第九話:知剣セイリオン 蒼天を穿つ策謀の賢者
朝靄が、ローク谷を静かに包んでいた。夜の戦いの爪痕がなお色濃く残るその大地に、しんとした冷気が漂う。
しかし、その静けさの裏には、確かに“勝利”の余韻があった。
「……おかえり、ミナギ」
ジン=カグラがその名を呼んだのは、焚火の脇だった。
ミナギは何の音もなく現れ、淡く月の香を纏ったまま、膝を折った。
「任務、完了。帝国副将——ダリオ・クラインの排除、成功しました」
「そうか。……これでようやく、こちらの反攻に現実味が出てくるな」
ジンの目は鋭く、だがその奥にはどこか寂しさがあった。彼は知っている。戦果の裏に、血と涙がどれほど流れているかを。
「犠牲も……出ました。リュカとエメリアの部隊が、敵の魔導攻撃で……」
ミナギが告げると、ユナが静かに目を伏せた。彼女もまた、かつて幾度となく同じ報告を受けてきた。
「……彼らの分も背負う。それが俺たち指揮官の責務だ」
ジンは焚火の前で立ち上がると、視線を遠くに投げた。
その先には、谷の終端にある峠がある。そこを越えれば、伝説に語られる“白き守護者”がいるとされる、古の聖域——《獣王の牙山》がある。
「……“雷刃”は北方の戦線に。ガロウは西の守備。レンゲとユズハンには接触済み。残るは……“智剣”、セイリオン」
ジンは、あえてその名を口に出した。
セイリオン=アルフェクト。
軍略・剣技・魔導を極めた異能の将。
俺たちは優秀な軍師が必要だ。
だが彼は、五年前に突如として姿を消していた。
「本当に……彼は協力してくれるのかしら?」
ユナが静かに問うと、ジンは一瞬、目を伏せた。
「わからない。だが……この戦乱の渦中で、彼が“傍観者”でいられるとは思えない」
ミナギもまた、闇夜にまぎれて得た情報の一部を口にする。
「東の隠れ里に、彼によく似た“白髪の剣士”が現れたという噂があるわ。追ってみる価値はある」
「……よし。そこへ向かおう。各部隊を再編し、次の作戦を展開する。ユナ、ミナギ、同行してくれ」
「ええ、もちろん」
「了解」
こうして陣は、また一歩未来へ
と踏み出すのであった。




