第三十一話 「蒼月英雄譚」
リュミエル王都を揺るがせた祝祭の喧騒は、夜を徹して続いていた。街の広場では舞が披露され、子どもたちの笑い声が響き渡る。灯火に照らされた人々の顔は、皆がようやく掴んだ平穏を心から喜んでいた。
ジンは仲間と共に人々の歓声に応えつつも、その胸に重く迫る感情を隠せなかった。戦いは終わった。しかし、犠牲の上に立つ平和であることを忘れるわけにはいかない。
「ジン……」
隣に立つユナがそっと声をかける。その手には聖槍《リュクス=アーク》が携えられていた。光を放つその穂先は、まるで彼女の決意を象徴しているかのようだった。
「この光、必ず守るために使います。癒し手である私に戦いの象徴が託された意味……きっとあるのですよね」
ジンは静かに頷いた。
「ユナならできる。人を救うために振るう槍なら、きっとこの世を照らすだろう」
少し離れたところでは、星羅が新たに授かった軍扇を広げていた。蒼と銀の文様が夜空の星明かりに照らされ、彼女の横顔を浮かび上がらせる。
「導く者……私に務まるのでしょうか」
彼女の問いに、シュイエンが笑って肩を叩いた。
「務まるさ。俺たちをここまで導いたのはお前の策じゃないか。胸を張れ、星羅」
星羅はわずかに微笑み、軍扇を閉じた。彼女の瞳には、もう怯えよりも覚悟が宿っていた。
一方その傍らで、銀牙のシンは与えられた戦神の鎧を抱えていた。その表情には誇りと同時に重苦しさも滲んでいる。鎧は黄金と銀に輝き、見る者を圧倒させたが、彼の瞳は沈んでいた。
「……鎧の重さが、失った仲間の声のように感じる」
そう呟く彼に、イレーネが柔らかく微笑む。
「だからこそ、彼らのために前に進むのです。シン殿ならば背負える」
シンは目を閉じ、やがてゆっくりと頷いた。その巨躯に、再び闘志が宿る。
祭りの熱狂の裏側で、帝国アークルバニア城は沈鬱に包まれていた。重臣たちの間では罵声と責任の押し付け合いが続き、五剣将たちでさえ不満を隠さなくなっていた。王は沈黙を保ち、誰もその胸中を推し量ることはできなかった。
――魔将デュランの死は、帝国の均衡すら崩しかねない衝撃だったのだ。
「いずれ立ち直ろう。だが、それは内からの裂け目を広げることにもなる」
レオナードは酒杯を置き、独り言のように呟いた。ギルベルトも険しい顔で応じる。
「我らは剣を振るうのみ。だが、この国の未来は……」
答えは出ないまま、帝国の夜は深まっていった。
それから幾日、ジンたちはリュミエル王都を後にし、蒼月国への帰還の途についた。行軍の道中、村々の人々が花を手に出迎え、子らは英雄たちの名を呼んだ。
「ジン様!」「ユナ様!」
笑顔と歓声に迎えられる中、シュイエンは子供たちに剣舞を披露し、無邪気な声援に笑みを返した。だがその剣先は、決して舞のみに使うものではない。彼女の胸にあるのは「護るために斬る」という誓いだった。
星羅は民に向かって軍扇を掲げた。扇の文様が風に揺れ、星々の煌めきを映す。その姿に、人々は「新しい時代を導く星」としての期待を込めて声をあげた。
シンは鎧を纏い直し、群衆に応えた。その巨躯と鎧の輝きに、子供たちは憧れの眼差しを注ぐ。彼は心の奥で「戦うのは人を守るため」と言い聞かせながら、その眼差しをまっすぐに受け止めた。
ユナは祈りの歌を捧げ、人々の心を癒した。彼女の声は澄み渡り、聴く者の涙を誘った。人々は「この声がある限り、平和は続く」と信じて疑わなかった。
やがて蒼月国の都が見え始めた。城門には人々が詰めかけ、旗が翻っていた。帰還を待ちわびていた群衆が歓声をあげ、英雄たちの名を連呼する。ジンはその中心に立ち、仲間と共にその声に応えた。
「俺たちは……帰ってきた」
胸にこみ上げるものを噛み締め、ジンは仲間たちを振り返る。
「この平和を、必ず守ろう。どんな脅威が来ようとも」
その言葉に皆が頷いた。彼らの絆は戦乱を越え、いま一層強く結ばれていた。
夜、蒼月の都にも祝祭の灯がともされた。民は歌い踊り、兵は酒を酌み交わす。そこには戦火を忘れたひとときの安らぎが広がっていた。
ジンは高台に立ち、静かに夜空を仰いだ。月光が蒼白に輝き、星々がきらめく。その光景に、彼の胸は熱くなった。背後からユナが歩み寄り、並んで空を見上げる。
「きれいですね……」
「ああ。これが、俺たちが護り抜いたものだ」
その瞬間、星羅がそっと軍扇を広げた。蒼と銀の扇面に映った星々は、未来を予兆するかのように輝きを増す。彼女は小さく呟いた。
「……夜空の星は、まだ語り尽くしていない。新たな時代の兆しが……」
ジンは彼女の言葉を受け止め、静かに微笑んだ。
「それでもいい。未来がどうあれ、俺たちは進もう。共に」
仲間たちが次々と集まり、笑みを交わしながら空を見上げた。ユナは穏やかに祈りを捧げ、シンは腕を組んで頷き、シュイエンは剣の柄に手をかけて誓いを新たにした。イレーネは静かに彼らを見守り、星羅は軍扇を閉じて未来を胸に刻んだ。
――その勝利の歌は、長く人々の心に刻まれた。
かつて戦火に揺れた大地に、ようやく訪れた平穏を讃えるために。
そしてその名は、後の世に「蒼月の英雄譚」として語り継がれることになる。




