第十四話 「千変万化の陣、戦場を制す」
ヴァンが討ち取られ、焔月が戦線を離脱し、敗走していく頃。
戦場中央、本陣の天幕を中心に、なおも戦況はうねりを続けていた。
帝国軍の総大将グレン・リヒトは、唇を噛み締め、血の味を感じながら前方を睨んでいた。
「……セイリオン、貴様……」
目の前の敵将——セイリオン・アルフェクト。その軍の動きは、もはや従来の戦術概念から逸脱していた。
魚鱗の陣を敷いたかと思えば、瞬時に偃月へと転じる。陣形変化の速度と精密さは常軌を逸しており、まるで一枚の巨大な生き物が意思を持って動いているようだ。
兵が迷う間もなく、連携が崩れ、次々と突破口をこじ開けられる。
(なぜだ……あれほど複雑な陣を、あの速度で切り替えられるはずがない……!)
苛立ちが胃を締め付ける。
その答えはグレンにはわからなかったが、実際にはセイリオンはジンから伝授された現代の戦術理論を咀嚼し、兵士たちに徹底的に叩き込んでいた。陣形は固定された概念ではなく、流動する戦場の呼吸に合わせて変化する——それが新しい戦の形だった。
「総大将、左翼が押されております!」
「右翼も突破されます!」
副官の報告が、次々とグレンの耳へ突き刺さる。
「全軍、隊列を保て! 混乱するな、敵は幻惑しているだけだ!」
自らも分かっていない慰めの言葉を吐きながら、必死に指揮を続ける。だが、戦況は否応なく崩壊に向かっていた。
その混乱の中、氷の輝きが戦場を裂く。
「——凍てつけ!」
高らかな声とともに、ユナ・グレイスの魔法陣が展開された。地面から無数の氷槍が突き出し、帝国兵の足を奪う。悲鳴と怒号が交錯し、鎧の音が氷に響く。
ユナの動きは正確無比で、氷陣によって生まれた足止めの瞬間を逃さず、自ら氷槍を手に突撃する。
その行く手を遮る影があった。
「これ以上、好きにはさせんぞ!」
軍配を掲げ、帝国五剣将の一人、ラウル・フェルナンドが馬首を切った。
彼の眼は戦術家の冷静さを宿しながらも、戦場の熱に火照っていた。軍配で味方に指示を飛ばしつつ、自らも細剣を構え、ユナへと切り込む。
「邪魔ね……」
冷ややかな声とともに、ユナは氷槍の切っ先をわずかに傾けた。次の瞬間、氷の欠片が弾丸のようにラウルへ飛び、視界を遮る。
その隙を突き、氷槍と細剣が交錯する——鋭い金属音が戦場の喧騒の中でひときわ高く響いた。
ラウルは帝国随一の技巧派と呼ばれ、刃筋の精密さは群を抜く。だが、ユナは氷魔法による間合い制御で常に一歩先を取っていた。氷面を滑るように後退し、次の瞬間には踏み込んで斬り返す。その動きは、剣士というより氷上の舞姫だった。
「くっ……これほどとは!」
ラウルの心中に焦りが走る。
彼は軍配を高く掲げて指示を出すが、味方の兵はすでに氷陣と突撃により士気を削られ、思うように動かない。
その隙を突いて、ユナの氷槍が再び地面を貫いた——ラウルは咄嗟に跳び退くが、その足元を白い霜が走る。
(退け……いや、退かぬ……! だが——)
その決意をかき消すように、遠方から矢雨が降り注いだ。翠色の光を帯びたその矢は、連邦の風の名射手エリオットのものだった。
無数の矢が帝国兵の防御を貫き、混乱はさらに拡大する。
「エリオット……まで……!」
グレンは戦場の全景を見渡し、歯噛みした。
左翼は崩壊し、右翼も押し込まれ、中央はユナとエリオットの連携によって突き破られつつある。セイリオンは悠然と馬上から指揮を取り、冷静に戦況を操っていた。
その姿は、嵐の中で微動だにせぬ巨木のようだった。
「——セイリオンめ! どうやってあのような用兵を手に入れた!」
グレンの叫びは怒号にも似ていたが、その奥には戦術家としての敗北の予感が滲んでいた。
彼はこれまで、自らの知略こそが戦場を支配すると信じてきた。だが今、その信念は崩れつつあった。
そして、ついに焔月が戦線を離脱し、本陣へ合流する。
彼女の報告は短く、そして重かった。
「これ以上は持たん。撤退するしかない」
グレンは唇を噛み切り、血が滴るのも構わず叫んだ。
「全軍退け——!」
その言葉は敗北の宣告であり、戦場全体に響き渡った。
帝国軍は秩序を失いながらも必死に退却を開始する。
エリオットは馬を進め、セイリオンへ向けて一礼した。
「……お見事です、セイリオン殿。塔への入場をどうぞ」
セイリオンはわずかに口角を上げ、悠然と手綱を操る。
蒼月軍はそのまま戦場を後にし、堂々と塔の門をくぐっていった。




