第二十五話 「策謀の灯火 ~《魔晶宮の軍議》~」
夜の魔晶宮ルナリアは、深海に沈む城のように静まり返っていた。
月光が大理石の床を淡く照らし、緊張に沈んだ軍議の広間を冷ややかに包み込む。
玉座の前に集ったのは、リュミエル連邦の名だたる将たち。
中央には軍師イレーネ、その左右に銀牙・シン、雷槌・ザラッド、炎剣・フェルノート。
さらにセリス、ユナ、ジン、星羅、シュイエン、シア……誰もが一様に厳しい面持ちをしていた。
机の上には戦況を記した羊皮紙と、立体投影のように浮かび上がる魔法地図。
そこには黒き巨影――魔将デュランの軍が刻まれている。
「……我ら三人が一度に挑んでなお、デュランを討ち果たせなかった」
口を開いたのは、銀牙・シンだった。
右肩に包帯を巻いたまま、声には苛烈な悔しさが滲んでいる。
「武芸で並び立つことは、もはや不可能と知れた。あれは人の域を超えている」
フェルノートも頷き、唇を噛んだ。
「炎も雷も拳も……すべてが弾き返される。
だが奴には、確かに虚脱の瞬間があった。前回ジンが戦った時、蒼穹破断を放った直後、動きが鈍り撤退した」
「うむ」
ザラッドは重々しく腕を組む。
「長く戦える代物ではないはずだ。あれほどの力、代償があるに違いない」
将たちの視線が軍師イレーネに集まる。
銀髪を結い上げた女軍師は、沈思黙考ののち、はっきりと告げた。
「――ならば、武力で正面から討つのは捨てましょう。
我らが勝つ道は、策をもって奴を追い詰めるしかない」
広間の空気が微かに揺れる。
沈黙を破ったのは、若き勇士ジンだった。
「策といっても、デュランほどの武勇を相手に、どうやって……?」
イレーネの瞳が鋭く光る。
「蒼穹破断――あの技は確かに絶大。しかし、使えば必ず隙が生まれる。
前回、奴が退却したのは偶然ではなく、あの術の副作用に違いない。
ならば、複数の武将で戦いを挑み、奴にその技を使わせる。
その直後、弱り切ったところを策でもって捕える。それしかない」
その言葉に、シンが拳を握りしめる。
「……つまり、俺たちは餌になるということか」
「餌ではありません」
イレーネはきっぱりと否定した。
「貴方たちは決して消耗品ではない。勇敢に挑み、あの怪物を本気にさせることでこそ道が開けるのです」
セリスが静かに光の剣を持ち直した。
「では、まずは魔物の群れを掃討しなければ。デュランは決して軽々しく姿を見せない。
彼を引きずり出すためには、前線の魔物を削り、帝国軍に圧をかける必要があります」
イレーネは魔法地図に手をかざし、各部隊の布陣を示した。
「作戦はこうです。各武将は二人一組で部隊を率い、魔物の軍を削る。
そして最終的に、デュランを引きずり出す」
その場にいた全員が息をのむ。
「組み合わせは――」
イレーネの言葉に、皆が耳を澄ます。
「銀牙シンと星羅。雷槌ザラッドと炎剣フェルノート。
シュイエンとシア。そして……ユナとセリス。
ジンは本陣に控え、最後の切り札として備えます」
広間にざわめきが走る。
ユナはわずかに眉をひそめた。
「わたしは……セリス様と、ですか?」
イレーネは頷く。
「貴女とセリス様は、共に魔法陣を展開できる。援護に回れば、各部隊は格段に戦いやすくなるでしょう。
遊撃隊として敵を翻弄しつつ、全軍を支える役目を担ってほしい」
ユナは胸に手を当て、深く息を吸った。
確かに、聖光魔法と結界術を併用できる自分とセリスなら、広範囲の支援が可能だ。
だが一方で、ジンが本陣に残されることが不安でならなかった。
――あのデュランが再び現れたとき、真っ先に矢面に立つのは彼なのだから。
シンが低く唸った。
「ユナを戦場に出すのは心配だが……確かに理に適っている。俺は星羅と組むのか」
星羅はきっぱりと頷く。
「シン様と共にあれば、どんな敵でも恐れません」
ザラッドは腕を鳴らし、豪快に笑った。
「フェルノートとなら、炎と雷で地獄をつくれるな。奴の軍を粉砕してくれる!」
フェルノートも炎の大剣を軽く持ち直し、静かに応じた。
「……だが油断は禁物だ。魔物どもは囮、奴を呼ぶための罠であるやもしれぬ」
シュイエンとシアは互いに目を合わせ、小さく頷きあった。
言葉少なだが、二人の間には揺るぎない信頼があった。
こうして明日の布陣が決まると、各将はそれぞれの部隊へ戻り、作戦の打ち合わせを始めた。
広間には次第に静寂が戻り、残されたのはユナ一人。
彼女は、血のにじむ包帯を巻いたシンの背にそっと手をかざし、聖光魔法を流し込んだ。
柔らかな光が広間を満たし、深い傷が徐々に癒えていく。
「……ユナ、すまねえな」
シンが低く呟く。
「俺たちが不甲斐ねえせいで、お前まで戦場に立たされる」
ユナは首を横に振った。
「違います。みんなで力を合わせなければ、あの魔将には勝てません。
……でも、どうしても心配なんです。ジンが本陣に残されて……最後に戦うなんて」
彼女の視線の先、ジンは黙って剣を磨いていた。
光を映す刀身には、少年の顔ではなく、戦場を見据える戦士の眼差しが宿っていた。
「大丈夫だ、ユナ」
ジンは穏やかに微笑んだ。
「お前が戦場を支えてくれるなら、俺は必ず勝てる。だから……信じてほしい」
ユナは唇を噛み、やがて小さく頷いた。
「……はい」
その夜、魔晶宮の各部屋では、将たちが明日に備えて静かに剣を研ぎ、鎧を整えていた。
誰もが胸に恐怖と不安を抱きながら、それでも背を向けることはない。
明日こそ、魔将デュランを討つために――。
ユナは眠りにつく前、窓辺から月明かりを見上げた。
あの黒き巨影を打ち払える日が、本当に来るのだろうか。
胸の奥で渦巻く不安は尽きない。だが彼女は両手を胸に組み、静かに祈った。
――どうか皆が、生きて帰れますように。
その祈りを胸に、ルナリアの夜は更けていった。




