#1-4:挟撃
「伯 志文殿ですか?」
一人の男が近づいてくる。
張勇。
それがその男の名前だった。
「私も旗下に加えていただけませんか?」
「必要ない。人数は足りている」
「私は情報局の密偵でした。元ではありますが……」
情報局。
衛国の全ての情報だけでなく、他国の情報も集約され、整理される場所。
そして、その長こそが、袁興の弟、「袁雷」であった。
「袁興の配下ではありません。元ですので……」
慌てたように張勇がつけ加える。
(元、か。信じるに足る根拠はないな……)
その一方、情報局にいれば、この龍牙関の地形にも詳しいだろう。
「わかった。いいだろう」
張勇はまだ話があるとでもいうように、志文の腕を引っ張った。
「まだ何か用か?」
「志文殿はどのようにお考えですか?」
答えることはできなかった。
確証がない以上に、この男を信用したわけではなかった。
張勇は志文の態度を見て、何かを察したように口を閉じた。
しばらくの沈黙の後、張勇は再び、口を開いた。
「龍牙関の側面に通信舎があります」
通信舎とは、敵の全容を知るために、本陣と離れたところに置く幕舎のことである。
いわば、軍の中継地であった。
「通信舎があるがゆえに、公孫穆は包囲してこないということか……」
公孫穆の意図が見えたような気がした。
そして、この張勇という男の意図も。
「お前はここで待っていろ。芳蘭と話してくる」
もし、予想通りだとすれば、時が経てば経つほど、不利になる。
「私の隊で通信舎を襲撃すればいいかしら?」
芳蘭の言葉に志文は頷いた。
「張勇、いくぞ」
志文と張勇が去った後、芳蘭は一人、ため息をついていた。
損な役回りを引き受けてしまった。
百人隊の隊長だというのに、柄にもなく、頷いてしまった。
通信舎の襲撃。
簡単ではない。
おおかたの場所は張勇から聞いたが、それ以上のことはわからなかった。
なにより志文に去り際に頼まれたことが、この役回りを一際、重いものへと変えていた。
「通信舎が複数あったら、慢心させるような働きを頼む」
ただの一兵卒の頼み事のはずなのに、なぜだか説得力があった。
「林宗、隊を集めろ。出るぞ」
一方、その頃、志文と張勇は、森の中へと入っていた。
「志文殿、なぜ、こちら側に向かうのですか?」
志文が向かったのは、龍牙関の裏手、すなわち、王都の方角であった。
「公孫穆が動かないのには理由がある」
「通信舎があるからではないのですか?いや、だとしたら、芳蘭殿と我らを別行動にする意味がない……」
張勇が違和感を抱くのは当然だった。
確証があるわけではなかった。
ただ、包囲しないというより、何かを待っているように思えたのだ。
そもそも、この戦の始まりは、衛国が仕掛けたことから始まった。
黒龍河を渡り、魯国の国境へ侵入。
しかし、魯国はそれを待っていたかのように、戦線を押し返し、衛国の最前線の拠点、龍牙関に押し寄せた。
魯国の備えが万全過ぎたのだ。
国境に軍を五万。
それも、「魯三傑」の魏鉄山や次期「魯三傑」候補の公孫穆を揃えて。
情報が漏れているのは、すぐにわかった。
おおかた、袁興あたりだろう。
しかし、志文にとって、問題は、そこではなかった。
それは、通信舎を置いたことだった。
もし、通信舎を置いていなければ、包囲しないことを公孫穆の罠だと勘ぐっただろう。
しかし、通信舎を置いたということは、通信舎が囮だということ。
情報が漏れているのなら、王都からの援軍が来ないことや、兵站が切られていることも既に、知っているはずだった。
つまり、包囲せずに、通信舎を配する意味がなかった。
そして、そこから得られる結論は一つだった。
この戦は、はじめから仕組まれていた。
龍牙関を落とすつもりなら、最初から数で落としていたはずだった。
何かを待っている。
それが志文の出した結論だった。
そして、その”何か”は、龍牙関の背後にあると踏んだのであった。
包囲しないのは、背後にある”何か”によるものだ。
だとすれば、その”何か”が完成する前に、破壊する必要があった。
「志文殿……そのようなことが本当にあるのでしょうか?」
張勇が冷静に口を開いた。
「本当に”ある”かはわからない。だが、本当だとすれば、衛国は滅ぶことになる」
張勇が静かに頷くのが横目でわかった。
どこまで進んだだろうか。
雪がところどころ積もっている。
木々は低木に変わり、辺り一面が段々と白くなっていく。
月明かりだけが頼りだった。
「これは……」
それは人の足跡だった。
「この森の、それもこんな奥地まで、入ったということでしょうか……」
誰かが迷い込んだ可能性もあったが、可能性としては、低かった。
目的もなく、ここまで来ることは考えにくかった。
自分たちも目的がなければ、とっくに引き返していた。
それほどの獣道だったのだ。
「ここに、公孫穆の目的があるのでしょうか……」
張勇は、訝しむように口にした。
ここは、龍牙関のはるか後方。
公孫穆が仕掛ける場所にしては、あまりに遠すぎるのだ。
ガサッ。ガサッ。ガサッ。
その音は、規則的に刻まれていた。
「隠れるぞ」
志文の合図で、近くの低木に身を隠す。
既に、志文も張勇も剣を抜いていた。
人の足音であることは間違いなかった。
「おい……早くしろ」
「へっ、心配すんな。こんな奥地、俺ら以外に誰も来やしねぇぜ……」
白い毛皮を纏い、頭も白い毛皮で覆っていた。
足音が去ると、張勇が近づいてくる。
彼らが何者なのか、その答えを張勇は知っているようだった。
「誰だ?」
志文の問いに、張勇は短く答えた。
「玄岳国の兵です」
玄岳国。
衛国の北方に位置し、峻険な山脈が多く、冬の寒波の厳しい国。
「あの服装は、玄岳国の服装です。厳しい寒さをしのぐために使われます」
「罠や偽装の可能性は?」
「ないとは言い切れませんが、このような奥地で偽装する可能性は低いはずです」
なぜ玄岳国が、衛国の領地の、それも、こんな奥地にいるのか。
挟撃。
その二文字が、突如として浮かび上がってくる。
この戦は、魯国と玄岳国の共同戦線を張るための戦。
ただの戦ではなく、大局の為の戦。
そのための、通信舎だったのだ。
「張勇、行くぞ」
やることは決まっていた。
玄岳国の部隊を一掃する。
そうしなければ、公孫穆の策を破ることなど、できるはずもなかった。
敵が少数であることを祈るばかりだった。
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次話は、「無双シーン」です!
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―――
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