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三十年目の鐘は鳴らない  作者: 万里小路 信房


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1、灰色の再会

 帝国軍が大公国の防衛線「フリーデリケ・ライン」を食い破り、リソスフェア地域の中心地プシロフィトンに、迫りつつある二月半ば。大公国の命運は、リソスフェアの前線の雪原から、中立国リトセラスの首都ホルンフェルスの会議室へと移されていた。

 

 大公国軍総司令官フリーデリケ公女は、摂政に帝国との和平交渉を進言した。これが大公国の独立を維持する、最後のチャンスだと。


 リトセラス王国に送った外交団は、王国の外交官ディトモピゲ子爵の仲介によって、帝国の使節と接触した。子爵は大公国使節を親身にエスコートしてくれたが、その鉄壁の中立の姿勢を崩すことはなかった。


 水面下で和平交渉が進められている頃、騎士テオドールは、フリーデリケ公女が司令部を置く、後方の拠点で、兵站総監のイノセラムス男爵の下で書類の山と戦っていた。


 彼は栄光を求めて、帝国で軍務についていた。大公国の騎士が外国で軍務に就くのは、ごく当たり前のことだった。フリーデリケ公女も、帝国の軍事アカデミーに留学し、その後帝国で軍務に就いていた。帝国のほか、ゴニアタイトや西の連合にも多くの大公国騎士が渡っていた。


 大公国は長らく平和だった。森林資源や鉄などの鉱物資源は豊富だったが、他国が征服したがるほどの土地の豊かさはなかった。戦場を求める大公国の騎士たちは、外国に渡っていた。


 テオドールも、かつては夢を追い、帝国に向かった。帝国の騎士団に所属し、結婚し、ギャンブルで財産を失い、離婚し、酒に溺れ、故郷に逃げ帰った。


 彼は五十に手が届く年齢になっていた。もはや騎士としての華々しい手柄を望むような年ではなかった。改選前も今も、ただ、事務仕事をこなす何も事件の起こらない日々を送っていた。


 二月半ばのある日、テオドールは書類の不備を正すために司令部警護の騎士団本部を訪れた。それは騎士団とは名ばかりのものだった。戦えるものはすべて前線に出払っている。近衛ですらだ。ここに残されているのは壮年の構成員を欠き、自前で従士らをそろえることもできない三線級の騎士団だった。


 そこで彼は彼女と再会した。


「……テオドール?」


 声をかけてきたのは、イーダだった。三十年前、騎士見習い時代に淡い気持ちを抱いていた女性……。


「イーダ、イーダなのか?」


 かつての清らかさの面影はあるものの、イーダはぶっきらぼうな口調で、化粧をほとんどしていない顔に生活感がにじみ出ていた。イーダはこの司令部警護の騎士団に籍を置いているのだという。


 戦争中の一時の平穏状態。二人は再会を機に、飲み友達になった。まるで吸い寄せられるようだった。


 二人が会うのは場末の飲み屋だった。気取ったところもなく、自分たちの近況を話す。テオドールもイーダも孤独を感じていた。お互いにいい年で、他者との新しい関係の作り方を忘れている頃だった。二人の関係は、すぐに馴染んだものになったが、いつも新鮮だった。


「またね」


 そう言って、イーダは自分の住処へと戻っていく。テオドールはその後姿を眺め、帰途につくのが、いつしか二人の習慣になった。

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