第十五話 「氷槍と知略の牙」
戦の喧騒が遠のき、塔の門がゆっくりと閉じられる。
蒼月軍の旗が翻りながら城内へと入場すると、リュミエル連邦の将兵たちが次々と駆け寄ってきた。
傷だらけの顔に、安堵と感謝の色が浮かんでいる。
「よくぞ来てくれた!」
「命を救われた、恩に着る!」
中でも、エリオットが人混みを押し分けて現れ、ユナの前で深く頭を下げた。
「再びお会いできるとは……我らが女神よ。前回も仲間の命を救っていただき、今回も……」
その真っすぐな眼差しに、ユナは思わず頬を赤らめ、視線を逸らすしかなかった。
「そ、そんな……女神なんて……ただの槍使いですから……」
彼女の背後で、氷槍の穂先から滴る雫が、まだ冷たく光っていた。
戦後処理はすぐに始まった。リュミエル側の指揮官は、左右後方の魔法陣補助装置の修理と、塔周辺の大幅な防御強化を命じる。
破損した石壁には職人たちが取り付き、魔導工師たちが青白い光を放ちながら符文を刻んでいく。
「星羅、見事な用兵だった」
セイリオンが、戦場での冷静な指揮ぶりを賞賛する。
その声には飾り気がなく、心からの称賛がこもっていた。
「カンロウ隊を勝利に導いたのは、あんたの才だ」
豪放なカンロウもまた、大斧を肩に担ぎながら笑う。
星羅は両手を胸の前で組み、わずかにうつむいた。
「……皆様の力あってこそです。私ひとりでは何も……」
それでも、口元のわずかなほころびが、誇らしさを隠しきれていなかった。
そのとき、セイリオンがふと遠くを見るように言った。
「グレンたちの退却路に、ジンとセリーナを伏兵として置いた」
エリオットが眉をひそめる。
「……将軍、それでは敵将を討ち取れないのでは?」
セイリオンは首を振り、淡々と告げる。
「討つつもりで置いたわけではない。あれは……セリーナのためだ」
エリオットは一瞬言葉を失い、やがて短く頷いた。
──そして、退却する帝国軍の前に、伏兵の影が現れる。
風を裂いて舞い降りたのは、漆黒の甲冑に身を包んだジンと、白き衣を纏ったセリーナだった。
塵煙の向こうから現れた騎馬隊を見て、グレンは剣を構えかけたが、すぐにその手を下ろした。
この兵力差で戦えば、残兵は全て討たれる。今は……言葉を選ぶべきだ。
「グレン・リヒトだ!」
高らかに名乗りを上げる。
ジンもまた、静かに応じた。
「ジン・カグラだ!」
そのとき、セリーナが一歩前に出る。声は震えていない。
「……お久しゅうございます、グレン殿」
懐かしい声だった。
グレンの脳裏に、過去の光景がよぎる。まだ平穏な頃、ギルベルトとレオナードと共に笑い合っていた日々。
彼ら三人とセリーナが、同じ食卓を囲み、無邪気に未来を語っていたあの時間。
「……生きていたか」
その言葉には、抑えきれない安堵がにじんでいた。
「はい。今は蒼月国に迎え入れていただき、元気に暮らしております」
その声を聞き、グレンは胸の奥が温かくなる。ギルとレオに、この報せを届けられることが、唯一の救いに思えた。
「私は……ジン様が築く、差別のない平等な国を見たいのです」
セリーナの瞳は真っすぐで、揺らぎがなかった。
グレンは短く息を吐き、かすかに笑う。
「それがお前にとっては、最善の道だろう
もう、帝国に戻ってきてはならん
お前の信じる道を行け。それが、俺と違う道でも」
だが次の瞬間、その表情は険しくなる。
「ジン、私の命を差し出す。だから……部下たちを見逃せ」
ジンは静かに首を横に振った。
「俺は、お前の命を取りに来たわけではない」
「……ならば、なぜ」
「セリーナと会わせたかった。それが……セイリオンの願いだ」
その言葉に、グレンは一瞬だけ視線を落とす。
セイリオン──やはり、あの男には敵わない。戦でも、そして……人の心でも。
セリーナは微笑み、少しだけ寂しそうに言った。
「ギルとレオに……どうか、よろしくお伝えください。今まで……ありがとうと。」
グレンは頷き、何も言わずに手綱を引いた。
兵たちが続き、彼らの背は砂塵に紛れて小さくなっていく。
セリーナはその姿を、いつまでも目で追った。
その瞳は遠くを見つめ、まだ見ぬ未来と、過ぎ去った日々の狭間に揺れていた。




