第三話 「盟約の光と影 セリーナの選択、セリスの旅路」
――リュミエル王国・王都リュクス。ヴェルト
戦勝の凱旋から数日、王都はなおも祭りの余韻に包まれていた。
城下の大通りには商人たちの屋台が並び、酒と香辛料の香りが混ざった甘い空気が漂う。
街角の吟遊詩人は勝利を歌い上げ、子どもたちは手作りの木剣を振るいながら「六耀将ごっこ」に興じている。
リュミエルが得た勝利はただの軍事的成果ではなかった。
長きにわたる蒼月国との緊張が終わり、同盟が正式に結ばれたことで、両国の国境は交易の道として新たに開かれた。
国境の町では市場が拡張され、蒼月からは絹や香木、宝石が運び込まれ、リュミエルからは金属製品や加工技術が流れ込む。
互いの民は警戒よりも好奇心を持ち、旅人は笑顔で宿屋を共有し、言葉の違いを身振り手振りで補いながら酒を酌み交わしていた。
経済は確実に上向き、農民は新しい農具を手に入れ、職人は新素材で腕を試せるようになった。
街灯の油すら質が上がり、夜の通りが明るくなったと人々は喜んだ。
だが、その賑わいの陰で――六耀将たちの心は晴れてはいなかった。
――王城・六耀将の間
厚い扉の奥、静寂の中に重苦しい空気が沈んでいる。
円卓に集まった六耀将のうち、三人は包帯に覆われ、身じろぎするたびに鈍い痛みが走るのを隠そうともしなかった。
猛将ザラッドは、デュランとの死闘で受けた傷が治らず、医師たちの薬も祈祷師の術も受け付けず、日に日に黒ずみ、熱を帯びていた。
「……また、夜中に痛みで目が覚めたのか」
低く問うのは将軍リュード。
彼の額にも薄い汗が浮かび、声にかすかな苛立ちが混じっている。
「ええ……」
かすれた声で応じるのはセリス。
彼女の左腕は肩から手首まで包帯で覆われ、包帯の下からは淡い黒煙のようなものが漏れることすらあった。
それを見て、部屋の空気が一瞬、固くなる。
「セリス、お前のせいじゃない」
副将ラグナが短く言った。
しかし、セリスは首を横に振る。
「私が……もっと早く止めていれば、あの一撃は避けられた。
私が……判断を誤ったせいで……」
声は震えていたが、瞳の奥は自らを罰する強い決意で光っていた。
戦場で指揮を執る者としての責任感――それが彼女を責め続けている。
沈黙を破ったのは、古参の将ブライドだった。
「……暗黒の力が噛みついた傷は、通常の癒しでは癒えぬ。
わしが若いころにも、似た事例を見た。あのときは……」
ブライドの目が細くなり、声が途切れた。
「……どうなった?」
ラグナが促す。
「助からなかった」
短い言葉が、剣より鋭く心臓に突き刺さる。
セリスは唇をかみしめ、立ち上がった。
「……私、行きます」
「行く?」リュードが眉をひそめる。
「蒼月国に。……あそこに、私の弟子がいる。ユナ・グレイス。
彼女の家系は、暗黒の傷に対する特別な治癒術を代々受け継いでいるはず……」
その声はかすれていたが、目には迷いがなかった。
たとえ国を離れることが危険であっても、彼女にとって仲間の命を救うことが全てだった。
「……行け」
リュードが短く答えた。
「その覚悟があるなら、止めはしない。ただ――気をつけろ」
セリスは無言で頷き、部屋を後にした。
背後で、残された者たちは黙って彼女の無事を祈った。
――蒼月国・王都ツキノミヤ
蒼月国でもまた、人々は活気に満ちていた。
新しい市場はリュミエル産の品で賑わい、子どもたちは見慣れぬ菓子を頬張って笑う。
国境の村々では互いの言葉を学び合い、結婚の約束を交わす者すら現れていた。
そんな明るい日常の中、ひとり静かに窓辺に佇む女性がいた。
セリーナ・エリュシオン――かつて帝国五剣将の一角として、名を轟かせた将。
彼女は蒼月国の将ジンのもとに身を寄せ、療養を兼ねて過ごしていた。
窓の外では、市場の喧騒と共に、国民同士が肩を並べて働く姿が見える。
ジンの掲げる「差別のない平和な国」という理想が、確かに形になり始めていた。
「……こんな国、帝国にはなかった」
思わず口にしたその言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
だが同時に、胸の奥には苦い影もあった。
――レオナード、ギルベルト。
かつて共に剣を振るった仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。
彼らと刃を交えることになるかもしれないという現実は、いまだ受け入れがたかった。
部屋に入ってきたのは、ジンだった。
「考えていたのか」
低い声だが、責める響きはない。
「……ええ。私は……蒼月国に帰順します」
ジンは小さく頷いた。
「お前がそう決めたなら、歓迎する。だが無理に帝国を憎む必要はない。
お前の剣は、お前が守りたいもののために使えばいい」
その言葉は、不思議なほどすっと胸に落ちた。
帝国で感じた重苦しい鎖とは違う――ここでは、剣を握る理由を自分で選べる。
しかし、レオナードたちとの再会が戦場であるなら――その時、自分は何を選ぶのか。
答えはまだ、霧の向こうにあった。
――数日後
蒼月国の城門に、一人の女性が現れた。
馬上の姿は疲れ切っているが、その瞳は炎のように強い。
セリスだった。
衛兵に事情を告げると、すぐに城内へ案内される。
彼女の目的はただひとつ――ユナ・グレイスに会い、仲間の命を救う術を得ること。




