第十三話 「不壊の壁と氷槍の包囲」
赤い炎のように揺らめく刃が、次々と敵を薙ぎ払っていく。
焔月は唇を引き結びながら、その戦場の最前線を駆けていた。
先ほどまで戦況は明らかに帝国側の優勢だった。
だが、その空気は突然、重く冷たいものへと変わった。
正面奥から、重戦車のような圧迫感を伴って進軍してくる巨躯。
白銀の鎧に包まれ、左腕に構えるのは漆黒の巨大盾――獣人の将、玄武・ガロウ。
その歩みは遅いようでいて、止まることを知らぬ重い潮流のようだった。
「……面倒な相手が来たな」
焔月の口元に、ほんの一瞬だけ緊張の色が浮かぶ。
その後方、戦列の切れ間から白銀の槍が閃いた。
細身のエルフの女戦士――シア・フレイネール。
氷の魔力を纏った長槍を振るい、その軌跡は冷気を撒き散らして敵兵の動きを鈍らせていく。
すでに数十名の兵が足を凍り付かせ、動けぬまま盾兵に押し潰されていた。
ガロウの軍勢とシアの突撃部隊が同時に到達する。
その瞬間、焔月の前に広がっていた戦線は、まるで堰を切られたように崩れ始めた。
「チッ……来るか!」
焔月は赤い刀身の日本刀を抜き放ち、疾風のように踏み込む。
刃は迷いなく、ガロウの胸甲を狙う――だが、次の瞬間。
――ギィィンッ!
耳をつんざく金属音と共に、刃は盾に阻まれた。
火花が散り、衝撃が腕を痺れさせる。
この盾、尋常ではない。
「ぬははははっ!」
ガロウの喉奥から豪快な笑い声が響いた。
「赤い剣だろうが、秘剣だろうが、この**《不壊の壁》**は通らん!」
ガロウは盾を振り回すように構え、その巨体ごと押し出してくる。
ただ防ぐだけではない、盾の縁を使った殴打が連続で襲いかかる。
一撃ごとに骨が軋みそうな衝撃が伝わる。
焔月は刀で受け流しながら後退を強いられた。
その間隙を突くように、シアが横から飛び込んでくる。
氷槍を薙ぎ払い、青白い霧が戦場を覆う。
視界を奪われた兵士たちが悲鳴を上げる中、槍先が焔月の背後を狙う。
焔月は半歩ひねって避けるが、その動きはガロウの突進を招いた。
前後からの挟撃――二人の動きはまるで呼吸を合わせたように噛み合っていた。
「……厄介すぎる……!」
焔月の額に、これまでなかった焦りの汗が滲む。
彼女は赤刃を高く構え、奥義を放つ。
「《焔葬:影抜き》!」
刃が残像を伴い、炎の影がガロウの死角から突き抜ける――はずだった。
だが、ガロウの盾が微動だにせずその軌道を読んで立ちはだかった。
――ゴンッ!
まるで壁に全力で叩きつけられたかのような衝撃。
焔月の身体は数メートル後方へ吹き飛ばされ、土煙を上げて転がった。
「ぐっ……!」
立ち上がった時、ガロウは低く呟いた。
「効かんと言っただろう。俺を砕けるのは、この世に俺自身しかおらん!」
その背後で、シアが静かに槍を構え直す。
彼女の瞳には冷ややかな光が宿っていた。
「……終わりよ、焔月。退くなら今のうち」
だが退く選択は容易ではない。
後退すれば兵はさらに削られる。
それでも――包囲は狭まり、時間は敵になる。
焔月は兵たちに合図を送り、突破口を探しながら下がり始めた。
しかし後退戦は前進よりもはるかに難しい。
秩序は乱れ、動けぬ者から倒れていく。
シアの氷魔法が再び広がり、足元を凍らせた兵が次々と槍や盾に打ち倒される。
「退け! 全員、退けっ!」
焔月は叫び続けたが、その声に応えられる兵は少なかった。
視界の端で、自軍の旗が雪のように崩れ落ちていく。
必死の後退の末、なんとか包囲を脱した時、焔月の周囲にはわずかな兵しか残っていなかった。
その時、伝令が駆け込む。
「――焔月様! ヴァン将軍……討ち死に……!」
言葉を失う焔月。
心の奥底で、炎のように燃えていた自負と冷静さが、静かに、だが確実に削られていく。
それでも、いまは感情を押し殺すしかなかった。
「……本隊と合流する。急げ」
その背に、ガロウの高笑いが遠くまで響いていた。




