第二十一話 「黒き巨影と三猛将」
その瞬間、空気が張り詰めた。
魔将デュランの挑発の言葉が響き渡ってから、わずかな間。
言葉など不要と言わんばかりに、銀牙・シンが地を蹴った。
鋼鉄の篭手をはめた両腕が、獣の爪のように閃く。
その篭手には厚く魔力がまとわりつき、拳を振るうたびに空気が爆ぜた。
狙いはただ一つ──デュランの顔面。
だが。
ゴッ──という重い音とともに、シンの拳は宙を裂き、虚空を掴んだ。
目の前には、涼やかな笑みを浮かべたまま、わずか半歩引いたデュランの姿。
「ほう……悪くはない」
それだけ。
彼の顔には緊張すら浮かばない。
セリスが、城壁の上で低く呟く。
「……あいつは、強すぎるのよ」
しかしシンは怯まない。
雷光が篭手に奔り、次いで鎧全体を黄金色に包んだ。
その輝きは、戦場の陰鬱な空気を切り裂くようにまばゆい。
「これなら……どうだッ!」
咆哮とともに放たれた連撃は、もはや拳というより雷そのものだった。
拳が風を裂き、衝撃波が地面を抉る。
だが、デュランは剣──バルムンク・ゼロを軽く振るい、その全てを紙一重で受け流していく。
受けるたびに、黒い残光が剣先に踊り、シンの打撃を逸らす。
力と力の衝突ではなく、圧倒的な技量の差──それが戦場の空気に伝わっていく。
シンは攻め続ける。
だが、攻撃のたびに反撃の刃がわずかに肉を掠め、肩や腕から血が滲む。
それでも退かない。
彼の背後には、仲間たちと、この城を守る民がいるからだ。
だが、その姿を見ていたフェルノートとザラッドは、同時に前へ踏み出した。
「これ以上は無理だ!」
「三人でやるぞ!」
フェルノートが背負う炎の大剣が、戦場に燃える音を響かせた。
剣身から噴き出す紅蓮の焔が、周囲の空気を灼く。
一方、ザラッドは雷槌──轟天を高々と掲げ、天に向かって雷鳴を呼び起こす。
三人の猛将が一斉にデュランを囲んだ。
正面からシンの拳、右からフェルノートの大剣、左からザラッドの雷槌。
空間が歪むほどの一斉攻撃。
その一瞬、デュランは口角を上げた。
「多少はやるな……では、少し本気を出すか」
次の瞬間、彼の全身を黒い闘気が覆った。
暗黒闘法──《魍魎刃舞》
漆黒の魔力が形を持ち、剣と彼の肉体を一体化させる。
その圧力は、三人の呼吸すら乱す。
戦場が爆ぜた。
シンの拳とフェルノートの炎剣が同時に振るわれ、雷槌が大地を叩き割る。
だが、その全てをデュランは受け、あるいは躱し、あるいは押し返す。
フェルノートの炎が鎧を舐めても、その下の肉体には傷一つ付かない。
ザラッドの雷撃は、逆に暗黒の刃で断ち切られる。
シンの拳は剣身で滑らされ、力を奪われる。
「この程度かッ!」
デュランの剣が薙がれ、衝撃波が三人を同時に弾き飛ばす。
だが猛将たちは起き上がり、再び突撃する。
フェルノートが炎の斬撃を十字に放ち、ザラッドが雷槌を地面に叩きつけて足元を崩す。
その隙を突いて、シンが至近距離から連撃を叩き込む。
一瞬、デュランの動きが止まった──かに見えた。
次の刹那、漆黒の剣が一閃。
三人の武器ごと、衝撃が全身を貫く。
フェルノートは槍先の炎を消され、ザラッドは雷を断たれ、シンは拳の軌道を完全に奪われる。
そして三人は同時に吹き飛ばされた。地面を転がり、土煙と共に動きを止める。
息を切らす三人を見下ろし、デュランは愉快そうに笑った。
「楽しかったぞ! また戦場で会おう!」
その声は、勝者の余裕に満ちていた。
そして彼は、背を向け、軍勢と共に悠々と去っていった。
戦場には、敗北の重さだけが残された。
ルナリアの城内へ戻った三人は、すぐさまセリスと軍師イレーネに呼び出された。
「勝手な真似をするなと、あれほど言ったはずだ!」
「命あっての戦だ。お前たちの力は、この先の戦で必要なんだ!」
叱責の言葉は鋭く、しかしその奥には安堵が滲んでいた。
ジンとユナも、彼らを見てほっと息をつく。
「……無事でよかった」
「次は、本格的に攻めてくるぞ」
だが、三人の猛将が敗れた事実は、兵たちの胸に重くのしかかった。
誰もが黙り込み、遠くの空を見上げる。
そこには、黒い雲が流れ、戦の匂いが濃く漂っていた。
不安は、静かに、しかし確実に全軍を飲み込んでいった。




