第36話 アルト商会のアルテーン
*** ヴァネッサ・ピエドラ(青い魔女)視点
わたくしはオーナーと夜の酒場に来ていた。
店は酒と煙草の匂いが立ち込めていて、ガヤガヤと客の賑やかな声が聞こえる。
オーナーのアルテーンはプカプカと煙草をふかしている。
わたしくが顔をしかめていると、アルテーンは言った。
「ヴァネッサ、こういう店初めてか?それとも煙草苦手か?」
「ケホケホ、両方ですわ。わたくし、庶民の店には来たことがなかったもので」
「ああ、こっちだ。ピエール」
アルテーンが腕を上げる。
待ち合わせの相手が到着したらしい。
現れた背の高い男性は茶髪で、シャツを着て小綺麗な格好をしていた。
「ピエール?」
何処かで聞いた事のある名前だと思ったら、この人は王城の騎士ね。
見覚えがあるわ。
「こちらの方は?」
「知り合いのバネット嬢だ。美しい女性だろう?」
「初めましてお嬢さん。わたしはピエール・ブレイスフォードだ。ああ、本当に美しい人だな。アルテーン、彼女をこんな酒場に連れてきても良かったのか?」
頬を染めて、ピエールが言う。
髪が金髪になっているけど、わたくしの魅了能力は健在らしい。
男女問わず他人がわたくしを見ると、無条件に好印象を持つのよね。
「まあ、飲めよ」
「そうだな。バネット嬢は?」
「わたくしはお酒は得意でありませんの」
「そうなんですね」
ピエールは直ぐに注文してお酒を飲み始めた。
何杯か飲んだところで、酔いがまわったのかテーブルに突っ伏して寝てしまう。
お酒に弱い人なのかしら?
「あらら、寝てしまいましたね。彼は仕事で疲れているんだな…ヴェネッサ、話は外でしようか。取りあえず彼を介抱しようかね」
アルテーンが、ピエールを抱えわたくしたちは酒場を出て宿屋へ向かった。
*** ピエール・ブレイスフォード 視点
「うーん」
頭が痛い。
それ程飲んだつもりはなかったはずなのだが。
視線に白い美肌が目に入った。
ふくよかな胸元、ピンク色の口元。
魅惑的な肢体にごくりとつばを飲む。
これは夢か?
僕の隣で、生まれたままの姿の女神が微笑んでいた。
「幸せですわ。ピエール様、わたくしと結婚して下さいますの?」
「えっ?」
「わたくしと結婚したいと仰ったではありませんか。だから抱きたいのだと」
うっとりした表情の女性。
見ると、僕はベッドの上で何も身につけていなかった。
まさか、酒の勢いでやってしまったのか?
背筋が寒くなり、顔が青ざめる。
バン!
乱暴にドアが開かれた。
目を見開き、驚いた表情のアルテーンが立っていた。
どうやらここは宿屋のようだが…。
「ピエールまさか、何てことを…彼女はオレの…」
「ちょ、ちょっと待ってくれ誤解だ」
「やることやっていて誤解も何もないだろう。心底見損なったよ」
冷たい眼差しで言われる。
言い訳のしようがない。
酒で記憶がないとはいえ、結婚したいと嘘をついて女性を抱いただなんて…あまりにも酷すぎる。
「アルテーン、すまなかった。何でもするから…お願いだから家族には黙っていてくれ!」
僕はアルテーンに土下座して懇願した。
*** ヴァネッサ・ピエドラ 視点
ピエールが帰った後、わたくしは宿のベッドで寛いでいた。
毛布で体を覆い隠す。
「本当にしてしまっても、良かったのに残念ですわ」
一連の流れは演技で、もちろん体を重ねてはいない。
既婚者のピエールは唯一、わたくしと体の関係にならなかった騎士だ。
他の騎士たちは、簡単に魅了で落とせたというのに。
「…女性は、男に簡単に体を許すものではないよ」
わたくしは、アルテーンに強引にベッドの上に押し倒され、そのままキスをされた。
「言っている事と、やっていることが異なっていますわよ?」
前触れもなくキスをされたので、鼓動が激しく波打っている。
魅了は効かないと自分で言っていましたわよね?
「オレはお前が好きになってしまったようだ。もう、オレ以外の奴と付き合うなんてことはやめろ。本気で好きでないならなおさらだ」
耳元で甘い声が響いてゾクゾクした。
頬が熱くなる。
こんな感情はずいぶん昔に忘れてしまっていたのに。
「ヴァネッサ、オレを好きになれ」
彼に優しい瞳で見つめられる。
ああ、これはスキルで魅了された人の目ではない。
もっと早く彼に出会っていれば、違う人生を歩めたかもしれないわ。




