第十話 「影鎌の夜襲」
リュミエルからの援軍要請に、蒼月国の軍議は一刻を争った。
ジンは即座に「出す」と言い切った。
総大将は六耀将にも並ぶ戦略眼を持つ軍師セイリオン・アルフェクト。副将には蒼月組総長ユナ・グレイス、烈炎・カンロウ、そして玄武・ガロウが名を連ねた。
ジンはユナを案じた。リョウカとレンゲを失った記憶はまだ生々しい。だがユナは揺るがなかった。
「総長が出ずして、誰が兵を率いるのです?」
その目には恐れも迷いもなく、ただ蒼月国の武将としての責任が燃えていた。
さらに驚くことに、その背には星羅の姿があった。
「初陣です。お姉さまの隣で戦いたい」
幼い声に、ジンは一瞬だけ眉を寄せたが、ユナは黙って頷いた。守るためにも、戦場を知るためにも——。
その頃、ルミナ・ヴェール砦では、すでに帝国軍が前線拠点を構築し、にらみ合いが続いていた。
連邦側の総司令エリオット・グランディは、援軍到着までの籠城を選択していた。魔法陣に守られたこの砦は、守勢に回れば堅固である。しかし——。
「先手を打って士気を折るべきです」
影鎌のネイア・エルミルが静かに進言した。
その瞳には、暗がりの奥を見据える鋭さが宿っている。
彼女は奇襲の妙を知り尽くしていた。恐怖を与えることこそ、戦場の流れを変える鍵だと。
エリオットは逡巡した。籠城は正道、だがネイアの言にも一理ある。副将シアは沈黙を守った。結論は——。
「任せよう。ただし、深入りはするな」
夜。
月は雲に隠れ、砦の外は闇に沈んでいた。
ネイアは二百の精鋭を率い、音もなく前線拠点へと忍び寄る。鎌の刃先は漆黒、甲冑も夜色に溶けるよう仕立てられている。
だが、半里手前で、ふと肌を撫でる違和感が走った。
耳鳴りにも似た、微かな魔力のざわめき。
(……嫌な気配)
それでも、予定通り合図を送り、一斉に切り込む。
——そこは、空だった。
焚き火の灰だけが、風に舞っている。
「……罠だ!退けっ!」
叫びが終わる前に、地面が鈍く脈動し、足元一面に光の紋が走った。
複雑な魔法陣が絡み合い、足に、腕に、鉛のような重さがのしかかる。息が詰まり、握った鎌の柄が滑りそうになる。
「敵を一匹も逃すな!」
鋭い号令が闇を裂いた。ラウル・フェルナンド——軍配を高く掲げ、陣全体に指示を飛ばす。
その手元は次の瞬間、細剣へと変わる。
狙いはただ一点、混乱の中で敵の要を断つこと。
軍配で味方の動きを束ね、細剣で敵の息を奪う。ラウルは静かな炎のような戦意を湛えていた。
兵の列を割って、赤い光が迫る。
焔月だ。
真紅の刀身が闇に浮かび、吸い込まれるように抜かれる。
「お覚悟を」
それは儀礼ではなく、処刑宣告だった。
ネイアは即座に影鎌を振るい、刃を影の波に変える。焔月は一歩も引かず、赤い斬光でそれを断ち切る。
金属音が弾け、火花が宙に散る。
斬撃と鎌撃が交差するたび、影と炎がぶつかり合い、夜が色づいた。
ネイアは影の裂け目から分身を放つ。背後から鎌が迫るが、焔月は振り返らずに抜き打ちで両断する。
「……久しぶりだ、骨のあるやつは」
焔月の声は愉悦を帯びていた。
しかしネイアも引かない。鎌の刃が焔月の面頬をかすめ、赤い血が一筋流れる。
「この借りは必ず返すよ!」
短く吐き捨て、ネイアは影を踏み台に後方へ跳んだ。
その間にもラウルの細剣は冷たく光り、撤退する兵の背後を的確に突き、逃げ道を断つ。
だが、ネイアは最後の一団を守りきり、闇の中へと消えていった。
焔月は深追いせず、刀を納めた。
月が顔を出し、赤い刃を銀色に染める。
そして後方からの視線に気づく。軍師グレン・リヒトだ。
彼は無言のまま全てを見届け、低く呟いた。
「お前たちの動きなど、看破することなど容易い」
帝国軍の前線は、その夜、揺るがぬ勝利の空気に包まれていた。




