来てくれた、ありがとな。父さんによろしく伝えといてくれ」


 田中は軽く頭を下げ、幽邃にうやうやしくワン太郎のバッグを渡し、きびきびとした足取りで去っていった。何台もの黒い車がようかんのように光を照り返し、素早く帰ってゆく。あっという間だった。

 手に握っていた汗を拭き、陽はため息をつく。そして幽邃を指差す。 「どうだ。私の必死の時間稼ぎのお陰で私もお前も助かった。感謝するんだな」 演説したかったから演説したに過ぎなかったが、幽邃に少しでも店長の威厳をアピールするためにそう言った。

 幽邃は、くくく、と笑う。 「おれが合図したらスナイパーが狙撃することになってたから、お前の努力は大して意味はなかったけどな」


 陽は目を見開き、窓に駆け寄りパン屋の中から外をキョロキョロと見回した。幽邃がいたずらっぽくにやつく。それを見て、威厳のない店長はやっと自分が騙されたのだと気づく。ただ、彼女ならスナイパーを雇えても、またはスナイパーになれても不思議ではない気もした。それどころか、面接の時に「狙撃手の東野幽邃です」と名刺を差し出されてもしっくりきてしまいそうな凄みを感じる。こういう場所でタバコを吸ってはいけないという常識さえあれば完璧だ。


 レジに金を戻す幽邃。それを見ながら、ワン太郎のことを思う。

 陽の目には、とてもあの強盗が人を刺せるようには見えなかった。根は優しいのかもしれない。親を尊敬しているような口振りからして、DQNネームをつけたとはいえその親は人間的に優れていたのだろう。強盗になってしまったのは親のせいではなく、社会が歪んでいるせいかもしれない、と思った。


 ふと外を見た。強盗のことなどすっかり忘れ、はしゃぐ。


「今度こそ救世主がやってきたようだぞ」


 家族連れの母親が入店して、陽は精一杯の笑顔で出迎えた。


 幽邃のせいで 「嫌な店」 だというレッテルが貼られた世界のパン・ネオヤマザキが、思わぬ訪問者により信頼を取り戻すのは、まだ先のことだ。

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