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第十六話 「敗軍の帰還、揺らぐ帝都」

黄昏に染まる帝都アイン・ヴァルトの大通りを、ぼろぼろの兵列がゆっくりと進んでいた。

 鎧は割れ、剣は刃こぼれし、血と泥の匂いが風に混じる。馬の足取りさえ重く、誰一人として声を上げる者はいない。


 その光景を見守る王都の民の間に、ざわめきが広がった。

「まさか……負けたのか?」

「グレン将軍の軍が……」

 不安の波が静かに、しかし確実に広がっていく。


 列の先頭に立つグレン・リヒトは、前だけを見て歩いていた。

 視界の端に映る民の顔が、不安と疑念に染まっているのは分かっている。

 彼らの信頼を背負って戦場に赴き、敗北という結果を背負って帰る。この重さは、鎧よりもはるかに堪えた。


 王へ敗戦を報告する前に、グレンは人目を避け、ある場所へ向かった。

 古びた石造りの裏門を抜け、城下の一角にある屋敷の庭へ足を踏み入れる。そこに、二人の男が待っていた。


 ギルベルト――大きな熊のような体躯を持つ豪将。

 レオナード――鋭い眼光をたたえた、若き猛将。

 二人とも、戦場の砂塵ではなく、ここでは仲間を迎える眼をしていた。


「……グレン」

 ギルの声は低く、しかし抑えきれぬ感情が滲む。

「セリーナのことだ」

 グレンは静かに告げた。砂塵の向こうで再会した彼女の姿、そしてその笑みを。


 レオは黙って聞き、やがて長く息を吐いた。

「生きていて……よかった。それが一番の報せだ」

 ギルも大きく頷き、顔をしかめる。

「それだけで……もう十分だ」


 そしてグレンは、セリーナから託された言葉を伝える。

『これまでありがとう』――それは簡素で、しかし深く胸を打つ言葉だった。


 豪胆なはずの二人の瞳に、涙が滲む。

「……あいつ、やっぱり仲間だよ」

 ギルが低く呟く。

「次に会う時は、戦場かもしれねぇ。それでも……俺たちの仲間だ」

 レオも静かに頷き、グレンの肩を軽く叩いた。


 やがて、王の間へ。


 高い天井に声が反響する広間。

 中央には玉座、その両脇に立つのは五剣将の面々。そして向かいに、老臣マルキス率いる重臣たち。


 空気は張り詰め、剣の刃先を渡るかのように鋭かった。

 マルキスの声が響く。

「敗戦の責任、総司令たるグレン・リヒトは即刻死罪に処すべきです」


 重臣たちが一斉に頷き、追随する。

「軍規に照らせば当然」

「国の威信を守るためにも」


 その視線は容赦なく、冷たい刃のようにグレンを刺していた。


 だが、ギルとレオの表情は怒りに燃えていた。

 ギルの拳は震え、今にも柄に手をかけそうなほどだ。

 レオの視線は鋭く、獲物を狙う獣のようにマルキスを射抜いていた。


 五剣将と重臣たち――場は一触即発だった。


 その緊張を断ち切るように、グレンが口を開いた。

「……私を死罪にしてください」


 広間にざわめきが走る。

 グレンは一歩進み、膝をつく。

「総司令として敗北し、多くの兵を失いました。軍の規律を守るため、王よ、どうかお裁きを」


 ギルが一歩踏み出そうとした瞬間、レオがその腕を掴んだ。

 「待て、ギル……」

 しかしレオの表情にも、言葉にならない怒りが渦巻いている。

 彼らにとって、グレンは仲間であり、背中を預けられる戦友だ。その命を、規律の名のもとに差し出させるなど、到底受け入れられない。


 沈黙の中、王がゆっくりと立ち上がった。

「たしかに、グレンは敗戦の総司令であり、その責任は重い」

 玉座から降りるその歩みは静かだが、言葉には揺るぎがなかった。


「しかし、グレンほどの人物を失うことは、国の柱を自ら壊すに等しい」

 その声が広間に響く。

「よって、私は選任をもって保障する。グレンには今後の功績をもって、この責任を果たさせる」


 重臣たちがざわつき、マルキスは顔をしかめた。

 だが王の言葉を前にしては、もはや反論できない。


 ギルはふっと笑い、胸を張った。

「さすが、俺たちの王だ」

 レオも満足そうに頷き、グレンに視線を送る。


 しかし、当のグレンの表情は重かった。

 命が繋がったことに安堵する暇もなく、敗北の影が心を覆っている。

 焔月も黙ってその隣に立ち、ただ王の決定に従った。


 広間に漂う緊張は薄れたものの、戦の傷跡は誰の心からも消えてはいなかった。

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