一
※この小説はDQNネームについてがメインではありません
※作者はパン屋については全く詳しくありません
「だから、私は思うわけだ」 丸椅子に座った男が乱暴にグラスをカウンターに置く。人差し指を立て、話し続ける。
「キラキラネームというか、DQNネーム? いや、ペットネーム、そう、ペットネームだよ。そう呼ぶに相応しい。謎の花と書いて『謎花』と読んだり、雨が流れる虎の魂と書いて『雨流虎魂』と読ませたりさ、とにかく訳の分からない名前を付けたがる親がいるだろう? ああいうのは滅びろ」
カウンターの向こうのバーマスターがグラスに酒を注ぎながら笑う。 「ははは、滅びろとは手厳しい」
「できれば私にラーメン奢ってから滅びろ。で、謎花とかそういう名前を付けられた子供は絶対親を恨むと思うんだよ。実例がここにいる」 男は親指で自分を指す。 「しかも私の苗字はありがちなものときた。これでは余計にDQNネームが漂わす異様な雰囲気が目立ってしまう。これが『小鳥遊』とか珍しい苗字だったらまだ良かったよ。いやそんなことより、私の下の名前だ。酷すぎる。まるで陳腐なファンタジーに出てくる異名のようじゃないか。こんな名前をつけた両親の精神状態は果たして健全だったのだろうか? 否、おかしかったに違いない」
男は勝手にそう決め付けて目に手をやり、ああ神よ、何故私はあんな家に生まれてしまったのですか、と大げさに悲しんでみせた。
どこからか流れる生き生きしたサックスが聴く者に奏者の体の動きを想像させるようだ。柔らかな光。古いが掃除が行き届いていてそれなりに綺麗なこのバーには、マスターと客の男、その二人しかいない。閉店間近だった。
男はここを訪れる客の中では最もここを気に入っているだろう、と自負していた。マスターは、男がぺらぺらと一方的に話し続けても少しも嫌な顔をしないで聞いてくれる。むしろ男の話を毎度楽しみにしているような節もあった。話好きの男にとって、これ以上喋りやすいバーはこの近辺にはない。とあるバーで 「頼むからもう喋らないでくれ」 と言われるほど喋り続けたことのある男にとって、このバーはしっくりくる。
「子供はなぁ」 男が続ける。
「子供は親を尊敬したいんだよ。世界の誰よりも。そして親は世界一頼れる人であるべきだ。そして、そのためにはまず子供に変な名前をつけるなと。もう変な名前ついてるだけで、子供の『親を尊敬する心』に水が差されるな」
「ふむ」
「例えば、こんなことがあるとしよう」 そして男はボイスチェンジャーを通したかのような高い声を出す。 「子供『お父さん、車から轢かれそうになったところを助けてくれてありがとう!』」
今度は低い声。 「父『フッ、親として当然のことさ、危なくなったら俺を頼れ、ゴムあたまポン太郎』」
「子供『わぁ、父さんかっこい……ゴムあたまポン太郎……何で僕はこんな名前に……』――ってなるわけだ! 分かるかマスター! ちゃんとした尊敬される親はちゃんとした名前をつけるもんなんだよ!」
「はっはっは、そうかもしれませんねぇ」 マスターは、酔った客には慣れているようだった。老執事のような落ち着いた声で、続ける。 「でもそこまで言っても改名しないなんて、なんだかんだで親から貰った名前を大事にしているんじゃありませんか」
マスターがそう言いながら笑うと目尻に皺が寄り、壮年の男性特有の人懐こさを感じさせる雰囲気が放たれる。改めて見ると、鼻が高く、どこか日本人離れしているようにも、男は感じる。
「まあ……親には感謝してるし」 男は人差し指で鼻を掻く。 「それに、目標があるんだ。悲願だよ」
「悲願、とは?」
「私が偉大なパン職人になった暁にはこの名を日本中に轟かせて、そしてインタビューの最中にこう言うのさ。『あっすいません、これパンには関係ないんですけど、子供にDQNネームをつける親は全身がスポンジ状になって滅びよ!』とな」
「貴方が有名になれば逆にDQNネームが増えると思いますが」
「そろそろ帰るとしよう」 腕時計の針の傾き加減を確認して、男は席を立つ。 「ありがとう、マスター。久々に声聞けて安心したよ」
マスターは目尻に皺を寄せ、空のグラスを拭く手を止める。バーはこれをもって閉店だ。流れていたジャズが終わりに近づくにつれ、音色が遠くなってゆく。マスターは言う。
「またのお越しをお待ちしております、山田夕陽のハイビスカスさん」
「からかうなよ、マスター」
静かに扉を開け、DQNネームの男はバーの外の夜が作り出す暗闇へと消える。
▽
「ある日、山田さんは受動喫煙によって目のかゆみと痛み、涙、瞬目、くしゃみ、鼻閉、鼻水、のどの痛み、頭痛、吐き気、咳、喘鳴、呼吸の抑制、指先の血管収縮、心拍の増加、皮膚温の低下を引き起こしたのち、がん、心臓疾患及び呼吸器系疾患などの様々な疾病になり、『公共の場と職場環境あるいは家庭などで喫煙する、公衆衛生のことを考えない奴に死を!』と叫びながら死んでいきました。デッドエンド」
「……いきなり何だよ、陽」
小さなパン屋だ。ショーウィンドウの中に様々なパンが置かれている。花の形のパン。リースのパンや星のパン。またピアノの形のパンは鍵盤一つ一つを再現しようとしているが、見事に失敗している。
その上空にタバコの煙がたゆたう。東野幽邃という女の口から放たれる、白いもやもやが形を不安定に変えてゆく。
「受動喫煙の恐ろしさをお前は知らない」 夕陽のハイビスカス――陽が幽邃をビシリと指差す。 「この、妖怪けむり女が。前世は煙突か?」
幽邃はショートカットでところどころハネている茶髪を撫で、煙を吐く。
「何言ってんだお前」 至極当然の反応が冬の空気を更に冷やした。
「とにかくタバコをやめろ。お客さんが来たらどうするんだ。当店は終日嫌煙となっております」
「いいじゃねーか、どうせ客来ねえし」
「お前がバイト中にタバコを吸っているから来ないんだろうが!」 指を差しながら幽邃に近づき、彼女の額を突いた。 「大体お前は態度に問題があり過ぎるんだ。タバコはやめろ。私のことは店長と呼べ。『しゃせー』じゃなくて『いらっしゃいませ』だ。『うーーーーい。ォライッ、ォライッ』じゃなくて『ありがとうございます』。この程度の基本的なことが守れないなら、石窯で焼くぞ」
「おれが暴力振るわれたら、父さんが身内数十人を引き連れて陽を誘拐したあとにDQNネーム賛成派の親たちの中にダイナマイト抱えて自爆特攻させるけどいいの?」
「どうすれば私はお前に勝てるのだろう」
幽邃の父親が裏社会を牛耳る謎の組織のトップであることを、陽は知っていた。何度か、その権力を駆使してこのパン屋を繁盛させてくれないかと幽邃に掛け合ったりしてみたが、彼女は 「バイトなんて所詮暇つぶしなんだよ」 と言って相手にしなかった。 「売れない店で働くのもたまにはいいしな」 とも言った。彼女は様々なバイト先を転々としているのだ。実際は働かなくても食っていけるらしい。
ちくしょうめ、と陽は思う。誰のせいで売れなくなっているのだ、と自身が作るパンの不味さを棚に上げる。
陽は落胆し、ああ、今日もお客さんは来ないのだろうか、新作のパンツパンがまだ一つも売れていないのは何故だろう、などと呟きながら店の扉を開けた。ばたん、と扉の音。りりん、と鈴の音。
「どしたん、陽」
「外の風に当たってくるだけだ」
冬だ。寒かった。外に出たことを一瞬で後悔した陽だったが、すぐに戻るのも格好悪いので少しだけぶらつくことにした。
店の目の前には道路がある。道路の向こうにはコンビニ。繁盛しているのが忌々しいが、陽もよく利用するので応援せざるを得ない。
左を見ると交差点がある。二台の車が赤く光る信号に足止めされて不服そうにエンジンを鳴らし煙を吐いている。
右を見ると、遠くに畑。陽のパン屋は、農地とマンションの立ち並ぶ住宅街の境目に建っていた。
冷たい風から首を守ろうと、着ている白いユニフォームの襟を掴み、そして自分の店の看板を見る。
「世界のパン・ネオヤマザキ」。オレンジ色の斜体文字で、そう書かれている。勿論世界に進出しているわけではない。ちなみに、陽はこの店名を考えるのに四ヶ月かけた。恐らくパン作りの技術を磨くことより労力を使っただろう。
陽はこれ以上いい店名はないと信じていた。理由はない。根拠のない自信は根拠のある批判でもすれば打ち砕かれそうなものだが、彼はあくまでも自らのセンスを図太く信じて今ここに立っている。
と、黒いコートに身を包みサングラスをした男が、周りをキョロキョロ見ながら歩いてきた。落ち着きのない様子でパン屋に入っていく。
陽は男の格好と態度に何の疑問も持たなかった。彼の頭の中では、パーティーグッズのクラッカーが乾いた音を鳴らして祝福の宴が始まる。二日ぶりのお客様じゃないか!
客ならば、今の陽にはどんな格好をしていようと救世主に見えただろう。




