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本名、《山田 夕陽のハイビスカス》  作者: かぎろ
第四話「大日本命名改革推進党」
11/21

 春香は祥子の手で目を塞がれたまま、クレーンゲームの二つのボタンに手を置いていた。幽邃とルラピケ、そして幽邃の持つ携帯のカメラはそれを横から見つめている。


 音を立ててはいけない、と幽邃は思った。けたたましくゲームの音が鳴り響くこのゲームセンターにいる以上、今更音を立てても変わりはないかもしれないが、それでも体を硬直させ、息を止めた。隣のルラピケも押し黙り、見守っている。

 コンマ一秒のズレが失敗に繋がるクレーンゲーム。春香はこれを目隠しで成功させるため、一ヶ月前からこの台に目をつけ、何度も練習することでアームを手足のように扱えるほどにまで成長していた。血の滲むような努力の末、今まさに目隠しクレーンゲームを成功させようとしている。


 幽邃は息をのむ。春香の小柄な体が大きく見え、背後に何かもやのようなものが浮かび上がっているように見えた。春香の気迫がみなぎるにつれ、そのもやは輪郭を得る。人の上半身のように見えた。腕がクレーンゲームのアームのようになっている。神々しい光が幽邃の目を煌かせた。あれは――あれは、クレーンゲームを司る神なのだろうか。春香の闘志が、その身に神を憑依させたとでもいうのか。

 静かにボタンが沈みこみ、ぶっきらぼうにアームが動く。春香は祥子の手に目を覆われたまま、二つ目のボタンに優しく触れる。経験、そして注ぎ込んだ愛情が、春香に押すタイミングを教えてくれるのだろう。最後のボタンが点滅し、アームはぬいぐるみを開口部に投下した。


「うおっしゃああ!」

「キタアァ」

「さすが『射豆湖市の蜘蛛の糸』! これは歴史に残るな!」


 人目もはばからず、三人で色気皆無の 「勝利の舞」 を踊る。手を頭の横でひらひらさせながら、クレーンゲームを中心に三周した後、幽邃はルラピケの小さな頭に手を置いた。白いニット帽が少しずれたので、修正する。ルラピケは謎の踊りを見て呆然としているので、幽邃は苦笑する。


「こいつがピケ」

「ひゃっほおぉ! 可愛い!」 「可愛いねぇ」

「だろ?」


 春香が再び踊ろうとするので、祥子が彼女をゲームセンターの出口まで引っ張っていく。幽邃とルラピケもそれに続き、目的地へと歩き始める。ゲームセンターの喧騒から解放された爽快感に、耳を両手でぺたぺたと触った。


「ルラピケ・ニニ・ポェリソラッソスです」 ルラピケは歩きながら春香と祥子に挨拶する。 「よろしくおねがいします」

「冬堂祥子です。よろしくね」

「射豆湖市の蜘蛛の糸です。よろしくーゥ」

「うざいやつになってるぞ、春香」 幽邃がたしなめると、春香は 「うざくて結構! 雨天決行! 中央通りを百鬼夜行!」 と韻を踏むので、祥子が殴って黙らせる。


「じゃあピケちゃん、このぬいぐるみあげようか」 春香が先程取った景品のぬいぐるみをルラピケに差し出す。

「これは?」

「メイたん、だってさ。なんかのアニメのキャラクターとかじゃない? 知らないけど」

「ありがとうございます、お大事にします!」


 幽邃はルラピケが受け取ったぬいぐるみを一瞥し、一瞬呆然としてもう一度それを睨んだ。 「メイたん……まさかな」


「春香、いいの?」 祥子が尋ねる。 「記念にとっておいたら?」

「ああ、これ、練習で取ったやつだから。家にもあるし」 そう言って春香はメイたんぬいぐるみを愛おしそうに頬擦りする。それを見てルラピケが 「あ! 甘虫を噛み潰したような顔ですね!」 と得意げに言うので、幽邃は 「新語爆誕の瞬間だな」 と笑う。


 カラオケに入ると、人は店員一人しかいない。その分広く感じ、清潔感もあるように思えた。三人組――今は四人だが、その中のリーダー格である祥子が店員と話をする。リーダーというか、春香の世話役といった感じだ。博識でしっかりしていて、幽邃が一番頼りにしている友人だった。

 カラオケで二時間ほど歌った後、幽邃はグランドグリーン周辺をルラピケと散歩する予定だ。公民館や駅に行ってみるつもり。

 ルラピケは電車を見たことがないらしい。地底では、移動はもっぱら魔法による飛行や 「魔法鍵」 と呼ばれる道具を使って行われるという。


 マイクの入ったかごを持って部屋に入り照明をつけると、タバコの臭いがほんのりと漂ってくる。一服したくなったが、春香が嫌煙家であることを思い出した。ルラピケをソファの真ん中に座らせ、早速春香が歌いだす。アイラブユー、と連呼するその曲は、どこかで聞いたことがある気がした。メタルとバラードどっちが好きだい、というセリフをなぜか思い出す。

 祥子が春香を指差し 「アイドントラブユー」 と叫んでいる。 「バット、アイラブ・ピケ」

 ルラピケは英語が分からないので、ぽかんとしている。そんな表情も可愛らしいな、と幽邃は思った後、ルラピケにリモコンの操作方法を教える。曲を予約し、 「できました!」 と誇らしそうに言うので、やったな、と幽邃はルラピケの頭を撫でる。

「アイラブユウスイー!」 春香がわめくので、幽邃は振り返りざまに片言で 「キモチワルイデース」 と言い放つ。


 ドリンクを幽邃が持ってくることになった。春香はオレンジジュース、祥子はウーロン茶を希望した。幽邃はジンジャーエールとメロンソーダ、どちらにしようか迷いながら、ルラピケを連れてドリンクバーに赴く。


「ハルカさんは面白い人ですね! ショウコさんも、ユウスイさんくらい強そうです」

「強そう、か」 幽邃は、確かにな、と思う。 「おれが肉体的に強いとすれば、あいつは頭脳がずば抜けてる。じゃあピケ、ドリンクどれだ?」


 返事がない。隣を見るが、いない。すわ、また誘拐か!? と思いながら振り返ると、ピケが入り口のガラスに手をぴとりとついて外を見回している。


「どうした?」 近寄る。

「……ユウスイさん」


 ルラピケは何やらそわそわした様子で、幽邃に駆け寄り服を掴んだ。


「一緒に、来てください」






 ▽






 陽の目が覚めると、誰かがアコースティックギターを鳴らしながら歌うように話しているのが聞こえてくる。


「だからさー、バラードの良さはさー」 ここでビブラートをきかせ、続ける。 「甘く切ないメロディの中にある押し殺された衝動にあるとー……思うんだよねェーイエイエイ」

「ぬんっ!」

「そういう意見もあるけどさー、バラードのようなー、音楽の奇跡とも呼べる代物を理解できないなんてーオゥマイガッ、悲しい人だよねーッヘェイ」

「ふんぬっ!」

「僕かい? メタルの魅力なんて分からんさー、そう分からんさーイヤォ……いいバラードを作れないメタルバンドはオゥイエス、低レベルな変態集団さー」


「そろそろ不毛な議論はやめたら? 夕陽のハイビスカス、起きたわよ」


 陽は椅子に座らされ、縄で体を縛り付けられている。あまり食い込んではおらず、痛みもない。見回すと、どうやらここはどこかの倉庫の外らしき場所のようだった。寒い。隅に木材が積まれてあるが、充分広い。木陰から差す光が、この空間で人の顔を判別できる程度の明るさを保っている。


 目の前の三人のことを、陽は知っていた。アコースティックギターを抱えて古びた椅子に座っているのは、恐らく先程の宅配業者らしき人物だろう。鼻が高く、外国人のような顔立ちだ。ああ、ルラピケが誘拐された時にグランドグリーンで演奏をしていた、あのミュージシャンじゃないか。甘ったるいラブソングを歌っていたあいつ。

 そして、その横には筋骨隆々の上半身を露出した大男、ラブストーリーがポーズを決めている。黒スーツの男がこの姿を見たら、 「くっ……なんと美麗なサイドチェスト……」 などと呟きそうだ。

 壁によりかかり長い髪を撫でているのは、陽の元恋人である樫宮果樹園だ。着ている暖かそうな毛皮のコートは、どうせお値段五十万円とかだろう。


「誰かが、私に束縛される趣味があるというガセネタでも吹聴したのか? 親切心でやってくれているのはいいが、もう気持ちは伝わった。解放してくれたまえ」


「気障系ツンデレという言葉があるわ」 果樹園は本物のお嬢様にのみ許されるような優雅な動きで髪を撫でる。 「そもそもツンデレという言葉の定義があいまいなのだけれど。ツンデレとは、ある時は言動などにトゲを含んでいるかと思えば、特定の状況で――例えば恋人の前では、だらしなくなるという性格を表す言葉よ。気障系ツンデレというのは、気障な言動で嬉しい気持ちを隠すような性格のことを指すわ。私は、そういう人はもっと素直になるべきだと思うの」

「つまりなんだというのだ」


 果樹園が笑う。 「わざとらしく気障な言い方せずに、もうちょっと嬉しがってもいいんじゃない? 久しぶりの再会なんだから」


「その通りー、そうその通りさーウォウウォウウォウ」 アコギの男は、宅配業者を装って話しかけてきた時と声が変わっているように思える。

 ラブストーリーが再びマッスルポーズ。 「ぬあっはぁ!」


「お前たちは」 陽は比較的落ち着いていた。果樹園がいるから、ひどいことはされないだろうと高をくくる。 「あれだろう? 大日本ナントカ党」

「そうね、自己紹介がまだだったわ」


 果樹園は半裸の大男を手で示す。 「彼は、堂々完結(めでたしめでたし)恋物語らぶすとーりー。姓は『どうどうかんけつ』と書いて『めでたしめでたし』、名は『こいものがたり』と書いて『らぶすとーりー』よ。忌まわしいことに、これは本名。滅多に言葉を喋らず、私たちはポージングで彼の意見を察しているわ。そしてこっちが」 アコギの男を指差す。 「中村髑髏(しゃれこうべ)。どくろという字でそう読むわ。これも本名。アコギを持つと普段より数倍格好いい声になるから、バンドでボーカルとして、またギタリストとして活躍中よ。で、私は樫宮果樹園」 自分の胸に手の先を向ける。 「大日本命名改革推進党の、副リーダー。よろしくね、新入りさん」


「一体何なんだ」 新入り、と呼ばれたことに関しては無視をする。 「お前が、副リーダー? 別にリーダーがいるのか」


「その通りだよ、夕陽のハイビスカス」


 入り口からやってきたその男は、背後から差すその光を後光のように携えて、陽の前に姿を現した。その姿を見た瞬間、頭の中で 『光の速さでウンコをしたらどうなるか知っているかね?』 という声が聞こえた後、あらゆる記憶が溢れ出し、その奔流が過ぎ去った後、陽はため息をついて言った。


「何やってるんだよ、兄さん」

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