第五話 「若き血の奔流」
厚い石壁に囲まれた帝都グランディアの軍議の間は、外の冬空とは別の寒さに包まれていた。
天井近くの窓から射し込む淡い光が、長机の上に広げられた地図を照らす。その地図には、奪われた領土の赤い線が生々しく引かれていた。
「……このままでいいのか?」
低く唸るような声が、重苦しい空気を破った。発言したのは老将ハインリヒ。皺だらけの手で机を叩き、白髪を揺らす。
「領土を大きく削られたまま、我らが帝国と呼べるのか。戦わねば、衰退は必至だ」
隣に座る若き将、ファルケはすぐさま口を開いた。
「ならば、ミストラル砦を取り返すべきです。あそこを押さえれば蒼月国の前線は崩れ、奴らの息の根を止められる」
熱を帯びた声に、対面の文官が眉をひそめる。
「いや、今はリュミエル連邦への圧力を強めるべきだ。要塞都市サン=テリオを落とせば、奴らは交渉の席につかざるを得まい」
「サン=テリオは守りが堅い。半年は包囲戦が続くぞ」
「それでも価値はある」
意見はすぐにぶつかり合い、机を囲む武将と文官たちの視線が鋭さを増していく。
そして第三の案が、静かに、しかし重く提示された。
「……魔将デュランを討つ」
重装鎧に身を包んだ壮年の将、マクシミリアンが地図上の一点を指差す。
「奴を討ち、その領土を奪えば、帝国は一気に勢力を盛り返せる」
だが、この案もまた賛否で割れた。
魔将討伐の難易度、戦線の分散、民衆の負担――どの案も一長一短であり、誰一人として決定打を出せない。
重苦しい沈黙が落ち、燭台の炎がゆらめく音すら響く。
――その頃、帝国の片隅では、まったく別の熱が燃え上がっていた。
*
レンゲは小さな村の宿の窓辺に立ち、薄汚れた外套を羽織ったまま、雪混じりの風を吸い込んでいた。
目は細く、しかし獲物を狙う獣のように光っている。
「……レオナードも、ギルベルトも、この手で討ち取る」
低く呟く声は、冷気よりも鋭く、血の匂いを帯びていた。
扉が勢いよく開き、長身の女将軍リョウカが姿を現す。
「やっと見つけたぞ、レンゲ!」
肩で息をしながら、彼女は近寄る。
「ジン様はお前を心配していた。すぐに戻れ」
しかし、レンゲは首を横に振った。
「戻らない。今が好機だ。あいつらの首を取れば、蒼月も帝国も動かせる」
リョウカは言葉を失い、しばし彼を見つめた。
理性は危険だと告げている。だが胸の奥では、血の匂いが甘く香っていた。
――若い将軍は、時として無茶をしたくなるものだ。
「……いいだろう。私も手伝う。」
レンゲの唇がわずかに吊り上がる。
「話が早い」
*
帝都から遠く離れた村外れの小道を、二騎の馬が雪を蹴立てて走る。
レンゲは前を見据え、獲物の位置を思い描く。
リョウカは横目で彼の横顔を見つめ、心の奥にある不安を押し殺す。
――ジン様は派遣する将を間違えた。私たち二人を組ませれば、こうなるのは必然だ。
夜風が頬を切り裂き、月が雪原を照らす。
二人の若き将の心臓は、同じ鼓動で高鳴っていた。
戦の大義でも、帝国の命令でもない。ただ、自ら選んだ戦場へ向かう興奮が、全身を駆け巡っていた。
そしてその頃、帝都の軍議はまだ終わらず、地図の上で線が引かれては消されていた――。




