4、谷間のユリ
ホルンフェルスでの交渉を通じて、大公国の指導者たちは、帝国が大公国の独立は容認するが、領土の割譲は不可避であるという最終的な意図を把握した。
軍事的な敗北が避けられない以上、これ以上交渉を引き延ばせば、帝国はさらに過酷な条件を突きつけるか、完全な占領に踏み切るという可能性もあった。二月末、大公国首脳部は、帝国との和平交渉をワプティアで直接行うという、最終的かつ苦渋の決断を下した。
故郷の兵士たちが国境の最後の防御線で敗北の時間の引き延ばしという絶望的な戦いで、文字通り血を流して時間を買っている間に、大公国代表団がホルンフェルスを離れ、ワプティアに向かう。
同じ銀白の月光の下、二人の青い夢は、国家の崩壊という巨大な歯車の陰で、静かに、しかし確かに刻まれていた。
イーダの所属する騎士団が血を流して時間を買う戦場に出ることになった。テオドールはそのことを彼女より先に役所で回ってきた書類で知った。
イーダたちに与えられる補給物資は貧弱だった。テオドールは戦線を維持するためにはこれでは足りないと、上司に掛け合い、彼女たちが戦い続けられるだけの物資をかき集めた。彼には、彼女に贈ることのできるものはこんな物しかなかった。そのリストにはマシな酒も追加しておいた。
イーダは、テオドールと、騎士見習いの頃からずっと一緒にいて、ありきたりの恋をして、結婚して、子どものいる生活をするという甘い夢を見たことがあった。
「きっとダメだ」
若いころのイーダはテオドールの平穏さには耐えられなかったろう。今では愛おしい宝物に思える彼の優しさを、当時の彼女は退屈としか感じ取れなかったに違いない。きっと彼女は、テオドールとの平和な空間を、自分の手で壊してしまっていたと思う。甘い夢を見たな、と自嘲する。
今になってテオドールと再会し、彼と過ごす日々が、泥を啜るようだったイーダの半生を必要な時間だったと思わせてくれる。彼女の今までの人生があったから、彼の今の人生があったから、彼女は彼の与えてくれる平穏な幸せを感じ取れるように成長したんだと、彼女は思うようになっていた。
だから、彼女はもう、迷わずに平穏な日々を送る人たちの盾になれると思った。
「またね」
いつもの別れ際の挨拶だった。でも今日のその言葉は、明日への約束ではなく、永遠の別れの挨拶になるかもしれないことを二人は知っていた。
イーダはかつての輝きを失った、けれどどこか清々しい顔で歩き出す。彼女はスズランのような人だ。踏まれても、凍えても、春を信じてそこに咲く。そんな彼女をテオドールは黙って見送っていた。あの日は触れられなかった手を、今は知っている。けれど、その手をつかんで、戦地に向かう彼女を止めることはできない。
イーダの背中は、あの日、宮殿の回廊で見た、窓から空を見る彼女の背中と重なって見えた。彼女は腰にあの古びた剣を帯びている。彼女がずっと見ていた塔の向こう側とは、自由ではなく、誰かのために戦える場所だったのかもしれない。
雪の降る中、彼の手だけが熱を帯びていた。テオドールはコートのポケットの中で、昨夜触れた彼女の肌の熱を逃がさないように拳を握った。その拳はもう震えてはいなかった。




